第23話
月明かり以外何も視界を照らすものがない夜道を少年が走っていた。
よたよたとした頼りない足取りで、息を切らしながら必死に。
手には自分の背丈より大きな長杖、背中には荷物をありったけ詰め込んだのだろうぱんぱんに膨らんだリュック。
リュックの上に乗っかった黒白ハチワレの猫が少年の耳元で叫ぶ。
「ちょっと! 何で村から離れてるの!?」
「何で、も、何、も……逃げ、るんだよ……!」
返答は息も絶え絶えで掠れていたが、それでもノエルは足を止めようとはせず、更にリュミスに問い返した。
「それ、より……! ホント、に……連中、は、こっちには、いない……だね……!?」
「う、うん。逆方向に向かったから多分大丈夫。えっと──」
「事情、は……あと……!」
襲撃者が小屋を離れた経緯について説明しようとしたリュミスの言葉を遮り、ノエルは無言で暗い夜道を走り続けた。状況は確認したいが、今はそれ以上に思考に回す酸素が惜しい。
結局ノエルは小屋を飛び出し、村を飛び出し、そのまま夜道を一時間ほども走り続けた。
「……落ち着いた?」
「うん……」
街道を少し外れたところにある小さな茂みの木を背に、ノエルは荷物を置いて休息をとっていた。
まだ村から二里と離れておらず決して安全圏とは言えないが、既にノエルの体力は限界だった。足元の悪い夜道を重い荷物を背負っての強行軍。体力のない魔術師にしては頑張った方だろう。
追手を警戒して火や魔法の灯りは使えない。暗闇の中でへたり込み、息を整えるノエルをリュミスが上目遣いで見上げ心配していた。
「……少し休んだら、またすぐ移動しよう。今のうちに少しでも連中から距離を取らなくちゃ」
「や、逃げるのはいいんだけど、先に事情を説明してくれない?」
すっかり気が急いて説明が後回しになっているノエルにリュミスが嘆息する。
「てっきり私は村の人に助けを求めるものとばかり思ってたんだけど──」
そこで彼女は地面に置かれた彼のリュックに視線をやる。雑に物を詰め込んだせいで歪に膨らんだそれは、ただこの場を逃げるだけなら必要のないものだ。
「一体どこに向かってるの?」
「どこ……? いや、改めてどこと聞かれると難しいな」
「ふざけてる?」
リュミスに冷たく睨まれ、ノエルは慌てて手を横に振って否定した。
「ああいや、そうじゃない。具体的な場所はこれから調べるって意味で、大まかな方角は分かってるし、ちゃんと目的も決まってる」
「……目的?」
逃げて安全を確保する以外の目的があるのか、とリュミスが首を傾げる。
ノエルは彼女の言外の疑問に頷きを返し、続けた。
「──先生に会いに行く。それで、この指輪を突っ返して、面倒事に巻き込むんじゃねぇって文句言ってやるんだ」
ついでに一発ぶん殴ると拳を握るノエルに、リュミスは疑問を口にした。
「……村の人には頼らないの? テオ──だっけ? 貴方の兄貴分なら助けてくれると思うけど?」
「こんな厄介事にテオ兄を巻き込めないよ。それにいくら伯爵家でも、狙われてるモノがモノだし、学院の上層部を相手にするのは荷が重い」
「ふ~ん」
内心テオに頼られると面倒だと考えていたリュミスは、その考えを悟られないよう素っ気なく相槌を打ち、更に問いを重ねる。
「私は元々サイラス導師に会う機会を狙ってあそこにいたわけだし、貴方がそう決めたなら願ったりかなったりだけど……導師に会いに行くって言っても、具体的にあてはあるの? 故郷とか導師が立ち寄りそうな場所は当然学院もマークしてるだろうし、そんな分かりやすいところにノコノコ導師が向かうとは思えないけど」
「ある」
リュミスのもっともな疑問に、ノエルは力強く頷いた。
「先生は若い頃、大陸各地の遺跡を巡ってた時期があったらしい。僕は酔った先生から、その中でも一つ特に思い出深い場所があるって話を聞いたことがあるんだ」
「すごい発見があったとか?」
「いや、遺跡自体は近世のもので、調査としては外れだったそうだよ」
だから学院の記録にもほとんど残っておらず、学院がサイラスの足取りを追ってもそこに辿り着く糸は相当に細い。
「なら何でそこに?」
「先生はその調査中、近くの原住民の集落に世話になってたそうなんだけど……」
そこでノエルは一瞬言い淀み、軽く咳払いして続けた。
「その……そこで集落の女性と親しくなったらしくてね」
「ああ、よくある──」
「現地を離れる時、その女性のお腹には先生の子供もいたらしい」
「──思った以上に最低だったわ」
冷たいリュミスの反応に、ノエルは必要もないが慌てて師のフォローをする。
「い、いや、別にやり捨てたとかじゃなくてその相手も集落も合意の上で、ね? 小さな集落だったから外部の血を入れる必要があったとかで、むしろそれが滞在の条件だったというか──」
「どう理屈付けても無責任に胤ばら撒くような男はクズよ。違う?」
「…………そうですね」
