第31話
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エルザが死んだ。
飢えた子供を助けようとし逆上したその子供に殺された。
貧民窟の人間が彼女をロッソに献上すればいいと思い付き、揉み合いになって殺された。
投げつけられた石の当たり所が悪く命を落とした。
教会の上役がマフィアの仕業に見せかけ殺した。
意味も理由もなく男たちの慰み者となり、絶望して自死を選んだ。
マフィア同士の因縁に巻き込まれ殺された。
救った子供が殺人を犯し、その遺族に責められ殺された。
救おうとした者たちに殺され、踏みにじられる。
死、死、死、死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死────
死んだのはエルザだけではない。
サリアが義妹を殺した孤児たちを皆殺しにした。
マフィアや教会に殴り込み返り討ちに遭う未来もあった。
サリアを庇ったオスカ導師がマフィアと敵対してしまい、闇討ちされて命を落としていた。
教会とマフィアが衝突することもあれば、政府が貧民窟を焼き払い住民を排除して都市開発を進める光景も見えた。
エルザの支援で前を向き真面目に働こうと決意した孤児が、大人たちに利用され死んでいた。
孤児たちを支援し仕事を与えた善良な大人が、商売の邪魔だとそれを良く思わない人間に殺された。
エルザを慕う人間とそうでない人間とが殺し合っていた。
形は違えど。経緯は違えど。何度繰り返しても。
人が死んでいく──血と涙を流して。
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「────」
頬を撫ぜるプニプニした感触に意識が覚醒する。
薄っすら瞼を開けるが、辺りはまだ暗い。
「大丈夫?」
耳のすぐ近くから聞こえたリュミスの声に、ノエルは頬に置かれたそれが彼女の肉球であることを理解した。
「……ごめん。うなされてた?」
「ううん。ただ何となく、そうかなって」
「そう……ありがと」
宿泊先の馬房に寝転がったまま、ノエルはリュミスと短くやり取りを交わす。そして薄っすら額に浮かんだ汗を袖でぬぐうと、上半身を起こしてかぶりを巡らせ周囲を確認した。
馬小屋の入口から星の光が薄っすら差し込んでいる。とても静かで、自分たち以外に活動している者の気配はない。
ノエルは手探りで水袋を探りあて、乾いた口の中を潤す。そして深々と長く細い息を吐いた。
「……また例のアレ?」
「うん。いや、来るかもと警戒はしてたけど、今回は手を変え品を変えしつこかったね」
そう囁き合う一人と一匹の視線は、ノエルの右手に嵌められた指輪に向けられていた。
この『支配の指輪』には、その所持者に自分の力を使わせようと幻を見せる性質──いや、意思がある。その幻は指輪を使った輝かしい未来であったり、使わなかった場合の陰鬱な未来であったりと様々で、突然白昼夢のように情景を見せられたこともあれば、夢の中で嫌がらせのように繰り返されることもあった。
特に最近は、幻の内容が力があるのに使おうとしないノエルを責めるような内容となっていて──
「大丈夫?」
先ほどと同じ言葉を繰り返すリュミスに、ノエルは微笑み安堵させるように息を吐く。
「……うん。大丈夫だよ」
嘘ではない。旅に出た当初はこの幻にうなされ夜中飛び起きることもあったが、今はもうそんなことはない。平気ではないが、大丈夫だ。
「ただそうは言っても、夜中しつこいのは勘弁してほしいもんだね。寝ても全然疲れがとれた気がしない」
「あ~……夢見てる間は脳が動きっぱなしだもんね」
おどけて肩を竦めるノエルに、リュミスは調子を合わせ苦笑を返した。
「まだ太陽が昇るには時間があるし、もうひと眠りしたら?」
