第13話
親愛なる弟子ノエルへ
まず最初に、未だ迎えに行くという約束を果たせずにいることを謝らせてほしい。
学院はかつて私が在籍していた頃と変わらず、あるいはそれ以上に陰湿な組織となり果てていた。平民出身の私への風当たりは強く、私は弟子である君を守り切る自信を未だ持てずにいる。
三年も放っておいて何を今さらと思うだろうが、私は自分の見通しの甘さを恥じてこれまで君に手紙一つ送ることができなかった。
そのことを許してくれというつもりはない。だが約束を忘れたわけではないということだけは信じて欲しい。
その上で私は君に恥知らずな頼みをしなくてはならない。
一緒に送った箱の中身はもう見た後だろうか?
結論から言うと、箱の中にあるのは、かの勇者の一人が残したとされる神器の一つ『支配の指輪』だ。
私が古代遺跡の調査をライフワークとしていることは君も知っての通りだが、私は半年前にロンザの遺跡でこの指輪を発見した。
それが神器であることが判明したのは、この手紙を書いているほんの一週間ほど前のことだ。
指輪は持ち主を誘惑する力を持っている。私はその誘惑に駆られて、指輪の力を使ってしまった。
そしてその時、学院の一部の者に指輪の存在が知られてしまったようなのだ。
今のところ表立った干渉や襲撃などはなく、指輪の存在が知られたという確証はない。
だがその者たちが指輪の力を警戒して様子を窺っているのだとすれば、状況は極めて危険と言わざるを得ない。
指輪の力は本物であり、伝承で語られるそれより遥かに強力なものだった。
もしこれを良からぬ者が手にした時、どれほどの災厄が世にもたらされるのか、私には想像することもできない。
そうした者たちから指輪を守る為、私は学院を離れ身を隠すことにした。
だがこの指輪を狙う者たちが私以上の実力を持つ大導師たちであった場合、私がどれほど呪を尽くそうと逃げ切る自信はない。
故に、この指輪を君に託す。
どうか私が追及から逃げ切るまでその指輪を守って欲しいのだ。
とんだ厄介事をと思うかもしれないが、私には君以外頼れる人間がいない。
指輪を狙う者たちは、よもや私が指輪を手放すなどとは想像もしていないだろう。
私が姿を消し囮となれば、君にその追及の目が向く可能性は極めて低い筈だ。
そして万一、学院の手が君の身に及んだ時には、躊躇わず指輪の力を使い、その身と指輪を守って欲しい。
指輪の力は人の身には余る強大なものだが、君ならばその誘惑に負けることなく正しくその力を使えると信じている。
君と無事に再会する日を願って 君の師サイラスより
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………」
思い出というものは往々にして美化される。特に物事を客観的に見る目を持たない幼い頃であれば猶更。
ノエルは師サイラスから送られてきた長文の手紙に目を通し、しばし何かを堪えるように目頭を揉む。その後再び手紙に目を落とし、書いてある内容と自分の認識に誤りがないことを確認。
そして溜め息と共に絞り出すような声音で、
「ば────っかじゃねぇの、あのオッサン……!」
師への心の底からの毒を吐き出した。
荒んだ表情を見せるノエルをリュミスは「分かる分かる」と慰めつつ、サイラスに対するフォローめいた言葉を口にする。
「そのサイラスって男、失踪する前後は相当精神的に追い詰められてたみたいだからねぇ。まともな判断ができる状態じゃなかったのかもよ?」
「そういう問題じゃ──いや、何で君がそんなことを知ってるんだ?」
ノエルは手紙をテーブルの上に雑に投げ捨て、その横に置いてある小箱──手紙の通りなら“支配の指輪”が封印された──を指で叩きながら半眼でリュミスを睨む。
「この正気を失ったオッサンの手紙の真偽は一先ずおいとくとして──君は一体何なんだ? 手紙にあった学院の追手とやらなのか?」
手紙を盗み見たのだとしても、このタイミングでノエルの下にやってきたということは、手紙を読む前からある程度事情は把握していたに違いない。
既に散々間の抜けたところを見せつけられたノエルとしては今更警戒する気にもなれないが、この猫──もといケット・シーが怪しいことは否定しようのない事実だった。
「そんなわけないじゃない。もし追手なら、わざわざ警告なんてせずにその指輪を持ち去ってるわ」
「……まあ、それはそうだろうね」
いっそそうしてくれていれば面倒事が無くて良かったのにという本音を押し殺しつつ、ノエルは彼女の言い分の正しさを認めた。
「その上でもう一度聞くけど、じゃあ君は一体何なんだ? 学院からの追手でもその使い魔ってわけでもない。そのくせ先生の事情にはある程度通じてるらしい。君はいったい何者で、何の目的でここに来たんだい?」
