第22話
「起きろ! 起・き・ろ! 起きろぉぉっ!!!」
リュミスの激しい肉球スタンピングの回数が二〇を超えた頃、固く閉ざされていたノエルの瞼がようやくピクリと動いた。
「うぅ……っ」
「──! よし、起きた! 起きたわねっ!?」
ノエルの意識が覚醒したのを見て取ったリュミスが、スタンピングを止めて肉球でモギュモギュとノエルの頬を揺すりながら叫ぶ。
「しゃっきりしなさい! 連中がいない今がチャンスよ!」
「ぅ……あ……?」
しかしノエルは何とか意識は戻ったものの、襲撃者から受けたダメージは顕在だ。動くどころか満足に喋ることもままならず、辛うじて戻った意識さえ今にも途絶えてしまいそうだった。
「ああもう! 時間がないってのに……!」
リュミスは『う゛に゛ゃ~!』と唸り声をあげ、どうしたものかと辺りを見渡す。
「──そうだ! 確かあそこに……!」
リュミスは隣の作業部屋に駆け込むと、普段ノエルが使っている調合用の道具箱を捜す。既に作業部屋もローハンたちによって荒らされていたが、目当ての物はすぐに見つかった。
「ラッキー! 中身も……無事ね!?」
道具箱の中に収められた薬瓶。ローハンたちの捜し物は指輪だったので、この薬瓶の価値には気づかなかったようだ。
リュミスは薬瓶を割らないよう慎重に前足で抱えると、アクロバティックな二足歩行でトテトテとノエルの元に戻った。
「ノエル! まだ起きてる──というか生きてるわよね!?」
再び意識を失いそうになっているノエルを見て、リュミスは慌てて薬瓶のふたを外し、彼の口に強引にそれを突っ込んだ。
「飲め!」
「……っ、ガフッ!?」
「あ!? こら、こぼすな! 全部飲みなさい!!」
意識朦朧としているところ無理やり液体を口の中に流し込まれ咽るノエルに、一滴もこぼすなと口を上に向けさせ吐かさせまいとするリュミス。
その攻防はリュミスの勝利に終わり、敗北したノエルは気管に思い切り薬品が入って激しくせき込んだ。
「ゲハッ!? ゴホ、ゲフゥ、ゲホゲボ……ガヒュ……こ、殺す気か……!」
「──よしっ! 治ったわね!?」
完全に意識を取り戻し文句を言うノエルの姿に、リュミスが喝采を上げる。
「……へ? 治っ、た……?」
ようやくノエルは自分が置かれた状況を振り返る余裕ができたのか、意識を失う直前のことを思い出し、周囲の様子を確認する。
縄で縛られ床に転がされている自分。素っ裸。行商人に偽装した襲撃者。指輪を狙う学院の刺客。ボコボコにされて意識を失っていた筈の自分。しかし身体に痛みはほとんどなく、受けたダメージは九割方回復しているように思える。
──リュミスが助けてくれたのか? でもこいつ、治療なんてどうやって……
と、そこで口元に転がっていた薬瓶に気づき、ノエルは思わず悲鳴を上げた。
「──って、ああ!? 触媒用の上級霊薬!! お前、これ──」
「あんたが死にかけてたところを助けてやったのよ。これで文句なんか言ったらマジぶっ殺す」
「──は……ありがとうございます」
リュミスに割とガチ目のトーンで機先を制され、ノエルの文句はお礼へと変換された。
リュミスがノエルに飲ませたのは、彼の師が残していった上級霊薬。四肢欠損レベルの傷は無理だが、そうでなければ大抵の傷は後遺症なく即座に回復できる高級品だ。当然、ノエルが普段使いできるような代物ではなく、彼は村人に重篤な患者が出た際などに、この上級霊薬を調合の際に一滴、二滴薬品に混ぜ、その薬効を高める触媒・酵素として大切に使用していた。
