第12話
「────」
貴族の馬車とその私兵が、テオが間借りしている長屋に押しかけていた。
その光景を見た瞬間、何があったのかも理解できないまま、ただ不安と恐怖にノエルの心臓は大きく脈打つ。
村人たちが騒いでいる『大変だ──』『テオが──』。
だが村人たちもテオに“何か”が起きたことは分かっていても、具体的に”何が”起きたのかまでは知らないのだろう。ただただ騒ぎ立て、野次馬となって長屋を囲んでいた。
「どいて……っ!」
「ぐわっ!?」
「何しやがる、痛ぇじゃねぇか!!」
野次馬たちをかき分けて強引に進む。押しのけられた何人かが怒りの声を上げていたが、この時ばかりは気にする余裕がなかった。
嫌な想像が浮かぶ。
こんな田舎の村に貴族の私兵がやってくるなんて普通じゃあない。それも村長ではなく、テオのところに?
テオはほとんど村を出たことがなく、貴族との接点などない──はず。強いて言うなら兵役で何度か戦場に出たことがあったが、それにしたってもう半年以上前の話だ。仮にその時何かトラブルがあったとしても、今頃それが問題になるとは考えにくい。
──じゃあ他に何がある? 知らないところで色々仕事を引き受けてるみたいだし、何かヤバイ案件に引っかかった? それともまたアーフェンのクソ野郎に何か押し付けられたのか!?
嫌な想像に心臓を鷲掴みにされながら野次馬の群れを突破し、長屋の前に飛び出す。
その場に駆け付けて、自分に何か出来ることがあると思っていたわけではない。所詮自分は非力で身分の低い孤児だ。ただそれでも駆け付けずにはいられなかった。
恐怖と不安と焦燥とに背を押され、ノエルがそこで見たものは──
「──……え?」
──身なりの良い老騎士に傅かれ、困惑する兄貴分の姿だった。
漏れ聞いた話を統合すると、どうやらテオは貴族のご落胤だったらしい。
父親は二つ隣の領の伯爵様。テオの両親は元々その伯爵家の使用人だったそうで、テオの母親はその際に伯爵様からお慈悲を頂いて、テオを身籠った。
だが当時、伯爵様には正妻も嫡子もいて、平民の使用人との間に生まれた子供など厄介者でしかなかった。テオの母親は幾ばくかの金銭を持たされた上で屋敷を放逐され、庭師だった男がその後を追ったそうだ。
彼らは夫婦となり、テオが物心ついた頃、戦渦に巻き込まれて命を落とす。そして孤児となったテオは巡り巡ってこの村の教会に預けられた。
よくある話と言えばその通りで、本来であればテオは自らの出生を知ることさえなく、平民としてその生涯を終えていた筈だった──テオの腹違いの兄弟たちが火事で命を落とさなければ。
半年ほど前──奇しくもテオが兵役で参加していた戦争の煽りを受けてのことらしい。伯爵家に恨みを持つ者によって屋敷に火がかけられ、屋敷にいた者の大半が命を落とし、伯爵様の妻や子供たちは皆焼死。伯爵様自身は辛うじて命をつないだものの半身不随の重傷を負ってしまう。
伯爵様は二度と子をなすことができない身体となってしまったが、彼には亡くなった子供たち以外に後継者となり得る血族がいなかった。
家を存続させるためには、どこかから養子でも迎えるしかないかと考えていたところ、彼はふと昔自分が孕ませた使用人のことを思いだしたらしい。
部下たちに命じてその足取りを追わせ、そしてついにテオの居場所を突き止めた──とまあ、言葉にすればありがちな、こすり倒された成り上がりストーリーの冒頭部分といったところだろう。
「…………」
「──あ! やっと戻ってきた!」
騒動の事情を把握し、ノエルが自分の小屋に戻ってくるまでに約二時間ほどが経過していた。
「こら! いい加減この縄ほどきなさいよ! 私のキュートな足がうっ血して感覚がなくなっちゃってるぅ~!」
キャンキャン──あるいはニャンニャン吠えるリュミスにチラリと視線をやり、これ以上騒がれても鬱陶しいので無言で手足を縛る紐を解いて解放してやる。この時点で既にノエルのケット・シーに対する興味はほぼほぼ失われていた。
「う゛に゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛……! 足が痺れる……っ!」
