第45話
「────!?」
魔族──アーデルハイトがその気配を察知したのは、侵入者が亜空間内に設置した仮の居城に立ち入ったのとほぼ同時だった。
その瞬間、彼女の脳裏に浮かんだ疑問は三つ。
『どうやって亜空間に設置したこの場所に侵入したか』という疑問はさほど重要なものではない。外の様子を監視する為、この空間は外界から完全には隔離していなかった。侵入は簡単ではないが、それなりの腕を持った魔術師か、空間に干渉可能な魔道具があれば十分に可能だろう。
『どうやって死霊の軍勢を突破した?』という疑問は難解だった。自分の気づかぬ内に外で何か起きたのかと気配を探ってみるが、死霊の軍勢は変わらず都市を取り囲んでおり、それらが何か攻撃や干渉を受けた様子はない。生物だけでなくゴーレムなどの魔力で動く人形まで、一定範囲内に侵入したモノを排除する命令は今も有効に働いていた。いったい侵入者はどうやってこれをすり抜けたのだろう?
そして最後の疑問は当然『何者か?』。
普通に考えれば都市内に潜んでいた神器保有者が乗り込んできたとみるのが妥当だろう。だがアーデルハイトはその確信が持てないでいた。
──神器を使った気配は感じられない。となれば神器保有者とは別に人間どもが刺客を送り込んできた可能性も否定できない。こんな真似ができる人間が、まさか戦力差も理解できないほど愚かとは思えないけれど……
あらゆる可能性を排除せず、アーデルハイトは静かに自室で侵入者を待ち受ける。
十数秒後、現れたのは今にも死んでしまいそうな顔をした小柄な黒髪の少年だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いらっしゃい。かわいらしい魔術師さん。お招きした覚えはないけれど、歓迎させていただくわ」
寝室と思しき部屋でベッドの前に立ち待ち構えていた金髪の女。
ノエルはその言葉に違和感を覚えつつ、緊張にゴクリ唾を呑み込む仕草を見せた。
──ま、当然気づかれてはいるよね。
ここは敵の腹の中のようなもの。最初から奇襲ができるとは思っていない。顔を出した途端攻撃されなかっただけで展開としては及第点だ。
改めて女の姿を観察する。
──うん。こりゃ駄目だ。
ノエルはほんの僅かに抱いていた希望が消えたことを理解した。魔族と言っても所詮は人類に負けた敗残者。言うほどの存在ではないのでは、との甘い期待を抱いていたが、実際に目の前にいるこの女は化け物だ。もはや理屈ではない。ただ一目見ただけで、自分とは次元の違う生物であることを理解させられてしまった。
尋常な手段で対抗できる相手ではない。
「人の家に入り込んでおきながら、挨拶もなし?」
侵入者が言葉を失い立ち尽くしている様をどのように解釈したのか、魔族の女──アーデルハイトは、幾分かの嘲りを込めて笑う。
「……これは失礼しました」
ノエルは頭を下げて意識を切り替え、不敵な表情を取り繕った後、頭を上げて睨みつけるようにアーデルハイトの視線を見返した。
「ノエルと申します。どうかご容赦を。あまりの美しさに言葉を失っていたようです」
「──まぁ、お上手ね」
まさかこの状況でおべっかが飛び出すとは思わなかったのか、アーデルハイトは一瞬目を丸くし、コロコロと笑って続けた。
「だけど、それと不法侵入は別問題。ここまで辿り着いたこと自体は褒めてあげるけれど、見逃してあげるつもりはないわ。一体何の用かしら?」
まただ。ノエルはアーデルハイトの言葉に心外だとアピールするように片眉を吊り上げ、反論する。
「ノックを忘れたことは謝罪しますが、不法侵入と言われるのは心外ですね。僕を呼び出したのはそちらでしょう?」
「?」
今度はアーデルハイトの表情が怪訝そうに歪む。
──気づいていないのか?
そのことを不審に思わないではなかったが、神器同士の戦いで不意打ちが意味をなさないことは理解している。ノエルは身体の前に右手を掲げ、その中指に嵌めた指輪を見せつけるようにして宣言した。
「僕が神器──支配の指輪の保有者です」
「────」
アーデルハイトの表情が驚愕と困惑にさらに大きく歪んだ。だがノエルはここでそんな反応をされる意味が分からない。
──これはどういう顔だ……?
「────っ!?」
その瞬間、意図せず右手の指輪から魔力が膨れ上がり、小さな雷光と火花が散った。
ノエルが何が起きたのか理解できず立ち尽くしていると、アーデルハイトが表情を歪めて呻く。
「うそ……本物……?」
彼女の手にはいつの間にか一冊の古めかしい本が握られていた。
──指輪の反応……あの本が神器か……!
