魔神の記憶
――第二階層に踏み込んだ瞬間、世界が一変した。
吹き荒れていた瘴気は消え、空は晴れ渡り、草の香りが風に乗って漂ってくる。そこは、まるで異世界――いや、記憶の中の世界だった。
「……ここは……?」
エムルが目を細めて周囲を見渡す。
「遺跡の中とは思えないな……妙に懐かしい空気だ」
ゼイドも訝しむように目を細める。
すぐに魔力探知を試みたが、ここでは“敵意”も“殺気”も感じられなかった。
「なにかの結界か、幻か……いや、もっと深い“記憶の領域”かもしれない」
そして、その草原の中央に、ひとりの男が立っていた。
――それは若き日のヴァロル=リーグス。
荒々しいが無垢な瞳を持ち、今よりも細身で、まだ人間の面影を色濃く残していた。焚き火を囲み、重厚な剣を脇に置き、ひとり空を見上げていた。
「……あれ、ヴァロル?」
「若いな……だが、間違いない。あれは“かつてのヴァロル”だ」
そのとき、もう一人、草原に歩み寄る男がいた。
その姿を見た瞬間、オシャルは目を見開いた。
「……父さん……!」
――現れたのは、ガレン・ファルク=リヴァンス。
鋭くも優しい眼差し、柔らかく揺れる銀の髪、そして背に携える漆黒の剣。
それは、オシャルの記憶の中でしか見たことのない、若き日の父の姿だった。
◆
「やあ、久しぶりだな、ヴァロル」
「……お前か。天才剣士様が、わざわざこんなところに何の用だ?」
「剣を振るう理由、見つけたんだよ。話したくなってな」
「またか。……お前は昔から、意味のないことを語る」
ガレンは微笑むと、草に腰を下ろす。
「意味なんて、自分でつけるもんさ。俺にとっての剣は、“誰かを守るため”のものだった」
ヴァロルの表情がかすかに揺れる。
「俺は……“誰も守れなかった”。才能のあるお前とは違ってな……!」
「そうか?」
「俺はどれだけ剣を振るっても、天啓の声を聞けなかった。“才能”がなければ、どれだけ努力しても“最強”にはなれない……俺は、それを思い知らされた」
「でもお前は、俺より何倍も剣を振っていた。俺にはなかった“努力の才”を持っていた」
「……簡単に言うなよ、ガレン。お前は選ばれた剣士だ。俺とは、違う!」
そのとき、ヴァロルの背に、黒い霧が漂い始めた。
「……これが、“闇”のはじまりか」
ゼイドが低く呟いた。
その“記憶”の中で、ヴァロルの心に初めて宿った“魔神の影”。
憧れ、嫉妬、渇望――その全てが、剣の形を変えていく。
だがガレンは微笑みを崩さなかった。
「……それでも、お前の剣は俺を震わせた。努力の剣が、才能を超える瞬間はある。俺はそれを……お前の背中で知ったんだ」
ヴァロルは、声もなく目を見開いた。
だが、その瞬間、草原が崩れ、空が黒く染まっていく。
これは、“記憶の終わり”。
「ぐっ……!」
オシャルたちは記憶の空間から押し出され、現実の魔神城の第二階層に戻ってくる。
そこはすでに、地獄のような魔界の空間に変貌していた。
◆
「見たか……俺の過去を」
頭上から響く、禍々しく歪んだ声。
そこに、真の姿を現した魔神ヴァロル=リーグスが立っていた。
彼の右腕は獣のように肥大化し、全身は鎧と肉体が融合したかのような異形。
眼光は赤く染まり、かつての理性の欠片も感じられない。
「お前の父、ガレン。俺が“唯一倒せなかった男”だったよ」
「……殺したのか?」
「さあな。奴は……俺の記憶にしか、もう存在しない。生きていようと死んでいようと、今となってはどうでもいいことだ」
「なら――俺が、今ここで証明する!」
オシャルが剣を抜く。
「父の剣ではなく、俺自身の剣で、お前を斬る!!」
「いいだろう、来い。人間の限界を……その命で知るがいい!!」
◆
魔神の咆哮とともに、第二階層全体が激震し、魔力の嵐が吹き荒れる。
「全員、構えろ!!」
ゼイドが叫び、〈星風の剣〉の面々が陣形を取る。
「これが……魔神ヴァロルとの、最終決戦だ!」




