第39話
ノエルとリュミスは淡々とした声音でこの包囲網から脱出する方法を話し合った。
「死霊相手じゃ五感に作用する誤魔化しは通じない。幻術や【透明化】ですり抜けるのは不可能だろうね」
「空を飛んでもすぐ見つかっちゃうわよ。いっそ地面でも掘る?」
「これだけ周到な包囲網を敷いてる敵がその対策をしてないとは考えにくいかな。そもそも僕の魔力じゃ【隧道】であの包囲を突破できるほどの穴を掘るのに何か月かかることやら」
「う~ん……なら、川底を潜って一気に移動するとか」
「残念ながら僕はまだ【水中呼吸】を覚えてない。仮に巻物を手に入れることが出来たとしても、そもそも水中は死霊の領域だからね。外からは見えなくても、水中にも死霊がわんさかって可能性は高いと思うよ」
「試してみるにはリスクが高過ぎるわね~」
やり取りの内容とは裏腹に二人の表情に落胆の色はない。最初からそれが難しいことは理解しており、二人はそれを改めて確認しているに過ぎなかった。
「やっぱり包囲の穴を探すより、穴をあけることを考えた方がいいのかしら?」
「それに関しちゃ異論はないけど、問題は非力な僕らがハンマーで叩いたくらいじゃ穴どころか罅一つ入らない鉄壁だってことだね」
ノエルは溜め息を吐き、指折りしながら考え付くハンマーの種類を列挙する。
「都市として何か攪乱でも仕掛ける予定があれば、それに乗じてってことも考えられたけど、今のところその気配はない。かと言って僕らが自力で仕掛けるのは論外だ。都市外の人が異常に気付いて救援に来てくれる可能性がないわけじゃないけど、それを当てにはできないよね。そもそも生半可な戦力じゃ揺さぶりにもならない。それこそ神器持ちが飛んでくるとかでもない限り状況に変化はないと思う」
「万一そんなことになったらそれはそれで別の問題が出てきそうだしね~」
神器保有者がたかだか一都市の危機ごときで動くとは思えない。
もし彼らが動くとすればその目的はノエルが持つ指輪だろう。最悪、敵が増えるだけという可能性もあった。
顔を顰めるノエルをスルーしてリュミスは言葉を続けた。
「後は相手が攻め込んできた瞬間ね。攻撃のタイミングなら包囲に穴ができる可能性は低くない。問題は多少包囲が緩んだところで焼け石に水ってことと、その状況で逃げる余裕があるのかってことね」
「…………」
ノエルの眉間のシワが濃くなる。
相手が攻め込むまで待つ、ということは、この都市の壊滅を容認することと同義だ。ノエルもリュミスもそのことは理解しており、敢えて言及はしない。
「……一つ気になってることがあるんだけど」
「何?」
「この自称魔族はどうやって神器のことを知ったんだろう?」
その疑問の答えは直接この事態を打破するものではないが、しかしそれ次第でとるべき手段が違ってくるかもしれない。
「そりゃ、学院の追手から漏れたんじゃ──ああ。確かに少しおかしな話ね」
「うん。あの通告の内容が事実なら、今この都市を包囲してるのは魔族だ。ごく限られた人間しか知らない筈のこの指輪の情報をどうやって得たんだろう?」
現代において魔族が目撃されることは極めて稀で、その多くは未開地に隠遁しているとされている。そんな彼らが秘匿された指輪の情報を得る機会があったとは考えにくい。勿論、こちらが想像できないような経緯で偶然知った、という可能性もないではないが……
「う~ん……ひょっとして敵は魔族じゃない、とか?」
リュミスは指輪の存在を知る学院本部の魔術師が、魔族に偽装してこんなことをしでかした可能性を疑う。
「いや。敵が魔族に偽装した魔術師だとしたら、この都市に神器があると判明した時点で、こんな大仰な手を打たなくても取れる手段はいくらでもある筈なんだよ」
「……まあ確かに。仮に学院関係者だとしてもどうやって私たちの居場所を特定したんだって話だし、見つけたなら直接身柄を押さえにくればいいものね。指輪の存在を他の人間に広めるのはデメリットが大き過ぎる」
「うん。それに敵はあの時『都市内にいる神器保有者』としか発言していない」
「? それが何か──って、ああ~」
ノエルが何を言わんとしてるかに気づいて、リュミスは呻き声を上げた。
「学院経由で情報が漏れたなら『指輪』って表現する筈よね。この都市の人間に探させて引き渡しさせようってんなら、その情報を隠す意味がない」
「うん。つまり、この敵には“神器”の存在を感知する手段があるんじゃないかなって」
もしそうなら都市から脱出してもすぐに見つかってしまうので、彼らにとっては極めて厳しい状況となる。
