第48話
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脳裏に声が聞こえた次の瞬間、ノエルたちはピンク色の世界に──
『──おっと。間違えた。カットカット~』
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──気が付けば、ノエルたちは何もない白い世界に立っていた。
ノエルにとっては既に見慣れた神器の精神世界。
だがいつもの“指輪”の中とは少しだけ雰囲気が異なる気がした。
「……ここは? いやむしろさっきのピンクは何?」
足元でリュミスが呻く──何故、神器の中に彼女が?
『ここは僕の中だよ~』
声のした方へと振り返ると、白い影が立っていた。ノエルはそれが”指輪”でないことにすぐに気づく。話し方も声も違うし、何より明らかにフォルムが太い。
『ようこそ、後輩さんたち~。こうして君たちと対話する機会を得られて、僕はとても嬉しく思うよ~』
間延びした声。少なくとも害意は感じられない。
「……あんたは?」
リュミスがノエルの身体を盾にし、警戒しながら尋ねる。
『僕? 僕はね──』
「──“全知の書”か?」
言葉を遮りそういったノエルに、太い影は気を悪くした様子もなく身体を震わせた。
『お。せ~いか~い。まぁ、“指輪”の相棒ならすぐに分かるか~』
「──は!?」
その呑気な反応にリュミスが目を丸くする。
「え、え、えぇ!? ちょっと待ってちょっと待って“全知の書”ってどういうこと本の神器ってことよね何で指輪以外の神器がここに──ってひょっとしてあの魔族!? あの魔族が持ってたってことよね!? いやもう理由は何でもいいけど神器で本で“全知の書”ってことは全知なのよね!? 私あんたに聞きたいことが──」
『ストップ~』
「────!??」
太い影が間の抜けた声で制止すると、リュミスの声が途絶える。いや、口元を見ると今もパクパク動いているが、声は聞こえない。どうやら彼女の周囲から音を消したようだ。突然のことにリュミスが混乱していた。
『悪いけど、この状態はあまり余裕があるわけじゃなくてね~。君の聞きたいことには後でちゃんと答えてあげるから、まずは僕の話を聞いてほしい~』
リュミスは顔を顰め少し抗議するような素振りを見せたが、ここは“全知の書”の領域だ。すぐに逆らっても無駄と諦め、話を聞く姿勢をとった。
ノエルは改めて太い影に向き直り、口を開く。
「それで、何の用──なんて、今更聞くまでもないか」
『まぁね~。申し訳ないんだけど、アーちゃんを殺すのは勘弁してほしい~』
“アーちゃん”というのはアーデルハイトのことだろう。
止めを刺そうとしたタイミングでここに引き込まれたのだから、そうなんだろうとは予想していた。そのこと自体に驚きはない、が──
「一応、理由は聞かせてもらってもいいかな。神器ってのは魔族を殺すためのものだろう? しかも彼女は君を裏技で無理やり使っていただけで、正式な主人って訳でもない。庇う理由はあるとは思えないんだけど?」
『理由……理由か~』
太い影は説明の仕方を考えるように少し顎を撫でるような素振りをした後、続けた。
『理由は色々あるけど、まずは訂正を一つ。僕ら■■の役割はね、魔王を倒した時点で終わってるんだ~。だから僕らは魔族を敵視したりはしていないし、魔族という存在はとっくにその命数を使い果たしてる~。今更彼女たちが何かしたところで大局的には何も意味がないし、僕らも魔族に対して何もする気はない~』
正直、ところどころ発言に意味の分からない部分はあったが、神器が既に魔族を敵視していないことだけは伝わってきた。
『というか正直僕は魔族に対して罪悪感みたいなものがあってね~。出来れば見逃してあげて欲しいって言うのが一番の理由かな~』
「…………」
ノエルとしては既に実害を被っているし、そんな曖昧な理由で邪魔をされては困る。だが太い影の言い分には少し気になるところもあった。
「罪悪感ってどういうこと? 魔族は人類の敵でしょ? なんでそんな相手に罪悪感を抱く必要があるわけ?」
いつの間にか喋れるようになっていたらしいリュミスが、ノエルが抱いていたのと同じ疑問を口にする。
『まぁその通りではあるんだけど~、僕ら■■■はその“人類”の枠には入ってないし、ある意味じゃ部外者だ~。正直、首を突っ込んで良かったのかって疑問がないわけじゃないのさ~』
ノエルとリュミスは意味が分からず、顔を見合わせる。そしてリュミスが代表して疑問を口にした。
「どゆこと? 実は魔族が“悪”じゃなかったとかそういうオチ?」
『ん~? いや、“人類を滅ぼす敵性存在”って意味じゃその通りだったし、人類に対してゲスいことをする連中がいなかったわけでもない──ま、それはお互いさまではあったけどね~』
「なら──」
『彼らは“悪”だから人類と戦ったわけじゃあない~』
“全知の書”はそこで一旦言葉を区切り、続けた。
『あれはね~。正義と悪の戦いなんかじゃなくて、霊長の座を巡る生存競争だったのさ~』
「霊長?」
『ああ、こっちじゃあまり使う言葉じゃないか~。えっとね~、ざっくりこの世界を支配してる中心的な種族って考えてもらえばいいかな~』
ピンとこないが、貴族とか王族みたいなものだろうか。
『ここ数千年間、この世界では女神イグドラが生み出した“人類”が霊長として世界を支配してきた~。だけど八〇〇年ぐらい前になるのかな~? この世界に魔族が誕生した~。人類よりあらゆる点で優れた能力を持つ、新生代の霊長候補としてね~』
霊長候補? それが争う理由?