金額に換算すれば彼の年収をゆうに超える損失だが、死にかけていた自分を救うためとあっては流石に文句は言えない。文句はあるが。言いたいが。言えない。
「状況は理解してるわね!?」
「あ、ああ──」
「今あの連中は一時的にここを離れてる。でもいつ戻ってくるか分からない。だから急いで逃げる。オーケー!?」
「…………」
「返事は!?」
本当は起きたばかりであまり状況を理解できているとは言い難かったが、焦った様子のリュミスに気圧されて呑気に話を聞ける状況でないことだけは理解する。
ノエルは質問の代わりに縛られた腕をリュミスの前に突き出した。
「その……こんな状態なんで動けないんですけど」
「はぁ!? 何で縄抜けぐらい覚えてないのよ!? 関節プシャーって外してカチャってはめて抜け出しなさいよ!!」
「それが出来たら捕まってねぇって……」
「あーもう!!」
リュミスは苛立ちをぶつけるように爪で床をひっかき、直ぐに先ほど見た道具箱の中に小ぶりなナイフがあったことを思いだす。
そして「待ってなさい!」と言ってすぐに作業場に戻り、ナイフの柄を咥えて部屋に戻ってきた。
「これ! これで何とか切れる!?」
「お! 持たせて……違う、逆向きで──」
「文句言うな!!」
ギャーギャー細かなやり取りはあったものの、二人は何とか拘束を解くことに成功する。
「さ、今度こそ逃げるわよ!」
「ちょ、服ぐらい着させてよ!?」
「生き死にがかかってる時にフル●ンくらい気にしなさんな!」
「させてくれよ!? 別の意味で死ぬだろうがっ!?」
ちなみにノエルの言う“別の意味”とは、社会的に死ぬという意味ではなく、田舎でそんな真似をすると、悪魔に憑かれたと判断され火あぶりにされるリスクがあるという意味だ。
言い合いをする時間が惜しいと判断したのか、リュミスはノエルの要求を認め、自身は小屋の外で襲撃者たちが戻ってこないか警戒にあたる。
その間にノエルは、荒らされた自室で自分の服を探していた。
「……あ~もう! あいつら荒らすだけ荒らしていきやがって……!」
家具が壊され、床板まで剥がされた自室にウンザリしながら急いで服を身に纏う。小さな指輪を探そうと思えばこれぐらいやらないといけないのかもしれないが、小屋の中はもうとても人が住める状態ではなく、やられた側としてはたまったものではなかった。
「こんな指輪に──」
そこでふと、今更だが自分の右手中指に例の指輪が嵌っていることに気づく。
意識を取り戻して以降はバタバタしていてそれどころではなく、またあの白い世界で指輪のことは教えられていたため、特に違和感なくそれを受け入れていたが──
──ここに指輪があるってことは、あの影は僕の妄想じゃなかったってことか……
改めて、この指輪が本物の神器──あるいはそれに限りなく近い力を持ったマジックアイテムであることを理解する。
──いや、本物でも偽物でもこんな物持ってたら命がいくつあっても足りやしない。とっととここを離れて、助けを……助け、を……?
ノエルは上着のボタンを留める手を止めて、ふと自分の身の振り方について考えた。
ここから逃げ出す。村人か滞在している騎士に助けを求める。問題はその後だ。
──助けを求めるのはいい。だけど、その後はどうする? 賊が僕みたいな貧乏人──しかも見習いとは言え魔術師を狙うなんて、よっぽどの理由が無けりゃあり得ない。絶対に怪しまれるに決まってる。そうなったらこの指輪のことを話さないわけにはいかないよな?