「ん~……」
具体的な時間は分からないが、酔っ払いの騒ぎ声も聞こえないということは、既に深夜は大きく回っているのだろう。ここから半端に眠るというのは正直微妙な気がした。
「……いや、またあの詰まらない夢を見せられても嫌だし、朝が来るまでこのまま起きてるよ」
「そ」
そう言ってリュミスは藁でこしらえた自分の寝床に戻るでもなく、その場に丸まってノエルの顔を見上げる。どうやら話し相手になってくれるつもりらしい。
珍しい彼女の気遣いに素直に感謝し、ノエルは馬房の薄い壁に背中を預け、愚痴を吐き出した。
「……これまでは単純に、使わなきゃお前が死ぬぞってやつが多かったけど、今回は罪悪感を煽ってくるパターンだったよ」
「何もしなきゃエルザさんが死ぬとか、そういうの?」
リュミスの相槌に頷きを返す。
「うん。それだけじゃなくて昼間襲ってきたような馬鹿どもが野垂れ死ぬとか、キレたサリアさんがやり過ぎて奴隷落ちするとか色々。僕がそれに同情するとでも思ってるのかね?」
「さぁ……でも今回は何もしなくてもホントに人死にが出たり悪い結果になるとは限らないものね。取り敢えず色んなパターン見せて反応をみようってことなんじゃない?」
どうでもいい内容の方が誘い方がしつこいってのも迷惑な話ねぇ、とリュミスがケラケラ笑った。
「ま、今回の件はあんたには無関係なんだし、しつこいようならとっととこの街を出るのも手じゃない? 仕事と美味しいご飯は惜しいけど、ストレス溜めてまで留まる必要はないでしょ」
「…………」
「何よ、その意外そうな顔は?」
リュミスに言われて、ノエルは自分が目を丸くしていたことに気づいて頬をかく。
「いや……普段はどっちかというと『我がまま言わずに指輪を使え』って言われてるイメージがあったから……」
「バ~~ッカじゃないの」
リュミスが半眼で呆れた声を出す。
「普段私が指輪を使えって言ってるのは、それが生き延びるために必要だったり、あんたの為になるからでしょ? 今回みたいな町のいざこざの解決に一々指輪の力を使って何の意味があるのよ。むしろ追手に『ここに指輪があるかも』って知らせるようなものじゃない」
「……そりゃそうだ」
言われてみれば、リュミスはこれまでずっとノエルが指輪を使おうとしないことに苦言を呈してきたが、それはいずれもノエルの身を案じてのことだった。それ以外の──例えばリュミス個人の願望を叶えるような目的で、彼女が指輪を使えと言ったことは一度もない。
「なに? 指輪の意志とやらに『お前が力を使わなかったせいで人が死ぬんだ』とか責められた?」
「いや。今回は直接の対話はしてないよ。ただまぁ、言わんとしてるのはそういうことなんだろうね」
「……力を持つ者の責任がどうとか、そういう戯言系のアレね。分かってると思うけど──」
「心配しなくてもそこまで思い上がっちゃいないよ」
リュミスの言葉に肩を竦める。
「出来るからしなくちゃならないなんて道理はない。他人の人生に責任を負うつもりなんてサラサラないよ」
「……ならいいわ。もしこの先、あんたが指輪を使わなかったことで不幸になる人間が現れたとしても、そんなのは当たり前のことなの。人よりちょっと長い手を手に入れたからって、そこに罪悪感を感じるのはただの傲慢。そのことを忘れちゃ駄目よ?」
ノエルは他の人より大きな力を手にしたが、その力に何か責任が伴うとは考えていない。
そんなものは他人の力に寄生したい自称弱者の言いがかりだ。
そもそも不幸な他人を救いたいなら特別な力など必要ない。ちょっと貯えを寄付するとか、親切にするとか、誰にでも出来ることは幾らでもある。だが他人に献身や奉仕を求める人間に限って、何だかんだと言い訳して自分では何もしようとしない。
