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第40話

当たり前の話だが、都市が敵に包囲され攻撃されると予告されて、自分だけでも逃げようと考えるのは何もノエルたちに限った話ではない。


都市を離れて生活する術を持たない一般市民は別として、資産家や権力者、どこででも生きていけるだけの能力を持った学者や技術者、根無し草の旅人などは、独自に自分たちがこの包囲網から脱出し、生き延びる術を模索していた。


勿論、都市上層部によって表向きそのような行為は禁じられ、憲兵隊によって取り締まられてはいたが、その上層部の中にも抜け駆けしようとする者たちはいる。偵察など様々な理由をつけ、彼らは包囲網に穴がないか、あるいは穴を作ることが出来ないかを必死になって探っていた。



『キュキィィーッ!!』


小舟に乗せられた生きたネズミが、都市を流れる川から都市外に出た瞬間、死霊の軍勢の攻撃を受けて一瞬で生命力を吸いつくされ、物言わぬ亡骸へと変貌する。


守備隊の指揮官は外壁の上からその様子を観察し、もう何十度目かになる失敗に何の感慨もなく頷き、副官に次の指示を下した。


「……次だ」

「はっ。ですが、これ以上繰り返したところで意味はないのでは? 今のところ死霊の反応に変化は見られませんし、工程を繰り上げて次の段階に移行すべきではないでしょうか?」


先ほどから種類やサイズを変えて様々な生物を結界の外に送り出し死霊の反応を観察している。今のところ大小を問わず死霊は生きたものに襲い掛かり、逆にどれほど大きなものでも非生物や死体には無反応。この実験は死霊の反応から包囲の抜け穴を探ろうというものだが、現時点でこれといった成果は上がっていなかった。


まだ二十種類ほど生物サンプルは準備されているが、これを続けたところで何か成果が上がるとは考えにくい。無駄は省き、その後に予定されている実験──魔力を遮断した箱や死体の中に生物を入れて送り出す──に移るべきでは、との副官の提言は理にかなったものに思えた。


しかし指揮官は無表情にかぶりを横に振る。


「……上からは指定の実験全てを行うよう指示がきている。工程を飛ばすことは認められん」

「しかし! 今は都市存亡の非常時です! このような時に無駄と分かっていることに時間を費やす余裕は我らにはないでしょう!」


使命感に燃え食い下がる副官に、指揮官は否定も肯定もなくただ『若いな』との感想を抱いた。


彼はきっと自分たちがしているこの実験が、都市を守る為のものだと信じているのだろう。包囲に穴を見つけ、そこから都市外に救援を呼ぶか、あるいは精鋭を送り込み敵を討つのだと。


だが少し考えてみれば分かることだが、救援を要請したところでこの死霊の軍勢に対抗し得るだけの大兵力を一日二日で動かせるはずがないし、この死霊を抜きにしても魔族に対抗可能な戦力などこの都市にはない。


この実験は都市を守る為ではなく、都市の要人たちが自分たちの脱出方法を確保するためのものだ。真面目にやったところで自分たち一般市民には何の益もない。


指揮官はその現実を副官に付きつけるようなことはせず、淡々と建前を口にした。


「……焦るな。無駄に見えても上の指示には意味がある」

「意味……ですか?」

「この群れをよく見てみろ」


そう言って指揮官は眼下に整然と佇む死霊の軍勢を指さした。


「敵はこれだけの数の死霊を完全に制御している。単純な魔力の大小で再現できるものではない。よほど緻密な術式が用いられているのだろう」

「……そうですか? 軍勢の規模は大したものですが、制御など『動くな』『生きた物を襲え』の単純な命令でこと足りるでしょう」


副官は指揮官が何を言わんとしているのか理解できず、懐疑的な声を出す。


「そんな単純な命令であれば外壁の外は草一本残ってはおらんだろうよ。生き物の定義は? そこに植物や虫、微生物は含まれるのか? もしそうなら奴らはもっと暴れ回っていないとおかしくはないか? それに襲えといってもその基準や境界はどこだ? 何らか領域を指定しているのか、それとも個体ごと指定した位置から一定範囲内に入った物を襲っているのか」

「それは……」

「そうした条件を一つ一つ矛盾なく満たしていこうとすれば、自然と軍勢に下す命令は複雑なものとなる。また操る個体の数が多ければそれによる不具合も出てこよう。死霊は考える頭を持たぬから融通も利かぬだろうしな。命令同士が矛盾し打ち消し合った結果、特定条件においては死霊が反応しないという可能性も起こり得る。実験を行っているのは我らだけではない。これはそうした可能性を一つ一つ潰していき、どんな些細な突破口も見逃さぬためのものだ。一個人の焦りや感情で手順を無視して良いものではない」


