第28話
「……ノエル、気づいてる?」
「いんや。どこ?」
「左後方。空き箱の影」
「サンキュ」
夕方。憲兵隊の詰め所前でサリアと解散したノエルとリュミスは、一度オスカの研究室に顔を出しておこうと学院に向かっていた。
憲兵隊の詰め所から学院までは通りに沿って歩くと倉庫街を迂回する形となる為、そこそこ距離がある。ルベリアに滞在して今日で丁度一〇日目。この街の地理にも詳しくなってきたノエルたちは、ごく自然な動作で倉庫街を突っ切る細道へと入っていった。
倉庫街は人の多い場所と、そうでない陰の場所がはっきりグラデーションとなったエリア。そして今ノエルたちが歩いている狭い路地は建物に挟まれた陰の部分に相当する。
こんな場所では通行人のちょっとした心の隙を突き、良からぬことを考える輩もいるわけで──
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──バサバサバサ
「────?」
無防備な魔術師の背に襲い掛かろうと今まさに柱の陰から飛び出そうとした瞬間、上空から聞こえてきた羽音に少年はビクリと驚き足を止めた。
「『対象指定 神経 固定──【金縛り】』」
続いて聞こえてきたのはこちらに背を向ける魔術師の囁くような声。
何だ?──そう思った瞬間には、全てが終わっていた。
「────!??」
身体が動かない。それどころか声も──眼球を動かすことさえできなくなっていた。
『カァ!』
頭にドスッと何かがのしかかり、爪を立てられたような軽い痛みがはしる。だが今の彼にはそれを振り払うどころか、その正体を確かめることさえできそうになかった。
「う~ん……?」
混乱して頭が真っ白になっていたのだろう。いつの間にか追っていた魔術師が目の前に立ち、こちらの顔を覗き込んでいたことに遅れて気づく。
魔術師は眉根を寄せて記憶を刺激するように顎を指でなぞり、やがて思い出したようにポンと手を叩いた。
「あ~! どっかで見たと思ったら、昼間ぶつかってきた人だ! 確か……コート、だっけ?」
その声は敵意も害意もない穏やかなものだ。
それでも、指一本動かせない状態で至近距離でマジマジと観察される──ただそれだけのことがとてつもなく恐ろしくて、コートは軽い気持ちで魔術師に手を出そうとしたことをこの時、深く後悔した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれ? お~い?」
「────」
ノエルが顔の前で手を振り呼びかけても、コートと呼ばれていた少年はピクリとも反応しない。
これはどういうことだろうとノエルが首を傾げていると、その答えは足元から聞こえてきた。
「……いや、あんたが首から上まで縛ってるから反応できないんじゃないの?」
「あ」
リュミスの指摘でノエルは使い慣れない呪文で自分がミスをしていたことに気づく。
コートの頭の上に乗っているカラスのファウストに念話で周囲を警戒するよう指示して飛び立たせた後、ノエルは改めて呪文の対象からコートの頭部だけを外した。
「──っ! ぶは……っ!?」
コートは再び喋れるようになったことに困惑しつつも、直ぐにキッとノエルを睨みつけた。
「テメェ、いきなり何しやがんだ!? とっととこの呪いを解け!!」
しかしその目と声音には隠し切れない怯えが宿っていて、ノエルを威圧することは叶わなかった。
呆れるノエルに代わってツッコミを入れたのは、足元にいたリュミス。
「いやいや。そういう文句はせめて右手のナイフを隠してからにしなさいな。流石にその格好で惚けるのは無理があるわよ」
その言葉にコートはヒュッと息を呑み。
「──ね」
「?」
「猫が喋ったぁぁぁっ!?」
『…………あ~』
うっかり普通の猫のふりをするのを忘れていたことに気づき、間の抜けた声を出すリュミスとノエル。あまりにお粗末な襲撃だったので気が抜けていた。
実はその前にもリュミスはコートの前で言葉を発していたが、その時はコートの身体は完全に拘束されていたため、視界にリュミスの姿が入っていなかったのだろう。
