第6話
「ミーをよろしくね、お兄さん!!」
自分も一緒に猫を探すと駄々をこねるトリエグル嬢をベイグル氏と一緒に宥めて押し留め、ノエルとリュミスは宝石店を後にした。
彼の手には猫のミーの毛がびっちりついた汚いタオル。毛どころか汚物までしみ込んでいそうなそのタオルに、リュミスは鼻を歪めてノエルからそっと距離をとる。
「いくら何でも汚過ぎでしょ。タオルなんてどうせ猫が遊んでボロボロにするものだし、金持ちなら高級品を使わせろなんて言うつもりはないけど、せめてもう少し清潔にできないのかしら? あのお嬢様はともかく、使用人とかが気にしそうなものだけれど」
「……ああ、そうだね」
「先に言っておくけど、私にそのくっさいの嗅がせて臭いを辿れとか言ったら訴えるからね」
「……ああ、わかってる」
「にしてもホント汚いわねぇ。安っぽいし、猫のお気に入りっていうより寝床を掃除した雑巾みたい」
「……ああ、そうだね」
「……ねぇ」
「……ああ」
「…………」
「…………」
宝石店を出た後、リュミスの文句にどこか上の空で相槌を打ち、目的地もハッキリしないままふらふらと道を歩くノエル。
そんな彼の様子にリュミスが顔を顰め「何かあったのか?」「これからどうするのか?」と尋ねようとしたタイミングで唐突にノエルは立ち止まり、踵を返し今きた道を引き返し始めた。
「──ちょ、いきなりどうしたのよ!?」
「……少し、確認しておきたいことができた」
リュミスへの説明もそこそこに、ノエルは再びベイグル宝石店の戸をくぐる。
店内には既にベイグル氏や娘のトリエグルの姿はなく、代わりに先ほど取り次いでくれた女性店員がノエルを出迎えてくれた。
「あら。何か忘れものですか? オーナーに用事でしたら呼んでまいりますが」
「あ、いえ。そうではなくて、貴女に一つ確認したいことがあるんです」
「……私に?」
女性店員は意外な言葉に目を瞬かせる。ノエルは「はい」と頷き、その質問を口にした。
「貴女は、迷子になったという猫を見かけたことがありますか?」
女性店員の答えは「NO」だった。
彼女は一度も猫の姿を見たことがない。ベイグル氏の屋敷は店舗のすぐ裏に建っていて、時折猫の鳴き声が聞こえてくるので猫を飼っているのだろうとは思っていたが、それ以上のことは先日猫が行方不明になるまで全く認識していなかったし、オーナーから話を聞いたこともなかった。恐らく他の従業員もそうだろう、と。
「……そう言えば、さっきから時々鳴き声が聞こえますね。近所の別の猫かと思っていたんですが、ひょっとして屋敷には他にも猫が?」
「ええ、多分。でも今言った通り、私は詳しいことは何も知らないわ」
そう言ってあからさまに面倒くさそうな表情で追い出しにかかる女性店員にノエルは一礼し、そのまま大人しく店を出た。
そしてその足で店舗とその裏のベイグル氏の屋敷の周囲をぐるりと一回りする。
「……ねぇ。さっきの質問って何の意味があったの?」
彼の考え事を邪魔をすまいと黙って後を歩いていたリュミスだが、とうとう我慢できなくなって口を開く。
「ん~? いや、ちょっと違和感があったなと思って、その確認」
「違和感?」
リュミスは首を傾げた。彼女自身この件に関して思うところがないわけではなかったが、しかしわざわざ戻って質問まですることがあったかというとどうだろう?
