第37話
──魔族とは何か?──
実のところ、この問いかけに正確に答えられる者は識者と呼ばれる者たちであっても決して多くない。
彼ら魔族を一言で言い表すなら、高い知性と身体能力、超常的な魔力を有した人型種族だ。
頭部に一、二本の角があることと、その多くが絶世と呼べる美貌の持ち主であることを除けば、外見的にはほとんどヒューマンと差異はない。
エルフやドワーフと同じ長命種とされているが、歴史書や神話を紐解いてみると一〇〇〇年以上昔に大陸で魔族が確認された記録はなく、実際に寿命がどの程度なのか、あるいは定命の生き物なのかさえ分かっていない。
魔族の存在が本格的に大陸の歴史に登場したのは約四〇〇年前。
『魔王』と呼ばれる指導者に率いられた彼らは、世界に覇を唱えて大戦を引き起こし、人類を滅亡寸前にまで追い込んだ。
魔族の個としての力は人類を遥かに凌駕し、人類はなすすべなく蹂躙されるしかなかった──異世界から七人の勇者たちが現れるまでは。
女神イグドラに召喚された勇者たちは、七つの神器を用いて魔族の勢力を押し返し、『魔王』を倒して人類に平和をもたらした──大陸に住む者なら誰もが知っている最新の神話だ。
そして『魔王』亡き後、魔族たちはその個体数を一〇〇〇以下にまで減らし、国としての体裁を失い散り散りとなって大陸各地に落ち延びた。
今でも旧魔族の勢力圏であった大陸西部では時折その姿が目撃されることもあるが、人類と直接的な武力衝突に発展することはほとんどない。
その理由は勇者が遺した神器を恐れているからとも、戦いに厭いたからとも言われている、が──
『…………』
ノエルとリュミスは自由都市ルベリアを取り囲む外壁の上から、眼下に広がる光景を見下ろし、絶句する。
彼らは学院上層部の指示で都市を守護する結界に綻びがないかチェックするためここに派遣されていた。呑気に外を眺めている場合ではないのだが、そのことを咎める者はいない。周囲の他の魔術師たちも程度の差はあれ似たような有り様で、とても作業が手につく状態ではなかった。
視界一杯──見渡す限りの死霊の軍勢が都市の外を埋め尽くしている。
都市どころか小国程度であれば容易く蹂躙できそうなほどの大軍が猛威を振るうでもなく静かに佇んでいるその様は、とても自然発生したものではあり得まい。高位の吸血鬼や死霊王であっても、これほどの軍勢を支配下に置くことは不可能だろう。
つい一刻ほど前、都市内に『魔族の侵攻が確認された』とのアナウンスがあったが、実のところまだ実際に魔族の姿が確認されたわけでも、何か魔族側からの声明があったわけでもないそうだ。ただ、こんなことが出来る者は魔族以外にはあり得ない──都市上層部のその判断を否定する者はどこにもいなかった。
「……何なの、これ?」
「さぁ……聞いたこともない」
だが例え魔族であろうとこんなことが本当に可能なのか? 可能だとして、果たしてその目的は何なのか?
