第47話
──ギリギリだったわね……
いくら実力差があったとはいえ、相手が反射的に“指輪”を使って対抗措置をとるより速く腕を切り落とせるかどうかは、アーデルハイトにとっても賭けの要素が拭えない行為だった。
相手が油断していて至近距離まで接近してなお、絶対に成功するという確証が持てなかったほどに。正直、これが失敗したならもうなりふり構わず逃げるしか手はなかっただろう。
だが彼女はその賭けに勝った。“支配の指輪”という予定外の戦利品を手に入れることができた。
魔族である彼女たちが神器を扱うには相当な修練を必要とするため、手に入れたからと言って魔族側の戦力がすぐに増すわけではない。ノエルに言ったように、今のところは予防的な意味合いしかないだろう。
しかし二つの神器を手に入れたとなれば、自分たちの考えに同調してくれる同胞も増えるかもしれない。希望を示すことができるかもしれない。そんな考えがアーデルハイトの胸を高揚させていた。
──駄目駄目。浮かれてちゃ。
戦果に興奮する気持ちを静めるように、アーデルハイトはかぶりを振って大きく息を吐く。
──“指輪”はあくまでオマケ。本命はまだこれからなんだから……
アーデルハイトは残された少年の右手首から“指輪”を抜き取ろうと視線を落とし──
「────!?」
そこでようやく“指輪”が仄かな光を帯びていることに気づく。そしてその光の正体に彼女が気づくのが早いか否か──
「ギィャァァァァァァァァァァァッ!!?」
バリバリバリと、少年の手首を通じてアーデルハイトに流れ込む“指輪”の力。
これが彼女を“支配”しようとする権能であれば“書”の力で無効化できた。だがそうではない。
──これ、は……神器との、同調……!?
“指輪”の所有権がアーデルハイトに入り込み、魔族である彼女の魂を焼く。
“全知の書”の保有者ではあるアーデルハイトだが、彼女はノエルのように神器と直接同調し、力を引き出していたわけではない。魔族である彼女が神器と同調しようとすれば、ただでは済まないことは最初から分かっていた。
その為アーデルハイトは魔術で人を模した仮想偽魂を創り出し、それを“書”と自分との間に介在させることで不完全ながら“書”の力を引き出していた。
しかし今、彼女は“指輪”の側から強制的に同調を強いられていた。今まで“書”を持っていて、こんなことは一度もなかったというのに。”指輪”が押し売りのように魂を侵してくる。
魂を焼かれる激痛に、彼女は少年の右手ごと指輪を手放そうとした──が、その右手は彼女の身体に纏わりつく様に離れない。
──なん……こん、な……
「──ァァ……アァ……──」
アーデルハイトが失神し、バタリと音を立てて床に倒れ込む。
それからようやく“指輪”は発光を止め、力を失ったように手首ごとアーデルハイトの身体から離れ、床を転がった。
その場から意識を保った者がいなくなり、静寂が訪れる──いや。
「──……ミャ?」
入れられた籠ごと床を転がっていたリュミスが、アーデルハイトが気絶したことで魅了が解け、意識を取り戻した。
「??? ここどこ……?」
街中で攫われて以降の記憶がないリュミスは、見覚えのない屋敷、金髪の女が床にうつ伏せで倒れているこの状況が理解できず困惑する。
「え、え……? この女って私を攫ったあの女……よね? それが屋敷の中で死んで──」
そこで彼女の灰色に腐った脳細胞は一つの結論を導き出す。
「つまりこれは山奥の屋敷で遺産目当てに繰り広げられた密室殺人……容疑者は……私?」
「──何でそうなる」
聞き馴染みのあるツッコミ。
リュミスがそちらに視線を向ける、と──
「──ノエル!」
そこにはいつにも増して顔色の悪い小柄な少年──ノエル。
もしアーデルハイトの意識があったなら、彼女はきっとこう思ったことだろう──誰だ?──と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
何故ノエルが生きてここにいるのか──時は少しだけ遡る。
オスカから【仮死化】と【死体操作】、二つの巻物を貰い、死霊の包囲網を突破する算段が立ったノエルは、しかしそれだけで満足しなかった。
「──すいません、オスカ導師。ご協力いただけるというのであれば、もう一つ、二つ……いや四つ、お願いを聞いていただけませんか?」
「三つ目飛ばしてるし多くない!?」
オスカの困惑は当然のものだったが、自らと都市の命運を背負ったノエルに遠慮などない。
ノエルがオスカに要求したのは【仮死化】、【死体操作】の巻物をもう一セット。これに加えて第五階位呪文【憑依】の巻物を一つと、彼と背格好の近いホムンクルスの素体だ。
「……何でそんなものを?」
「アンデッド化すれば本当にあの包囲網を突破できるのかを確認したいっていうのもありますが──確実に、敵を倒す為です」
オスカはノエルの覚悟を決めた眼差しに、詳しい事情は聞かず協力してくれた。
使い手の少ない死霊系統呪文の巻物を計五つ、更に性能は最低限とは言えホムンクルスの素体と、いくら導師とは言え準備するのは簡単ではなかっただろう。非常事態とは言え無茶苦茶言ってたなと、後にノエルは自分の図々しさを振り返り顔を赤面させた。
それはさておき。
オスカから支援を受けたノエルの動きを順を追って整理するとこうなる。