「ん~……まぁ、そこは当然の疑問よね」
リュミスはノエルの冷たい視線に動じることなく、どう説明したものか少し悩むそぶりをして続けた。
「個人的な事情は省いて説明させてもらうと、私は前から勇者が遺したっていう神器を探して学院を探ってたのよ。ほら、行方不明になってる神器の内の一つが学院の長に受け継がれてるって話、聞いたことがない?」
リュミスが口にしたのは昔から根強く市井に流布している都市伝説だ。
「……ああ。皇帝の“剣”、教皇の“冠”に続く三つ目の神器の話だね。ただあれって特に根拠があるわけじゃなくて、学院の長なら神器を受け継いでてもおかしくないってとこから誰かが言い出した与太話じゃなかったっけ?」
「ええ。私も結局真偽のほどは確認できなかったし、その可能性は否定はしないわ。ただ他に神器に繋がりそうな話も無かったし、マジックアイテムの情報はやっぱり学院が一番詳しいでしょ? 何か手掛かりがあればと思って探ってたの──ここまではいい?」
リュミスの確認に、ノエルは根本的な疑問を口にする。
「そもそも神器を捜してた理由は──」
「そこは個人的な事情なのでノーコメントです」
「……なんだそりゃ」
キッパリと拒否するリュミスに、ノエルは呆れて溜め息を吐く。
その反応に、リュミスはもったいぶるように目を細めて続けた。
「ん~? でも、貴方がどうしても乙女の秘密を知りたいって言うなら──」
「いや結構。一応聞いただけなんで」
「失礼!! 聞くなら最後まで粘りなさいよ!?」
ケット・シーと言えば猫の貴族とも王族とも呼ばれる妖精種だ。神器を探す理由なんてどうせ一族の使命とかそんな事情だろうとあたりをつける。どんな事情があろうと、この間抜けなケット・シーに危険も何もないだろうし、どうでもいいというのが正直な感想だ。
「……まあいいわ。とにかく私は学院を探る過程で、貴方の師匠のサイラス導師が遺跡から“神器”を見つけたんじゃないかって話を耳にしたの。だけどサイラス導師は私が接触する前に失踪しちゃって……仕方なくその周辺を探った結果、貴方に辿り着いたってわけ」
「ふ~ん……」
筋が通っているようないないような。
そもそも話のテーマが“神器”だの“支配の指輪”だのと真偽定かでない内容なので曖昧なイメージを抱いてしまうのは仕方がないことかもしれないが、それはともかくとして、だ。
「……いくつか気になることがあるんだけど」
「どうぞ。答えられるかどうかは別にして、質問は受け付けるわよ」
「そりゃどうも──まず第一に、神器の情報が漏れてたって言うなら、学院はどうして強硬な手段に出なかったんだろう? 先生がわざわざこんな物を僕に送って、逃げ出す余裕があったってのがどうも腑に落ちないんだけど」
そういう疑惑が持ち上がった時点で、学院上層部が強権を振るって指輪を確保していればそれで終わっていた話だと思うが……上層部もそこまでの確証はなかったということだろうか?
だがコトの重要性を考えれば疑惑の時点で迅速に指輪は確保すべきだろうし、ましてむざむざ逃亡を許すというのはお粗末過ぎる気がするのだが……
「う~ん……これは私の推測だけど、学院は指輪の力と、これ以上指輪の情報が拡散することを警戒してたんじゃないかしら」
「…………なるほど」
ノエルはそれだけでリュミスの言いたいことを理解する。
真偽はともかく、伝説における“支配の指輪”は万象を支配するとされた強力なマジックアイテムだ。下手に刺激してその力が自分に振るわれたらと警戒するのは自然な発想だし、力ある魔術師ほど迂闊な行動は慎むだろう。加えてサイラス導師から奪うのはいいが、その後”誰が”指輪の所持者となるかという問題もある。
またあまり大っぴらに動いて情報が拡散するのは上手くない。単純に指輪を狙う者が増えるというのもあるが、国や教会など学院外の勢力が動けば厄介だ。
となると自然、学院のサイラス導師への追及は婉曲で密やかなものにならざるをえなかったといったところか。
「じゃあもう一つ。リュミス。君は神器を捜していると言ったね?」
「ええ」
「なら、どうしてこの箱を持って行かなかったんだい?」
ノエルは小箱を中指でピンと弾きながら首を傾げる。
リュミスの発言の最大の矛盾点がこれだ。神器を捜していたというのなら、それが目の前にあるのに放置する意味が分からない。
手紙の内容が事実かどうか、サイラス導師が実はノエルを囮とするためこちらに偽物を送っているのではといった疑念はあるが、そんなものは一先ず現物を確保してから考えればいいことだ。
封印の解き方が分からなかった?