『優れた種が世界を支配するというのは自然の摂理だからね~。あのまま行けば、ごく自然な成り行きとして魔族が世界の覇権を握り、人類は衰退して滅びるか魔族に支配されていただろうね~』
共存の可能性は──頭に浮かんだ疑問の答えは聞くまでもなく想像がついた。少なくとも人類は、あらゆる面で自分たちより優れた存在が隣にいることを認められないだろう。
『女神はそれが我慢ならなかった~』
間延びした“全知の書”の声に、少しだけ険が混じる。
『女神はまだ魔族の個体数が少なく種として力をつけていない内に、神託という形で人類を扇動し魔族を滅ぼそうと画策した~。──そしてまぁ、見事にぼろ負けしたわけだ~』
つまり最初に手を出したのは人類の方だったということか。
『魔族の力を見誤って逆にかわいい人類を滅ぼされかけた女神は、その対抗手段として異世界から僕らを呼び出した~。まぁ、ハッキリ言って反則技だね~』
「……なんか、不本意な戦いをさせられた、みたいな言い方だね?」
『そんな無責任なことは~、言わないよ~』
ノエルの言葉に“全知の書”は苦笑を返す。
『多少女神に煽られたり騙されたところはあるけど~、人類側に肩入れするって決めたのは僕ら自身だしね~。人類が生き延びるためには手段を選んでもいられる状況でもなかった~。人類の味方に立って戦ったことに後悔はないよ──ただまぁ、少しやり過ぎたかな、と思う部分はあるわけさ~』
「やり過ぎた?」
首を傾げたのはリュミスだ。
『うん~。魔王に率いられた魔族は、僕らにとっても簡単に倒せる相手じゃなかったからね~。正直当時は、かなり無茶をした~。例えばこの世界から蘇生呪文が消えたのもその名残なんだけど、知ってる~?』
「……いや、初耳」
『魔族の魔力があれば、殺しても殺しても際限なく復活できちゃうからね~。もう当時はホント、女神と組んでやりたい放題やったよ~』
呪文をこの世から消すなどスケールが大きすぎて意味不明だが、女神と神器──勇者が一緒になればそれぐらいできてしまうのかもしれない。
「魔族にも神はいた筈だろう。そいつは何もしなかったの?」
この世界のあらゆる生物にはそれを生み出し庇護する神がいる。自分の生み出した種族がそんな無法な目に遭って、何もしないとは考えにくいが……
『何もしなかったどころか、先陣に立って女神と戦ってたよ~。君たちが“魔王”って呼んでるのが、魔族の神だったからね~』
「つまり勇者は……神を殺した?」
『正確にはその化身だね~。長くなるから詳しい経緯は省くけど、結果的に僕らは魔族から多くのモノを奪った~。加護を失った彼らはもう子を成し命を繋ぐこともできないし、死ねば転生することもできず、魂が擦り切れ消滅するまで永劫の闇の中で苦しみ続けることになる~』
“全知の書”の声にほんの僅かな後悔が滲む。
『……やり過ぎたんだ、僕らは~。知らなかったとか、ここまでするつもりはなかったとか、そんな言い訳をするつもりはないけど~……できるならもう、これ以上彼らから何も奪いたくない』
つまりそれが“全知の書”が魔族に抱く罪悪感であり、アーデルハイトを殺させたくない理由なのだろう。
その気持ちは分からないでもない。分からないでもないが──
「何となく言いたいことは分かるけど、実際僕らは殺されるところだったんだ。いや、僕らだけじゃなくてルベリアに住む何万人って命があの魔族に脅かされた。もしここでこいつを見逃せば、またたくさんの人が危険に晒される」
アーデルハイトを殺すことは自分のせいで都市を危険に晒してしまったノエルの責任であり義務だ。ぽっと出のよく分からないマジックアイテムの感傷で、自分を信頼し送り出してくれたオスカの信頼は裏切れない。
当然“全知の書”もノエルの反応は予想していたのだろう。落ち着いた態度で言葉を紡ぐ。
『分かってるよ~。でも、僕が彼女を見逃してくれって言ってるのは、僕の感傷だけが理由じゃ~ない。彼女はもう無害さ~。このダメージから回復してこれまでみたいに僕の力を引き出せるまで回復するには最低一〇〇年はかかると思う~。今回みたいな無茶は、少なくとも君たちが生きている間はできやしないよ~』
