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第32話

サリアに丸一日市中を連れまわされた翌日。


「さぁ、今日も一日張り切ってお仕事に行きましょう!」


オスカ導師の研究室で朝の掃除をしていたノエルの前に、魔術師を連れての警邏にすっかり味をしめたサリアが現れノエルを連れ出そうとした。


部屋の主でノエルの雇用主であるオスカは、解読作業中の古文書から一瞬顔を上げチラとサリアを見ただけで何も言わない。もはや抗議することも諦めてしまったようだ。


本人の意思を無視して、まるでノエルが警邏に付き合うことが決定事項であるかのような空気が流れる、が──


「行きません」

『────!?』


「NO」と言える流されない若者は、その申し出をキッパリ拒絶し大人たちを驚かせた。


「何で!?」

「そこで何で疑問が出てくるのか分かりませんけど、昨日も言った通り僕はオスカ導師せんせいに雇われてここにいるので。サリアさんの仕事に付き合う理由がありません」

「オスカにはちゃんと許可をとったわよ!」

「……いや『借りるね』って言われただけで僕は何も許可した覚えは──」

「昨日は付き合ってくれたのに何で今更そんなこと言うの!?」

「…………」


オスカの控えめな抗議を無視して、サリアはむしろノエルを責めるような言葉を口にした。これはあれだ。自分が理不尽なことを言っているのは理解した上で、ノリと勢いで押し切ろうとしている人間のやり口だ。


ノエルはその手口には乗るものかと、敢えて冷ややかな態度と口調を作って応じた。


「昨日一日付き合った結果、やはり間違いだったと判断しました」

「そんな!? 期待させておいて酷い!!」

「勝手に期待されても……期待するだけで人が思い通り動くなら、僕より犯罪者にでも期待した方が早いんじゃないですか?」

「君を信頼して憲兵隊の極秘資料まで見せたのに!」

「極秘って、今憲兵隊がマークしてる政治犯のリストですか? そっちが勝手に見せたんだし、そもそもあれは強行班係のサリアさんが持ってること自体おかしな話で──」

「──裏切るなんて!! それに君はもう憲兵隊の協力者だって犯罪者共に周知されちゃったから、私と一緒にいた方がむしろ安全なのに!!」

「軽犯罪をネタに脅して徐々に重い犯罪に引き込んでくマフィアみたいな真似を憲兵隊がしないで下さいというかむしろもっと酷い」

「…………」

「…………」

「…………駄目?」

「駄目です」

「……チッ」


脅しも泣き落としも宥めすかすのも通用しないと理解したサリアは舌打ちし、不貞腐れた表情で近くにあった椅子にドカッと腰掛けた。そして今度は切り口を変えて、この研究室でのオスカの手伝いそのものにケチをつけ始める。


「オスカの手伝いがあるって言うけどさ~、それって元々オスカが自分でやるべきことなわけでしょ? しかもノエル君がずっとこのままオスカの面倒見れるならともかく、君は近いうちにこの街を離れる予定があるわけよね? そうやって最後まで責任持てるわけでもないのに、中途半端に手伝って楽を覚えさせて、オスカの自立を遅らせるのって、どうなのかな~ってお姉さん思うわけ」


