第42話
──貴方の可愛いご友人を預かっています──
その言葉の意味が分からないほどノエルは愚鈍ではなかった。
だが同時に我武者羅な行動がとれるほど向こう見ずでもない。
魔族からの二度目のアナウンスが鳴り響き、都市内では再び“犯人”捜しの機運が高まった。
おかしな動きを見せる者。親しい誰かがいなくなった者。それこそがこの都市を危機に陥れた犯人──神器保有者であると、住民たちは互いを監視し合った。
あるいは魔族の狙いは神器保有者本人への通告ではなく、そちらにこそあったのかもしれない。
昼──リュミスの姿が合流場所にないことを確認したノエルは、リュミスを探そうとはせず、午後からも淡々と臨時実験場で御用聞きとしての職務をこなした。
周囲に怪しまれないよう。自分が神器保有者であることを悟られないよう。平静を装って忙しなく働き続けた。
動揺があったのか否か。幸いにも仕事上のミスは起こさずに済んだようだが、終わってみれば何をしていたのかほとんど覚えておらず、“学院の対策に探りを入れる”という本来の目的はほとんど果たせず仕舞いだった。
夜は死霊たちの時間帯で、結界があるとは言え実験を続けるのはリスクが高い。ノエルは日暮れ前には解放され、オスカ導師の研究室に帰還した。
「──あ、お疲れ~」
「やほ~」
研究室には先にオスカとサリアの姿があった。多忙な二人が先に休んでいたことに、ノエルは少しだけ意外そうに目を丸くする。
「お疲れ様です。お二人とも、今日は早いんですね」
その言葉に何故か二人は顔を見合わせて苦笑し、まずオスカが口を開いた。
「僕は一日対策会議の予定だったんだけど、午前中で打ち切りになっちゃってね」
「は? そりゃまた何で……」
「お偉方がタイムリミットのプレッシャーに耐えきれなくなったのさ。朝の時点で参加者は昨日の六割程度。残りのメンツもあの魔族の声明で現実を思い出しちゃったみたいでね。バタバタ退出していって自然解散だよ。後の方針は実務担当者で勝手にしろ、だってさ」
最低の結論だろうに、肩を竦めて語るオスカに声音に怒りや嘲笑の色は薄い。
「皆、自分たちだけでも生き延びようと必死ってことですか」
「それならまだいいけど、半分くらいは歓楽街の方に向かったみたいだよ。どうせ死ぬなら最後に、ってね」
「…………」
想像よりずっと最低だった。
「まぁ、それでもくだらない茶番に付き合わされるよりはずっといい」
「それはそうかもしれませんけど……でも都市としての方針は必要でしょう?」
「勿論。ただそうは言っても、実際に僕らが採れる選択肢は多くないからね。今日のところは各組織ごと、敵の戦力分析と外部への連絡・救援要請の試行。その結果を踏まえて、明日最終的に戦うかどうかの結論を出そうってことになったよ──ま、皆戦って勝ち目がないことは理解してる。降伏して、あちらの求める神器保有者の捜索に協力する代わりに命乞いをする、ってことになるんじゃないかな」
そう語るオスカは投げやりというより、割り切っているように見えた。
「神器保有者の捜索は?」
「しない。少なくとも都市としてはね。今都市としてそれを推奨すれば、市民の略奪や暴動で魔族の攻勢を待たずして都市機能は壊滅するだろう。本当に神器保有者がいるのだとしても、下手に刺激して暴走される方が怖い。魔族がこちらを謀っている可能性が否定できないこの状況では、無理に探し出すデメリットの方が上回る、というのが残った担当者の結論だよ」
ノエルは無表情に頷きながら内心胸を撫でおろす。安心とはいかないが、これ以上事態が悪化することは避けられたようだ。
「成り行き任せってことですか」
オスカは何も言わず肩を竦めた。
対策を練ろうにも戦力も敵の情報も何もかもが足りない。せめて余計なことはせず味方の足を引っ張るまいという結論に至ったのは、ある意味賢明な判断とも言えた。
「サリアさんは? 憲兵隊は都市内の治安維持で今一番忙しい部署じゃありませんか?」
勝手知ったるとばかり研究室でくつろいでいたサリアに水を向けると、彼女はだらけた姿勢のまま口を開く。
「私もそのつもりだったんだけどね──隊長が、明日に備えて英気を養えですって。夜間の見回りは、OBや荒事が不得手な連中が代わりに担当してくれてるわ」
「それは──」
「そ。明日は私たちが最優先で使い潰されることになるだろうから、思い残すことのないようにしろってことでしょうね」
そう語るサリアの表情には悲壮感のようなものは全くなかった。
「ま、死ぬときは多少順番が前後するだけで全滅でしょうし、ある意味得な立場かもね。問題は気を遣ってもらったところでな~んにもやること思いつかないから余計にみじめになるってことだけど」
「さっきまでエルザちゃんもここにいたんだよ。彼女は何か大切な用事があるみたいですぐ帰っちゃったけどね」
オスカがサリアを揶揄うようにそう言うと、サリアはやさぐれた表情を作って毒を吐いた。
「けっ。絶対あれ男よ。今まで散々かわいがってやってたのに、私に何も言わず抜け駆けして──これだから女って奴は」
「君がそういう反応するのが分かってたから、彼女も言い出せなかったんじゃないかな」
「当たり前じゃない! 知ってたら絶対邪魔してたわよ!!」
ギャーギャーと喚くサリアと、それを苦笑して宥めるオスカ。
