第26話
「もう! 何やってるのよ、サリア姉さん!!」
「いやぁ、どうせいつもの嫌がらせだろうと思ってつい──」
「ついじゃないわよ! 暴力で解決しようとするのは止めてっていつも言ってるでしょ!?」
「あれは暴力っていうか相手に合わせた高度な肉体言語による対話で──」
「どこが──!」
助けられたエルザが助けに入ったサリアを地面に正座させ説教している。小柄で幼い雰囲気のエルザが怒っても迫力は皆無だが、本人はいたって真剣だ。にも拘らずサリアに全く悪びれる様子が無いことがエルザを余計にヒートアップさせていた。
終わりの見えない説教が続く一方、巻き込まれた形のノエルは──
「は~い。食べ終わったらお椀はそこの桶に入れておいてくださいね」
「ありがと、お兄ちゃん!」
忙しいエルザに代わって炊き出しのシチューを貧民窟の人々によそっていた。
列に並んでいた幼い少女がお礼を言って嬉しそうに仲間たちのところへ駆けていく。これで目につく人々には一通り配膳し終えただろうか?
この貧民窟の住人は意外に行儀がよい。もっと欲しいとわがままを言ったり、二度三度と列に並びなおすようなこともなかった。それは単に憲兵であるサリアの目を気にしてのことかもしれないが、おかげで予想よりずっと配膳はスムーズに進んだ。
「ミャ~」
「……君がお代わりするんか~い」
リュミスが空になったお椀を咥え、足元でお代わりを催促していた。
ノエルは周囲の住民の様子を見渡し、残り三分の一ほどになった鍋の中を覗き込む。
──ま、余ってるみたいだし、文句言われることもないだろ。
ノエルは何か言われたら自分の分をやったと説明すればいいと考え、リュミスの皿に半分ほどシチューを追加してやる。ちなみにネギ類など猫に食べさせてマズいものが入っていないことは事前に確認していたが、よそう際には目視で一つ一つ確認しながら具を入れた。
「ほい。太ると運ぶのも大変だから、これでホントに最後ね」
「シャーッ!」
リュミスは太るという言葉に一瞬鋭く抗議の声を発し、しかしすぐさま再びお椀の中に顔を突っ込みシチューを食べ始めた。顔の毛がベタベタになっていたので、後で拭いてやらなきゃなと、ノエルは面倒くさそうに溜め息を吐く。
「──ごめんなさい! 結局全部お願いしちゃって……」
説教を終えたらしいエルザとサリアがノエルたちの方へと近づいてきた。エルザは部外者のノエルに配膳を任せてしまったことに申し訳なさそうにしていたが、サリアは全く気にする気配もない。
「ん、ご苦労」
「姉さん!!」
「はいはい。それより私もお腹空いた~。ノエル君もまだ食べてないよね? 一緒に頂きましょ」
「あ~……」
ここに連れてこられた話の流れからして、そういうことなのだろうとは思っていたが『それはアリなのか?』とノエルは曖昧な呻き声を出す。
既にリュミスに食べさせていて今更かもしれないが、この炊き出しは貧民窟の住民のためのものだ。普通に食事を得られる自分たちがご相伴に預かるというのはどうなのだろう?