事情を他者に説明すればこの指輪が他人の手に渡ることになる。真偽のほどはさておくとしても、これだけ強力なマジックアイテムを手にした人間がどんな行動に出るか……ノエルには碌な想像ができなかった。村人の手に渡ろうと、騎士の手に渡ろうと、十中八九多くの人を巻き込んだトラブルが起きるだろう。
例えば村長やその息子のアーフェン辺りに指輪が渡りでもしたら──いや、想像するのも悍ましい。
一方で信頼できる誰か──例えばテオに頼るというのは論外だった。
──そうなれば今度はテオ兄が学院に狙われることになる。ただでさえ大切な時期だってのに、テオ兄をこんなことに巻き込むわけにはいかない。
信頼できる人間だからこそ巻き込めない。
だが、指輪のことを隠して自分一人で刺客を退けることができるかと言えば、それも不可能だ。
敵は明らかに自分より格上。更に事情を知った自分を生かしておこうとはしないだろう。今回は運よく乗り切れそうだが、誰の助けもなく、居場所も手の内も知られた自分が敵の襲撃を凌げるとは思えない。
仮に一、二度凌げたとしても、運良く倒せたとしても、必ず次の襲撃、次の刺客がやってくる。遠からず周囲に怪しまれ、指輪の存在が露見するだろう。
つまりこのままではどうあっても自分は──
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「急ぎなさいよ!」
ノエルを急かす一方、リュミスは小屋の周囲を足早に巡り、例の襲撃者たちがこちらに戻ってくることを警戒する。
──あの様子だと暫くは大丈夫だと思うけど……実際いつ気が変わってこっちに戻ってきてもおかしくない。
リュミスはノエルが投身自殺した光景を目の当たりにした襲撃者たちの反応を思い返した。
罠や敵の存在をかなり警戒しているようだったから、退路や安全を確保しないまま今すぐこの小屋に戻ってくる可能性は低い。だが、何かに気づいたり気が変わる可能性がないわけではないので、決して油断もできない。叶うならばできるだけ早く安全な場所に移動したかった。
ローハンを呼びに戻ってきたグライフ、そしてその後川底へ投身自殺したノエルは、リュミスが見せた幻だ。
幻獣であるケット・シーは、生来の能力として一、二種類の呪文能力を備えている。呪文の種類は個体ごとそれぞれ。大抵は占術、変成術、幻術、稀に死霊術系統を使うものがいるぐらいで、攻撃呪文が属する力術系統を使える個体はほとんど存在しない。
そしてリュミスが習得しているのは、ケット・シーのご多分に漏れず幻術系統。しかし彼女のそれは、視覚を誤魔化すだけの下級の幻術ではなく、聴覚や嗅覚、温度まで、触覚以外の全てを再現する極めて高度な幻術だった。
その幻術能力を使って先ほどリュミスが行ったのは単純な偽装工作だ。
まず指輪を嵌めたノエルが見つかり、このままではローハンにノエルが殺されると焦ったリュミスは、咄嗟にグライフの幻術を作り出しローハンを外におびき寄せた。
実はこの時点ではほぼノープラン。運よくローハンを小屋から引き離すことに成功したものの、その後どうするかは何も考えていなかった。しかも小屋から離れて間もなく、こちらに近づいてくるグライフとドルトンの姿を発見。リュミスは咄嗟に幻術を解いてその場から逃げ出した。
このままではすぐに彼らは小屋に引き返し、ノエルが殺されてしまう。そう考えたリュミスは、今度はノエルの幻影をまとってその場から逃げ出し、小屋とは別の方向に三人を引き付けた。
この時リュミスは焦りに焦っていて、幻影の動きと実際の移動速度はバラバラ。仮に視界の良い昼間であれば、すぐに怪しまれ幻術であることを見抜かれていただろう。
そしてなんとか幻術に気づかれることなく森を抜け川まで辿り着くと、幻術を自分の身体から切り離し、まるで何者かに操られたかのように見せかけノエルの幻を川に投身自殺。
その後の彼らの反応は既に語った通りだ。
──咄嗟のことだったけど、あいつらの意識は狙い通りあっちに向かってる。この分なら上手く本物の指輪から目を逸らせそうだけど……あれ? でも、このままノエルがあっちに助けを求めでもしたら意味ないわよね?
行き当たりばったりの計画だったため、今頃になって粗が見つかりタラリと汗を流すリュミス。
別に彼女は指輪そのものにはあまり興味がないのだが、かといってこのままノエルを見殺しにするのは気がひける。
──どうしたものかしら……?
「……っていうか、遅いわね」
思索に耽ってずいぶん時間が経過している気がするが、ノエルが小屋から出てくる気配がない。
リュミスが我慢できなくなって小屋の中に怒鳴り込んでやろうかと考え始めた時──
「ごめん! 遅くなった!!」
「ホントに遅い!! 気になるお姉さんとデートにでも行くつもり? 服着るだけでどれだけ時間かけてる──」
小屋の中から現れたノエルに、リュミスは呆気にとられて言葉を失う。
そこにはしっかりとした外套に身を包み、手には愛用の長杖、大きなリュックを背負った旅支度の魔術師の姿があった。




