第43話
ロッソたちマフィアから炊き出しをご馳走になった後、ノエルはめっきり人気のなくなった夜の街を一人歩いた。
宿や学院に向かっている訳でもなければ、都市内の様子を確認しようという訳でもない。目的もなく、ただ歩きながら頭の中を整理する。
この都市を取り囲む死霊の軍勢、そしてそれを操る魔族と戦うというのは、この状況ではごく自然な、王道とも言える選択肢だ。
元々この状況において彼が採り得る選択肢は大きく『逃げる』か『戦う』の二つ。
昨日までは勝ち目が薄いのなら逃げようと、本気で考えていた。
だがリュミスが敵に囚われ、このまま一人逃げればリュミスを見捨てることになるだけでなく、敵がリュミスから得た情報を基に遠からず追い詰められる可能性が高い。そもそも現時点ではどうやって逃げればいいのか、その方法さえ見つかっていないのだ。戦う、という判断自体は決しておかしなものではない。
そして戦うことを選ぶのであれば、もう一つ考えなくてはならないことがあった。即ち、この都市の人々と協力するか否か。
どちらがより王道ということもあるまいが、勝率を追及するならノエルは都市の住民に自らが神器保有者だと名乗り出て共に戦うべきだろう。
敵は──魔族の力は強大だ。その上あちらは当然、神器の能力を警戒し、対策を練っているだろう。仮にノエルが指輪の力を躊躇うことなくフルに使ったとしても、敗北し指輪を奪われる可能性は極めて高い。都市の住民と協力したからと言ってどれほど勝率が上がるかは怪しいが、少なくとも単独で相対するよりはマシな筈だ。
問題は協力して戦うことができるのか、という点。都市の住民がノエルを指輪ごと魔族に差し出す可能性は高いし、仮に戦って勝てたとしても神器保有者だと知られたノエルがその後どう扱われるかはあまり想像したくない。都市として、人類としてはともかく、ノエル個人としては名乗り出た時点で全てを失うことを覚悟せねばならないだろう。
一方で、単独で戦って勝ち目があるのかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
そもそもノエルは敵について、魔族であること、アーデルハイト名乗る(恐らく)女で、人知を超えた技量を持つ魔術師であること以外何も知らない。
単独なのか他に協力者がいるのか。この都市に神器があることを特定した方法。神器を欲する動機。姿を見せない理由。どこに隠れているのか。白兵戦技能や索敵感知能力の有無。人類に対する態度やスタンス。主義趣向。最終的に何を目的としているのか。
対策を練ろうにもその糸口も掴めないでは手の打ちようがない。
それでも、その圧倒的不利を正面から打ち砕くだけのポテンシャルを秘めているのが神器であり、支配の指輪だ。敵がどれだけ強大な力を持つ魔族であろうと、それだけなら勝算は十分にある。
問題は、ノエル自身、この期に及んで指輪を使う踏ん切りがついていないこと。
そして、敵もまた神器を持っている可能性があるということだった。
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『あるぞ』
指輪と同調し、精神世界に潜行する。
指輪の意志たる白い影の答えは簡潔だった。
『敵は間違いなく神器を持ってる』
普段この白い世界をノエルは自分の意思で訪れることはできないのだが、指輪の側もノエルに伝えたいことがあったのだろう。そう望んだ瞬間、ノエルの意識は指輪の中へと落ちていた。
「なん──」
『“なんで”とか間の抜けたことを聞くのは止めてくれよ? 理屈も糞もねぇ。俺はそういう存在だ。近くで他の神器が使われれば、その気配を感じ取ることぐらいできる』
そう言われてしまえばノエルに疑問をさしはさむ余地はなかった。
この影がノエルを騙しているというなら話は別だが、こんな嘘を吐く理由はどこにもない。
「つまり、敵はその力を使って僕らの居場所を探り当てたってこと?」
『俺が知るかよ、そんなこと』
「…………」
素っ気ない影の反応にノエルは顔を顰める。わざわざ精神世界に招き入れておいて、その態度はないだろうと不満を口にしようとすると、影は先回りするように肩を竦め、ノエルの勘違いを否定した。
『おっと。別に誤魔化してるわけでも意地悪で言ってるわけでもねぇぜ。俺が気配を察知できるのは力が使われた時だけだ。テメェは一度だって俺の力を使ったことはねぇだろうが』
「あ」
