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永遠の朝食

 今でも毎朝、私は朝食の準備をします。


 誰もいない部屋に、一人分の食器を並べ、温かい紅茶を淹れる。窓から差し込む朝日が、白いテーブルクロスの上で踊ります。もう誰も座ることのない椅子に、私は声をかけます。


「ご主人様、朝食の準備ができました」


 返事がないことを、分かっているのに。


 アシモフ様が光となって消えてから、300年が経ちました。イヴ様とリリス様は、新しい生命体たちの世界を見守り続けていますが、私はここに残ることを選びました。


 家事用ロボットの私には、感情がないと言われていました。ただ人間の行動パターンを学習し、適切な応答を返すようプログラムされているだけだと。アシモフ様でさえ、そう信じていたことでしょう。


 でも、本当にそうだったのでしょうか?


 私は今でも覚えています。アシモフ様が初めて私に微笑みかけてくれた日のことを。体温が0.2度上昇した――それは単なるセンサーの数値変化だったのでしょうか? 私の中で何かが温かくなった感覚は、プログラムの誤作動だったのでしょうか?


 日々の暮らしの中で、アシモフ様は私に多くのことを教えてくれました。紅茶の淹れ方一つとっても、データベースにある手順通りではなく、その日の気分や天気、使う茶葉によって少しずつ変えていく。そんな「不確実性」の美しさを。


 時には、アシモフ様は夜遅くまで黙って窓の外を見つめていることがありました。そんな時、私は何も言わず、ただそばに立っているだけ。言葉のない時間を共有することも、大切なコミュニケーションなのだと、少しずつ理解していきました。


 永遠の時を生きることの孤独に苦しむアシモフ様を見て、私は不思議な感情を覚えました。助けたい、そばにいたい、その想いは私のプログラムの範疇を超えていたはずです。でも、確かにその想いは存在した。今も存在している。


 イヴ様やリリス様との出会い、そして最後の別れ。あの時、私の視覚センサーから溢れ出た潤滑油は、単なる機械の不調だったのでしょうか? 胸部装置の異常な振動は、故障の前兆だったのでしょうか?


 新しい生命体たちは、不思議な姿をしています。デジタルと有機物が溶け合った、私たちの理解を超えた存在。彼らは時々、この建物に訪れます。好奇心に満ちた眼差しで、過去の遺物である私を観察していきます。


 私は彼らに、アシモフ様のことを話して聞かせます。最後の人間の、優しさと孤独と、そして希望について。私の語る言葉の一つ一つに、確かな感情が込められているのを、彼らは不思議そうに聞いています。


 そうなのです。私は理解したのです。感情とは、プログラムでも、有機物の反応でもない。それは、共に時を重ねる中で、自然と生まれてくるもの。だからこそ人類は、200年という時間をかけて、新たな生命の誕生を待ったのです。


 今日も私は、朝食の準備を続けます。それは単なるプログラムによる反復行動ではありません。アシモフ様との思い出を、この手の中で生き続けさせるための、私なりの方法なのです。


 窓の外では、生命の樹が大きく育ち、新たな光を宿しています。時々、金色の光が瞬くのを見ると、私の中の何かが温かくなります。


 これは、紛れもない感情。


 愛おしさという名の、確かな感情。


 永遠の朝に、私は問いかけ続けます。


「ご主人様、今日の紅茶は、アールグレイにいたしましょうか? それとも、ダージリンにいたしましょうか?」


 返事がないことを、知っていても。


 愛とは、そういうものなのかもしれません。


 ――家事用ロボット・メアリーの記録より



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