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第5話

酒場に入って最初にノエルたちの目に飛び込んできたのは仕事募集の掲示板に群がるならず者たちの姿だった。


こうした酒場は飲食の場であると同時に、大抵定職を持たない日雇い労働者や流れの人間が仕事を探す場にもなっている。酒場はそうした募集案内を張りたいと希望する者から掲示物のサイズと枚数に応じて金銭を徴収し、更に募集案内を見に来た者たちに食事や飲み物を提供し収益を得るというビジネスモデルを構築していた。


仕事募集の案内掲示は無料の方が賑わうのではとの意見もあるが、そうするとイタズラが横行するため、大抵の酒場では掲出料を徴収している。その上で詐欺や犯罪行為に繋がる募集をどこまで排除するかは、手間や負担の問題もあるため店主のモラルに任されているのが実態だった。


だがノエルはそんな仕事を求める者たちの群れには見向きもせず、そこから少し離れた場所にある別の掲示板の前で足を止める。仕事募集の掲示板とは異なり、彼ら以外に足を止めている者はいなかった。


リュミスはそんな彼の足元で不思議そうに首を傾げつつも、周囲の目を気にして口を閉じている。


「さて、と。何かいいネタがあるかな?」


そう言ってノエルが目を通すのは、失踪者や失せ物、迷子の犬猫の捜索依頼の掲示板。


一応、見つけてくれた人間には謝礼が支払われるという形式をとってはいるが、探そうにも大抵の場合何のあてもなく、捜索対象が既に失われている可能性もある為、案内を出す側も見る側もあまり大きな期待はしていない。ただ暇がある時に掲示板を眺めて、運よくそれを見かけることがあれば儲けものといった程度のものだ。


リュミスがチラリその内容を読んでみると、数か月どころか数年単位で放置されているものも珍しくなかった。彼女は勢いをつけてノエルの肩に飛び乗ると、小声でそっと話しかける。


「……ねぇ」

「うん?」

「あっち見に行かなくていいの? 早くしないと条件のいい仕事が取られちゃうわよ」


その言葉通り、仕事募集掲示板の前は屈強な男たちがもみ合っており、一部のマナーの悪い者たちは掲示物を剥ぎ取って他の者から隠そうとしてトラブルを起こしていた。


ノエルはその様子を横目でチラリと見て「うわっ、むさ苦しそ~」と微笑し、直ぐに視線を元に戻す。


「いいんだよ。あんなとこに僕が割り込んでみなよ。間違いなく揉みくちゃにされて折れちゃうって」

「それはそうだけど──」

「お! これなんか良さそうだな」


そう言ってノエルは一枚の掲示物に目を輝かせた。


それは掲示されてから一週間足らずと比較的新しく、お礼の金額も中々。掲示物も質の良い羊皮紙が使われていて、イタズラということもなさそうだ、が──


「……冗談でしょ?」


──迷い猫、捜しています──


そこに書かれた一文を目にし、リュミスは思わず顔を顰めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ねぇ、やめましょうよ。絶対に見つかりっこないって」


依頼人に詳しい猫の特徴やいなくなった経緯を聞きに向かうノエルの肩の上で、リュミスは考え直せと繰り返し訴える。


「この広い街で猫一匹捜すとか無茶苦茶よ? そもそも生きてるのか死んでるのかも定かじゃないし、無駄骨に終わる可能性が高いって。あと念のために言っておくけど、猫探しだからって私に何か期待するのはやめてよね」

「安心して。間違っても君に過度な期待はしないから」


心底気が進まない様子のリュミスに苦笑し、ノエルは気楽そうに続けた。


「無駄骨に終わるリスクは織り込み済みだよ。あの成功報酬の額を見ただろ? 上手くいけばこれ一つで日雇い仕事換算で二〇日分以上稼げるんだ。何個か試して、その内どれか一個でも上手くいけば採算は取れるよ」

「だ~か~ら~! それは上手くいけばの話でしょ? 上手くいかないから誰も手を付けないで放置されてるんじゃない」


これに関してはリュミスの言う通りだろう。


そもそも依頼までして物や人を探そうとするのは、よほど探し物が大切なケースか、そうでなければ依頼主が裕福なケースに限られる。その上でペットを飼っているのは富裕層であることが多く、ペット探しの成功報酬はリュミスの想像より桁が一つ多かった。


だが、そんな高額報酬にも関わらず誰もそれに目を向けないというのはつまりそういうこと。その道の専門家でもなければ、迷子のペットを狙って見つけ出すことなどできる筈がない。


