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第35話

「あの……結局、今回の話って何がどうなってるんでしょう?」



ノエルが貧民窟の住人を使ってゴミ回収事業を始めようと提案してから一週間が経過した。


この間、事業の立ち上げを主導したのは提案者であるノエル──ではなく、各方面に顔が利くサリアだった。


彼女はまずエルザに事情を説明し説得すると、その足で商工会に向かって顔馴染みの会頭と面談。事業導入による商店街の美化と治安向上を訴え、その協力を取り付けた。


会頭はサリアの説明そのものには半信半疑だったが、概算ではじき出された導入コストが思いのほか安く、失敗に伴うリスクが軽微だったことが背中を押し協力を決断した。あるいは会頭としての任期が迫っていたので、最後に何か遺産を残したいというスケベ心もあったのかもしれない。商工会全体で負担すれば一人当たりの負担は軽微で、お試しでさせてみる分には構わないだろうと会員たちの説得に帯同し、商売を息子に譲って暇をしている元商人を事業の管理者として紹介してくれた。


その後サリアはエルザやコートと協力して貧民窟の住民に声掛けして人を集める目途をたて、紹介してもらった管理者と大急ぎで事業計画をまとめ上げ、行政や町内会などの自治組織に話を通したりとフル回転。上司に頼んで有給まで貰ってなお、寝る間もないほど忙しく動き回っていた。


一方で、提案者であるノエルは事業計画の概要は示したものの、後のことは基本人任せ。地域との調整は顔が広いサリアが主導した方がいいし、人集めも余所者のノエルが嘴を挟むべきではない。その理屈は分かるのだが、学院内のちょっとした調整さえオスカに任せて本人はノンビリ幻獣・魔獣の世話や研究室の片づけといった助手としての通常業務に従事していた。いや、マフィアとの連絡役など全く何もしていなかったわけではないのだが、そんなものは全体の仕事量からすれば微々たるもので、ほぼほぼ周囲に丸投げしたようなものである。


途中からサリアなどは、ノエルが周りに仕事を押し付けて結果的に自分が楽をするためにこの計画を提案したのではないかと真剣に疑っていた。


それはともかく──



「どうって言うと?」


場所はオスカの研究室。部屋の中にいる人間は、オスカとエルザ、そして疲れ切ってソファーでぐったりしているサリアの三人。ノエルはサリアに文句を言われるのを嫌ってか、リュミスを伴い用事を作って外出中だ。


先の「何がどうなっているのか?」というエルザの質問は元々サリアに向けられたものだったが、疲れ切ったサリアは目元を腕で隠し微動だにしない。仕方なく部屋の主であるオスカがエルザの問いかけに対応した。


「その……今回の事業の話って、結局どういうことなのかなって。いえ、勿論内容については何度も説明してもらいましたし、理解してるつもりなんですけど……何でみんなが前向きなのか、どうにもよくわからなくて……」

「ああ~」


オスカはエルザが何に困惑しているのか理解できた。


「も、勿論意味のあることだとは思ってますよ!? うちの上司も事業の支援に前向きでしたし。ただその──」

「何でこれで丸く収まりそうなのか理解できない?」

「そうなんです!」


オスカの言葉にエルザは激しく同意した。


エルザはノエルが貧民窟の住民に襲われたこと──犯人の名前は暈した──や、水面下の危うい空気を説明され、それを収める手段として今回の事業を提案されたが、その効果や意義については正直半信半疑だった。


意味が無いとは言わないが誰にとっても中途半端な内容で、これですんなり周囲の協力が得られるとは思えなかったのだ。


「この話は誰かが大きく得をするものじゃないからね。けれど、だからこそ成立したとも言える」

「得をしないからこそ……ですか?」


普通は誰でも得があるから賛同するのでは、と首を傾げるエルザにオスカは説明を続けた。


「まずマフィアと教会は貧民窟の住民を巡ってある種の紛争状態にあった。こういう言い方を君の前でするのはアレだけど、マフィアの領域に教会側がちょっかいをかけた形だね」

