第17話
「──い、しっかり探せ!」
「そんなこと──って──」
耳障りな喋り声と何かをひっくり返すような音と振動。そして頭部に響く鈍痛。
ノエルにとってその目覚めは彼のそれまでの人生で五指に入る最悪のものだった。
痛みと不快感ではっきりしない意識が瞼を押し上げそうになり、フラッシュバックした意識を失う前の光景がそれを咄嗟に押し留める。
「────ッ」
行商人。剣を持った男。衝撃と痛み。本題。盗っ人魔術師──その弟子。
自分はあの行商人を名乗る男たちに襲われ、意識を奪われた。そして耳から聞こえてくる情報は、男たちが今も自分の近く──少なくとも声が聞こえる距離にいることを伝えている。
靄がかかったように鈍い思考で、ノエルは意識を失ったふりをしたまま状況の把握に努めた。
まずは耳。
「──に指輪なんてあるんすか?」
「ガタガタ言わずに探せ! 配送局の記録じゃサイラスって野郎がこいつ宛に何か送ったことは間違いねぇんだ。手紙でも何でも、とにかくそいつを捜すんだよ!」
「つってもなぁ……」
そんな会話と共に、物をひっくり返したり壁や床を破壊するような音が聞こえてきた。
──指輪を狙った刺客……クソ! あの話マジだったのか……
何事もなく時間が過ぎていくうちに警戒感が薄れていたと、ノエルは自分の間抜けさに歯噛みした。どうやらあの指輪を狙って刺客が送り込まれてくるというリュミスの警告はホラではなかったらしい。
自分は彼らに殴られて意識を失った。頭は今も響くような鈍痛を訴えているが、感覚からして斬られてはいない。敵は剣を持っていた筈だが、柄で殴られたのだろうか?
身体は──頭以外大きな怪我はなさそうだが、手足を縛られていて動かせない。肌から伝わってくる感触からして、床の上──恐らく自宅の床に転がされている。
何故目を閉じていてそこまで分かるかというと、床の感触が全身でダイレクトに感じられるから。肌がやけに寒々しくて、どうやら自分は素っ裸にひん剥かれているらしい。
──奴らは先生が送ってきた指輪を捜してる。そのために僕の身ぐるみを剥いだけど見つからなかった。だから今は家の中を必死こいて荒らしまわってるってことか。
自分の家や荷物がグチャグチャに荒らされているという事実は見ないふりをして──実際目は閉じているのだが──ノエルはこの状況を脱するために思考を進めた。
──だけどこの感じじゃ、あいつら目につくところはとっくに調べ終えてる筈だよな? なのにどうして指輪も手紙も見つかってないんだ?
ノエルは指輪と手紙を薬草棚の奥に隠していた。一応、瓶の陰にしてパッと見分からないようにはしていたが、本気で探すつもりなら見つけるのは難しくない。ましてこの連中は、音からして床や天井の板まで剥がして徹底的に探している。とっくに見つかっていなければおかしいのだが……
──リュミス、か?
ノエルはいつの間にか居候していた猫──もといケット・シーのことを思い出し、彼女が指輪と手紙を持ち出したのだろうと察する。
ファインプレーだ。この状況で自分が生かされているのは指輪の在り処を吐かせるために違いない。指輪が見つかっていたら既に命はなかっただろう。
問題は騎士が滞在しているこの村にこの連中が長時間居座るとは考えにくく、例え指輪が見つからず情報が引き出せなくとも、明日の朝までノエルの命がある可能性は低いということ──
──ドガッ!