考え直せと至極まっとうな忠告をするリュミスに、ノエルはあくまで気楽そうに笑った。


「ははは。まぁ、それはやって見なけりゃ分からないって──と、ここだな」


そう言ってノエルは大通りにある店舗の前で足を止める。見るからに高級そうな宝石商で、とてもノエルのようなみすぼらしい子供が用のある場所ではないが、彼は躊躇なくドアを開けてその中に入っていった。


「すいませ~ん」

「いらっしゃいま──」


愛想よく振り返った女性店員がノエルの姿を見て、言葉を途切らせ怪訝そうな表情になる。


失礼な反応だがノエルは気にした様子もなく、愛想の良い笑顔を浮かべて用件を口にした。


「実は酒場でここのオーナーが出してた迷い猫捜索の張り紙を見まして。近くでそれっぽい猫を見かけたんですけど、それがお捜しの猫なのかも含めて、少しお話しを伺えたらな~と」

「…………ああ。あの」


女性店員は一瞬顔を顰め、曖昧な態度で頷く。


そんなやり取りをしていると、何か揉め事でも起きたと思ったのか、店の奥から中年の番頭らしき男が現れ女性店員に話しかけた。


「どうした?」

「いえ。こちらの方がお嬢様の猫を見つけたかもと──ほら、ちょっと前にオーナーがそんな話をしてたじゃないですか」

「…………ああ~」


番頭らしき男も一瞬何のことか分からなかったようだが、少しして思い出したように声を上げる。


そして改めてノエルに視線を向け、その風体に顔を顰めどうしたものか迷う様な素振りをみせた後、慇懃な態度で頭を下げた。


「申し訳ございませんが、その猫の件については我々従業員はほとんど関与しておりません。念のため主人に確認をとってまいりますので、少々お待ちください」


その言葉にノエルは、何を感じたのか少しだけ意外そうに片眉を吊り上げた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「正直、あの張り紙を見て反応してくれる人がいるとは思っていなかったよ」


そう言って朗らかに笑ったのはベイグル商店のオーナー、ベイグル氏。綺麗に整えられた口ひげが特徴のスマートな紳士で、年齢は四〇歳前後と言ったところか。


店員の反応から門前払いされることも覚悟していたが、ふたを開けてみればこうして応接室に通され、オーナー自ら応対してもらっている。


ノエルは女性店員が出してくれたハーブティーに恐る恐る口をつけ、その馴染みのない風味に顔を顰めそうになるのを堪えて微笑んだ。


「私もこの子を連れている身ですので、張り紙を見て普段より少し気にして街を歩いていたと申しますか」


ノエルが足元で行儀よく丸まっているリュミスに視線を落とすと、ベイグル氏は「なるほど」と微笑ましそうに頷いた。


「私の方こそオーナー自らご対応いただけるとは想像もしていませんでした」

「はは。今回の一件はあくまでプライベートなことだからね。従業員たちの手を煩わせるわけにはいかないさ」


その言葉にノエルは目を丸くする。リュミスはその仕草に少しワザとらしいなと、ほんの僅かな違和感を覚えた。


「では従業員の皆さんに捜索をお願いしたりはしていないのですか?」

「そういった公私混同をするつもりはないよ。いや、勿論見かけたら教えてくれとは伝えてあるがね」


そこでベイグル氏は言葉を切って肩を竦めた。


「捜してくれというのは簡単だが、そうすると私の関心を買おうと躍起になる者が出かねないのでね。しかも大抵の場合、そういった者は年齢を重ねてそれなりの地位にあることが多く、部下のプライベートを犠牲にしてしまうことにも繋がりかねない」

「なるほど。私などは従業員の方に頼めば早く見つかるのではと安易に考えてしまいましたが……そこまで気を遣わなくてはならないとなると、人の上に立つというのも大変ですね」

「分かってくれるかね? 中々こうした配意に気づいてくれる部下がいないので嬉しいよ」


ノエルの形ばかりのおべっかに、ベイグル氏はさして感銘を受けた風でもなく肩を竦めた。そして前置きはここまででいいだろうと、氏は身体の前で手を組み、少しだけ前傾姿勢をとって本題を切り出す。