いくらでも弁護の言葉は思いついたが、理屈を超越したリュミスの迫力にノエルは反論を諦め白旗を上げる。考えてみれば元々彼に師の下半身を弁護する義理などなかった。
「つまり貴方の師匠は、追手から逃れるために昔自分がやり捨てた女のところに逃げ込む可能性が高いだろう、って話ね? それが単に逃げるのに都合がいいからか、ついでに昔の女とその子供の顔を見てみたいとか迷惑な感傷に浸ってるのか、はたまたワンチャン他の畑にタネ撒けるかもと期待してるのか、理由までは知ったこっちゃないけども」
「…………まぁ、そうだね。その集落の話はあまり人に言いふらすような内容じゃないし、多分本人と僕以外に知っている人はいない。先生はあまり人脈が太い人でもなかったから、潜伏先として選ぶ可能性はかなり高いと思うんだ」
何故か自分のせいで師匠がとんでもないクズ男になってしまった気がするが、まあそれもこれも全て彼が撒いたタネだ。甘んじて受けてもらおうと、ノエルは弁護を放棄する。
「場所は? どの辺りなの?」
「北──大昔に魔族さえ見放した大陸北部の辺境だよ」
ノエルは、ここからだと距離があるけど移動手段はどうしたものかなぁ、と呟き、ふと思い出したようにリュミスに訊ねた。
「──と、バタバタしてて聞くの忘れてたけど、僕が気絶してる間に何があったの? あの状況で連中が僕を放置して小屋を離れる理由があるとは思えないし、リュミスが何かしてくれた?」
「お? それ聞く? 聞いちゃう? ふふ~ん、実はね──」
問われたリュミスは、ようやく自分の活躍を話す場を得て、自分が襲撃者からノエルを救出した経緯を自慢げに語り始めた。
いかに自分が勇敢で賢く、悪辣な敵と激しい戦いを繰り広げたのか、当社比三〇〇%ほど話を盛って。話の途中でノエルに矛盾をツッコまれたりもしたが、とにかく自分がいなければ死んでいたのだから恩に着るようにと最後は強引に押し切った。
「──なるほどね。要するに連中は君の幻術に騙されて僕が死んだと思ってるわけか」
そりゃ都合がいいと頷くノエルに、そうでしょうそうでしょうとリュミスは胸を張る。
「何時までも騙せる保証はないけど、しばらくの足止めにはなるね」
恐らくこの後村ではノエルが自宅で強盗に襲われ殺されたものとして処理される筈だ。村人や滞在している騎士が強盗を警戒して自宅や周囲の見回りを強化すれば、その分だけ襲撃者が偽装に気づくのを遅らせられるかもしれない。
テオに別れを告げられず余計な心労をかけてしまうことは申し訳なく思うが、それは仕方がないことだと割り切った。
「──よしっ!」
パンと膝を叩いて立ち上がる。
「もう行くの?」
「十分休んだからね。とりあえず、夜の間に進めるだけ進むさ」
そう言ってノエルはリュックの上蓋を開け、ポンポンとリュミスを招く。
「功労者のお嬢さんはこちらにどうぞ」
「──ふん。この程度で恩を返したなんて思わないでね?」
リュミスはそう言いながらも素直にリュックの中に入って丸まった。
ノエルは上蓋を開けたままリュックを背負い、故郷に背を向け、月明かりが照らす夜道を歩き始める。
行き先も足元も自分自身の姿さえおぼつかないその道行は、彼ら自身を象徴しているかのようだった。
こうして師と再会し支配の指輪を突き返すために旅立った一人と一匹。
道中、ノエルが改めて指輪の力を使うつもりはないとリュミスに宣言したり、指輪の呪いが発覚したりと、ひと悶着もふた悶着もありはしたが、それを語るのはまた別の機会に。
不幸中の幸いと言うべきか、指輪の存在を知る者たちの動きはノエルたちが想像していた以上に慎重だった。指輪の情報が学院内部にさえ原則伏せられたままだったこともあり、散発的な刺客たちの襲撃こそあったものの、何とか無事に目的地へと向かって歩みを進めていく。
──だが彼らが故郷を旅立って約三か月後。
ちょうど自由都市ルベリアに滞在し、今後の旅費稼ぎに精を出していた頃。大陸の別の場所で。
「どういうことだ? これは、違う……」
一人の魔術師が、古めかしい銀の指輪を手に愕然と呟く。
「どうして私が作った贋作がここに──どこだ!? 私の指輪は……っ! いったい誰がすり替えた!? う、うわぁぁぁぁぁぁぁ──っ!!!」
獣のような咆哮が魔術師の喉から迸った。
9話から始まった過去編、エピソード3がようやく終了。
信じられますか? 私、このエピソードを書き始める前は「そろそろ過去編入れとこ。3~4話ぐらいで終わるやろ」って考えてたんですよ?
計画性と構成力の無さが恐ろしい……
ちなみに、刺客のオッサン三人組はこのタイミングで貴族のご落胤なんて話が出てきたテオが指輪を持っているのではと疑っていますが、この後村で何が起こったかは今は語りません。ぶっちゃけこれを理由に主人公たちをどこまで追い詰めていいのか迷っています。
こんな適当な筆者ですが、励みになりますのでブクマなど反応いただけると幸いです。




