第20話
──ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!!!
リュミスは自分がしでかした失態に顔を青ざめさせていた。
ノエルが今、襲撃者たちに生かされているのは、指輪の情報を吐かせるためだ。当然、指輪が見つかってしまえば用済みで、余計なことを知ってしまった彼を生かしておく理由はどこにもない。
意識を覚醒させる刺激となることを期待して先に指輪を嵌めたこと自体は、必ずしも間違った判断ではなかったろう。ノエルが目覚めることはなかったが、それは結果論でありノエルの内的な問題だ。
だがその後、ノエルに指輪を嵌めたまま逃亡してしまったのは言い訳しようのない彼女のミス。彼を助け出そうとして完全に止めを刺してしまった。
──どうする? どうするの私!?
リュミスはノエルに手を伸ばすローハンを柱の影から見つめながら、高速で思考を巡らせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……どういうこった?」
ノエルの右手中指に嵌められた指輪を見て、ローハンは目的の物を見つけた喜びより先に困惑していた。
つい先ほど確認した時は間違いなくノエルは指輪など嵌めておらず、何も持っていなかった。それがいつの間にか指輪を嵌めている? おかしいと思わないはずがない。
考えられることは二つ──いや、三つか。
一つはノエルは実は意識を取り戻していて、どこかに隠していた指輪を自分で嵌めた、というもの。だが今もノエルの手足は縄で固く縛られているし、念のため頭を足でつついてみても、寝たふりをしているわけではなさそうだ。
次に考えられるのは第三者が指輪を嵌めた可能性。だがローハンが周囲を見渡しても、近くに人が隠れたり出入りできるスペースなどない。古い小屋なのでそれこそ小動物などであれば出入りできる隙間があるかもしれないが、まさかネズミや猫が指輪を嵌めたわけでもあるまいし。
となるともう、後は指輪が超自然的な力でひとりでにノエルの指に嵌まったとしか思えない──
「──いや、考えるのは後回しだ」
理由は気にはなるが、指輪を前に放置しておく理由はない。
念のため改めて周囲を見渡し、罠や不意打ちを警戒しながら慎重に指輪に手を伸ばす。そしてノエルの指から指輪を抜き取ろうとし──
「──んっ? んん゛っ! 抜けねぇ……?」
しかしどれだけ引っ張っても指輪はピッタリ張り付いたようにノエルの指から離れなかった。これはどういうことだ?
──そう言えば……依頼主が何か言ってたな。マジックアイテムの中には、使い手と同調することで外せなくなるものがあるとか……
この指輪がまさにその類のものだったらしい。
「外せねぇなら、腕ごと持ってきゃいいだけの話だわな」
そう呟き、ローハンは持っていた太めのショートソードを抜き放つ。あまり人の腕を切り取るのに向いた武器とは言えず、また中古品で刃が潰れかけていて、骨を断つ道具としては些か切れ味が心許ない。持ち運びを重視して適当に選んだ得物だが、少し失敗したかもしれない。
──ま、これでも何度か叩きつけりゃ、坊主の細い腕ぐらい落とせるだろ。
ローハンがノエルの腕を足で押さえて固定し、ショートソードを振りかぶる──
『ローハンさ~ん!! ちょっと来てくれ! ドルトンの旦那が急ぎの用があるって呼んでる!!』
「────っと」
小屋の外から聞こえてきたグライフの声に、ローハンはショートソードを持つ手を下ろし切断作業を中断した。
「チッ。ったく、何なんだよ、タイミング悪いな」
『ローハンさ~ん!!』
「うるせぇ! 聞こえてるよ!!」
怒鳴り返すが、グライフは小屋に入ってくる気配もなく、外でローハンが出てくるのを待っているようだ。
ローハンは一体何なんだと顔を顰め、入口とノエルを交互に見やり頭をかきむしる。
グライフの様子からするとドルトンの用事というのはかなり急ぎのようだ。だが指輪をこのまま放置していくのは拙い。急いでノエルの腕ごと切り落として──
『ローハンさ~ん!! 何かあったんですか~!?』
「────っ!」
何かじゃねぇ、と怒鳴り返そうとし──ローハンはふと不安になった。息を入れたことで状況を改めて俯瞰で見てしまい、この不自然な指輪の出現が何かの罠ではないかという疑念が膨れ上がったのだ。
本当に腕ごと切り落としていいのか? 同調とは力づくで切り離せるものなのか? 何か呪詛とかこちらにリスクはないのか? そもそもこれは本当に目当ての指輪なのか?
指輪が本物である可能性は状況的にあまり高いとは言えない。もしこれが罠であれば、自分が今からしようとしている行動は敵の思惑通りということになりはしないか?
その上、何故かドルトンが急ぎの用で自分を呼んでいる。ここで時間をかけすぎるとドルトンの呼び出しに遅れて不興を買ったり、指輪をネコババしようとしていると怪しまれる可能性さえ有り得る。
──どう動くのが儂にとって正解なんだ……?