そのいつも通りの姿があまりにわざとらしくて、ノエルの胸に鈍い痛みが走った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一時間ほどオスカの研究室で情報交換を兼ねた雑談した後、ノエルは食事をすると言ってその場を辞去した。
平静を装っていたつもりだが、内心ではリュミスの不在を指摘されやしないかと冷や冷やしていた。
食事と言っても、この情勢では碌に店など開いていない。すっかり日の落ちた街を歩きながら、学院で出されている配給を受ければ良かったかと少し後悔する。
だが今さら戻る気にもなれない。“指輪”一つで見咎められることはないとは思うが、正直、人気の多い場所は落ち着かなかった。
宿に戻って保存食を食べるか、と方向転換したタイミングで視界内に意外な人影が映る。
「──お」
あちらもノエルに気づいたらしい。ノエルは軽く会釈して立ち去ろうしたが、向こうの方から話しかけてきた。
「よう坊主。今日はもうしまいかい?」
「ええ、まぁ。実験も死霊相手じゃ夜間は危険ですから」
話しかけてきたのは先日揉め、和解したマフィアの幹部ロッソ。彼は珍しく部下も連れず一人で街中を歩いていた。
彼は普段余計なトラブルを嫌ってか、あまり縄張りの外を出歩くことがないと聞いている。まさか自棄になったわけでもあるまいが──そんな疑問が表情に出ていたのだろう。ロッソは苦笑して、自分から事情を説明してきた。
「俺は見回りだよ。ねぇとは思うが、馬鹿どもが自棄起こして素人に迷惑かけるなんてことがありゃ、俺らのメンツが丸潰れだからな」
なるほど、と頷き納得すると、すぐに次の疑問が湧いて出る。
「それなら子分さんも連れて歩いた方が効率がいいんじゃないですか?」
ロッソの腕っぷしが足りないという意味ではなく、人数がいた方が余計なトラブルに発展する前に制圧しやすいし、監視もしやすいという意味で。
「ウチの連中は今、他の用事があるんだよ」
「他の用事?」
「ああ──と。あんた、もう晩飯は済んだのかい?」
「いえ。これからですけど」
「ならちょうどいい。こんな状況じゃ碌な飯屋なんて開いてねぇだろ。飯食わせてやっからついてきな」
ロッソはそう言うと、ノエルの返事も待たずスタスタと彼らの縄張りがある方へと歩いて行く。
ノエルは一瞬どうすべきか迷ったが、どうせ宿に帰って保存食を食べて、一人でこれからどうするか悩むぐらいしかすることがないのだ。変に揉めても仕方ないと早歩きでロッソの後を追った。
特に会話らしい会話もなく、一〇分ほど歩いただろうか。
「お。もう始めてたか」
「────」
やってきたのは以前エルザが昼間に炊き出しをしていて、このロッソたちと揉めていた場所。
そこでは焚き火がたかれ、集まってきた近隣の住民たちにロッソの部下たちが炊き出しを行っていた。かなり大規模なもので、貧民窟の住人だけでなく少し離れた場所の一般市民まで数百人単位で集まっている。配給場所が屋台のように何か所かに分散していて、ちょっとした祭りのようにも見えた。
「…………」
「俺らがこんなことすんのは意外か?」
呆然としていたノエルの顔を見下ろしてロッソが尋ねる。ノエルはそれに対し、正直に頷いた。
「まぁ……こういうのは教会の専売特許かと思ってました」
「正直だな。ま、実際その通りではあるんだが、こういう非常時にカッコつけたがるのがマフィアって生き物らしくてな。今は教会も外の対応でそれどころじゃねぇ。ウチの組以外にも飯やら水やら配ってるとこは何か所かある筈だぜ」
「はぁ……」
何とも言えず、曖昧な声が漏れる。
穿った見方をすれば人気取りなのだろうが、あまり効率がいいとは思えなかった。例えば災害後で、復興のためにというのならまだ理解できる。だが今は“先”があるかどうかも分からない状況だ。ハッキリ言えば死ねば終わり。自分たちが生き延び、財産を保全する方法を模索する方が利に適っているように思えた。
「無駄なことしてるってのは自覚してるさ」
そんな感想がノエルの表情にも出ていたのだろう。ロッソが苦笑して続ける。
「ただまぁ、俺らマフィアなんてのは所詮寄生虫でね。この街が滅びりゃどうせ死ぬしかねぇんだ。今更ジタバタしても仕方ねぇ」
元傭兵のロッソはそうではないだろうと思ったが、口には出さない。
「まだしもパーッと遊んだほうが賢いとは思うが、マフィアってのは世間が思ってるよりずっと馬鹿で、根が単純な奴が多い。こういう時こそ素人衆を助けてやるんだって、上も下も張り切ってやがるのさ」
生き生きとした表情で炊き出しを行い、街の人々と交流するマフィアたち。
ロッソ自身は彼らほど単純になれず、色々思うところがあるのだろう。しかし部下たちを見つめる表情は、その単純さを好ましく感じているようにも見えた。
「──ま、どうせあと一日の命かもしれねぇんだ。女抱いて過ごすも、酒飲んで過ごすも、素人衆にチヤホヤされていい気になって過ごすのも、本人たちが満足してんなら何だっていいさ」
「……そうですね」
それは果たして誰に向けた言葉だったのか。
ノエルの目に、見覚えのある孤児たちがマフィアたちの炊き出しを手伝っている姿が映った。
コートのように例の事業に参加を表明した者もいれば、そうでない者もいる。
街は以前来た時より、少しだけキレイになっていた。
「さ、もたもたしてたら飯がなくなっちまう。行こうぜ」
「ええ」
ノエルはロッソの後を追いかけながら、真剣に考え始めていた。
この街を害する敵と、戦うということを。




