第36話
「わ~い!」
「こら、ガキども! はしゃいで服汚すんじゃねぇぞ!?」
「そんなことしないも~ん!!」
貧民窟の一角で、子供たちが青と白で彩られた服を着て走り回っている。
彼らのほとんどが身に着ける真新しいピカピカの服。年長で仕切り役の少年は、年少の子供たちが早速それを汚してしまわないか冷や冷やしながらそれを見守っていた。
そうした二〇人弱の一団を少し離れた場所から見守っていたのはノエルとリュミス、そして同じく青と白の服を身に纏ったコートだ。
「……いいのかよ? まだ何の仕事もしてねぇのにこんなもん貰っちまって?」
この場に集まっているのは、ノエルが提案したゴミ回収事業(+肥料屋)への参加を表明した孤児たち。
事業はまだ準備段階で、他にも参加を検討している孤児たちはいるが、一先ず第一陣として最初に手を挙げた希望者に研修を実施。制服を配り、仕事内容について説明し、ついでに簡単な食事を出していたところだ。ちなみにコートはノエルを襲った罰として強制参加。
「いいも何も、仕事のための制服なんだからこっちで準備するのは当たり前のことだろう?」
「そもそも、あんたらみたいな汚いガキがゴミ集めとは言え街中うろついてたら、乞食か空き巣狙いの泥棒かと勘違いされるじゃない。せめて服ぐらいまともなもの着せとかないと仕事になんないわよ」
服もそうだけど少しは身体も洗いなさい、とリュミスにツッコまれ、コートは嫌そうに顔を歪める。
「そうじゃなくて、俺ら服だけ持ち逃げするかもしんねぇぜ? それに靴や手袋まで……これだって安かねぇんだろ?」
コートには物の相場は分からない。だが、自分たちそれぞれに与えられた新品の服や靴が不相応なものであることは理解していた。
「ああ、それね。別に僕らの懐は痛んでないし、構やしないよ」
てっきりノエルかその関係者が買ってくれたと思っていたコートは、意外な言葉に目を瞬かせる。
「? じゃあ、誰が?」
「例のマフィア」
「─────」
コートの表情が一瞬フリーズしたように固まる。
「──って、ロッソさん!?」
「そうそう」
まさかロッソからの贈り物だとは想像もしておらず、あたふた混乱するコート。
「おまっ! これ、そんな……!?」
「あ。手袋だけは教会からだね」
「いや、そこじゃなくて──!!?」
自分たちにとって雲の上の住人──あるいは地の底の悪魔──たるロッソから物を貰ったという事実に混乱するコート。しばし意味のない奇妙な動きをしていたが、やがて頭から湯気を出して呻き声を上げる。
「──……何で、ロッソさんが?」
「分かりやすく自分らが後ろ盾だって示すためじゃない? あと、教会は連中にだけいい顔させてられないって、慌てて支援を申し出た形だね」
より正確に言うならば、ロッソがアピールしたいのは一般人に対してではなく他のマフィアに対してだろうが、ノエルは敢えてそこには触れなかった。
「……え? ロッソさんからこんな物まで貰っちまって……え? ひょっとして、俺もう逃げれねぇの……?」
「何を今さら。もし途中で投げ出すようなことがあったら……ねぇ」
「ニュフフ……」と脅かすように笑うリュミスに、コートは「ひぃ!?」と息を呑んだ。ノエルはそのやり取りに苦笑し、リュミスを窘める。
「あんまり脅かしてやるなよ」
「え~? 別にそんなつもりはないんだけどな~」
「どの口で……」
二人のやり取りにコートは目を瞬かせる。ノエルは彼に皮肉交じりの笑みを向け、続けた。
「服に関しちゃ気にする必要はないよ。ロッソからも『しんどくて続けられないようなら、いつでも相談してくれ』って伝言を預かってる」
「それって……」
「駄目なら自分とこで面倒見てやるって意味だろうね」
「…………」
隠すことなく伝えたノエルに、コートは何とも言えない微妙な表情を向ける。
「……いいのかよ?」
「ま、最初からそういう話だったからね。ロッソが後ろ盾になってくれたのはドロップアウトした連中に唾つけるためなわけだし、仕事辞めたからって責められるようなことはないさ──ああ、ただロッソがドロップアウトした君を大切にしてくれるとは思わない方がいいかな」
「……ンなことは言われなくても分かってるよ。そうじゃなくて! お前はそれでいいのかって聞いてるんだよ!」
「……僕が?」
その言葉に、ノエルは心底意外なことを言われたとばかりに目を丸くする。
「そりゃまぁ……流石に全員が全員ドロップアウトされたら困るけど、ある程度の離脱は想定してるから別に──いや、流石にいくらかは残るよね?」
「私に聞かれても知らないわよ」
突然不安そうな顔になるノエルに、リュミスが呆れた顔でツッコんだ。
マフィアも教会も、この計画が成功する見込みがあると判断したから支援してくれている。特にマフィアからすれば全員真面目に働き始めましたでは困るが、逆に全員ドロップアウトされても問題だ。ほどほどに成功して教会の浸食の防波堤になってもらわなければ計画に賛同した意味がない。
もしそうなったらとっととこの街バックレるかな、と割と最低なことを考えていたノエルに、コートは苛立った様子で言う。
「そこじゃねぇよ!」
「……違うの?」
「当たり前だろ!? そうじゃなくて、お前は俺にマトモになって欲しくてこんなこと言い出したんじゃねぇのかよ! 俺が辞めたら駄目だろうが!?」
「いや全然」
「────」
一瞬の遅滞もなく即答され、絶句するコート。
その反応にノエルは自分が何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げ、しばし先ほどのやり取りを頭の中で反芻し、再び口を開く。