紐を解いて血が巡り出し、手足の痺れにリュミスが悶えて騒がしさは余計に増してしまったが、ノエルは無視して椅子に腰を掛け、静かに息を吐く。半分ほどリュミスに食い散らかされた朝食がまだテーブルの上にあったが、食欲はもうない。
ノエルはテオと話をすることができなかった。
テオを迎えに来た老騎士は彼をすぐにでも伯爵家に連れ帰ろうとしたが、テオはそれを拒否した。ただテオも伯爵家に入ること自体を拒否しているわけではなく、いきなりそんなことを言われてもという困惑の方が大きかったようだ。困惑に混じって彼の表情には喜色めいたものが浮かんでいた。
ただ奴隷落ちしていないだけの最底辺の平民が貴族になれるというのだ。喜ばない方がどうかしている。
老騎士も将来の主の感情を蔑ろにするつもりはなかったらしく、気持ちの整理や別れを告げたい相手もいるだろうからと、一週間ほどの猶予をテオに与えた。一方、短期間とはいえテオが長屋暮らしを続けることは許容できなかったようで、彼らはこの村で一番マシな家をテオと自分たちの仮住まいとして徴発した。一番マシな家とはつまり村長の屋敷で、強権を突きつけられた村長一家が慌てふためきながら荷物を家の外に運び出している様は、そんな状況ではないと分かってはいたが少し笑えた。
どちらにせよテオには最終的な拒否権も選択肢もない。期日である一週間後にはこの村を離れ、伯爵家の後継者となるのだろう。
目出度いことだ──と思う。
貴族──しかも伯爵ともなれば大出世だ。貴族の事情には詳しくないノエルだが、三〇〇年前に魔王を倒した勇者の一人が、当時の王国で伯爵位を授かったという話は聞いたことがあった。言い換えればテオは平民では魔王を倒すぐらいのことをしなければ手に入らない地位を得たことになる。
無論、平民が貴族にとなればやっかみもあるだろうし、一から教育を受ける苦労は並大抵ではないだろう。だがそれでも、このまま底辺の生活を送るよりはテオにとってずっとマシな環境の筈だ。
「あ゛ぁ……やっと動けるようになってきた。私、痺れて死ぬかもしれないと思ったのって初めてよ」
ていてい、と足元でねこパンチを繰り出すリュミスを無視して、ノエルは考え事に耽る。
──そうだ。テレーゼのことはどうするつもりなんだろう?
テオが何より大切に思っていた彼の恋人。これまで村一番の美人とされていたテレーゼはテオにとって高嶺の花で、彼が彼女との関係を認めてもらうために努力してきたことをノエルは知っている。
だが今回のことで両者の関係は完全に逆転してしまった。
「あ、ねぇ? 話は変わるけど、ご飯食べないなら、残りも私がもらっていい?」
恐らく貴族になれという話を聞いて、テオがすぐに頷けなかった一番大きな理由がテレーゼとの関係にあったことは想像に難くない。
少なくとも貴族となってしまえば平民のテレーゼを妻に迎えられる筈がないことぐらい誰にだって分かるのだから。
「反応ないから食べちゃいま~す。はぐっ、はぐはぐ……」
テオがテレーゼとの関係継続を望むのだとしたら、取り得る手段はテレーゼを妾として連れていくことぐらいしか思いつかない。伯爵家唯一の後継者としてあまり好ましいことではあるまいが、認められる可能性は十分あるように思う。
テオには次期伯爵としての教育に加えてもう一つ、早急に自分の血を継ぐ子を成すことが求められるはずだ。当然、その相手は相応の地位を持つ貴族であることが望ましいが、まともな教育を受けてこなかったテオが今すぐ貴族の妻を持つというのは難しいだろう。
となればいざという時の保険として身分の低い女をあてがって予備だけでも作らせておこうか、と考えるのは自然な発想だ。その場合であっても、相手は寄子や配下の娘など最低限の地位を持つ女性であることが望ましいが、それも決して簡単な話ではあるまい。
何せテオが順調に貴族としての立場を固め正式な妻を迎えれば、その女性と彼女が為した子供は用済みとなるのだ。まともな親であればそんな不安定な──しかも元平民の男のところに娘を嫁がせたいと思うだろうか?