いや、それにしたって一旦箱を確保した後で解き方を探った方が絶対に賢い。仮にそこに思い至らなかったのだとしても、わざわざ自分が神器を狙っていると自白して、リュミスにいったい何のメリットがあるというのか。そしらぬふりをしてノエルに付き纏い、ノエルが封印を解いた後に隙を突いて奪えば良いのだ。
「ん~……それぐらいなら説明してもいいか。あのね、私は確かに神器を捜してるって言ったけど、それは神器なら何でもいいって訳じゃないの」
「……目当ての神器があるってこと?」
リュミスは少し迷うような素振りをした後、軽く息を吐いて頷く。
「まぁ、そうね。目当てがあって、絶対にそれじゃないと駄目ってことはないんだけど、指輪は駄目」
「何で?」
「……この手に、人間用の指輪が嵌まると思う?」
そういって半眼で肉球を見せつけるリュミスに、ノエルはそりゃそうだと納得する。リュミスは神器を求めてここに辿り着いたが、サイラス導師が送った神器が指輪だとは知らなかったということか。
「じゃあ、何でまだここに残ってるんだい? 目当てと違ったなら、厄介事に巻き込まれる前にとっととここを離れればよかったじゃないか」
ノエルのもっともな疑問に、リュミスは右前足を胸に当ててフフンと芝居がかった仕草で答えた。
「そこはほら、貴方が事情も知らないままトラブルに巻き込まれるのを心配して──」
「そういうのいいから」
朝飯を盗み食いされる前ならその言い訳にも幾分信憑性があったかもね、と半眼でツッコむと、リュミスは芝居をやめてあっさりと認めた。
「それが本物の“指輪”だとしたら、貴方にはいずれサイラス導師から接触があるってことでしょ? 私は神器を捜してるって言ったけど、正直今は何も手がかりがない状態なの。考古学の権威で、実際に神器を見つけたって言う導師なら、他の神器の情報も持ってるんじゃないかなぁ~っと、少し期待してるのよ」
「ふむ……」
それが思惑の全てではあるまいが、サイラス導師に接触したいというのは嘘ではないと感じた。
だがそれはサイラス導師が本物の指輪をノエルに送っていることが前提となる。
「君の言い分は分かったけど……そもそもこれが本物だと思ってるの?」
ノエルの言葉にリュミスは苦笑して首を横に振った。
「正直、可能性は低いかな……って」
「君がまともな判断力の持ち主で安心したよ。丸三年も会ってない元弟子に、そんな危険で貴重なマジックアイテムを送るなんて正気の沙汰じゃあないからね。普通に考えたら囮は僕の方だろうさ。というか先生が行方を晦ませば、学院は当然故郷や先生が過去に関りを持ってた人間を調査するはずだ。元とは言え弟子の僕に追及が及ばないはずがない──実際、君が僕に辿り着いた訳だしね」
そもそもあの手紙の内容自体がおかしいんだ、とノエルは“元”弟子を強調しつつ吐き捨てた。
リュミスはそんなノエルを宥めるように言う。
「まぁまぁ。その辺は箱の中身を見てから対策を立てるしかないんじゃない? 導師の思惑がどうであれ、分からないまま振り回されるのが一番マズいわけだし。それにまんざらあの手紙が嘘とは限らないかもよ?」
「…………何で?」
「ほら。私も人伝に聞いただけだけど、失踪する直前の導師が相当精神的に追い詰められてたって話はさっきもしたでしょ? まともな判断ができずに貴方に本物の指輪を送り付けたって可能性もなくはないのかも」
「…………はぁ」
どうして自分は三年も会っていない師の“良心”か“正気”かを疑わなくてはならないのか。
ノエルは天井を見上げ顔を両手で押さえて慨嘆した。