「……神器なしでも、彼女は都市一つ簡単に滅ぼすことができる」
『はは。それを言ったら大抵の魔族は似たようなことができるよ~。でも皆、神器保有者を恐れてそんな馬鹿な真似はしない~。アーちゃんも僕の力抜きで暴れるほど向こう見ずじゃないさ~』
「本人は、神器を奪う為ならそんなものはリスクのうちに入らないって言ってたけど?」
『そりゃ嘘だよ~』
そのアッサリとした言葉にノエルは目を丸くする。
「……嘘?」
『うん。ハッタリ~。彼女も言ってたと思うけど~、神器なんて魔族にとっては厄介なだけの存在だ~。その力が自分たちに向けられないようにはしたいけど、それだけなら今まで通り逃げ隠れするだけでどうにかなる~。無理して奪うほどの価値がある物じゃないのさ~』
「でも実際に彼女は──いや、そういうことか。彼女がルベリアを狙った本当の目的は僕の指輪じゃない」
「へ? どゆこと?」
ノエルの言葉に、アーデルハイトとのやり取りを知らないリュミスが首を傾げる。
ノエルは彼女に、自分が“指輪”の保有者だと名乗った際にアーデルハイトが見せた困惑を語った。
「ほうほう。それはつまり……どゆこと?」
「えっとね。僕は最初、彼女の目的が指輪以外の別の神器なのかと疑ってたんだ。でもよく考えてみれば、神器の種類がどうあれ魔族には使いこなせないってことに変わりはない。ということは、彼女の狙いは神器じゃなくて別の物──多分、僕らが神器と見間違うような何かだったんじゃないかな、って……」
そう言いながら、ノエルは“全知の書”に視線を向ける。
『概ね正解だね~。詳しい説明は省かせてもらうけど、アーちゃんが捜してたのは七つの神器を参考に作られた模造品だよ~。これ自体は普通の人間が使ってもちょっと強力なマジックアイテムって程度の価値しかない。ただ製造に魔族が関わっててね~。この存在を教会とかに知られるとかなり面倒なことになりかねないってんで、何とか先んじて確保しようと少し無茶をしたみたいなのさ~』
「あ~……」
つまり魔族が神器のレプリカを作ったという話か、とノエルはその言葉を解釈した。確かにそんな物の存在が教会や帝国に知られれば、改めて魔族を殲滅しようという機運が高まってもおかしくない。アーデルハイトはそれを防ぐためにレプリカを回収しようとしたのか、とノエルは想像を巡らせた。
一方、彼の足元ではリュミスが苦虫を噛み潰したような表情で黙している。
二人の反応を確認した後、“全知の書”は説明を続けた。
『──で~、ここからが君たちにとってアーちゃんを殺さない方がいい理由なんだけど~、ぶっちゃけ生き残った魔族も一枚岩じゃなくてね~。人類に関わらずひっそり暮らして行こうって連中もいれば~、どうせ種としての先がないなら人間どもに一泡吹かせてやろうって過激派もいるわけさ~』
数が減ったとは言え魔族の戦闘力は雑兵ですら人類最高峰の英傑に相当する。彼らが命懸けでテロでも引き起こしたなら、人類は敗北することはないにせよ壊滅的な被害を受けるだろう。
『アーちゃんは元々魔王の巫女にあたる存在でね~。今でも魔族の中で影響力はそれなりに強い~。彼女は血気盛んな魔族の抑え役に回ってるわけだけど、そんな彼女が死んだとしたら──』
そこで“全知の書”は言葉を区切る。そこから先は聞くまでもない。
「……つまり、彼女を殺せば自棄になった魔族が人類に特攻を仕掛けてくるリスクがある、と?」
『そういうことだね~』
ノエルとリュミスは何とも言えない表情で顔を見合わせた。
そう言われると確かに殺すのは拙いような気もしてくる。だがそうは言っても──
『それと君はアーちゃんがその猫ちゃんから色々情報を引き出してて、今後も付け狙われる可能性を警戒してるみたいだけど~、アーちゃんはまだ君に関する情報は何も持ってない~。手がかりもないし、わざわざリスクをとって追いかけようとはしないんじゃないかな~』
「これだけ時間があって情報を抜いてない? そんな与太話を信じろと?」
