第49話
『────!!?』
崩壊する白い世界から現実世界へと意識が戻ったノエルとリュミス。
帰還した彼らを待っていたのはもう一つの世界の崩壊だった。
「なに!? 地震!? ひょっとしてまだ私たち神器の中にいる!?」
屋敷が──アーデルハイトが亜空間に設置した仮の居城が激しく揺れ、壁や床に罅が入り崩れ落ちていく。その現象にノエルは心当たりがあった。
「いや、た、多分、術者が意識を失ったせいでこの空間が維持できなくなってるんじゃないか……?」
「はぁ!? 維持できなくなったら私たちどうなるの!?」
「出入口になってるポータルにはじき出されるか──」
リュミスの表情が一瞬安堵に弛み、
「──崩壊に巻き込まれて一緒に亜空間に放り出される……!」
「駄目じゃないのぉぉぉぉっ!?」
籠の中で跳び上がった。
「どっちなの!? そこが一番大事な所でしょ! 何でそんな曖昧なのよぉぉぉっ!?」
「知らねぇよ!? こんな馬鹿みたいに高度な呪文、見習い魔術師じゃ仕組みも何もわかりゃしねぇっての!!」
「役立たずぅぅっ!!」
「やかましわっ!! とにかく逃げるぞ──」
ノエルは慌ててリュミスの入った籠と愛用の長杖を拾い上げ──そこで床に倒れ伏したアーデルハイトと、彼女が腕に抱えた“全知の書”が視界に入った。
「────」
一瞬、動きが固まる。
アーデルハイトは意識がないが、“書”の口ぶりからすれば放っておいても死にはすまい。
このまま放置して亜空間に放り出されようと魔族の生命力を考慮すれば生き延びる可能性が高い。
問題はここで殺すか、見逃すか。どちらを選んでもきっと正解はない。
そして“書”をどうするか。持ち去ることで魔族に追われるリスクはあるが、果たしてこのまま魔族の手元に置いていていいのか。そのことに対する感情的なしこりがあったし、何よりリュミスは神器を必要としていた──
「────」
ちらりリュミスに視線を落とすと、彼女は“書”に視線が釘付けとなっていた。しかしそれだけで、拾えとも何とも言わない。彼女自身どうすべきか判断がついていない様子だ。
ノエルはリュミスが何故神器を欲しているのかを知らない。だから何も言えない。
殺すか、見逃すか。持ち去るか、放置するか。頭の中で正解のない二つの二択がリフレインし──
──ガラガラッ!
屋敷の天井の一部が崩れ、瓦礫がノエルたちのすぐ横に落下する。
「…………っ」
時間がない。ノエルの思考が加速する。殺すか、見逃すか。持ち去るか、放置するか。殺すか、見逃すか。持ち去るか、放置するか。殺すか、見逃すか。持ち去るか、放置するか。殺すか、見逃すか。持ち去るか、放置するか───
──めんどくさ……っ!
強烈なストレスを受けてノエルの悪癖が顔を出す──つまり、考えるのが面倒くさくなった。
「ぐぅ──だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ちょ、あれは──っ!?」
アーデルハイトと“全知の書”をその場に放置し、ノエルは入口に向かって駆けだした。籠の中でリュミスが戸惑いの声を上げるが、ノエルはそれに大声をかぶせて遮る。
「知らんっ!! つか、今更引き返せるかよ──!」
「~~~~っ!!!」
ガラガラと音を立てて崩壊していく屋敷。今引き返せば仮に亜空間に放り出されずとも崩落の瓦礫に巻き込まれて命を落とす可能性が高い。
リュミスは未だ“全知の書”に後ろ髪を引かれていたが、もうどうしようもないと理解したのかそれ以上の文句は呑み込んだ。
そうこうしている間にも屋敷の崩壊は加速していく。
壁が剥がれ落ち、床に穴が開き、その先に不気味な蛍光色の亜空間が覗いていた。
亀裂や穴に足を取られないようにしながら全力で廊下を走り抜ける──屋敷の玄関が見えた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!?」
ノエルが崩れ落ちる床からジャンプし屋敷の玄関から外に飛び出すのと、空間の崩壊はほとんど同時だった。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
「うにゃぁぁぁぁぁっ!?」
籠をお腹に抱え込んでノエルの身体がゴロゴロと地面を転がる。十分な受け身をとる余裕もなく、背中や肩を強く打ち付けようやく彼らは静止した。
「だ──がぁっ!」
「う──にゅ!?」
リュミスを放り出さないよう庇ったつもりではあるが、籠の中のリュミスもぐるぐるかき回されてノエルと似たような状態だ。
「ぜぇ、はぁ……ぜぇ……」
「ひぃ、ふぅ……ひぃ……」
ノエルは痛みと息切れとでしばしその場で身悶えしていたが、次第にショックから回復し、目を開けて当たりの様子を窺う──いつの間にか東の空が薄っすら紫色に染まり、夜が明けようとしていた。