リュミスは一瞬考えるそぶりを見せ、しかし直ぐにかぶりを横に振った。
「……いやいやいや。言いたいことは分かるけど、それはちょっと考えにくいでしょ。そもそも神器の在り処が分かるなら、もっとも前に指輪がそいつに見つかってなきゃおかしくない? あんたの手に渡ってからじゃなくて、それこそ遺跡に埋まってる時とか」
「う~ん……そこはほら。指輪を嵌めて同調してないと反応しないとか、そういうのかも」
「力を使ったわけでもないのに? ただ嵌めただけで? そもそも感知できるなら直接自分で奪いにくれば良くない?」
「微弱な反応だから正確な場所までは特定できなくて、だからこんなやり方をとってるって可能性は……ないかな?」
ノエルは自分で言っておきながら、自信なさそうに首を傾げる。
「まぁ、仮定に仮定を重ねればそういう可能性もなくはないけど……で、結局それが何? 居場所が感知されるなら脱出しても意味がないんじゃないか、とか? まさかとは思うけど、今更『皆を見捨てて逃げるのは気がひける~』とか言い出したりはしないわよね?」
「いや……そんなことは……」
リュミスに厳しい視線で見据えられ、ノエルは気まずそうに視線を逸らす。
「…………」
「…………」
しばしジッとノエルを睨みつけた後、リュミスは短く溜め息を吐いて噛み含めるように言い聞かせた。
「あのね。今回の一件はもうあんたが“指輪”を使う使わないの問題じゃなくなってるの。今までみたいに使い捨ての駒が奇襲しかけてくるのとは訳が違う。こんな都市一つ軽く滅ぼせるレベルの敵が、真っ向からあんたを捕まえようとしてるのよ。当然“指輪”に関しても対策はしてるでしょ。最悪、向こうも神器持ちって可能性だってある。今更この都市を巻き込んだ罪悪感に駆られて名乗り出たり戦おうとしたところで返り討ちに遭うのがオチよ」
「……分かってるよ」
「分かってたらそんな顔しないでしょ」
ノエルは図星を突かれた気まずさを奥歯を噛みしめ誤魔化そうとするが、リュミスは容赦なかった。
「仮に“指輪”を使うとしてもどうやってこの状況を打開するつもりなの? 敵の姿が見えてない以上、直接支配することは不可能。死霊の軍勢を一体一体支配して回る? そんなことしてたらすぐに居場所がバレて終わりよ。私たちは今この都市を人質に取られてるようなものなの。戦えば余計に被害が拡大するかもしれないわ」
リュミスの指摘は正しかった。
もしノエルが“指輪”の扱いに習熟していたなら、自らの知覚範囲を拡大し見えない敵を見つけることや、死霊の軍勢を操る術式そのものを支配することもできたかもしれないが、今のノエルにそれはできない。試したわけではないが“指輪”がその事実をイメージとしてノエルに伝えていた。
彼の脳裏に“指輪”の力を拒否せず使いこなしていれば、この状況を打破することもできたのではとの後悔がよぎるが──
「それにこの敵が魔族だろうと魔族を騙る魔術師だろうと、こんなやり口で“指輪”を手に入れようって時点で碌なもんじゃないわ。こいつの手に“指輪”が渡れば、コトはこの都市だけの問題じゃなくなってくる。優先順位を間違えちゃ駄目よ」
「…………ああ」
リュミスは責めるようなことは一切言わず今どうすべきかを諭し、ノエルは迷いはあれどそれにしっかり頷いた。
その反応にリュミスは満足そうに頷き、ニカッと口角を吊り上げて付け加える。
「ま、もしあんたの言うように敵がボンヤリとでも“指輪”の場所を感知できるのなら、私たちがここから脱出すれば敵も攻撃を取りやめるかもしれないし、悲観的に考えすぎるのも良くないわ」
「……そうだね」
敵が見せしめとして都市を攻撃する可能性や、逃げても自分たちが捕まるリスクが高まる可能性はあったが、二人は敢えてそこに目を瞑り自分たちが脱出することへ意識を向けた。
だが、とは言え、だ。
「そうは言ってもどうしたら逃げられるのか今のところ何も思いつかないんだけどね~。敵が攻めてきた瞬間に、ってのはもはや策でも何でもないし。それまで都市内の人間に“指輪”の存在が露見しないとも限らないわけだから、出来ればその前に脱出方法を見つけたいところだけど……」
答えのない問題にリュミスが前足で額を擦りながら「ウニャ~」と呻く。
だがそれについてノエルには一つ案があった。いや、正確には彼自身が何かを思いついた訳ではなく──
「……それなんだけど、僕らがここで頭を悩ませたところで出てくる案はたかが知れてる。どうせなら、僕らより優秀でなりふり構わない人たちの考えを参考にさせてもらおうよ」