ノエルは立ち止まり、自分の考えを整理するように一つ一つ言葉を選びながら言った。
「例えば従業員は猫探しに関わらせないってことだけどさ、そうは言ってもあの活動的なお嬢さんだよ? 普通に考えて僕らの前以外でも大騒ぎしてるだろうし、父親がどう言おうと従業員に色々お願いしてるんじゃないかな?」
「……それは確かに。でも、実際に従業員は猫のことをほとんど認識してなかったわよ。そこはしっかり父親が言い聞かせてたってことじゃない?」
「うん。そうかもしれない」
素直に認めつつも、そうではない可能性を思い浮かべノエルは続けた。
「それと、死体だけでも回収して欲しいって言うのはどうなんだろうね」
「……何かおかしいかしら? 大切なペットを弔ってあげたいって話でしょ」
全く不自然さを感じていない様子のリュミスに、ノエルはかぶりを横に振って否定した。
「まず僕にそれを伝えるメリットがない」
「メリット?」
「うん。死体でも満額報酬を支払うってことはさ、猫が死んじゃうリスクを高めるだけなんだよ。生け捕りより殺してもいいって言われる方が簡単なのは間違いないし、こっちは『自分が見つけた時にはもう死んでた』と言い張れば済む話だからね」
確かにそう言われれば発言に合理性が欠けているのは確かだ。だが、そこまで気にすることだろうかとリュミスは首を傾げる。
「単純に、そう言わないと万一死んでた時に死体を回収してきてもらえないと思ったんじゃない?」
「どうかな。向こうも僕らが金目当てで動いてることは察してるよ。ならわざわざ言わなくても、自分たちの努力と成果をアピールして少しでも報酬をもらうために死体を持ち帰ると思わない? それこそよっぽど死体が見るに堪えないことにでもなってない限りはさ」
「まぁ……それはそうね。──でも私を連れてたのを見て猫好きならそんな酷い真似はしないと思った可能性もあるわよね?」
「うん、それはあるかも。でもそれにしたってわざわざ死体に言及したのは違和感がある。猫の飼い主は娘の方だろう? 大切にしてた猫の死体を娘にわざわざ見せたいと父親が思うものかなぁ? あと、そもそも僕は猫より犬派」
最後に余計な情報を付け加えたノエルの足を尻尾ではたきながら、リュミスは確かにと頷く。教育方針として生き物の死を理解させるために敢えて、などと色々可能性は思いつくが、だとしても中々デリカシーに欠ける父親であることは間違いない。それはベイグル氏のあの風貌や物腰には少し似つかわしくないものだった。
「さっきの店員さんの話にしても、可愛がってる猫なら娘さんが連れ歩いたりしてる姿を見てそうなもんだよね。お店と屋敷はお隣なんだし。そうじゃなくても娘さんが周りに自慢してないのは不自然だ」
「まぁ……さっきの様子だと、娘さんはお店に普通に出入りしてたみたいだしね」
「それと飼ってる猫が他にもいるっぽいってのが気になるかな」
「……本人たちからその話題が出なかったことを気にしてる?」
リュミスの問いかけに、ノエルは否定とも肯定ともつかない曖昧な声を出した。
「ん~……それも無いわけじゃないけど、子供主体で動物飼うなら多頭飼いは大変なんじゃないかなぁ?」
「確かにね。でもお金持ちだから実際の世話は使用人とかが──」
そう言いかけてリュミスはノエルの手の中の汚いタオルに視線をやる。
「──いや、ないか。仮にも使用人が世話してるなら、もう少し清潔にしてるわよね。猫だけの問題じゃなくて、部屋とか服とかも汚れちゃうだろうし」
なるほど、そう言われてみれば確かに今回の猫探しとあの親子には違和感がある。だが、それが自分たちと何か関係があるかというと──
「ひょっとして、イタズラの可能性とかを考えてる?」
「いや。社会的地位のある人がそんな馬鹿なことをするとは考えにくい。実際に行方不明になった猫がいて、それを捜していることは事実だと思うよ」
それも確かに。ならば一体、彼は何を気にしているのだろう? わざわざ他人の家庭の事情に首を突っ込むほどお節介でも好奇心旺盛でもないはずだが?
