第14話
「……分かんない」
「そっか~ 分かんないか~」
小箱の封印を解いて、指輪を取り出して、呪文を使って鑑定して──それがノエルの結論だった。
「いや、一応マジックアイテムだってのは間違いないし、精神支配系の効果を持ってることまでは分かるんだよ?」
魔術師の第一階位呪文には【鑑定】という呪文があり、これを使えばマジックアイテムや人や物にかけられた呪文の効果を解析することができる。
当然、ノエルも魔術師の嗜みとしてこの呪文を習得していて、指輪に対しこれを使用してみた。
「ただ、これが本物の“支配の指輪”かっていうと、そこまでは判断がつかない。というか仮に先生が嘘をついているんだとしても、僕にすぐバレるような贋作を送ってたんじゃあ意味がないしね。最低限、僕を騙すか判断を迷わせるぐらいのマジックアイテムではある筈なんだよ」
「まぁ……あの手紙の内容で、露店で買った安物のシルバーアクセとか送ってきてたら正気の可能性はゼロね」
言われてみればその通りだわ、と頷くリュミス。彼女はそのまま首を傾げ言葉を続けた。
「でも、籠められてる魔力の強さとかで大体判断できたりしないの?」
「ん~……」
その質問にノエルは耳たぶを触りながら少し悩むような表情をした後、口を開いた。
「これが指輪に籠められてる魔力を消費するタイプのものならそれも可能なんだけど……」
「違うの?」
「違うっぽいね。僕の知識じゃ、どこから魔力を引っ張ってきてるのかもよく分かんない」
この辺りの感覚が魔術師ではないリュミスには伝わりにくいようで、彼女の顔に疑問符がいくつも浮かぶ。ノエルはその様子に苦笑し、可能な限り噛み砕いてそれを説明した。
「さっき僕が使った【鑑定】は術式を読めるようにするものでさ──術式っていう他の国の言語を共通語に翻訳してくれる呪文って言い換えれば分かりやすいかな」
「うん、何となく」
「確かにこの呪文を使えば僕らが普段使ってる共通語と同様に術式を読めるようになるわけだけど……言語が分かることと書かれてある内容が理解できることはまた別の話でさ。ほら、お偉いさんの書いた回りくどい論文とか、思春期の詩文とか、例え共通語で書かれてても理解しがたい文章はいくらでもあるだろ?」
「あ~、そういう感じな訳ね」
そりゃどうしようもないわ、とリュミスは深々と頷き理解を示す。
「なら実際に嵌めて試してみたら?」
「……どうかな。仮に先生が作ったんだとしたら贋作だとしてもそれなりの力はある筈だし、それだけで判別できるかっていうと怪しいね。というか──」
そこでノエルは半眼でリュミスを見下ろし、溜め息を吐く。
「──その場合、一番最初に試される可能性があるのは君なんだけど、危機感ないの?」
「…………へ? あ、ああ~! うん、そうね! それは危ないから危険だわ!」
「…………?」
不思議な反応をするリュミスに眉を顰める。ノエルが胡散臭げにリュミスを見つめていると、彼女は焦った様子で強引に話題を元に戻した。
「じゃ、じゃあ、その指輪の真偽を確認する方法は今のところないの?」
「…………まぁ、そうだね」
怪しいのは今に始まったことじゃないかと割り切り、ノエルはリュミスの誤魔化しに乗っかる。
「確実に調べようと思えば先生以上の魔術師に鑑定してもらうぐらいしかないんじゃないかな。まあ、さっき君が言ったみたいに指輪を使ってみれば、大体の予想はたてられるかもしれないけど──」
例えば指輪がサイラス導師では作製不可能なレベルの効果を発揮した場合など、真偽の判断がつくケースはあり得る。なのでそこだけを切り取ってみれば指輪を嵌めて試してみろというリュミスの提案は全く的外れなものではない。ないのだが──
「──君が僕の立場だったとして、この状況で、三年も音沙汰なかった元師匠から送られてきた怪しげな指輪を嵌めてみようって、なる?」
「絶対ならない」
リュミスは即答した。
「──だよね~。指輪嵌めた瞬間、逆に自分が操り人形になるようなことがあっても僕は驚きはしないよ」
「…………」
諦観混じりに乾いた笑みをこぼすノエルに、リュミスはただただ同情の視線を向けることしか出来なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
結論というか、結論を出すことを放棄したというか、ノエルたちは指輪について考えることを一旦後回しにした。
人生は答えの出ない問題に何時までもかかずらっていられるほど暇ではない。貧乏人の人生ならばなおのことだ。
「こちらご依頼のヒザのお薬です」
「はい。いつもありがとうね~」
腰の曲がった老婆はそう言ってノエルに薬代を渡す。
「毎度。またよろしくお願いします」
そう言って老婆の家を後にするノエルの後ろから、やり取りを少し離れた場所で見守っていたリュミスが近づき、声をかける。
「……今ので配達は終わり?」