そこまで説明されて、副官は一瞬情けない表情を見せた後、ピシッと背筋を正しその場に敬礼した。


「──命令の意図も理解せず、詰まらぬことを申しました!」

「良い。それよりも準備を急がせろ」

「はっ!」


副官は元気よく返事をすると、下の部隊に指示を伝えるべく勢いよく階段を駆け下りていった。


指揮官はそれを見送った後、その場で額に手を当てて天を仰ぎ、独り言ちる。


「……ま、そんな都合のいいバグが起こる可能性なんてありゃしないんだが……そうとでも思わなきゃ、やってらんねぇって話さ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「う~ん……こりゃ駄目そうね」


リュミスは猫の姿と幻術を駆使して外壁を歩いて回り、都市の守備隊や憲兵隊、あるいは豪商の私兵が都市からの脱出方法を探っている様子を観察し、その成果を盗み見ていた。


彼らの実験は単純に大小様々な生き物を送り込んで反応を見たり、バリスタに括りつけて高速で飛ばしてみたり、地中に穴を掘ったり、死体の中に生きた他の生物を入れて送ってみたり、あるいは生きた生物の胃の中に小さな生物を入れてどこまで襲われるか試したりと様々だったが、今のところこれといった成果が出ている気配はない。


リュミスが見る限り、実験のやり方や内容がおかしい訳ではなく、単純に敵の包囲網に隙がないと言った方が正しいのだろう。


「ま、穴が無いってことを確認するのも成果の一つと考えましょうか」


先ほど見た、見るからにやる気のない守備隊の指揮官の言葉を思い出し、リュミスはそう嘯いた。


既に魔族からの通告があってから約一日と三分の二ほどが経過。明日の夕方には死霊の軍勢が都市に攻め込んでくる。その絶望的な状況にありながら、都市内は今、異様なほどに静まりかえっていた。


昨日まではあちこちで暴動騒ぎも起きていたが、今は騒ぎ疲れたようにピタリと止んでいる。それどころか街には人影さえほとんど見当たらず、皆家の中に閉じこもっているようだった。


──時間が経って現実も見えてきて、キャンキャン騒いでいられるほど頭空っぽにもできないし、受け止めて何か動く気にもなれないってところかしら。


住民たちの心情をそう予想しリュミスは溜め息を吐く。あくまで他人事だ。自分たちが彼らを巻き込んでしまったという罪悪感がないわけではないが、だからといってノエルのように責任をしょい込むつもりもない。


そもそも自分たちだって被害者だと正当な論理で心を武装し、生き延びるための最善の行動をとることに専念する。


「とはいえ私にも彼らにもノンビリ対策を練ってる余裕はない。このままじゃ時間切れの可能性が高いけど……乱戦は正直遠慮したいわね」


現時点でノエルとリュミスにとって一番生存率の高い選択肢は、死霊の軍勢が都市に攻め込んできたタイミングで隙を突いて逃げ出すこだとが、そこには二つのハードルが立ちふさがっていた。


一つはノエルが“指輪”を使う覚悟を決めれるかどうか。そしてもう一つは敵が準備しているだろう対神器用の対策をこちらが超えられるかどうか。正直どちらのハードルも突破するのは難しいだろうな、とリュミスは感じていた。


できればその前に何か手を見つけたい。そしてそうすることが、この都市が生き残る可能性を繋ぐはずだ。


──ノエルはしっかりやってるかしら?


リュミスとノエルは分担して都市内の動向を探っており、リュミスは権力者や富裕層、ノエルは学院の魔術師たちを担当している。


適材適所と言うやつだが、魔術師とは言え所詮ノエルはこのルベリア支部では余所者だ。果たしてどこまで探ることができるか──




「おかしいわね。確かに神器の気配を感じたのに、飛んできてみればいるのは猫一匹。気配もぼやけてほとんど感じとれない。これはいったいどういうことかしら?」




何の予兆もなく頭上から聞こえてきた声に、ゾクリ、とリュミスの全身の毛が逆立つ。


女の声。聞き覚えがある。確かについ先ほどまで近くには誰もいなかった。そもそもここは細い外壁の上で、とても人間が歩けるような場所ではない。


「────」


顔を上げた瞬間、声の主と目が合う。


金髪のとても美しい女。二本の角──見るのは初めてだが話に聞く魔族の特徴と合致する。


目が離せない──リュミスは遅れて自分が、女に魅了され支配されていることに気づいた。気づいただけで、何もできないし、何も考えられなかった。


「あら。ただの猫じゃなくてケット・シーなのね。微かだけど、確かに神器の残り香がする。使い魔というわけでもなさそうだけど、いったい神器の持ち主とはどういう関係かしら?」

「────」


リュミスを見つめる女は何故か意外そうな表情を見せ、


「──まあいいわ。折角だからゆっくり話を聞かせてもらいましょう」


次の瞬間、彼女たちの姿はその場から跡形もなく消え去っていた。

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