それでもいいと娘を寄越すような親ならば、忠誠よりもむしろその野心を怪しむべきだろう。下手に地位のある家の娘をあてがって伯爵家を乗っ取られるリスクを考えれば、害のないテレーゼとの関係が認められる可能性は低くないように思えた。
もちろんその選択がテレーゼにとって幸せとは限らないし、どんな道を選ぶかは二人が決めるべきこと。というか今のところこれはノエルの勝手な想像でしかないわけだし、どうなるかは全くの未知数だ。
「……ふぅ~。ご馳走様。お腹は膨れたけど、もうこっちのパンったら硬いのなんのって……顎が疲れちゃったわ。口直しになんか果物とか甘いものとかない?」
ふと疑問に思う──テオの話を聞いて以降、自分がもやもやしたモノを抱えているのは、テレーゼのことを気にしていたからだろうか?
考えて、すぐにそれは違うと結論付ける。正直、テレーゼのことに思い至ったのはたった今だ。ここに戻ってくるまで彼女のことはおろか、伯爵家入りしたテオがどんな苦労をするのかさえ自分は考えが及んでいなかった。
「お~い? デザートは冗談だよ~? ツッコミはまだかな~?」
ならばこの感情はテオが手が届かない場所へ行くことへの寂しさか──あるいは嫉妬か。自分が兄貴分の栄達を喜べないほど狭量だとは思いたくはないが、そうした感情があることを否定はできない。
だがそれだけではない気もする。
テオは仕事に向かう途中、突然騎士たちに囲まれたのだろう。大切に使っていた仕事道具の手斧を地面に落とし、茫然自失としている兄貴分の姿に、自分は一体何を感じて──
「てぇい!! いい加減無視すんな!!」
「────!?」
──ドスッ!
頭に重量感のある柔らかい物体がのしかかる。無視され続けた業を煮やし、リュミスがノエルの背中をよじ登り頭上に覆いかぶさっていた。
ノエルが手を伸ばすと、リュミスはそれをヒョイと躱し、クルリと宙返りして土床に着地。ようやくノエルの意識が自分に向けられたことに、フフンと鼻を鳴らして満足げな様子を見せる。
「……はぁ。もう見逃してやるからとっとと失せな」
「むきぃぃぃっ!!」
しかしノエルは今こんな獣の相手をする気分ではない。溜め息を吐き、しっしと追い払う様な仕草をした。
「何その態度!? 私の忠告を無視したらとんでもないことになるわよ──って、さっき言ったの忘れたの!?」
「……ああ~」
何故かしつこく食い下がってくるリュミスに、ノエルはさっきと言うには随分昔の気がするリュミスとのやり取りを思い出そうとした。確かあれは──
「えっと……グレートキャットキングダムの猫仙人がフラれた腹いせにカップルに水虫になる呪いをかけたって話だっけ?」
「一つも合ってない! せめてワンフレーズぐらいは近いの入れなさいよ!」
そう言われてもな~と、心底面倒くさそうに顔を顰めるノエルに、リュミスは前足で土床を叩きながら続ける。
「学院から、刺客が、送り、込まれて、くるって、話、よ! とにかく! 事情を説明したげるから、まずはサイラス導師──あんたの師匠からの手紙をとっとと読みなさぁぁぁい!!」
「ええ~……」
こんな時に面倒くさいなとは思いつつ、確かに師からの手紙はいつまでも無視できるものではない。
ノエルはリュミスに促されて渋々それを手に取り、目を通し──後悔した。