「いや、あともう一軒。炭焼き小屋の爺様に脚気の薬を届ける」
「それって遠いの?」
「……まぁ、少し歩くかな」
ノエルの言葉にリュミスが「うげ~」と嫌そうな声を出す。
ここ数時間のやり取りでこの猫──もといケット・シーのことを理解しつつあったノエルは、次に彼女が何を言い出すか想像がついてしまった。
「お腹空いた~! もういい時間だし、先にお昼ごはん食べてからにしましょうよ」
「……食べたいなら勝手に食べてきなよ。僕は基本昼は食べないんだ」
リュミスはノエルの足にウニャっとタックルして、足首に縋りつきながら「ち~が~う~」と訴える。
「そうじゃなくて、私が食べたいから用意してって言ってるの~!」
「……何で僕が」
リュミスの身体をずるずる引きずりながら、ノエルは心底意味が分からないと言いたげに呻く。
家に忍び込んで、朝食を喰い散らかして、勝手に後をついてきて、挙句腹が減ったから飯を用意しろとは君はどこのお貴族様だと言いかけ──いや、一応猫の貴族なのか? と自己完結してツッコミを放棄する。
「ほら、あっちの森に行けば美味しい虫がたくさんいるから、僕のことは気にせず食べておいで」
「やだ~! ごはん、ごはん~! ちゃんとした人間のご飯が食べたいの~!!」
「いや、君猫だろ」
リュミスを足の甲に乗せたまま、そんなやり取りをして数十メートルほど道を進んだところで、ノエルに声をかけ近づいてくる男がいた。
「おぉ! ノエルじゃねぇか、ちょうどいいところに!」
「……ロッゾさん」
声のした方を振り返ると、振り返るとそこには毛むくじゃらの中年男の姿があった。
今あちらは愛想よく笑みを浮かべているが、このドワーフの血を引く粗雑な男のことをノエルはハッキリ苦手にしていた。
リュミスはあからさまに嫌そうな雰囲気を漂わせるノエルとその中年男とを交互に不思議そうに見上げる。
「──お? 猫じゃねぇか。かわいいなぁ。ほれ、こっちこい」
「ミャ?」
ロッゾと呼ばれた男はノエルの足にしがみつくリュミスに気づくと、威嚇しているとしか思えない汚い笑みを浮かべ「こいこい」とリュミスに向けて手招きする。
見た目も臭いもあらゆる意味で近づく要素のないその誘いにリュミスは戸惑い近づこうとしない。するとロッゾは懐から食べかけの干し芋を取り出し、それをチラつかせ始めた。
「ほれ。怯えんでもいい。美味いぞ~」
「ミャ……っ」
食欲と衛生観念の間で揺れ動くそぶりを見せるリュミス。動きの止まった猫にロッゾはするっと手を伸ばし──
「──ロッゾさん。悪喰も大概にしないとまた腹壊しますよ? 猫なんてどんな病気持ってるか分からないんだから」
「フニャッ!?」
ノエルの言葉に反応してリュミスがズサッと飛びのきロッゾから距離をとる。
ロッゾはその反応に顔を顰め、フンと鼻を鳴らして反論した。
「……肉なんて食えりゃ全部一緒だろ。選り好みしてるからテメェはそんな貧弱なんだよ」
「そんなこと言って、この間魔物肉食べて腹壊してたじゃないですか。慣れないもの食べるのはリスクが高いですよ」
「あん時は魔物だとは分からなかったんだ! だいたい、もしまた何かあたっても、そん時はテメェがちょちょいと薬出してくれりゃ済む話じゃねぇか。ガタガタ細かいこと言うない!」
こちらを見下しているくせに都合よく使うことに躊躇もない。その浅ましさに呆れながらノエルは精一杯の自制心で溜め息を噛み殺した。
「……あいにく僕の薬師としての腕なんて素人に毛がはえた程度のものなので。猪や鹿とかよく喰う肉なら大体対処の仕方も分かりますけど、そうじゃない未知の寄生虫やらにあたったら命の保証はできませんって」
「なにぃ?……チッ、使えねぇなぁ」
不満を漏らしつつリュミスに伸ばした手を引くロッゾ。リュミスはそれでも警戒を解かず彼から距離をとったままだった。
ノエルはロッゾとの会話を早く打ち切ろうと自分から話を振る。
「そんなことより、何か用事があって話しかけてきたんじゃないんですか?」
「ん? おお、そうだそうだ!」
ロッゾはそう言われて本来の用事を思い出し、説明もなくグイっと担いでいた皮袋と羊皮紙のメモをこちらに突き出してきた。
「ほれ」
「ほれって……」
受け取れということなのだろうが、何か分からないものを迂闊には受け取れない。そんなノエルの態度にロッゾは業を煮やし、強引にそれを手に押し付けてきた。
「いいからとっとと受け取れ!」
「うわ……」
振り払うこともできず、仕方なくそれを受け取る。袋の中身を確認すると中には大小さまざまな袋や箱が詰まっていて、羊皮紙には村人の名前とその後ろに番号が記載されていた。
「……何なんですか、これ? 押し売りされても金なんて払えませんよ?」
「ちげーよ! 誰がテメェに売るっつった! メモの相手にそいつを配達しろって言ってんだよ」
──いや、言われてはないが?