そんな疑念がリュミスの表情に出ていたのだろう。ノエルは曖昧な微笑を浮かべ、先回りするように答えた。
「余計なトラブルに巻き込まれるのは面白くないからね。念のためさ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
迷い猫の捜索そのものはノエル本人が拍子抜けするほど簡単に進んだ。
「『同調 感応 範囲指定 潜行──【基礎探知】』」
魔術師の第二階位呪文【基礎探知】。見習いを脱した魔術師であれば五人に一人、一人前の魔術師なら二人に一人は習得している初歩的な探知用呪文だ。
使用条件は『術者が極めて正確なイメージを有している対象』または『対象の一部を保持している』こと。前者の条件は生き物であれば概ね一月以上生活を共にしていることとかなり厳しく、家族や親しい友人でもなければ条件を満たせない。
ノエルが先にベイグル氏の元を訪れたのは、この後者の条件を満たすためだ。
第四階位呪文には【生物探知】という、もう少し緩い条件で使用可能な呪文も存在するが、ノエルにはそれを習得しておらず、また習得するだけの技量を有していなかった。
「──お。一発でかかったな」
【基礎探知】の探知可能範囲は半径約三〇〇メートルで、その範囲内に対象がいれば対象が移動しているかも含めその位置を感じ取ることが出来る。この広い街を探査するには心許ない効果範囲であり、ノエル本人は二、三日がかりで捜索する覚悟を決めていたが、幸運にも最初の呪文行使で当たりを引けたようだ。効果時間は精神集中が及ぶ限り、かつ最大一〇分間とあまり長くない。ノエルはすぐに呪文が示す方角に向かって歩き出した。
その後ろを突いて歩きながら、リュミスは先ほどこの呪文についての説明を受けて気になっていたことを訊ねる。
「……ねぇ。呪文に猫の毛が必要なら、最初からそう頼めばよかったんじゃない? わざわざケガをさせずに捕まえるためとか嘘をつく必要はなかったと思うけど」
「そう伝えたら、依頼主に『毛があれば呪文で場所を探せる』って知識を与えることになるだろ? 万が一にも彼に馴染みの魔術師とかがいて、そっちに頼まれたら困るじゃないか」
「…………」
こすいガキだ──リュミスはそう嘆息し、それ以上呪文維持の邪魔をすまいと石で舗装された川沿いを歩く。川には都市の下水が流れ込んでいたが、あちこちに設置された浄水用の魔道具のおかげで悪臭は人間の鼻にはほとんど臭わず、リュミスの鼻でもまだ我慢できるレベルに留まっていた。
五分ほど歩いたところで橋にさしかかり、ノエルは舗装された道を外れて橋の下をヒョイと覗き込む。
「──いた」
橋脚の脇のほんの僅かな隙間に光を反射して輝く二つの眼光。はっきり姿までは見えないが、ノエルの探知呪文はそれがターゲットの迷い猫であることを示していた。
ノエルはウェストポーチからリュミスのおやつ用の干し魚を手に取り、おびき寄せようとする。しかし迷い猫は警戒しているのか近づいてはこなかった。
「ふむ……」
さてどうしたものか、とノエルは少しだけ悩んだ。初級呪文に【魔法の手】という念動系の呪文があり、それを使えば猫を引っ張り出すことはできるだろう。だがあれは出力が低く不安定で、暴れられるとケガをさせたり川に落ちてしまうリスクがあるためあまり使いたくはない。またそうでなくともこの”猫”には通用しない可能性があり──
「ミャ~」
ノエルが悩んでいると、助け舟を出すようにリュミスが迷い猫に向かって一鳴きした。
「……ニャ~?」
「ミャ~」
迷い猫はそれでも少し警戒していた様子だったが、やがて呼びかけに答えるようにおずおずと暗がりの中から姿を現した。
そして実際はよほどお腹が空いていたのだろう。一度踏ん切りがついたあとはノエルの掌の干し魚に飛びつき、あっという間にそれを平らげてしまった。
「ニャ~!」
「はいはい、おかわりね」
催促に応え追加の干し魚を食べさせながら、ノエルは迷い猫の姿を観察する。
説明では金色の毛並みに足先だけがソックスのように黒い、ということだったが、その姿は泥や汚物で汚れてくすんでいて、呪文を使っていなければそれがターゲットの迷い猫だとは気づけなかっただろう。更にその身体は酷く痩せ細ってアバラが浮き出ていた──それこそ、とても迷子になって一週間程度とは思えないほどに。
リュミスも迷い猫の身体に鼻を寄せ何か探るようなそぶりを見せていたが、やがて硬い声音でノエルにその事実を告げる。
「ノエル。この子、猫じゃないわ」
「……やっぱりか」
当たってほしくない予想が的中し、ノエルは額に手を当て天を仰いだ。