七つの神器の概要は事前に”指輪”から聞いていた。魔族が持っているのがどれかまでは特定できていなかったが、状況的にあれが神器『全知の書』で間違いあるまい。
神器と神器は互いに能力を打ち消し合う性質がある。恐らく敵はこちらの言葉の真偽を確かめるため、『全知の書』を使って指輪が本物の神器か否かを確認しようとした。そしてその干渉が弾かれたことで、指輪が本物であることを理解したのだろう。
──それにしても、この驚きようはどういうことだ? ルベリアに神器保有者がいるって言いだしたのはコイツだろう。なのに何でこんな有り得ないものを見たような顔をしてるんだ? これじゃまるで神器があるって発言自体がデタラメだったか──目当ての神器が指輪じゃなかったみたいじゃないか。
互いに困惑し動きが止まる両者。立ち直ったのはアーデルハイトの方が早かった。
「……まあいいわ。予定外ではあるけれど、神器を確保するチャンスをむざむざ見逃す理由はない──頂いておきましょう」
言葉と同時にアーデルハイトの赤い瞳が怪しく輝く。ノエルはそれが【魅了】だと気づくこともできず無防備にその視線を浴び──
「──なっ!?」
──その呪文効果を無効化した。
アーデルハイトの顔がこれ以上ないほど大きく驚愕に歪む。
──人間が私の魔術を無効化した? 神器を使ったなら魔術に対抗することは可能でしょうけど、彼の神器も書によって中和されているはず。まさかそれほど出力に差があるとでも──いや、そうじゃない。弾いたり中和したというならまだしも、今私の魔術は彼に効果を及ぼさなかった。これはまさか──?
アーデルハイトがあることに思い至り、その目に魔力を集中させる。
「……そういうこと。どおりで包囲をすり抜けてここまで来れたわけね」
──気づかれたな。
忌々し気にこちらを睨みつけるアーデルハイトに内心冷や汗を垂らしながら、ノエルは平静を装い、鷹揚に頷いて見せた。
「予想外でしたか?」
「……ええ。まさか自分をアンデッド化して包囲網を素通りしてくるとは思いもしなかったわ」
アーデルハイトが指摘した通り、今のノエルはアンデッドだった。
彼がこんな行動に出た切っ掛けは学院が行っていた実験だ。都市を包囲する死霊の軍勢は生物だけでなく魔力で動くゴーレムなどにも反応し、攻撃を仕掛けてきた。程度の差はあれ動くもの、魔力の籠ったものには無差別に反応していた。
だが一方で、死霊たちは死体には全く反応を示さなかった。生物ではなく動きもしないのだから当然と思うかもしれないが、死体とは魔力と切り離すことができない呪物だ。小舟に乗せて川に流せばその魔力に死霊が多少なりと反応を示してもおかしくない。
だがそうはならなかった。果たして死霊たちにとってその境界はどこにあり、何を以って区別しているのか──ノエルはそれを、アンデッドが纏う特有のオーラではないかと予想した。
そもそも死霊たちは何故互いを攻撃しないのか。
例えばだが、同じ術者の魔力で操られた者同士を攻撃しないよう指定する──というのは難しい。魔力の波形は指紋のようなもので、誰一人として同じ波形は存在しない。確かに照合すれば区別自体は可能だろうが、それは戦場で指紋照合によって敵味方を区別しろと言っているようなものだ。とても現実的ではない。
つまり区別している条件はもっとシンプル──アンデッド、死のオーラを纏ったモノは攻撃対象から除外する、というものではないかと予想したのだ。
「無茶をする……」
アーデルハイトの声には心底呆れた響きが宿っていた。
実のところ彼女自身、自分の敷いた包囲網に穴があることは理解していたし、魔術師がアンデッドを使役して奇襲を仕掛けてきたり、近くの集落に助けを求める可能性はあると考えていた。
だがアンデッドは陽の光の下ではその移動速度が大きく低下する上、遠隔では維持することさえ困難だ。排除は容易いし、仮に救援を呼びに行かせたとしても、アンデッドの使者にまともな反応を返す者もいないだろうと考えていた。だが──
「【仮死化】と【死体操作】……まさかそんな使い方をする人間がいるとはね」
アーデルハイトはその肉体にかけられた二つの呪文を正確に言い当てた。
第三階位呪文【仮死化】──対象を一時的に仮死状態にする呪文。効果時間は一時間。本来は毒などで瀕死の状態にある人間の命を繋ぐために使われる。
第六階位呪文【死体操作】──死体をアンデッド化し操る呪文。効果時間は二十四時間。通常はスケルトンやグールを生み出し操る用途で使われる。
彼はこの二つの呪文を使い、自らをアンデッド化した。
ノエルは予め自分自身に【死体操作】を使用し、効果を待機状態とした上で、更に【仮死化】を使用。仮死状態となった肉体は活動を停止するが、同時に【死体操作】の効果が発動し一時的にアンデッド化、術者であるノエルの意思に従い動き出した──これが自律行動可能なアンデッド化の絡繰りだ。
ちなみにこの状態は【仮死化】の持続時間である一時間が経過すれば自動的に解除される。
「貴方、頭おかしいって言われない?」
「いえ全く。そんなこと初めて言われましたよ」
堂々とホラを吐く少年を疑わし気に見つめながら、アーデルハイトは内心で毒づいた。
──厄介ね……
「そんなことより、そちらの要求通りここまで来たんです。ご希望通り話し合いをしようじゃありませんか」
これはただノエルがアーデルハイトの前に辿り着いたというだけの話ではない。
同じ神器保有者。しかし魔族と人間、使い手の間にある隔絶した力の差。
「まずは僕の友人を返していただきましょうか?」
それを覆し、今この場において優位に立っているのはノエルだった。