まずホムンクルスに自分の服を着せ、【仮死化】と【死体操作】を使用。アンデッド化した上で操作し、死霊の軍勢がアンデッドには反応しないことを確認した。
続いて自分自身にも【仮死化】と【死体操作】を使用し肉体をアンデッド化。
その状態でアンデッド化したホムンクルスと共に死霊の包囲網をすり抜けると、オスカ導師がリュミスに仕掛けた発信機の反応を辿り、アーデルハイトの仮の住まいに通じる空間の入口まで移動した。
そして最後にノエルが使用したのが【憑依】の巻物だ。
【憑依】とは、術者の魂を肉体から投射し、他者に憑依する呪文。通常は敵対する相手に使用して、その肉体を奪取するために使用される。
ノエルはこれを自らの“指輪”に使用し、自らの意識を“指輪”の中に移した。正直なところ一般的な呪文の使い方ではなかったので、これが上手くいくという確証はなかった──が、幸運にも呪文はノエルのイメージ通りの効果を発揮した。
更に“指輪”とその所持者の肉体は魂のレベルで繋がっており、“指輪”に入り込んだノエルの魂はそこからでも問題なく肉体を操ることができた。
その上で──ノエルは“指輪”をホムンクルスの指へと移動。
ノエル本人の肉体はその場に安置し、ホムンクルスの肉体を操ってアーデルハイトの元へと向かった。
彼がこんな回りくどい真似をした理由は大きく二つ。
例え肉体がアンデッド化していて即死(?)しないとはいえ、敵に肉体を破壊されれば、結局呪文の持続時間が切れた時に死んでしまう。そんな怖いこと自分の身体でしたくない、というのが一つ。
そしてもう一つの理由は確実にアーデルハイトを仕留めるためだ。
神器の出力勝負であれば自分に分があると言われても、敵もそんなことは当然承知の上で対策を練っているはず。その対策次第では普通に出力負けする可能性もあったし、そうでなくても逃げられ仕切りなおされる可能性は高かった。そして素性の全てが丸裸になった状態で魔族に狙われ、対抗できると思うほどノエルは自信過剰ではない。都市の安全を確保するためにも、確実にこの場でアーデルハイトを倒しておく必要があった。
ノエルがアーデルハイトを確実に仕留めるための刃として選んだのが、“指輪”の意思から伝えられた神器と魔族の拒絶反応。ノエルはここに罠を仕掛けた。
だが簡単に“指輪”を引き渡そうとすれば、アーデルハイトは必ず罠を疑い警戒するだろう。だからノエルは“指輪”を渡すつもりはないと宣言し、その上で隙を見せ、アーデルハイトに指輪を奪わせた。そして彼女が上手くいったと油断したその隙を突いて強制的に指輪の所有権を彼女に付与し、拒絶反応でもって彼女の魂を焼いた。
後はアーデルハイトが倒れたことを確認してから【憑依】を解いて自分の肉体に戻り、再びその場に戻ってきたというわけだ。
アーデルハイトはノエルのアンデッド化を自分を追い詰める妙手と考えたが、そもそもノエルはその程度のことでスペック差のある魔族に勝てるなどとは考えていなかった。
彼の目的は最初から善戦して負けること。そして相手に怪しまれないよう自然に指輪を奪わせることにあった。
つまりアーデルハイトは彼の策を攻略し、勝とうとした時点で既に罠にはまっていたのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「状況が掴めないんだけど、この女は誰で、ここはどこ? 何がどうなってるの? てかあんた顔色悪くない? あとこの籠開けて」
ノエルの姿を見つけたリュミスは、籠をガシャガシャ爪でこすりながら状況を確認する。
アーデルハイトに魅了されていた後遺症の気配など露ほどもなく騒ぎたてるリュミスに、ノエルは呆れと安堵の混じった溜め息を吐いた。
「……はぁ。質問多いな。そこの女はルベリアを襲った魔族で、ここはその仮拠点。詳しい経緯は僕も知らないけど、君は何でかその女に攫われて、僕はその救出に来たとこ」
「救出? ってことはこの女、あんたが倒したの?」
暗に“指輪”の力を使ったのか、と気遣うようにリュミスが疑問を挟む。ノエルはその問いに少し考えるように首を傾げ、
「……いや。どっちかと言えば自爆させただけかな」
「自爆?」
「あ~……その辺の説明はややこしいから後にして」
それより先にやることがある、とノエルはリュミスを籠から解放するより先に床に落ちていた右手を拾い、“指輪”を自分の指に嵌めなおす。
「ふぁっ!? 何その手首!?」
「……後にして」
説明が面倒だというのもあるし、先に確認すべきことがあった。
ノエルは長杖の先でうつ伏せになっているアーデルハイトの身体を転がし、仰向けにする。彼女は目を覚ます様子はなく、完全に意識を失っているようだが──
「……死んでるの?」
「いや。まだ息がある」
魔族の生命力は人間の比ではないと聞く。こうしている間にもダメージから回復し、いつ意識を取り戻しても不思議ではなかった。
反撃、報復、追跡を絶つため、ここできちんと止めを刺しておこうとノエルはアーデルハイトに長杖を突きつける。
「…………」
リュミスは口を挟まない。
ノエルは大きく息を吐き、意識のない無抵抗の相手を殺す覚悟を決め、詠唱を始める。
「──ふぅ~……『魔弾 収束 目標指定 発射──」
ノエルの真言詠唱が杖先に攻撃魔術を具現化させた、その瞬間。
『──ああ~ストップ。それは勘弁してもらえないかな~』
彼らの脳裏に、どこか気の抜けた声が響いた。