『与太話も何も、情報を抜いてたとしたなら、アーちゃんはどうして君が“指輪”を持ってることに驚いてたのさ~?』
「…………あ」
言われてみればその通りだった。リュミスからこちらの情報を引き出していたとしたら、どんな神器を持っているかは一番に確認しているはずだ。
「でも、なんで……?」
『さぁ~? その猫ちゃんの種族特性みたいなものかな~。よっぽど強力な精神プロテクトが掛かってたみたいだね~』
「…………」
ノエルはリュミスに視線を向けるが、彼女はそれに反応を示さず、“全知の書”に真っ直ぐ厳しい視線を向けていた。
これは彼女が事情に触れられたくない時に見せる反応だ。こうなると尋ねても不機嫌になるだけだと理解していたノエルは溜め息を吐いて頭の中で状況を整理する。
──とりあえず“全知の書”の言葉を信じるならではあるけど、あの魔族は見逃した方がいい……のか? 少なくとも話をした印象では、あの魔族はかなり理性的だった。意味もなく人を殺すようなことはしないだろう。もしそんなタイプなら、最初にルベリアと取り囲んだ時点で、見せしめに幾らか殺してる筈だ。ルベリアが襲われるリスクはゼロではないけど、その可能性は多分低い。逆に殺すことで、仲間から報復されることだって有り得るわけだし……うん。都市のことを考えるなら、見逃す判断はアリだ。僕個人に関しても……まぁ、似たようなものかな。少なくとも殺した方が安全だって根拠は特にない。どっちが正解かって話でもないだろう。あと何が問題かって言うと──
「──その魔族を殺す殺さないは別として、あんたは回収させてもらうわよ」
リュミスが“全知の書”に向かって告げる。
まあそれはそう。本音を言えばこれ以上神器なんて厄介事を抱え込みたくはないが、アーデルハイトの動きを牽制するためには持っていくしかない。
そもそもリュミスは、神器が目当てで自分についてきていたわけだし──
『僕としてはそれでも構わないけど~……いや、あまりおススメはしないね~』
何故か拒否反応を示す“全知の書”。彼からすれば自分を十全に扱えない魔族の手元にあるより、自分たちが持って行った方が好ましい状況の筈だが。
──ひょっとして魔族に味方してこちらを騙そうとしてる……?
そう疑ったのはノエルだけではない。リュミスは不機嫌そうに“全知の書”を睨みつけて吐き捨てるように尋ねる。
「そりゃまた何で? ひょっとして、あの女魔族の色香にやられて篭絡されちゃってる?」
『ハハハ。そりゃ勿論、美人に使われるにこしたことはないし、その意味じゃアーちゃんは申し分ないけど……おススメしないってのは君たちのことを考えてのことさ~』
リュミスの疑念は晴れない。
「……私たちのため?」
『僕は長年魔族の手元にあったからね~。当然僕には彼らの魔力が染み付いてる~。僕を持って行ったら、君たちの居場所はアーちゃんや仲間の魔族に筒抜けになっちゃうよ~?』
「あ~……」
その指摘にノエルが呻く。
──確かにそれは勘弁してほしいな。危険どころの騒ぎじゃない。それに下手に書を持っていって他の人間の手に渡るリスクを考えれば、使いこなせない魔族の手元に残しといた方が安全かも……
ノエルはそんなことを思うが、しかしリュミスは納得していない様子で“全知の書”を睨んでいる。
『それとね~、お嬢さん。僕の力じゃ君の願いは叶えられない~』
「────」
その見透かしたような言葉にリュミスの表情が強張る。
『君の求める答えはこの世界のどこにもない~。それは君自身が一番よく分かってる筈だ~』
「何を分かったような──!?」
──ピシリ
我慢しきれずリュミスが反駁した瞬間、白い世界に亀裂が走った。
『おっと~。即席の接続じゃこれが限界か~』
亀裂は瞬く間に広がり、空と大地を割る。
『最低限伝えるべきことは伝えた~。後は君たちの好きにしなよ~』
「待って! まだ話は──!!」
リュミスは“全知の書”に向かって飛び掛かろうとした──が、その瞬間とうとう彼らの足元は崩壊し、精神世界から放り出された。
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