「…………」


暗に自分が紛争の火種になったと指摘されるも、エルザ自身そのこと自体は自覚しており、反論はしなかった。そもそもマフィアが貧民窟の住民を食い物にしていたことが問題ではあるが、そのことと自身の行動が引き起こした結果は別問題だと、今は理解できている。


「攻められたマフィア側が引けないのは当然だけど、攻め込んだ教会側も成果なしには引き下がれない。かかったコストやリソースの問題もあるけど、要はメンツかな。仕掛けた以上、何も得られませんでしたじゃ敗北と同義だ」

「あの、言いたいことは分かりますけど、もう少し言い方──」

「そこは権威でもプライドでも適当に頭の中で読み替えてよ」

「…………」


エルザの抗議を軽く流してオスカは続けた。


「どちらも完全勝利が望ましいことは言うまでもないけど、お互い必死だからね。そう簡単には決着なんてつかない。争いが長引けばお互い疲弊もするし、トラブルだって増える。泥沼化した時点でどちらもこの争いを適当なところで収めたいという想いはあったはずなんだ。ただその着地点が見えなかっただけでね」


貧民窟という有限資源を巡る争いである以上、両者の利益はゼロサムゲーム。どちらかが引かない限り妥協などできようはずがない、が──


「だから今回の話、ですか?」

「そういうこと。マフィアとしては本命である手駒のリクルート場は確保したまま、事業の後ろ盾としての立場を使って教会からのこれ以上の干渉を防ぐことができる。逆に教会はマフィア側の戦力を削る事こそできなかったけど、貧民窟におけるマフィアの影響力を削ること自体は成功した。どちらも負けてはいないし、解釈次第で「6:4」で自分たちが勝ったと主張できる内容だ」


実際には、マフィア側は『教会の干渉を退けた』という事実以外何も得るものがないわけだし、教会側もマフィア側に何ら具体的な痛痒を与えられていない。互いに手間と労力をかけた分、どちらも負けと評価するのが正確な所だろう。


だがまぁ、争いごとなんてのは大抵そんなものだ。


「そこまではまだ何となく理解できるんですが……その、分からないのは何でこの計画に貧民窟あそこの人たちまで前向きなのかなって──いや、勿論働く場所ができれば更生の切っ掛けになって良いことだと思うし、私個人としては納得も賛成もしてるんですよ? ただ──」

「傍から見れば搾取されているようにもとれる内容なのに、どうしてこんな積極的に受け入れられているのか分からない?」

「……ええ」


エルザはこの一週間それこそ身を粉にしてこの計画のために働いているサリアにチラリと視線を落とし、頷いた。


この計画を進めて貧民窟の住民が得られるものと言えば、通常より過酷で賃金の安い働き口。大変な仕事で、そもそも貧民窟の住民全員を救えるようなものでさえない。


「それに関しては僕らもノエルくんに指摘されるまで思い違いをしていたところがあってね」

「思い違い?」

「うん。僕らは最初、貧民窟あそこの住民が、僕らと同等の権利や暮らしを望んでいると思い込んでたんだ」

「────」


オスカの発言にエルザは『違うの?』と目を丸くする。


その反応にオスカは苦笑し、発言内容を微修正し続けた。


「勿論、最終的にそこまで実現できれば一〇〇点満点だし、望んでいないというのは言い過ぎかな。だけど実際のところ、彼らはそこまでのことは想像もできちゃいなかったみたいでね。及第点──いや、僕らにとっては赤点でしかないような成果でも、彼らにとっては動くべき価値があることだったんだよ」

「成果……それはつまり、ギリギリ食べていける程度の稼ぎでも、彼らは満足する……と?」


疑わし気にエルザが眉を顰める。彼らはそれほど単純でも善良でもない。その程度ならもっと楽に稼ぐ方法があると、悪事に手を染めてしまう者たちを彼女は嫌というほど見てきた。