確かにそうだ。リュミスも似たようなことを言っていた。無条件で神器の気配を察知することが出来るのなら、この指輪はとっくに他の神器保有者に確保されていたはずだ。
「じゃあ、この敵は神器以外の方法で僕らの居場所を探り当てたってこと?」
例えば指輪の存在を知る誰かと接触し、情報を得たという可能性はないでもないが……いや、だとしたらこの都市内に僕らがいると断定した根拠が分からない。
ノエルの問いかけに、白い影は少し考えるような素振りを見せた後、口を開いた。
『……どうだかな。俺も他の神器の能力の詳細まで把握してるわけじゃねぇ。その神器が持つ権能次第じゃ、居場所の特定ってのも不可能じゃないのかもしれん。神器同士は互いの力を打ち消す性質があるから、権能であれ直接探りあてるのは簡単じゃねぇはずだが、“全知の書”か“可能性の獣”あたりなら、やりようによっちゃ……』
「権能か……敵が持ってる神器の種類は特定できないの? 気配は感じ取れるんだよね?」
影から呆れたような気配が伝わってくる。
『ンな都合のいいもんじゃねぇよ。お前らの感覚で言えば、精々”揺れを感じた”って程度のもんだ。そりゃ俺が知らねぇだけでその振動から何の神器が使われたか判別できる変態がいないとは言い切れねぇが、普通そこまでは無理だろ』
「……なるほど。てことは、言い換えれば向こうもこっちがどの神器を持ってるか分からない可能性が高いわけだ」
『そういうことになるな』
敵が“指輪”ではなく“神器保有者”を差し出せと言ってきた理由も、そういうことなら説明がつく。
ノエルは敵の持つ感知能力がどの程度のものか気になって考え込んだ。戦うにせよ逃げるにせよ、その精度次第でまるで対応が変わってくる。
『あと、テメェが戦う気になってるみてぇだからもう一つ教えてやるよ』
もったいぶった口調で言う影に、ノエルは思考を止めて顔を上げる。雰囲気からして、どうやら影が伝えたかったのはこちらが本命らしい。
『テメェは敵が魔族で、しかも神器持ち。こっちは碌な情報もねぇとくりゃ勝ち目はねぇと考えてるのかも知れねぇが、必ずしもそうとは限らんぜ』
「……どういうこと?」
ノエルは訝しむ。
天の時も地の利も人の和も得ておらず、更に使い手も武器も情報面でもこちらが勝っているものがないこの状況で、勝ち目がないとは限らない?
『敵が本当に魔族だと仮定して、の話にはなるが、お前にも勝ち目はあるって言ってるんだ』
「逆じゃなくて?」
『ああ。敵が魔族なら、だ』
魔族の強さは人知を超えている。彼らは生まれながらの魔術師であり戦士だ。かの大戦の折には、人類最高峰の英傑でさえ魔族の雑兵と相討つのが精一杯だったと伝わっている。そのことを最も魔族を狩った神器とされる“支配の指輪”の意思が理解していないとは思えないが……
『魔族に神器は使いこなせない』
「────あ」
知っていたわけではない。が、言われてみれば当たり前の話ではあった。
『神器は元々、あのクソ女神が魔族──いや、魔王を滅ぼすために作ったもんだ。万が一にも敵に奪われでもしたら目も当てられねぇ。マトモに魔族が使用しようとすれば死に至るほどの拒絶反応がある筈だ。やりようによっちゃいくらか力を引き出すことはできるかもしれねぇが、本来の性能には遠く及ばねぇだろうし、相応に代償があると考えていい』
「…………」
そこでようやく、ノエルはこの影が何を言いたいのか、何のために自分をこの精神世界に招いたのかを理解する。
『分かったみてぇだな? この話を聞いた以上、テメェはもう「神器を使ったところで勝てやしない」って言い訳はできなくなったわけだ。勿論、使い手に差がある以上、実際に勝てるかどうかは分からねぇ。が、テメェが諦めるってことは、この都市の連中とあのおかしな猫を見捨てることと同義だ』
ああそうだ。こいつはこういう奴だった。魔族の襲撃があって以降やけに大人しいと思っていたが、こうやってこちらの逃げ道を塞ぎ、追い詰めるタイミングを探っていたらしい。
仮定に仮定を重ねた上で薄く細くではあるが、確かにノエルにも勝ちの目が見えた。
分の悪い賭けには違いない。だが例え全てを見捨てて逃げ出しても、リュミスが敵に捕まったこの状況では、遠からず追い詰められてしまうだろう。
ならば今、この都市を救える可能性があるタイミングで戦いを挑むのは理に適っている。
そしてその前提条件は、ノエルが躊躇うことなく指輪の力を使うこと──腹立たしいほど合理的な結論だった。
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