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第34話

「事業……?」


ロッソはノエルが発したその言葉を口の中で転がし、慎重に吟味した。


そして相手の目的と話の展開を予想し、言質を取られないよう言葉を選びながら口を開く。


「……よく、分からねぇな。商売を始めたいってのは景気が良くて結構な話だが、今話をしてたのは馬鹿どもが暴走してお互い困ってるって話じゃなかったか? それとその商売の話がどう繋がるんだい?」

「彼らが馬鹿な行動をとるのは、体力と時間が有り余ってるからでしょう。適当な仕事を与えてそれを有効に使ってやれば大人しくなると思いませんか?」

「ふむ……」


ノエルは敢えて言わなかったが、貧民窟の人間の暴走の根底にあるのは、日々の糧をいかに得るかという問題だ。仕事を与えて生活を安定させれば少なくとも今のような理由で誰かを攻撃することはなくなる。


一方で、それはロッソたちマフィアにとっては、自分たちの手駒を奪われることと同義だ。生活に困窮し暇を持て余しているからこそ貧民窟の人間は容易くマフィアの誘いに乗り、都合の良い駒として機能する。マフィアたちにとって彼らが仕事を得るなんてのはもっての外。話を聞いていた背後の部下たちは険しい目でノエルを睨みつけていた、が──


「そりゃあいい。ヘトヘトになるまで働けば、馬鹿どもも素人さんに迷惑かけるこたぁねぇだろ。で、いったいどんな商売をしようと考えてるんだい?」


ロッソはにこやかな表情でノエルの話に耳を傾けた。


「こいつらに仕事させるとなるとなかなか大変だと思うがねぇ」


ロッソがチラと四つん這いのコートに視線をやる。コートは今初めて『自分たちが仕事をする』という話を聞いたらしく困惑していたが、場の雰囲気に気圧されて何も言葉を発することが出来ずにいた。


「俺らに後ろ盾になれって言うからには、当然説明してくれるんだろう?」

「勿論です」


言うまでもなくロッソにはノエルの申し出を受けるつもりなどない。話の内容を聞いて自分たちにとって邪魔だと判断すれば妨害し、商売のアイデアが秀逸なものであれば横取りしてやろうと考えていた。


「と言っても、別に特別な商売をしようという訳じゃありません。考えているのはゴミ回収とそれを使った肥料屋です」

「ほ……?」


だがノエルの口から出てきたのは、ある意味想定以上に凡庸なアイデアだった。ロッソは失笑を漏らしそうになる口元を咄嗟にこらえ、一応踏み込んで質問を口にする。


「ゴミ、と肥料……大体の想像はつくが、この街でそんなことやって商売になると思うかい?」

「厳しいとは思いますよ。少なくとも大きく儲けることは不可能だ。ですが人手さえあれば初期投資はほどんど必要ない。土地も貧民窟に使っていない土地があります。キツイ仕事だし採算を確保しようと思えば大した賃金は出せない。恐らく食っていくので精一杯でしょうが、その分競争に晒されるリスクはほとんどない。彼らという安い労働力を前提とした事業です」

「ふむん……」


詳しく聞いても全くそそられない凡庸な内容だった。


ノエルの狙いは理解できる。これは営利事業ではなく、貧民窟の人間に仕事を与え、最低限の衣食住を確保し、更生させることを目的とした事業だ。


確かにこれが実現すれば貧民窟の治安は改善し、馬鹿なことを考える者も少なくなるだろう。炊き出しやそれを行っているエルザの重要度も低下し、影響力やトラブルが発生するリスクを減らすことができるかもしれない──が、それをして自分たちマフィアに何の旨味がある?


エルザの影響を排除できても、肝心の貧民窟が真人間だらけになり、手駒がいなくなったのでは本末転倒だ。自分たちマフィアの目的は、あくまで使い勝手の良い手駒を確保することにあるのだから。


──そういやこいつ、俺らに事業の後ろ盾になって欲しいとかぬかしてやがったな……まさか雀の涙ほどの利益を献上して、それで俺らが満足するとでも考えてやがるのか?


だとしたら舐めているにもほどがある。


儲からない貧乏商売からいくら金を吸い上げたところでたかが知れている。自分たちの目的はより大きく稼ぐための手駒なのだ。


「それで、俺らにそのゴミ拾いだか肥料売りだかの後ろ盾になってくれってのは?」

「私個人としては、この事業がルベリアに住む方々のお役に立つものだと確信しています。ですが、そのことを理解してもらうには時間がかかるでしょう。中には貧民窟の人間が街をうろつくことに不快感を持ち、嫌がらせをする人間も出てくるかもしれません。当然その全てを防ぐことは不可能でしょうが、皆さんの後ろ盾があれば致命的なトラブルはある程度防げるのではないか、と」

