ノイズ-カナの見た世界-
写真の裏に、奇妙な文字が並んでいた。
初めて見る記号のはずなのに、意味が浮かんだ。
──『自分で決めた道なら、どこを歩いても正解だよー!』
そう“読めてしまった”自分に、なぜか胸がざわついた。
文字は見慣れないのに──筆跡だけは、自分のものだった。
誰かが、いなくなった気がしていた。
でも、その“誰か”が誰なのか、どうしても思い出せない。
思い出そうとするほど、輪郭が曖昧になる。
それでもこの写真だけは、はっきりと手元に残っていた。
(どうして……これだけ、消えていないの?)
駅前の空気が妙に薄く感じられた。
人々はいつも通りスマホを見て歩き、
スーツの足音とアナウンスが規則正しく響く。
でも、どこかが違う。
その違いに、誰も気づかない。
──いや、気づかないふりをしているのかもしれない。
私がそうだったように。
以前、あの人に言った。
「どこを歩いても正解だよー!」と、
笑って、手を振って、写真を撮って、
そして──そのまま、見送った。
名前を思い出せないのに、
その時の“気配”だけははっきりと残っている。
優しさと、焦りと、微かな覚悟。
まるで自分のことのように、
まるでまったく他人のことのように。
教室の席がひとつ、空いていた。
誰もそれに違和感を抱かず、
担任すら名前を呼ばない。
一瞬だけ、視線がそこに集まりかけて──
次の瞬間には、何事もなかったかのように話が進む。
世界が“ひとつの存在をうまく処理した”瞬間。
私はそれを、なぜか見ていられなかった。
(あの人は……自分で消えたんじゃない)
(自分で、“終わらせた”んだ)
思い出せない名前の代わりに、
記憶の隙間に刺さっている言葉がある。
「また、どこかで」
それが実際に交わした会話だったのか、
自分が後からそう思っただけなのか──もうわからない。
でも、信じたいと思った。
あの人はこの世界を終わらせて、
どこか“別のレイヤー”へ進んだのだと。
そして、私は。
──まだ、ここにいる。
“気づいてしまった”のに、“消えていない”。
それは選ばなかったからか。
選べなかったからか。
それとも、見送る役を演じているだけなのか。
写真を見つめながら、考える。
これを書いた“私”は、どの私だったのか。
ここにいる私は、
本当に“あの時の私”の続きなのか。
──観測は、まだ続いている。
その事実だけが、今の自分をかろうじて証明していた。
ふと、すれ違った少年が振り返った。
目が合った気がした。
制服の襟元、手の位置、歩き方。
あの人ではない。けれど──
“あの人と同じ場所まで歩いた者”だと、なぜか思った。
名前は、知らない。
でも、気配は知っている。
私はその背中を、しばらく見送った。
次に消えるのが、彼かもしれない。
それでも、私にはそれを止めることも、引き止めることもできない。
──私は、見ているしかない。
この世界に残っている“ノイズ”を。
消えた誰かの“証拠”を。
すれ違っていく、誰かの“終わり”を。
それが私の役割なら──
もう少しだけ、このレイヤーに留まろう。
写真を、ポケットにしまった。
そして私は、今日もこの世界を観測する。
また、どこかのレイヤーで。
『ノイズ -カナの見た景色-』
この一話は、
物語の“外側”にいたようで、
実は“もっと深い内側”にいたのかもしれない、
カナという存在のための記録です。
彼女は登場回数も少なく、
その言葉の多くは語られないままでした。
けれど、その笑顔とひと言──
『自分で決めた道なら、どこを歩いても正解だよー!』
それだけが、ずっと世界のどこかに残っていました。
カナがプレイヤーなのか、NPCなのか。
それとも、はじめからこの世界の観測者だったのか。
その答えは、どこにも書かれていません。
でも、彼女が「見ていた」という事実だけは、
この物語の根っこにずっと息づいていました。
井上が消えた後も。
拓海が違和感を掴みかけた瞬間も。
誰かが、見ていた。
気配だけを残して、記録に残らない誰かを。
それがカナの役割だったのか。
それとも、彼女自身もまた迷いながらここにいたのか。
どちらとも言えないまま、
この物語はそっと終わります。
“気づいた者から消えていく”
この世界のそんなルールが本当だとしても──
誰かが見ていたということは、
確かに“そこにいた”という証明になります。
この記録が、
あなたの中に小さなノイズを残せたなら。
きっとそれだけで、意味があったのだと思います。
また、どこかのレイヤーで