『魔王』が倒された直後ならまだしも、ここ二〇〇年程は大規模な魔族の襲撃など聞いたことがなく、また戦略的にもこんな一都市を襲ったところで意味があるとは思えない。
「いったい誰が、何考えてこんなことを……」
その疑問の答えはほどなくして都市中に響き渡る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時は少しだけ遡る。
亜空間に設置された居城の一室で、熊のような大男が女に話しかけた。
「……姫様。やはり御身自ら向かわずとも、人間どもの都市には私が──」
「しつこいわよ、爺」
姫と呼ばれたソレは、長い金色の髪と鮮やかな血の色をした瞳を持つ、“絶世の”という形容詞が陳腐に思えるほど美しい女だった。
そしてその場にいた二人には外見的な特徴がもう一つ。女は側頭部から二本、大男は右側頭部から一本、大きな角が生えている──彼らは魔族だった。
「貴方には人間どもの援軍を足止めする役割を与えているでしょう。万一にも“剣”や“杖”の持ち主がこちらに来ないように牽制する危険で重要な役割よ。まさか貴方、私にそれをさせようとでも?」
「そのような言い方はおよしください」
男は眉根を寄せて顔を顰め、女を咎めるように言った。
「私が負う危険など姫様の策があれば考慮するに値しません。そもそもこの程度のことであの者どもが重い腰を上げるとは考えにくい。足止めなら別に私でなくともよいでしょう」
女はその言葉の正しさを胸中で認めつつ、肩を竦める。
「あら? 油断は禁物よ。それとも貴方は私が安全のために万全の備えを期すことに何か不満があるのかしら?」
「姫様! 論点をずらすのはおやめください。私が申し上げているのはそのようなことではなく──」
「はいはい、分かってるわよ」
お説教モードに突入しそうになる男を女はウンザリした様子で制し、敢えて冷たい表情と声音を作って続けた。
「じゃあハッキリ言ってあげる。貴方じゃ力不足」
「────っ」
男の奥歯が悔しそうに噛みしめられ、ギリと音を立てて軋んだ。
「こちらは確実に神器保有者と対面することになる。貴方じゃそれに対抗できないでしょう?」
女の言葉は正しい。魔族がどれほど強大な力を持っていようと、理を超えた存在である神器の前では無力だ。人間の国を一つ滅ぼせと言われれば容易に実現可能な力を持つこの魔族の老兵であれ、神器と相対し目的を達することが出来るとは思えなかった。
「ですが! 姫様が危険に身を晒す必要はないでしょう! 御身にもしものことがあれば我らは──」
「今更私にそんな価値があるものですか」
「そんなことは──」
言い募る男を視線で制し、女はキッパリと言った。
「既に祀るべき神もおられぬというのに、今更巫女だ何だのと……滑稽だと思わない?」
「────」
否定すべきだとは理解していたが、出来なかった。
女の言葉はどうしようもない事実であり、多くの同族が陰口を叩いていることを男は知っていた。口先だけの慰めなど彼女にとっては侮辱でしかあるまい。
悔しそうに俯く男に、女は言い過ぎたと思ったのか柔らかな苦笑を浮かべる。
「折角掴んだチャンスよ。この機を逃して他の者に先を越されるわけにはいかないわ。だから万全を期して私が行くの」
「…………」
「それに必ずしも危険とは限らないでしょう? 神器の気配はあるけれど、実際にその力が使われた形跡はない。何らかの理由で今神器が使用できない可能性もあるし、持ち主が思慮深ければ話し合いで片が付くかもしれないわ」
「そんな楽天的な……」
あり得ないとかぶりを横に振る男に、女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「可能性の話よ。悲観的な材料ばかり並べるのは公平じゃないでしょう?」
全く納得した様子のない男に、女は真面目な表情を作って続けた。
「最悪の想定は、神器保有者を取り逃がして、神器が教会の手に落ちることよ。その神器の能力次第では大陸のパワーバランスは完全に崩壊し、今度こそ私たちが滅ぼされることになるかもしれない」
「…………」
残念ながらその言い分は正しい──男は苦々しくそれを認め、口を閉ざす。
「安心して。神器には神器の力で対抗できる。最弱とは言え私も神器保有者よ。むざむざとやられるようなことはないわ」
そう言って微笑む女の胸には、一冊の書が抱えられていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──ピー、ガサゴソ、ガサ……
ルベリア政庁からのアナウンスが再び都市内に響き渡る。
だが本来アナウンス前に聞こえる筈のベルの音はなく、代わりに何かが強引に割り込んだようなノイズが先行した。
『──あ~、あ、あ~、聞こえますか?』
鈴が鳴る様な美しい女の声。
『都市ルベリアに住む人類に通告します。私の名はアーデルハイト。現在、貴方方の都市を取り囲んでいる死霊の群れを使役している魔族です』
────!!?
その言葉に、都市の至るところから悲鳴が聞こえる。
同時に魔術師であるノエルは、結界外から都市内の魔道具にハッキングしたアーデルハイトと名乗る魔族の技量に驚愕していた。それは言うなれば音の伝わらない真空の中で音楽を奏でるようなもの。人類最高峰の魔術師であれ真似できるか分からない絶技だ。
『私にはその結界と城壁の上からでも、貴方方を半日とかからず蹂躙する用意があります。ですが無駄な流血は私も望むところではありません。貴方方がこちらの要求を呑むのであれば、攻撃は中止しましょう』
絶望と希望が都市内に満ちる。
『私の要求は唯一つ。都市内にいる神器保有者の引き渡しです』