既に呪文の効果時間は切れて、ノエルのアンデッド化が解けている。周囲には無数の死霊が漂っており、それを見たノエルは一瞬身体を固くしたが、襲ってくる気配はない。見れば徐々に彼らの姿は薄くなっていて、アーデルハイトの支配が解け朝日と共に昇天している最中のようだ。
「……助かった?」
転がった衝撃で籠の鍵が壊れたのだろう。リュミスがヨロヨロ籠から這い出て呻く。
「……何とか、ね」
ノエルはそれに健在なルベリアの街の城壁を視界に収めつつ、答えた。
『…………はぁぁぁぁ~っ』
二人は顔を見合わせるでもなく、しかし計ったように同時に溜め息を吐く。
生き延びたことへの安堵と、選択への後悔と、不安と、色んな感情をまとめて押し流すように、深々と。
薄れていく死霊たちの下で二人は暫し無言で呼吸と気持ちを落ち着かせる。
やがて──
「……行くか」
ノエルがのそのそとした動作で立ち上がり、辺りに転がっていた荷物を拾う。そこには彼らの荷物の全て──旅支度一式が揃っていた。
「…………」
リュミスもそれに倣うように動き出し、荷物と、次いで遠く霞んで見えるルベリアの城壁に視線をやって口開く。
「……ま、今更戻るわけにもいかないだろうし、仕方ないか」
「…………」
ノエルは何も答えない。いや──
「……オスカ導師は僕らのことに気づいてた。多分、後のことはいいようにやってくれる筈だよ」
「……そう」
放り出してしまった仕事や、言えなかった別れの言葉、色んなものを呑み込んでリュミスは仕度を整えたノエルのリュックの上に飛び乗る。
「それで、どのルートを通るかは決めたの?」
「ああ──」
ルベリアの街を背に、二人は太陽の昇る方に向かって歩く。
孤独な彼らの旅路は、遠く遥か先まで続いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『──げっ。何でいるんだよ~』
『……俺だって好きでこんなとこに来たわけじゃねぇよ』
一人と一匹が去った後の世界で、二つの影が互いに毒づいた。
太い影と細い影。この世界の主である“全知の書”は、乱入してきた“支配の指輪”に忌々しそうな念を送る。
その念にしっしっと振り払うような素振りを返し、“指輪”は周囲を気味悪そうに見回した。
『つか、何なんだよこの世界は? お前、あの猫の話じゃねぇけど、マジであの女の色香にやられて命乞いしたわけじゃねぇだろうな?』
世界はノエルたちがいた時とは一変し、ピンク色に染まっていた。更に同じ神器である“指輪”には、その向こう側の色々とアレな光景が見えてしまっている。
『うるさいな~。■■みたいなリア充には僕の気持ちは分かんないんだよ~! せっかく見つけた僕の楽園を邪魔したらタダじゃおかないからね~?』
『楽園て……こんな身体になって三〇〇年以上経ってるってのに、まだ性欲残ってんのかよ』
『こんな身体だからだよ~!? なんせ僕は君らのせいで結局魔法使いになっちゃったんだからさ~! せめてこれぐらいの役得がなきゃやってらんないよ~』
『……ま、何でもいいけどよ』
“指輪”は頭痛を堪えるようにかぶりを振り溜め息を吐く。
『それで~、聞きたいことがあるんだろ~?』
そんな彼に鼻を鳴らし、“書”は用件を急かした。久しぶりの対面なのに、まるでとっととここから出て行って欲しいと言いたげだ。
『……ああ』
“指輪”は一瞬躊躇うような素振りをした後、その問いを口にする。
『アレは何だ?』
『……アレって~?』
『惚けんな。テメェが模造品だって小僧を誤魔化したアレだよ』
“指輪”の言葉には偽りを許さぬ鋭さがあった。しかし──
『言葉通りさ~。アレは僕らを模して造られた紛い物だよ~』
『惚けんじゃねぇ! アレがそんな温い代物かよ……!』
詰める“指輪”に対し、“書”は億劫そうに手を振って否定する。
『惚けてなんかないさ~。アレが僕らを模して造られたものであることは事実だからね~』
『模した? ふざけてんのか。ガワだけ真似た紛い物なら別に誰もこんなこと言ったりしねぇよ。だがアレの潜在能力は俺たちに匹敵する──いや、下手すりゃ凌ぐかもしれねぇ。あんなモンがポンポン造れてたまるかよ』
『別に模造品が本物に劣るなんて道理はないだろう~?』
揶揄うような“書”の言葉に“指輪”が怒気を滲ませる。
だが“書”はそれに嘲笑うような笑みを返し、続けた。
『まだ分からないのかい~? アレは本来僕らが戦うはずだったものだよ~』
『戦う? まさか──』
『そう。アレは魔王の怨念が生み出した僕らと似て非なる者。僕らと同じ異世界から召喚された■■■──魔族にとっての勇者さ~』
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この話を以ってエピソード5終了です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
明日からはちょっとリアルでバタバタするのと、ストックが尽きたこともあり、少し更新をお休みさせていただきます。