ノエルとリュミスはキャンキャン騒ぐ少年に『めんどくせ~』と溜め息を吐いた。
ここで簡単にノエルたちの行動を振り返っておこう。
まず最初にコートが自分たちを付けてきていることに気づいたのはリュミス。ノエルはリュミスからの警告を受けて、街中で自由にさせていたカラスの使い魔ファウストを呼び寄せ、コートの姿を補足した。
ただ付けられているというだけの理由でいきなり攻撃や拘束をするわけにもいかない。しかしかと言ってずっと付き纏われるのも気持ちが悪い。
そう考えた彼らはさりげなく人気のない場所に向かい、コートがアクションを起こしやすい状況を整えてやった。
後はコートがナイフを抜いたのを見計らって、ファウストが呪文の射程距離までコートに接近。対象の動きを縛る第二階位呪文【金縛り】でコートを拘束した、という流れだ。
ちなみに【金縛り】は決まれば勝ちの非常に便利かつ強力な呪文だが、ノエルはこれまで襲撃者の性質上「一対多」のシチュエーションで襲われることが多く、この呪文を活かせる場面が少なかった。その為、今回は慣れない呪文行使で、相手を縛り過ぎてしまうという失敗を犯している。
「化け──」
「何で驚いてるのよ。魔術師が連れてる猫なんだから、言葉ぐらい話しても不思議じゃないでしょ」
「──……それもそうか」
騒いでいたコートは、しかしリュミスの雑な説明にあっさり納得してしまった。
「……それで納得しちゃうんだ」
これには頭の中で色々言い訳を考えていたノエルは苦笑いするしかないが、所詮相手は魔術の知識どころかまともな教育を受けているかも怪しい子供だ。理屈をこねるより勢いで押し切る方が正解だったのだろう。
「落ち着いたところで教えて欲しいんだけど、何で僕を付けてきてたのかな? 君とは昼間ぶつかったのが初対面だろ? 流石に恨まれるような覚えはないと思うんだけどなぁ」
ノエルの声は襲われそうになった直後だというのに全く気が抜けていた。最近は襲撃されるのが日常茶飯事になりつつあったというのもあるが、それ以上にコートの襲撃があまりにお粗末で気を削がれてしまったのだ。
「…………」
コートは目を逸らす。気まずいというより、拗ねたような表情だ。
その態度に、ノエルは『ああ、ここまで何も理解しないまま育ってしまえるのだなぁ』と、自分より身体の大きな少年に憐れみさえ抱いていた。
「喋る気がないならそれでもいいけどね。こっちは君を憲兵に突き出すだけだから」
「…………」
コートの表情に動揺はない。恐らく、憲兵にしょっ引かれること自体は初めてではないのだろう、が──
「罪状は殺人未遂だから実質無期の奴隷落ちってとこかな。買い手に条件が付くかどうかは担当官次第だ。いいご主人に買われるといいね」
「──はぁっ!? 奴隷落ちってなんだよ!?」
ノエルの言葉にコートは目に見えて動揺する。やはり分かっていなかったらしい。
「なんだもなにも、他者の生命に危機を及ぼす重犯罪は奴隷落ちが原則でしょ? まさかそんなことも理解していなかったの?」
この大陸では一部の例外を除き、一時的に罪人を拘留する「牢屋」はあっても、所謂「刑務所」のようなものは存在しない。これは罪人を収監して管理するコストやリソースが非効率だと考えられているからだ。
その為、犯罪者は軽微な犯罪であれば罰金刑、罰金が払えなければ鞭打ちなどの体罰+短期間の奉仕活動が課され、一定以上の重犯罪であれば原則奴隷落ち、更に国家反逆罪などの重大な罪を犯した者は死罪というのが、大陸における一般的な「刑罰」とされている。
「それとも、捕まっても鞭で打たれるだけで許してもらえると思ってた?」
「…………っ」
だが目の前の少年はそうした常識に触れる機会さえなく、罪を犯すことを甘く考えていたのだろう。手に持っているナイフは刀身が短く、しかも錆びていて殺傷力があるようには見えない。ヤンチャそうに見えて、これまで傷害沙汰までは起こしてこなかったようだ。
最後のプライドか喚きたてるようなことはなかったが、コートの顔は真っ青だった。
正直ノエルとしては彼がどうなろうと知ったことではない。しかし自分が狙われた理由だけはハッキリさせておきたかった。