「ゲフッ!!?」
突然横腹をつま先で蹴られ、ノエルは痛みと呼吸ができなくなる苦しさに激しく咽た。
「……ったく、坊主。起きたなら起きたって言えよ。余計な手間とらせんじゃねぇっての」
頭上から苛立ったような声が聞こえる。
観念して目を開けると、ローハンとグライフと名乗ったあの自称行商人の二人組が冷たく自分を見下ろしていた。どうやら思考に没頭していたせいで足音に気づけなかったらしい。
「寝たふりして話を聞いてたなら、説明しなくても状況は分かってるな?」
「……さぁ? お兄さんたち、行商人じゃなくて強盗だった──グェッ!」
グライフに再び蹴りつけられ、ノエルの身体が仰向けになる。下半身が丸出しになるが、手足を縛られていて隠すこともできないし、その気力もない。
ローハンが縮みあがったノエルの息子を見て失笑し、宥めるようにグライフの肩に手を置く。
「おいおい、あんまイジメてやるなよ。息子の方がすっかり怯えちまってるじゃねぇか」
「……クハッ」
ローハンはその表情をニヤニヤと歪めてノエルにネタバラシを始めた。
「言っとくが、儂らは何一つ嘘なんてついてねぇぜ? 行商やってんのはホントだし、実際にあの武器も食料を売った代金として引き取ったもんだ。ただそのついでに、取引先から色々と仕事を引き受けてるってだけの話でな」
「ひゃはっ! 儲けはついでの仕事の方がはるかにデケェから、今となっちゃどっちがついでか分かりゃしないっすけどね」
その説明に、なるほどとノエルはこんな状況にもかかわらず彼らのやり口に感心してしまった。
「……わざわざ中古の武器を扱ってるのは、代金でも商品でもなく、怪しまれないように仕事道具を持ち運ぶためってわけですか?」
「お。よく分かってんじゃねぇか。武器も一本や二本じゃ怪しまれるが、一〇〇扱えば誰も俺らが使ってるとは疑わねぇ。ついでに中古となりゃ、多少血で汚れても幾らでも言い訳が利くから──なっ!」
「ガフ……ッ!」
説明を終えたローハンに腹を蹴りつけられ、ノエルの身体はまな板の上の魚のように飛び跳ねた。
ローハンはそんなノエルを温度のない目で見下ろし、改めて本題を切り出した。
「さて坊主。儂らがどういう人間かはお前さんにもよ~く分かってもらえたと思う。その上で、心して答えてもらいたいんだが、お前さんの師匠がここに指輪を送ってきたはずだ。どこにある?」
「……は? なんのこと──い゛っ゛ぁ゛っ!!!?」
惚けようとしたノエルの──その下半身をローハンは右足で踏みつけ、容赦なくぐりぐりと踏みにじる。そのあまりの痛みと衝撃に、ノエルは満足に悲鳴を上げることもできずその場で身体を捩らせた。
「────はぁ……ひぃ……」
それは三〇秒ほども続いただろうか。強すぎる衝撃にノエルの反応が弱弱しくなった頃合いを見計らい、ローハンはようやくノエルの下半身から足を下ろした。
涙と鼻水と脂汗を垂れ流し息も絶え絶えのノエルの姿に、横で見ていたグライフは同情するように失笑をもらす。
「坊主。ちゃんと忠告は聞いとかなきゃ駄目だろ? ローハンさんは怖ぇ人なんだから、あんま舐めたこと言ってっと一生ガキの作れない身体にされちまうぞ。ほれ、優しい俺が聞いてる内に、とっとと白状しちまいな。ひょっとしたら指輪じゃないかもしれねぇが、お前の師匠から送られてきたもんをどこにやった?」
「だ、から……ホントに、知らな──ぶっ!」
グライフはノエルの顔面を踏みつけ、念入りに踏みつぶすようにそこに体重を載せながら、酷薄な声音で告げた。
「何度も言わせるな。俺が聞いてんのはどこにあるかだ。許可なくそれ以外の言葉を喋るんじゃねぇ」
「…………」
「ああ。言い忘れたが、だんまりはもっと罪が重いから──なっ!!」
「がっ!!」
グライフの足がノエルの頬を蹴り飛ばし、歯が折れ口の中がズタズタに切れて血しぶきが舞う。
「おいおい、グライフ。顔は止めとけ。顎がいかれちまったら喋れなくなっちまうだろ」
「了解っす」
グライフは軽い調子で答えると、そのまま横たわるノエルの身体を頭部だけは避けて蹴り飛ばし、踏みにじり、丁寧に、念入りに甚振り続けた。
その雑な拷問はどれほど続いたのだろう。ノエルには永遠にも感じた時間だったが、グライフの体力を考えれば実際には五分も経っていなかったのかもしれない。
「ふぃ~……」
ともかくグライフが一息入れた時、ノエルの身体はボロ雑巾のようになっていて、打撲どころかあちこち骨にヒビぐらいは入っているように思えた。
「どうだ? 話す気になったか?」
「…………ぅ」
ボロボロになったノエルが何か言おうとし、ローハンとグライフは彼の口に耳を近づける。
「……ぁ、ない……ホントにし、しらな、いんで──」
「ちっ、まだ──」
苛立ち、再びノエルを痛めつけようとしたグライフの身体をローハンが押し留め、哀願するようなノエルの言葉の続きを聞く。