「そしてその対価として俺らは幾ばくかのミカジメ料を貰う、と?」

「あまり大した金額は出せませんが」


一通り説明を聞いたロッソは天井を見上げ、ふぅ、と大きな息を吐いた。


「……気が進まねぇな」

「と、言いますと、具体的にどの辺りが?」

「なに。街がキレイで平和になるってのは結構なことだが、俺らがそこにいっちょかみする必要があるのかねぇ? 貧乏人から金を巻きあげるみたいで気が進まねぇよ」

「なるほど」

「だが律儀にミカジメ料払ってくれてる商人衆の手前、俺らもただで看板貸してやるわけにゃいかねぇ」

「ごもっともです」


ロッソはそこで視線をノエルに戻し、ニヤリと笑って続けた。


「別にそこまで心配する必要はねぇんじゃねぇか? この街の連中もそこまであくどい連中じゃあねぇさ。俺らが手を貸さなくても、そんなヒデェ嫌がらせはしねぇだろ」


ロッソの言葉は必ずしも間違っていない。そもそもノエルが口にした住民からの嫌がらせは可能性の話だ。致命的なトラブルにまで発展する可能性はさほど高くないし、単に後ろ盾が必要ならマフィアではなく、教会を巻き込めば事足りる。


それを敢えてマフィアであるロッソたちに話を持ち掛けたのは、契約を結ぶことによりマフィアからの妨害を抑止するためだ。契約さえしてしまえば基本的に彼らマフィアは裏切らない。もしもそれを反故にし嫌がらせをするようなことがあれば、他のミカジメ料を払っている商売人からの信用まで失ってしまうことになるからだ。


だからロッソはノエルの提案をヤンワリ拒絶する。


「悪いが俺たちも、はした金のために自分らの評判を下げるような真似をするわけにゃいかねぇんだわ」


つまり協力はしないし、当然邪魔もする。


「もう少し益のある話なら良かったんだがなぁ」

「ククッ、そっすねぇ」


ロッソから同意を求められ、彼の部下たちがやり取りの真意までは理解できないながら、ノエルを馬鹿にするように嗤う。


「──つまりメリットがあれば乗ってもいい、と」


しかしノエルは彼らの嘲笑に動じることなく、穏やかに微笑んでみせた。


ロッソは訝しげな表情になり、やや警戒しながら口を開く。


「そりゃ、俺たちが納得するメリットがあれば……な。だがさっきも言った通り、俺らもはした金で動くつもりはねぇぜ?」

「それは勿論です」


ノエルは鷹揚に頷き、唐突に話題を変えた。


「ところでロッソさん。ロッソさんはこの街のご出身ですか?」

「? いや……俺は帝国の田舎の生まれだが」


ロッソが眉を顰める。突然の故郷の話。まさかマフィアの自分相手に脅しをかけるつもりでもあるまいが──


ロッソの怪訝そうな反応に構うことなく、ノエルは穏やかに会話を続けた。


「ああ、やっぱり。訛りでそうなのかな、とは思ってたんです。実は私も南の農村出身でしてね。故郷だと汲み取り屋が糞尿を始末してくれていたので良かったのですが、都会はどうにも臭いが慣れない。ロッソさんはその辺り大丈夫でしたか?」

「……まぁ、来たばかりの頃は多少は、な」

「そうでしょう、そうでしょう。いや、故郷にいた頃はああいう仕事に自分が助けられていたのか分からなかったものです」

「…………」


何が言いたいのか分からない。まさか、マフィアである自分たち相手に社会の役に立つことがメリットだ、などと説くつもりか?


「ロッソさんは汲み取り屋の仕事を見たことは?」

「……あるにはある」

「そうですか。いや、言うまでもありませんがあれは大変な仕事です。単純作業ですが、とにかくキツくて汚くて臭い。それにどうしたって周りから下に見られがちな仕事ですからね。体力的なものに加えて、精神的に中々くるものがある」

「…………」


──本当にこいつは何が言いたいんだ?


ロッソの感情が困惑から苛立ちに変化する──そのタイミングでノエルは本題を切り出した。


「ロッソさんは、彼らがそんな大変な仕事をこなすことができると思いますか?」

「?」


問われて、チラリと犬の真似をさせられ、話について行けず困惑しているコートに視線をやる。


「……どうだろうな。まぁ、出来る奴もいれば途中で脱落する奴もでてくるだろ。最初からやりたくねぇって奴もいるんじゃねぇか?」


これは正直な感想だ。特別な能力が必要な仕事ではないし、後はやる気と根性次第。勤め上げることができるかは人によるとしかいいようがない。


実際に働く人間にどこまで負担がかかるかを見ないことには判断しようもないが、仕事内容的にどうあっても二、三割程度はついて行けず脱落するのではないだろうか。


「そうでしょうね。適応して働ける人間もいれば、そうでない人間も出てくるはずです。つまり、そこには色が付くということです」

「……色? そりゃいったいどう──」


言いかけて、ここでようやくロッソはノエルが何を言いたいかを理解した。


彼は貧民窟の人間全てを救おうなどとは考えていない。その主目的はあくまで貧民窟からトラブルの火種を除去すること。その為の手段として、貧民窟の人間をふるいにかけ、色分けしようと言っているのだ。