勿論、人それぞれできることには限界がある。指輪を持つノエルにしかできず、救えない人々も存在するのだろう。
だがそれを理由に気に病むのは傲慢だとリュミスは言い、ノエルも全く同意見だった。同意見では、あるのだが──
「…………」
「分かってても、気分は良くない?」
リュミスに内心を言い当てられ、ノエルは誤魔化すことなく素直に頷いた。
「……まぁ、そりゃあね」
自分に責任はないと理解していても、理屈と感情はまた別の話だ。
自分が手を差し伸べなかったせいで人が死ねば、誰だってショックぐらい受ける。その可能性の光景を、夢の中で延々突きつけられたのだから、気にするなという方が無理があった。
そんなノエルの胸中を察し、リュミスは現実的な提案を口にする。
「エルザさんのことが心配なら、明日──いやもう今日か──サリアさんに相談して、本人に貧民窟から手を引かせるよう説得する? 実際、彼女がこれ以上関わる事で周囲へのリスクもあるわけだし、あんたなら上手く丸め込めるでしょ?」
リュミスはエルザを気にかけていたので、元々ノエルが起きたらそう提案するつもりだったのかもしれない。
確かにエルザを説得することはできなくもない、と思う。論理的に、彼女自身が火種になり得るリスクを指摘すれば、少なくとも炊き出しを安全な場所に移動させることはできるだろう。貧民窟への配給は教会と同様マフィアの手駒を減らしたいだろう憲兵隊に任せてもいい。エルザの求心力は落ちるだろうが、そうなれば彼女がマフィアや貧民窟の人間に狙われるリスクは大きく下がる。
展開によっては教会が炊き出しを止めることも有り得るが、優先すべきはエルザの安全だ。エルザの感情や、貧民窟の人間のことを棚上げすれば、やりようはいくらでもあった。
「……エルザさんの意思を無視するようなやり方は気が進まない?」
ノエルがあまり乗り気でないのを見て取ったリュミスは首をコテンと傾げる。彼女自身、そういう想いはあるのだろう。声や態度に責めるような雰囲気はなかった。
一人の大人が覚悟を持って取り組んでいることを、周りの人間が『心配だから』と邪魔をしていいのか。リュミスだけでなく、サリアも、恐らくオスカ導師も同様の悩みを抱き、エルザを止められずにいるのだろう。
「まぁ……それもある」
だがノエルが迷っていたのはエルザだけが理由ではなかった。
「それもってことは他に何が……ひょっとして貧民窟の連中を見捨てる形になるのを気にしてる?」
「ん~……」
冗談のつもりで言った言葉に否定の反応が返ってこず、リュミスは顔を顰めた。
「……ちょっと、冗談でしょ? そこまで気にしたら傲慢どころの話じゃないわよ。あいつらは恩人を平気で切り捨てられるような善悪のない獣の集団だって言ったのはあんたじゃない。あんただってしょうもない理由で襲われたばかりでしょ。いつからそんな博愛精神に目覚めちゃったわけ?」
似合わないから止めろというリュミスに、ノエルは自分の考えを整理するように言葉を選びながら口を開く。
「別に僕は、あの連中を救ってやりたいなんてこれっぽっちも考えてないよ。見ず知らず──というか、襲われた分印象マイナスの連中がどうなろうと知ったこっちゃない。エルザさんの気持ちにしたって、今日初めて会った人にそんな感情移入してるわけでもないから、正直どうでも……」
「……別にそこまで言わなくてもいいんだけど」
博愛精神がマイナスに振り切れていたノエルに、リュミスが呆れながら尋ねる。
「なら、一体何が引っかかってるわけ?」
「何が、か……」
問われて、ノエルは昼間自分を襲ってきた愚かで弱い少年を思い返し──かつての■■の姿がそこに重なる。
「──ムカついてるのかね」
「え?」
「いや……弱っちい奴がイキってるのは目障りだって話さ」
呟き、馬小屋の外に視線を向ける──夜はまだ、明けそうになかった。