不自然な状況の連続と指輪が放つ魔性の気配が、無意識にローハンの不安を掻き立て戸惑わせていた。
彼はどうしたものか考え──正解を出すことを諦めた。
「……面倒くせぇ」
ローハンは思考放棄し指輪の対処を後回しにすることにした。指輪云々を抜きにすればノエルを放置してまで自分を呼びつけているのはドルトンだ。指示に従っている限り、責任は自分ではなくドルトンにある。最悪指輪は見なかったことにすればいい。それにもし近くにノエルの仲間がいたり彼が自力で逃げられるならとっくに何か動きがあるはずだ。短時間なら目を離しても問題ない。
ローハンは自分にそう言い訳し、ノエルを放置してグライフの声がする入口の方へと向かった。
「あ! ローハンさん、遅いっすよ~」
戸を開けると、呑気な顔をしたグライフの姿。
「遅ぇじゃねぇよ。旦那呼んで来いつったのに、何一人で戻ってきてんだよ?」
「そんなこと俺に聞かれても知りませんって。事情説明したら旦那が呼んでこいって……俺は坊主の見張りもあるから旦那に来てもらった方がいいって言ったんすよ? でも旦那がそれでもって言うから……」
文句をぶつけると、グライフは眉根を寄せて困った表情を見せる。よほど切羽詰まった何かがドルトンの方で起きているらしい。
ならば猶更その事情の一つも聞いてこいと不満を口にしようとし──ローハンはふと、違和感を覚えてグライフをまじまじと見つめた。
「……? 急にジロジロ見て、どうかしました?」
「いや──」
特におかしなところはない。目の前にいるのは自分の知るグライフそのものだ。声音か、言葉遣いか、あるいは雰囲気か、普段の彼とは何かが違う気がしたが、改めて見ても具体的におかしなところは見当たらない。恐らくこの状況にあてられて自分が気にし過ぎているのだろう。
「あ! それより、早く行かないと旦那にどやされちまいますよ?」
「……おう、そうだな」
これ以上ここで考えても仕方ないし、グライフの言う通り遅れてドルトンにどやされるのも面白くない。ほらほら、とグライフの促す声に押されて、ローハンはドルトンが馬車と共に待機している野営地に向けて人気のない夜道を小走りで移動した。
「急ぎってことだが、旦那はどんな様子だった? 何か事情は聞いてないのか?」
小屋を出て数十メートルほど進んだところで、後ろからついてくるグライフに気になっていたことを聞く。特にまともな答えが返ってくることを期待したわけではないが──
「────? グライフ?」
振り返るとグライフの姿がない。つい先ほどまで確かに足音がして、気配もあったのに、全て幻だったように姿を消してしまった。
「……おい! グライフ! 返事しろ!」
呼びかけるが返事はない。
時刻はそろそろ深夜を回ろうという頃合い。ただでさえこの辺りは村の外れで月明かり以外に光源らしきものがなく、視界はあまり良くないはないが、それでも人一人を突然見失うほどではないはずだ。目を細めて周囲を観察するが、足を滑らせそうな溝なども見当たらない。
「グライフ! ふざけてねぇでとっとと出てこい!! 急ぎの用だって言ったのはテメェだろう! 下んねぇ悪戯してんじゃねぇ!」
ローハンはグライフがふざけてこちらを驚かせようとしているものだと決めつけ怒鳴りつける──と。
「……何一人で騒いでるんすか、ローハンさん?」
「グライフ! テメェ──」
捜していた子分の呑気な声に、ローハンは一発締めてやろうと拳を握って声のした方へ振り返る。しかしその横にいたもう一人の男の姿に、彼の怒りは気勢を削がれてしまった。
「──と、旦那……グライフと一緒だったんですか?」
「? 何を言ってるんだ?」
この一味の本当のリーダーである傭兵ドルトンは、ローハンの言葉に訝し気に眉を顰めた。
「お前がグライフを寄越したんだろうが」
「……は? いや、それはそうですが……旦那が用事があるってさっきグライフが儂を呼びに来て……」
「へ? 何言ってるんすか、ローハンさん。俺は今、ドルトンの旦那とこっちに戻ってきたばっかっすよ?」
「はぁ!? 馬鹿言うな、お前確かにさっき──」
「お前が何を言っているのか分からんが、グライフは俺を呼びに来てからずっと一緒にいたぞ?」
「……は? へぁ?」
冗談を言っている風でもないグライフとドルトンの言葉に、ローハンは混乱して目を白黒させる。
二人が自分を揶揄っているのでなければ、自分が見たあのグライフは一体何だったんだ?
「それよりも、だ」
ドルトンはローハンを厳しい目つきで睨み、責めるような声音で問いただした。
「なんでお前は捕らえたあのガキを放置してこんなところにいるんだ? 相手はガキとは言え魔術師だぞ? 目を離して逃げられでもしたらどうする?」
「いや、だからその──」
改めて言われなくともローハンもそんなことは分かっている。分かっているから自分が出向くのではなく、わざわざリーダーであるドルトンをこちらに呼び寄せようとしたのだ。それを急ぎの用があるからと放置させたのはドルトンの指示で──いや、でも二人の口ぶりだとそれは勘違いなのか? だが、だとしたらあのグライフは一体?
ローハンの思考がループし、混乱して言葉に詰まる。それでも厳しく自分を睨むドルトンの表情に何とか言葉を絞り出そうとし──
「…………あれ?」
そんなローハンに助け舟を出したのは、キョトンとした声を出すグライフだった。
「あの、あれって……?」
『ん……?』
ローハンとドルトンは一旦話を中断し、グライフが指さす──ローハンがやってきた小屋がある──方向に視線を向ける。
暗闇の中、よたよたとした足取りでこちらと反対方向、森の方へと駆けていく小柄な人影。
「あのガキ──っ!?」
それは自分たちが手足を縄で固く縛って拘束し、ボロ雑巾のようになって意識を失っていた筈の見習い魔術師のものだった。