酷いイチャモンにオスカが目をギョッとさせる。完全なサリア自身へのブーメラン発言だが、それを追及しても彼女に刺さらないことは既に昨日判明していた。


「ご心配なく。別に僕は導師せんせいの自立を心配する立場にはありませんが、一度仕事を引き受けた以上、無責任なことをするつもりはありませんよ」

『…………へ?』


予想外の反駁に、サリアだけでなく横で聞いていたオスカまで驚き間の抜けた声を出す。


「……それってどういう意味? まさかこのままこの街に──」

「それこそまさかですよ」


オスカが『なんだ……』と残念そうな声を漏らすが、それを無視して二人は話を続けた。


「ならどうしようって言うの? まさかオスカを教育して自分で身の回りの世話ができるようにしようとか考えてる?」

「そんな無駄なことに時間をかけるつもりはありません」


だらしない大人が『無駄……』と寂しそうな声を漏らすが、やはり無視して話を続ける。


「本人ができない以上、それでもどうにかなる仕組みを整えるしかないでしょう」

「具体的には?」

「ここ数日、導師せんせいのお世話をして分かったことですが、導師せんせいの生活がだらしない一番の原因はゴミを捨てれないことです。要らないものが部屋の中にそのまま残ってるから、物が片付かなくて他のあらゆる作業が滞る。実際、最初に一度大掃除した後は、僕はゴミ捨て以外片づけらしい片づけはしてません。余計な物さえなければ先生はそれほど部屋を散らかすことはないし、生活環境は大幅に改善します」

「ふむん……?」


ノエルの話に興味を持ったのか、サリアだけでなくオスカも彼に向き直り傾聴の姿勢をとる。


「そこまでは理解できる。でもその具体的な方法は? 掃除夫でも雇うの?」

「流石に素人に研究室の中を触らせるのは怖いかなぁ……」


オスカが苦笑した通り、今ノエルが研究室に出入りしているのは極めて例外的な事例だ。


魔術の知識以外にセキュリティの問題もあり、普通は部外者が魔術師の研究室に出入りすることはできない。建物に入るだけなら意外にも出入り自由だが、各人の研究室はその例外。主の許可なく立ち入れば殺されても文句は言えなかった。


ノエルやサリアがこうしてここにいられるのは、オスカが個別に許可を与えているから。更に付け加えるなら、ノエルはオスカと雇用契約を結んだ際、【誓約ギアス】の呪文で室内の物を許可なく外に持ち出したり、見聞きしたものを口外できないよう行動を縛られていた。


「そこまでしようとは考えてませんよ。そうですね……導師せんせい、そもそもどうして自分の部屋が片付かないか、理解してますか?」

「えぇ……?」


オスカは唐突な質問に顔を顰めた。それが分かっていれば苦労しないといった表情だ。


「部屋なんてのは基本的に要らないもの、ゴミさえ捨てておけばそれほど散らかることはありません。じゃあ導師せんせいがゴミを捨てられない理由は何でしょう?」

「それは……面倒だから?」

「具体的にどの辺りが?」

「どの辺り……仕分けしてわざわざ地下の処理場に運ぶところかなぁ」


問題を分解し、整理する。ノエルはその言葉を聞くと、ニコリを微笑んだ。


「じゃあ、部屋の外に篭か何か置いておいて、そこにゴミを突っ込んでおけば後は誰かが分別から運搬まで全部処理してくれるとしたらどうです?」

「そりゃ、外に出すだけでいいなら──」


そこまで聞いてオスカはノエルの言わんとすることを理解した。


「つまり、ノエル君はそういうゴミ処理専門の人間を雇ったらどうかって言ってるのかい?」

「平たく言えば」


オスカは頭の中で発生するゴミの量や頻度、人に任せた場合の仕事量、発生する賃金相場などをシミュレーションした。


「……ふむ。僕の研究室だけなら大した仕事量にはならないし人を雇うのは難しいだろうけど、学院全体で取り組めば一人、二人分くらいの仕事量にはなる……のかな? それにしたって大した給料は出せないだろうから雇うなら普段暇してるおばちゃんパート──いや、それなりの体力がないと荷物を持っての階段の上り下りは厳しいか? というか学院って一般の人から評判悪いし来てくれる人いるのかな? 教授会で提案上げてもケチつけてくる人間がいそうだし……」