「せんせ……ぼく、せんせいに、す、捨てられて……もうずっと連絡なんて──ホントです、う、嘘じゃ……村の人に聞いてくれればみんな知って──ぶぅっ!?」
「しつけぇんだよ!!」
言い訳を重ねるノエルに苛立ち、グライフはローハンの制止を振り切ってノエルの顔を思い切り蹴り飛ばした。
力が入り過ぎてしまい、ノエルの身体はゴロゴロと床を転がり、衝撃で気絶したのか動かなくなってしまう。
「あ~あ。ったく、面倒くせぇから顔は止めろって言っただろうが」
「……すいません。ついイラッとしちまって」
すぐ起こします、とノエルに近づこうとしたグライフにローハンは待ったをかけた。
「……ひょっとしたらこの坊主、ホントに知らねぇのかもしれねぇぞ?」
「は? いやでも、配送局の記録じゃ、サイラスって野郎が坊主宛に何か送ったのは間違いないんですよ。それを何も知らないとか惚けてるに決まってるじゃないですか」
グライフの言葉にローハンはゆっくりかぶりを横に振って否定した。
「いや。ここはシルバーリーフから大分距離があるし、しかもド田舎だ。配送のコースによっちゃ、まだここに物が届いてねぇ可能性はあるし、どっかで紛失したってこともあり得なくはねぇ」
「それは……」
有り得る、とグライフは顔を顰めた。彼らはシルバーリーフの学院本部から依頼を受け、すぐにこの村に向かったが、一般的に配送物は様々な場所を経由して現地に配達される。それは田舎であればなおさらで、自分たちが配送物を追い抜いてしまったという可能性は否定できなかった。
また地域や配送の形式にもよるが、大陸における配送物の紛失率は三%前後。紛失の可能性がないとは言い切れない。
そもそもそれを言い出せば貴重な魔道具を配送するということ自体がまず有り得ないわけで。故に彼らの依頼主は恐らくこちらは囮であろうと予想して、念のためにと彼らを送りこみ、彼らもそれを承知の上で依頼を受けた。だが実際もし荷が紛失していたとすると、自分たちはどうやってそのことを確認すればいいのか……
「よく考えてみろ。もし坊主が指輪を受け取ってたとしたら、ここまで何もアクションを起こしてねぇのは不自然じゃねぇか。もしお前が例の指輪を持ってたらどうする?」
「片っ端から周りの女操ってエロいことしますね──ああ」
「だろ? 例え何か制限やらがあって自由に使えなかったとしても、少なくとも指輪を肌身離さず持っとこうとはするはずだ。だがこいつは何も持っちゃいなかったし、昼間の行動にも不自然なところはなかった」
「……なら、こいつの師匠が囮になれって命令したとかじゃないんすか?」
「師匠つっても、こんな田舎に捨て置かれた弟子が、ここまでされて師匠を庇って惚けるかね?」
「ふむん……」
「まぁ、単純に情報を吐いたら処分されると考えてるのかもしれんが……そこまで分かってるなら惚けたところで助からねぇことも分かるだろうしな」
そこでローハンとグライフは顔を見合わせ考え込む。
もし本当にノエルが物を受け取っていないのだとしたら、自分たちはどう行動すべきなのか──ノエルの身柄の処分、騎士が滞在している村へ逗留することの是非、依頼人への報告の仕方──様々な事柄が彼らの頭を巡り、結局結論は出せなかった。
「……仕方ねぇ。ドルトンの旦那を呼んできな。俺らじゃ判断しきれねぇ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グライフが誰かを呼びに小屋の外に向かい、ローハンは弱ったように頭をかきながら再び小屋の中の捜索に戻る。
気絶したノエルはそのまま床に放置された。元々手足をガチガチに縛られていて意識を取り戻したところで拘束から逃れることは難しいし、拘束がなくともこのボロボロの有り様では逃げ出すことなど不可能だ。
それ故の放置だったが、男たちの注意が完全にノエルから離れたところを見計らい、彼に近づく小さな影──隠れて様子を窺っていたリュミスだ。
「……よく頑張ったわね」
リュミスはそう言って気絶したノエルの頬を舐める。
彼女はノエルの予想通り、男たちが小屋に侵入してきた際、咄嗟に例の指輪とサイラスの手紙を持ってその場を離れ、男たちから隠れて様子を窺っていた。
何とか隙を見てノエルを助け出そうと考えてはいたものの、ついさっきまでは男たちの監視の目が厳しく近づくことさえできなかった。そしてようやく近づけはしたがノエルはボロボロで、これではとうてい逃げ出すことなどできそうにない。
リュミスはしばし逡巡するように目を閉じ──やがて意を決して呟く。
「ま、今の私は猫だし……一宿一飯の恩を忘れるのは不義理ってものよね」
そして彼女は隠し持っていた指輪を咥え、それを気絶したままのノエルの指に嵌めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「────ここは?」
気がつけば、ノエルは白い世界に立っていた。