そのノエルの迷いを察してエルザが口を開く。
「遠慮しないで? 量は余裕をもって準備してあるし、姉さんも都合が合う時はいつも一緒に食べてるから──あ! でも、学院の生徒さんってことはいいとこの子だよね? えと、勿論お口に合わないようなら無理にとは──」
「あ~はいはい。この子はそういうんじゃないから大丈夫。ということで、一緒に食べるよね?」
「……はい」
こうまで言われては遠慮する方が失礼だろう。ノエルは素直に頷き、自分を含め三人分のシチューを新たによそった。
「へ~、じゃあ姉さんって言っても血が繋がってるわけじゃないんですね」
「うん。私が教会で働き始めた時に何度も助けてもらって、何となく“姉さん”って呼ぶようになったんだ」
「ふふん。まぁ、私の溢れ出る姉力がそう言わせてるってことよね」
崩れた石壁のブロックを並べて腰掛け、食事をしながら雑談を交わす。
話題の中心はエルザの身の上とサリアとの関係について。
まずエルザは大陸でもっとも広く信仰されている女神様の僧侶。童顔で幼く見えるが年齢は二十一歳で、この炊き出しは彼女が教団内で提案し実現したものらしい。
しかしこうした治安の悪い場所にうら若い女性が立ち入ればトラブルはつきもの。貧民窟での活動中に住民に絡まれていたエルザをサリアが助けたことが切っ掛けで二人は知り合ったのだそうだ。
何度かフォローする内にエルザから『姉さん』と呼ばれるようになったサリアは、姉貴分としてエルザが炊き出しをする時にはできる限り都合をつけて警備代わりに立ち会うようになった。
住民たちの行儀がいいのはそんなサリアの奮闘の成果。
今ではこうして週二回の炊き出しに併せ、一緒に食事をするのが定例となっている。
ただ最近は本人が言うところの『姉力』が溢れすぎているのか、先ほどのようにサリア自身がトラブルを起こすことも少なくない、とエルザは苦笑いしていた。
「そんなこと言ったって話の通じない連中が多いんだから仕方ないじゃない。エルザこそ、もう少し場所を選びなって前から言ってるでしょ?」
サリアが唇を尖らせ反論すると、今度はエルザが眉根を寄せて困った表情になる。
「そういう訳にはいかないわよ」
「むくれた顔しないの。私も別に炊き出しを止めろとまでは言ってないでしょ。ただやるならもう少し治安のいい場所で、炊き出しが必要な人間には自分から出向いてもらうようにしなさいって言ってるの」
「もう……それが難しいってことは姉さんも分かってるでしょ」
──ここの住民がわざわざ炊き出しもらいに他所の地区まで出向いたら絶対トラブルになるだろうしね。
人は自分たちと違う生き物を排斥し、攻撃する。ましてその相手が薄汚い貧民窟の住民であれば猶更だ。
貧民窟の人間に手を差し伸べようと思えば、こちらから出向くしかない。ないのだが──
「……部外者が口出しするのはアレですけど、これに関しちゃサリアさんが正しい気がしますね。治安が悪いだけならまだしも、さっきみたいな連中まで絡んでくるんじゃリスクが高すぎますよ」
「ノエル君……」
予想外の方向からの言葉にエルザが目を丸くする。
「あいつらただのゴロツキじゃなくて本物でしょ?」
「ええ。カモーレ・ファミリーって言う本物のマフィア。あのロッソって大男はその幹部の一人ね」
ノエルの確認に答えたのはサリア。
「表向きはエルザに絡んで『俺の女にならねぇか~』ってほざいてるけど──まぁ女に不自由するような奴じゃないし、本音はエルザが目障りで嫌がらせしてるのよ」
「…………」
エルザは否定せず沈黙する。
「マフィアからしたら手駒が減るのは見過ごせないってとこですか?」
「そういうことね」
ノエルの確認にサリアが頷き肯定した。
頭の回らないゴロツキならまだしも、統制されたマフィアが意味もなく周囲と敵対することはあまりない。その相手が教会や憲兵隊など、力のある組織であればなおさらだ。
にも拘らず彼らはエルザに対しあのようなあからさまな妨害行為を行っている。それはつまり──
「この貧民窟の連中はマフィアにとって都合よく使える手駒だからね。あんまり教会に近づかれても目障りってことでしょ」
別に教会が炊き出しをして、食事を与えたからと言って貧民窟の住民が減るわけでも彼らの素行が良くなるわけでもない。だが彼らが外部と接点を持ち、何かあった時そちらに転ぶかもしれない可能性が生じるだけで、マフィアとしてはその使い勝手が大きく低下してしまう。
「…………」
エルザが何も言わないところを見ると、既にこの話題は彼女たちの間で何度も繰り返されてきた内容なのだろう。それでもなおエルザや、その裏にいる教会が炊き出しを止めないということは──