ブツブツ呟きながら考え込んでしまったオスカ。その反応はあまり芳しいものではない。


だがノエルはそこで敢えて風呂敷を広げるように話を展開した。


「僕はいっそ、これを学院だけじゃなく街全体で取り組んだらどうかと考えています」

『………は?』


オスカとサリアが耳を疑う様な声を出す。


「ちょ、オスカの身の回りの世話から話が大きくなりすぎなんだけど……は? 街全体っていったい何を──」

「──ひょっとして、昨日の夜した糞尿処理の話をしてるのかい?」


オスカがピンときた様子で言う。ノエルはその言葉に笑みを返した。


「……もしそうなら、昨日も言った通り少し無理があると思うな。学院だけじゃ処理するゴミの量が足りないなら都市全体で取り組めばいい。その発想はわかるけど、そこまで話を広げたら正式な事業として採算性や継続性を考える必要がある。でも収入として見れるのは掃除の手間を省きたい人間から徴収する手間賃と、ゴミを処理してできた肥料の販売代金ぐらいだろう? 今の段階で行政を巻き込むのは難しいだろうし、まともな事業として成り立つとは思えないな。ついでに言うなら、ゴミ処理なんてキツくて汚くて大変な仕事だ。誰もやりたがらないと思うよ」


オスカの指摘は正しい。

学院や街中からゴミを集めて、手間賃とゴミを処理して作った肥料を販売して収益を得る。言うは簡単だが、ゴミを片付けてもらえる手間賃など微々たるものだろうし、肥料を販売するというのも諸々のコストを差し引けば大した収益にはなるまい。そもそも販売ルートの確保だって簡単なことではない。行政が街の美化を意識して協力してくれれば話は別だが、都市の人間はゴミに関して鈍感だ。議会が予算を認めることはあるまい。


そうした問題点は当然、ノエルも認識していた。


「じゃあ、採算が成り立つ程度──辛うじて飯が食える程度の低賃金でそのキツイ仕事をやる人間がいたとしたらどうです?」

「はぁ?」


顔を歪めておかしな声を出すオスカに構わず、ノエルは続けた。


「肥料については最悪すぐに売れなくてもいい。自分たちで野菜を育てて食べるって方法もあるし、学院の薬学部門を巻き込んで薬草園向けに使うなりすれば最低限の収入にはなるでしょう」

「いや、待ってくれ。そりゃ、確かにそれが出来るなら事業として成り立つかもしれないけど、そもそもそんな人間がどこに──」

「──ひょっとして、貧民窟の連中にやらせようとしてる?」


困惑するオスカの疑問に答えを返したのは、ノエルではなくサリアだった。


「ええ。仕事内容そのものは決して複雑なものじゃない。貧民窟にも多少学のある大人はいるでしょうし、適当な人間に監督させて子供たちに仕事を任せれば──」

「できるわけないじゃない」


サリアの言葉は平静を装っていたが、奥底には隠し切れない苛立ちと微かな怒りが滲んでいた。


「まさかそれで子供たちに仕事を与えて、貧民窟の状況を変えましょうとか安易なこと考えてる? いや、別に考えてくれるのは悪かないけど、そんな簡単な話なら誰も苦労しないわよ」

「分かってるつもりです」

「分かってないわよ! いい? 確かにその程度の仕事ならあそこの子供たちでもできるかもしれない。だけど、たとえ仕事があったって──」

「まあ聞いて下さい」


ノエルはあくまで冷静に、落ち着いた表情でサリアを制した。


「貧民窟の人間に仕事を与える上で、問題は大きく三つ──ああ、人集めに関してはここには入っていません。それに関してはサリアさんとエルザさんが協力してくれれば解決し得る問題だと思っていますので」

「……協力するなんて一言も言ってないけどねー」


苛立った様子のサリアを軽く流し、ノエルは説明を続ける。


「まず一つ目。商売を始めても他の人間に真似されれば、貧民窟の人間では太刀打ちできない──これに関しては今回はそもそも問題になりません。先ほど導師せんせいが言った通り、キツクて稼げないゴミ集めなんて誰もやりたがらないでしょうから」