「いや君が辞めても全然かまわない」
「────」
言葉足らずだっただろうかとより丁寧に言葉を補足したが、コートの反応は変わらなかった。
「そもそも僕が君の更生を期待する理由がどこかにあったかな? 君と僕との接点って初対面でぶつかられて因縁付けられて、その後やっぱり意味不明な因縁付けられて襲われて……こう全面的に迷惑しかかけられてないし、同情する要素もなかったし、言ってることもやってることも普通にクソだし。流れ的にはむしろ適当に悲惨な目に遭わせて『ざまぁ』って嗤うとこだと思うんだけど……僕が君の更生を期待するような発言をしたなんてこともないよね?」
「…………」
「君をマフィアのところに連れて行ったのは僕が襲われたって事実を明確にするためだし、君を事業に参加させるのは『君みたいな人間を更生させる』って建前があるからで──ああ、ひょっとして本気でその建前を信じてたとか?」
「いや……そういうわけじゃ……ない、けど……」
「別に僕もマフィアも君個人に何か思い入れがあるわけじゃないから、働いてみてやっぱやってけないと思ったら全然辞めてもらって構わないよ。まぁただ、やらかした君にあんまり短期間で辞められると体裁が悪いから、せめて二、三か月は続けて欲しいかな」
「……………………おう」
何故かコートの返事は力なく、その足元ではリュミスが同情するように彼のふくらはぎをポンポンと前足で叩いていた。
「……大丈夫?」
「ああ……それでいいってんなら、俺は大丈夫だ」
「そう?」
大丈夫と言えば大丈夫そうな、ショックを受けたような、拗ねたような態度。
その様子にノエルは、どうやら自分は知らない内にコートに余計なプレッシャーをかけてしまったのかな、と少しズレた反省をする。
──ひょっとして僕、傍から見たらこいつらの更生のために骨を折ったみたいに思われてるのかね?
もしそうならとんでもない誤解だ。
自分は極めて個人的でしょうもない理由でこの一件に嘴を突っ込んだに過ぎない。
「誤解させてたら悪いから一応言っておくけど、そもそも僕も人様に誇れるような立派な生き方はしてないからさ。君にあーしろこーしろなんて偉そうに言うつもりはこれっぽっちもないんだ」
「……なら、何でわざわざこんな面倒くせぇことを?」
コートの言う通り、単純に教会やマフィアの争いや貧民窟の揉め事を収めるだけなら、もっと簡単で手間のかからない方法はあった。
少なくともノエルがこの一件に手を出す理由は客観的に見てどこにもない。
──我ながらホントくだらない理由だわ。
ただ目の前のこの粗暴な少年を、幼い頃の誰かと重ねてしまった。村人たちに親無しの貧乏人と言って馬鹿にされ、教会でただ施されることを良しとせず、一〇歳にも満たない若さで教会を飛び出し自立する道を選んだ誰かと。
しかし彼はコートとは違い犯罪に手を染めようとはせず、誰より懸命に働いて自分の居場所を作った。
それはとても過酷な道のりで、ここにいる孤児たちが同じことをしようとしても、恐らくほとんどが真似できず脱落してしまうだろう。
だが少なくとも、当時の彼や自分には抗うための選択肢があった。どれだけ細く険しい道だとしても、あったのだ。
それすら与えられない人間を責める気にもなれず、そのことにムカついて道を示した。
自己満足というのも怪しい、胸の中の気持ち悪さを取り除くための行為だ。
「誰にだって選択肢ぐらいはあってもいいだろう? 君がこの後、結局他人に迷惑かけてしょっ引かれるような人生送ることになったとしても、選ぶ余地なくその道に進んだのと、君が自分で選んだのとじゃ、こっちも笑いやすさが違ってくるからね」
だがそんなことをコートに説明するつもりはこれっぽっちもない。
「繰り返すようだけど、僕も人様に恥じない生き方ができてるわけじゃない。だけどその生き方は自分で選んだものだ。生まれや他の誰かのせいでこんな人生送ってるなんて言うつもりはないし、言わなくて済んでる。君にもそれぐらいの自由はあってもいいんじゃないかと思ったんだよ」
肩を竦めるノエルに、どんな反応を返していいか分からず立ち尽くすコート。
ノエルとリュミスは顔を見合わせて笑い、仕事の説明に戻ろうと声を──
『────!!?』
──唐突に、その身を襲った正体不明の圧力に膝をついた。
「お、おい!? いきなりどうしたっ!?」
コートはこの圧力を感じていないらしい。突然地面に蹲った一人と一匹に、慌てた様子で駆け寄る。だがノエルたちはそれに反応する余裕さえない。
『────……』
圧力は十数秒ほど続き、唐突に消えた。
近くにいた孤児たちが心配そうにこちらを見ている。コートが何か騒いでいるが耳に入らない。
ノエルとリュミスは今の圧力は何だったのかと、不理解と困惑に顔を見合わせた。
──ピ~ンポ~ンパ~ンポ~ン
ほどなくして都市中に響く、政庁からのアナウンス。これが使用されるのは祭事か、災害など緊急時だけとなっていて──
『憲兵隊より緊急連絡です。先ほど都市外において魔族の侵攻が確認されました。市民の皆様は落ち着いて所定の避難場所への移動を開始してください。予備役に登録されている方は、至急政庁前広場へ集合願います。繰り返します。憲兵隊より緊急連絡です。先ほど都市外に──』
ラストが次のエピソードのヒキになってますが、一応エピソード4終了。
次のエピソードは『勇者』や彼らが倒してしまった『魔王』、そして『魔族』について触れる話です。