──えげつねぇ……


口を突いて出そうになった言葉を呑み込み、ロッソは平静を装って続ける。


「……なるほどな。だが、いったいどの程度の連中が振り落とされるかね?」

「さぁ? それはやってみないことには。ただ、そちらが必要としている駒の数そのものは、決して多くないのでは?」

「……確かにな」


ノエルはつまり、仕事という選択肢を貧民窟の住人に提示したところで、どうせそれについて行けず脱落する人間は出てくる。マフィアはその脱落した人間を使えばいい、と言っていた。


マフィアは使い勝手の良い手駒を必要としており、これまで貧民窟の住民の多くが駒として使われてきた。だがマフィアも使う駒は選ぶし、絶対的な仕事量そのものは多くない。


マフィアが駒に求めているのは能力ではなく、自分たちを裏切らないかどうかだ。誠実さではない。一般社会から弾かれ、他に居場所がなく、自分たちに見捨てられたら行き場のない、どうしようもなく単純な駒をこそ求めていた。


そしてノエルが言う脱落した人間は、ロッソたちマフィアにとってとても使い勝手がいい。


何せ貧民窟という底辺の社会においてさえ脱落し、弾かれた者たちだ。取り込み、依存させるなどロッソたちにとっては赤子の手をひねるより簡単だろう。


──どんな集団だろうと、必ずついて行けずに脱落する奴は一定数出てくる。駒の絶対数が不足することはねぇだろう。何より最初から騙しやすい馬鹿が色分けされてるってのは、手間が省けて悪くねぇ。強いて言うなら、上に引き上げてやれそうな連中もいねぇってことだが……ま、元々そんな連中は一握りだ。むしろ俺にとっちゃ、古巣の傭兵なかまを引き込んで勢力を拡大するチャンスかもしれねぇ……


ロッソは頭の中で算盤をはじき、ノエルの提案に乗った方が利が大きいと判断する。


「……いいだろう。具体的な条件は?」

「こちらからお願いしたいのは名前をお借りすることだけです。その分、先ほども申し上げたように大した金額は払えませんが──」

「──利益の一割でどうだ?」


ロッソの逆提案に、ノエルは片眉を上げて意外そうな顔をした。


「……売上でなくて宜しいので?」

「どっちだろうとはした金に違いはねぇだろ。後から俺らが邪魔をしたと難癖付けられるのはごめんでね」

「なるほど」


ロッソから前向きな反応が返ってきたことにノエルは満足げに頷く。


「それよりも具体的に商売を仕切るのは誰がやるんだい? まさかあんたか?」

「いえ。サリアさんの伝手で引退して暇をしている商人を紹介していただく予定です。学院の廃棄物処理なんかもお願いしたいので私も立ち上げ段階ではいくらか関与するつもりですが、運営自体はその方にお任せするつもりでいます。基本的にはほぼ独占事業です。仕組みを作って軌道にさえ乗ってしまえば最終的に貧民窟の住人だけで運営できるようになるのではないかと」

「ふむ……教会は噛ませなくていいのかい?」


それが一番気になっていた部分なのだろう。事業の主体に教会が絡んでくれば、マフィアにとっては何かと面倒なことになりかねない。


「必要ないでしょう。彼らは今回の話とは無関係です。貧民窟への支援の一環として何か協力を申し出てくるのであれば無碍に手を払う様なことはしませんが、事業主体に関与させるつもりはありません」


彼らは商売の専門家ではないし、任せるべき役割もないと否定するノエル。


そのキッパリした態度に、むしろロッソの方がそれでいいのかと首を傾げた。


「別に話に交ぜてもらえなかったからと言って、拗ねてこちらの邪魔をするようなこともないでしょう。少なくとも、表向きそんなことをする理由がない」

「……なるほど。確かにその通りだ」


つまり、マフィアたちが何かしたように見せかけ妨害してくる可能性はあり得るが、それは評判を落としたくなければマフィアの側で防げ、とノエルは言っているのだ。


面倒だが拒否できる話ではなく、ロッソは苦笑を漏らした。


「そうなれば、こちらが何も言わなくても勝手にできる範囲で支援をしてくれるんじゃないですかね。何せ彼らは神の使徒なんですから」

「まぁ……その通りだな」


ああ、何となくうまくいきそうな話だ──そう感じたところで、ロッソはふと疑問に思う。


──俺らにゃ損はないし、状況を考えりゃ悪い話じゃないんだが……これはいったい誰が得をする話なんだ?

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