「……それは貧民窟の人間も一緒でしょ。貧乏ってのは、別に安い仕事にも飛びつくって意味じゃあないのよ? むしろそれが出来なくて落ちぶれた人間も多いんだから」

「おっしゃる通り。それが二つ目の問題です」


半眼でツッコむサリアに、ノエルは否定することなく頷いた。


「仕事である以上、それに見合った対価を提供しなくてはならない。ただ、この事業はどう考えても大した賃金は払えない。真面目に働いても日々食べていくので精一杯でしょう」

「でも君はそんな仕事をさせようとしてる。そういうの何て言うか知ってる? 搾取って言うの」

「ええ。金銭以外に彼らに与えられるものがないとしたら、そうなります」


ノエルの言葉にサリアは我慢できなくなったように嗤った。


「ハハッ! 金以外に与えらえるものって何よ!? ヤリガイとか? ジュウジツカンとか言っちゃう!? なんかお姉さん、聞くだけで全身が痒くなってきちゃうわぁ~!」

「いえ。流石にそこまで黒いことを言うつもりはありませんよ。まぁ、目に見えない報酬という意味ではその通りですが」

「は? 何それ、トンチ?」


顔を顰めるサリアに、ノエルはゆっくりかぶりを横に振り、告げた。


「いえ、僕が言っているのは──」


ノエルのその説明にサリアは当初訝し気な表情をしていたが、その意味を理解するにつれ徐々に真剣な表情になって黙り込んだ。


そんなサリアに代わって、横で説明を聞いていたオスカが相槌を打つ。


「……確かに。そう言うことなら、全員が全員という訳にはいかないだろうけど、中にはその仕事に参加してくれる人もいるだろうね。いや、勿論彼らがきちんと意味を理解してくれるというのが大前提だけど、そこはまぁ……」


オスカは言葉を暈してサリアに視線を向ける。


口元に手を当て黙考していたサリアは顔を上げ、ノエルを睨んで口を開いた。


「……三つ目の問題は?」

「それは勿論、マフィア側の妨害です」


その言葉にサリアとオスカは納得したように深々と頷いた。


「確かにそれは問題だね。マフィアたちからすれば、貧民窟の人間がまっとうな仕事を得るということは自分たちの手駒が減ることと同義だ。必ず邪魔をしてくるに決まってる」


オスカはそこで言葉を切り、ノエルに釘を刺す。


「念のため言っておくけど、学院をマフィアに対する後ろ盾にと期待してるのなら無駄だよ? 確かにマフィアの多くは僕ら魔術師と敵対することを避けているけど、それは決して無条件に白旗を上げるという意味じゃあない。こちらが彼らの領分を侵せば、彼らは反撃することを躊躇わないだろう。そして僕らは肉体的には脆いからね。なりふり構わずゲリラ戦や闇討ちを仕掛けられたらたまらない。マフィアが学院を恐れているのと同様に、学院としてもマフィアは決して敵に回したくない相手なんだ」


魔術師は強大な力を持つが、決して無敵の存在ではない。戦場で正面から敵と相対するならまだしも、手段を選ばず都市内で襲撃されれば呪文で防ぎきるのは不可能──ではないが相当難度が高かった。


そうした学院と魔術師の立場を理解していたノエルは、深々と頷き、口を開く。


「ええ。なのでそれに関しては直接出向いて、話を付けてこようと思います」

『…………は?』




その僅か数時間後。


スラムの一角にあるカモーレ・ファミリー幹部、ロッソが管理する事務所の応接室で、ノエルはマフィアたちと向かい合っていた。


「急な面会の要請に応じて頂きありがとうございます」

『…………』


慇懃に感謝を伝えるノエルだったが、相対するロッソたちマフィアの視線は彼ではなく──


「……ク、クゥ~ン?」


首輪でノエルが持つ縄に繋がれ、四つん這いで犬の真似をさせられている貧民窟の少年──コートに向けられていた。

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