「にしても今日はヒヤッとしたわね。まさかロッソ本人が出てくるとは思わなかったもの。アッサリ引いてくれた助かったわ~」
「それは姉さんがやり過ぎるから──あ! そうそう」
若干重くなった空気を察してサリアが話題を変えると、エルザが思い出したようにノエルに向き直る。
「……ノエル君、さっきは向こうが引いてくれたから良かったけど、ああいうことは危ないからもうしちゃだめだよ? さっきの呪文使って見せたの、ワザとでしょ? いくら君が魔術師で腕に自信があったとしてもああいうのは絶対ダメ。ロッソはただのマフィアじゃなくて──」
「元傭兵だって言うんでしょ?」
ノエルの言葉にエルザはキョトンと目を丸くした。
「あ……うん。知ってたの?」
「いえ。ただ身体つきで何となくそうかなって」
ノエルも最近理解したことだが、傭兵と街のゴロツキやマフィアとでは身体つきにも大きく差が出てくる。それは単純に強い弱いの話ではなく、前者は持久力を、後者は瞬発力と迫力を重視するためだ。
ロッソは長身で筋肉質ではあったものの、迫力を重視するマフィアとしてはやや厚みが物足りない。それであれだけサリアが警戒しているのだから、つまりそういうことなのだろうな、と。
「……そう。とにかく、ロッソは本当に危ない奴なの。マフィアとしては新参で序列はまだ低いけど腕っぷしはこの街一番って言われてて、南部諸国の紛争では二十以上の首を上げたとか──」
「大丈夫ですって」
「むぅ……だからそんな甘いことを言っていい相手じゃなくてね──」
「や、甘く見てるわけじゃなくて。傭兵だから大丈夫だって言ってるんです」
ノエルの言っていることが理解できずエルザはキョトンと目を丸くする。
「……どういう意味?」
「僕は魔術師なのでそもそも戦いにならないって意味です。勿論、真っ当に戦ったら先に死ぬのは僕の方──というか手も足も出ずに殺されちゃうでしょうけど、実戦経験豊富な傭兵ならよっぽどのことがない限り魔術師とことを構えようとはしませんよ」
これは旅に出て、何度も刺客に狙われて理解した経験則だ。
「勝てるのに……戦わないの?」
首を傾げるエルザ、ノエルは口の中で『火精 圧縮』と詠唱し、指先に小さな種火を生み出して説明する。
「魔術師の一番有名な攻撃方法と言えばこの【火球】で、戦場に出てくるような魔術師は大半がこれを習得しています」
ノエルは指先で種火をくるくる弄びながら続けた。
「戦場で魔術師が脅威とされる理由がこの呪文で、僕も一応は使えるんですが──実のところこれ、一流どころが使うならまだしも、僕レベルが使ってもそんな威力が高い呪文ってわけじゃないんですよ」
指先の種火が空中で力を失ってシュルシュルと消える。
「そうなの?」
「ええ。まあ一応、新兵クラスが無防備に受ければまとめて薙ぎ払えるぐらいの威力はありますけど、ある程度の訓練を積んだ戦士ならその場は普通に耐えられます。サリアさんなら余裕で耐えて接近戦に持ち込めるんじゃないですかね」
そう説明するとエルザは意外そうに目を丸くした。
「なのに一番の脅威なの?」
「この呪文が脅威なのは威力じゃなくて、攻撃範囲が広くて回避が難しいところなので。例え一時的に耐えて魔術師を殺すことが出来たとしても、全身に火傷を負った人間がその後どうなるかなんて、それこそ火を見るよりも明らかでしょう? 呪文や霊薬による治療は一般人が気軽に受けれるものじゃないですからね」
「ああ、そういう……」
ノエルの言葉にエルザは理解した様子で頷いた。
人間の身体は案外脆くて繊細だ。基本的にダメージを負えば痛みで動きは鈍るし、筋肉や骨が損傷を負えば動作そのものが不可能となる。勿論、一時的であれば致命傷を負ってなお戦闘を続行するタフな戦士も存在はするが、そんな無理は長くは続かない。
そして即座に命を奪うほどではないにしろ、全身に火傷を負うということがその後の活動や生存にどれほどの影響を与えるかは敢えて語るまでもない。
戦場で魔術師が脅威とされるのは、つまり例え勝てても割に合わない損失を追う可能性が高いからだ。実戦経験豊富な傭兵は、余程のことがない限り魔術師とことを構えようとしない。その事実をノエルはこの旅の中でよく理解していた。
「なので一応、こっちが魔術師だってアピールすれば相手が引いてくれるだろうなという確信はあったんです」
別に直接敵対したわけでもありませんしね、と付け加えれば、エルザだけでなくサリアもなるほどと納得した。
──ま、それは傭兵が絶対魔術師とは戦わないって意味じゃないし、逆に傭兵が魔術師を敵に回すときは、油断も容赦も一切ないってことなんだけど……