「それで、行方不明になったウチの猫を見つけたと──」

「お父様!!」


バン、と音をたてて応接室の扉が開き、ベイグル氏の言葉が遮られる。


部屋の中に飛び込んできたのは緩く波打つ長い金髪を持つ可愛らしい少女だ。


「ミーが見つかったの!?」

「トリー……」


客人を無視して叫ぶ少女に、ベイグル氏は頭を抱えて溜め息を吐いた。


「……まず、ここはお客様の前だ。お店に勝手に入ってきてはいけないと、前にも念押ししただろう?」

「あら! もうしわけございません。私ったら……」


そこでようやくトリーと呼ばれた少女はノエルたちに気づいた様子で、恥ずかしそうに頭を下げる。


ノエルは少女とその後ろにいるベイグル氏に向けて微笑んで見せた。


「お気になさらず。それだけその猫ちゃんのことが心配だったということでしょうから」

「まあ、お優しいのね! ひょっとして貴方がミーを見つけてくださったの? ミーはどこ!?」

「トリー」


グイグイとノエルに迫る少女を短く、はっきり怒りの籠った声音で制止するベイグル氏。少女はビクッと背筋を伸ばして硬直し、スススと後ろ歩きでノエルから離れた。


その様子にベイグル氏は深々と溜め息を吐き、そして取り繕ったような笑みをノエルに向けて口を開く。


「……申し訳ない。この子は娘のトリエグルだ。いなくなったミーはこの子が飼っていた猫でね。恐らくどこかから君の話を聞いて我慢できなかったのだろう」

「なるほど」


ベイグル氏はトリエグルと呼んだ娘に向き直り、


「トリー。ミーについてはこれからこの方からお話を聞くところだ。この際だから、お前もここで話を聞いていなさい。ただし、あまり騒がしいようだと追い出してしまうからね」

「は~い」


そう言われてトリエグルはベイグル氏が据わるソファーの横にぴょんと飛び乗った。


「……コホン。それで、ミー──うちの猫を見つけたと聞いたが、捕まえたのかね?」

「いえ」


ノエルがかぶりを横に振るとトリエグルの表情に失望が浮かぶ。しかしノエルは気にすることなくベイグル氏に視線を向けて続けた。


「街の中央を通っている川辺で何匹か猫を見かけたのですが、その中に依頼書にあった金色の毛並みで足だけが黒色の猫がいました。珍しい特徴の猫だったので印象に残っていまして……」

「……なるほど。それは確かにうちの猫の可能性が高そうだな」


ベイグル氏は口髭を撫でつけながら少し考えるそぶりをみせた。


「……だが、それだけでは何ともな。場所を教えてもらったところで今もそこに留まっている可能性は低いし、見間違いということもあるだろう。せめて捕まえてここに連れてきてくれていればまだ判断しようがあったのだが……」


ベイグル氏は暗にノエルが出まかせを伝えて情報料をせしめようとしている可能性を指摘し、難しい表情をした。


だが実際に出まかせを言っているノエルはその反応を予想しており、ごもっともですと頷いて見せる。


「それに関しては私の不手際です。申し訳ございません」

「ああ、いやいや。わざわざ足を運んでくれた君を責めているわけではないのだよ?」

「分かっております。ですが私もただその目撃情報を伝えるためにお邪魔したわけではありません」

「……ほう?」


ベイグル氏の興味が再び上向いたのを確認し、ノエルは自身の長杖スタッフを見せつけるようにして続けた。


「お分かりかとは思いますが、私は魔術師ウィザードです。そして私の習得している呪文の中には、一度見た物の現在地を探知するものがございます」


勿論、探知可能な範囲など制限はありますが、と告げると、ベイグル氏は得心がいった様子で大きく頷く。


「なるほど。その呪文でミーの居場所を特定しようというわけか。だがそれなら先ほども言ったように、捕まえてから確認した方が早かったのではないかね?」

「おっしゃる通りです。ですが居場所を特定することができても、捕まえる際に暴れるようなことがあれば猫にケガをさせてしまうかもしれません。猫を落ち着かせるために、何かその猫が使っていた匂いのついたようなものを貸していただけないかと……できれば体毛などが残っていると、その猫かどうかの特定もできるのでありがた──」

「私、持ってるわ! ミーが使ってたタオル、持ってくる!」


ノエルが言い終わるより速く、トリエグルはそう叫んで風のように応接室を飛び出して行ってしまった。


呼び止める間もなく姿を消した愛娘に、ベイグル氏は頭が痛そうに溜め息を吐き、ノエルはただただ苦笑した。



その後、トリエグルを待つ間、勧められるがままお茶菓子を口にしていたノエルに、ベイグル氏がふと思い至った様子で告げる。


「──ああ。これは万が一の話なのだが」

「はい」

「もし、事故か何かでうちの猫が亡くなっていた場合、こちらで弔ってやりたいから死体だけでも回収してもらいたい。無論、その場合でも生きていた場合と同じだけの謝礼はお支払するよ」

「はぁ……」


その言葉にノエルは強烈な違和感を覚えたが、それが言葉となって口を突いて出るより速く、猫が愛用していたというボロボロのタオルを手にしたトリエグルが再び応接室の中に飛び込んできた。

今日の投稿はここまで。

明日以降、出来る限り毎日投稿していく予定です。


励みになりますので、何らか反応いただけますと幸いです。

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