流石にぶつかっただけで襲われたとは思わない。背後に誰かほかの人間がいるのなら確認したいし、もしそれが指輪絡みなら早々にこの街を離れることも考えなければならなかった。
「もう一度聞くけど、何で僕を狙ったのかな?」
「…………」
ノエルは長杖の先をコートの頭に付きつけ、冷めた表情で尋ねる。
コートはしばしの沈黙の後、こちらを窺うような上目遣いで口を開いた。
「……教えれば、見逃してくれるか?」
「それは君の態度次第だね」
コートはその答えに鼻白むが、ノエルが長杖を動かすのを見て何か痛い目に遭わされると考えたのだろう。観念して口を開いた。
「……エルザが邪魔だったんだ」
『…………ほう?』
予想外の答えにノエルとリュミスが目を丸くする。
ノエルは自分の聞き間違えかとも考え、念のため確認した。
「え~っと……僕じゃなくて、エルザさんが邪魔だったの? エルザさんってあの、炊き出しやってる若い女の人のことでいいんだよね?」
「他に誰がいるんだよ」
同姓同名の人間はいくらでもいるだろ、というツッコミを呑み込み、ノエルは言葉を続けた。
「なるほどなるほど。エルザさんが邪魔で、それで僕を狙ったわけか。うんうん…………何で?」
それっぽく一旦受け入れてはみたものの理由が全く分からない。論理の飛躍どころの話ではなかった。
「…………」
「何で?」
「いや、私に聞かれても……」
リュミスに聞いてみても答えは返ってこない。だが、少なくとも分からない自分がおかしいわけではないと確認できて、ノエルは少しだけ安堵した。
疑問の視線を受けて、やがてコートがポツリポツリと話し出す。
「……昼間、お前らがロッソさんたちと揉めたところを俺も隠れて見てたんだ。俺は馬鹿だからよく分かんねぇけど、お前が邪魔したからロッソさんは引かなきゃならなかったんだろ? だからお前がいなくなりゃ、その内エルザも貧民窟に来なくなると思って……」
「えぇ……? それで僕を狙ったの? エルザさん本人狙った方が早くない?」
「こらこら」
リュミスからツッコミが入るが、しかしそんな理由で狙われたと身としては言わずにはおれなかった。
「……エルザは、あの辺の連中に人気があるから」
「え? まさか自分が襲ったなんて知れたら、周りの連中に何されるか分からないから襲えませんって?」
「…………(コクリ)」
──えぇ~……ふざけんなよこの根性無しが……
罵声を胸中で噛み殺し、ノエルは深々と溜め息を吐く。
その態度をどう解釈したのかコートは弁解するように言葉を続けた。
「そ、それに、エルザにはロッソさんがちょっかいかけてるから、俺が何かしたなんて知れたらロッソさんにも何されるか……」
「いや、その気持ちは分からんでもないけどもさぁ……」
「あと、お前魔術師ってことは貴族か金持ちの子供なんだろ? 大人たちはみんな貴族や金持ちは悪い奴だって言ってたし──」
もう溜め息も出ない。
実際、魔術を学ぶには金がかかるし、一般的に魔術師はそれなりに裕福な家の人間だというコートの認識は決して間違いではなかった。ノエルも面倒なので『自分は孤児だ』などと一々訂正する気はない。ないのだが──あまりにお粗末すぎて頭が痛くなるのはどうすればいいのだろう?
「……あのさぁ、コート君」
「何だよ」
「君が僕を悪い奴だと思うのは勝手だけど、そういう人間に手を出したら仕返しされて酷い目に遭うとか考えなかったの?」
「…………あ」
絶句し、顔を蒼白にするコートに、ノエルはまともな対話を諦めた。
多分彼は善悪以前の段階にいる生き物なのだ。まともに相手をしても意味がない。
「ま、いいや」
割り切って、ただ必要な情報を引き出すことに専念する。
「僕を狙った理由はもういいけどさ。そもそも君がエルザさんを邪魔に思う理由は何? 君らからしたら、彼女はわざわざ炊き出しにきてくれる恩人──いや、少なくともただ飯食わせてくれる便利なお姉さんではあるんじゃない? 何であの人を追い払う必要があるのさ?」
「…………」
コートはその問いかけに複雑そうな表情でしばし黙り込み、その理由を口にした。
「だって、エルザがいると俺は──」