だがオスカはかぶりを横に振ってエルザの言葉を否定する。


「いや。彼らが欲していたのは稼ぎ以前──社会的立場と信用だよ」

「立場と……信用?」


エルザにはオスカが何を言っているのか理解できなかった。いや、言葉の意味は勿論分かる。貧民窟の住人が真っ当な仕事に従事することでそれを得られるということも。


だが、そんな抽象的なものを彼らが求めるとは到底思えない。


「そんな食べれもしない観念的なものを彼らが欲しがるはずがない、って顔だね?」

「……言い方はアレですけど、その通りです」

「うん。分かるよ。僕らも彼から説明を受けた時には──いや、実際に貧民窟あそこの住人に受け入れられるまでは半信半疑だったからね」


エルザもサリアと一緒に貧民窟にこの計画を説明しに行ったが、当初彼らの反応は芳しくなかった。キツイ思いをして大したモノが食べれるわけでもないなら、炊き出しの量や回数を増やしてくれと言われた。当然予想していた反応だ。


だがサリアが『あんたたちは稼いだ金を好きに使っていい。好きなものが買える』と繰り返し伝えると、何故か彼らはそれに食いついた。稼ぎと言ってもどうせ大した金額ではない。日々の最低限の食事を得るのが精一杯で、選ぶ余裕なんてないだろうに。横で話を聞いていたエルザには彼らが何に食いついたのかさっぱり分からなかった。


「社会的立場や信用と言って分かりにくいなら、こう言い換えてみようか──お金を使う権利、と」

「権利──」


お金を使うのに権利なんて、と言いかけてエルザもようやく意味を理解する。


そうだ、貧民窟の住人たちには大手を振って金を使う権利さえない。仮に手元に金があっても、真っ当に金を稼ぐ手段がない彼らのそれは後ろ暗いものでしかあり得ない──少なくとも周囲はそう見做し、まともな商人は彼らを相手にしない。まともでない商人に捕まり搾取されるだけだ。


だが曲がりなりにも彼らがまっとうに金を稼ぐ術を得たなら、その状況は変わってくる。


犯罪絡みのやましい金でないのなら、商人たちが彼らを拒む理由はない──つまりこれが最低限の社会的立場と信用だ。


「僕らにとっては当たり前すぎて盲点だった。だけど彼らにとってそれは当たり前ではなかった。僕らは無意識に目標を高く設定しすぎて、そのことを見落としていたんだ」

「でもそれって、妥協……ですよね?」


何となく、今まで自分が彼らのためにと考えていたことが否定されたような気がして、エルザは反発めいたことを口にしていた。


オスカはそんなエルザの内心を見透かすように大きく頷いてそれを認めた。


「そうだよ、妥協だ。目標を下げたんだ──そして妥協したからこそ見えてくるものもある」

「……見えてくるもの?」

「金を使えない貧民窟の住人はその価値を知らない。賃金の高低なんてのは、まずは金の使い方と価値を理解した後の話だったんだ。そして彼らは決して高望みはしていないけれど、一般的な社会への憧れがないわけじゃあない。その彼らにとってお金を使って取引をする──社会の一員として認めてもらうというのは、具体的に未来をイメージし前進する上で必要なプロセスだったんだよ」


妥協する──目標を下げる、あるいは刻む。実現不可能な目標に向かってただ手を伸ばすのではなく、一つ一つ石段を積み上げるように実現可能なプロセスを積み上げていく。


「サリアがやる気になってるのも同じ理由かな」

「姉さんが?」


計画実現のため駆けずり回り疲れ切っていたサリアは、いつの間にかソファーで寝入っていた。


「彼女は以前から貧民窟の住人が犯罪に手を染めざるを得ない現状を気に病んでいたからね。善悪以前の問題として、彼らが生きていくためには他に選択肢がない。けれど立場上そんな人間を取り締まらなければないことにずっと悩んていた。多忙な憲兵隊の仕事の傍ら君の活動に協力し始めたのには、そういう背景もあったんじゃないかと思ってる」

「…………」


思い当たるフシはあった。


「だけど今回の計画が実現すれば少なくとも彼らには選択肢が与えられる。厳しい道で、例え全てを救うことは出来なくとも、犯罪に手を染めない生き方という選択肢が生まれるんだ。ひょっとしたらそこには現実に犯罪件数を減らすほどの影響力はないのかもしれないけれど、少なくとも彼女にとっては動くべき価値のあることだったんだろうね」


そういってオスカは眠るサリアの身体に毛布をかけてやり、穏やかな笑みを浮かべた。


「ま、これも妥協したからこそ見れたものさ」

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