ノエルは言っても無駄だろうツッコミを胸中で押し殺し、代わりに別の言葉を口にする。
「何で僕が? あいにく僕も、そんなに暇じゃないんですけど」
敢えて強気に言い放つ。
村では身寄りのない孤児として決して立場の強くないノエルだが、だからと言って理由もなく他人に仕事を押し付けられることを良しとするほどお人よしでもない。
少なくともノエルは魔術師として村人たちからそれなりに重宝されている。悪く言えばいいように使われているだけだが、更に言い換えればノエルの技術は村の共有財産でもあるわけだ。今回のように個人的な雑用を押し付けられそうなケースでは、「村の用事が忙しい」と言って拒否することもできる。
「フン。暇じゃねぇのは俺も一緒だよ」
ノエルの立場は理解している筈だが、しかし今回ロッゾは強硬だった。
「テオの野郎が急に仕事辞めたせいで、こっちはその後始末に駆り出されてヒィヒィ言ってるんだ。テメェはあいつの弟分だろ? ガタガタ言わずに尻拭いぐらいしろっての」
「テオ兄の?」
意外な名前が出てノエルは目を丸くする。
いや、意外ということもないのか?
テオはつい数時間前に貴族のご落胤であることが判明し、その周囲は慌ただしい。とても彼が抱えていた大量の仕事を捌ける状態ではないだろう。
──とは言え、だ
「ったく、あの野郎もせめてこっちに一言断りぐらい入れろっての。仕事抱え込むだけ抱え込んで、引継ぎもなしにトンズラこきやがって……お陰でこっちはどこで何の仕事が溜まってるかもわかりゃしねぇ」
吐き捨てるロッゾの不満は、まぁ分からなくもない。
「……まぁ、それは仕方ないんじゃないですか? 突然あんなことがあって、騎士様たちに囲まれてちゃテオ兄も自由に動けないでしょ」
「んな訳あるか」
ノエルのフォローの言葉を、ロッゾは一言で切って捨てた。
「……俺も最初はそんな余裕ねぇんだろうなと思ってたが、あの野郎の行動は特に制限されてねぇよ。こっちから近づくのは周りの騎士共が妨害してるが、あいつが自分から動く分には問題ねぇみてぇだぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。早速女の家にしけこんでよろしくやってるってよ」
「……へー」
女というとテレーゼのことだろう。恐らく彼女との今後について親を交えて相談しているといったところか。テレーゼも突然テオが貴族になると聞いて不安に思っているだろうし、その不安を解消する為に早々に動いたテオの行動におかしなところはない。
「……でもまぁ、仕方ないんじゃないですか」
「チッ。言われなくても分かってるよ。あいつももうお貴族様だし、こっちに気を遣えなんて文句言える相手じゃねぇってことは。ただの愚痴だ。黙って聞いとけ」
「…………」
今までのテオであれば少しでも稼ぐために、テレーゼのことを後回しにしてでも仕事上の対応を優先していただろう。それ自体は決して間違いではないが、テレーゼの理解と優しさに甘えていた側面があることは否めない。彼はもはや小銭稼ぎをする必要はないのだから、優先順位が変化するのはむしろ自然なことだった。
「とにかく、俺は他にもあいつが抱え込んでた仕事がどうなったか聞いて回らなきゃなんねぇ! テメェもこんな時ぐらいガタガタ言わずに手伝え! 分かったな!?」
そう言って、ロッゾはノエルの返事を聞くことなく去って行った。
「…………」
その場に取り残されたノエルは手渡された皮袋を力なく地面に下ろし、溜め息を吐く。
──何なんだろうね、これは。
誰がおかしな行動をとっているわけでもない、おかしなことを言っているわけでもない。
兄貴分の門出のための尻拭いなら、それ自体は全く苦ではない──ないのだが、何なんだろうこの気持ちは?
胸のどこかにぽっかりと穴が開いたような──
「ねぇ~、ごはんは~?」
「…………」
猫の図々しさに、その時感じていた”何か”はいつの間にか忘れていた。




