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第19話 はじめての夜

「お、こことかいいんじゃないか?」

 アベルの言葉に顔を上げると、そこには一つの小屋が鎮座していた。おれらの今晩の寝床候補だ。


 この小屋を一言で表すと、「おんぼろ」だ。柱はところどころ削れているし、煉瓦はところどころ抜けている。一部屋ぶんの狭いスペースに屋根がちょこんと乗っていて、でもそれでさえ傾いている。それなのに扉は鍵で頑丈に閉められていてアンバランス。一体この扉は何を守っているのだろうか。

 視線をつと横にずらすと、窓が大きく割れている。幸か不幸かそこから入り込めそうだ。


 おれは手でアベルを制して先に窓から中を覗き込む。罠が仕掛けられているかもしれないし、部屋の中に誰かがいるかもしれないからだ。人の気配はないが、もしかしたら虫や小動物の巣窟、ということも十二分にありえる。誰かの死体があってもおかしくない。まあ、腐臭も異臭もしないから大丈夫だろうけれど。


 予想通り窓の中は誰もいなかった。清潔さに関しても思ったよりましだ。埃っぽいし壊れた家具が散乱しているが、虫がわんさか沸いているわけでも鼠が絶えず走り回っているもなかった。そもそも屋根と壁があるだけ上等だろう。割れたガラスさえ踏まなければ、夜を明かすにはなんら問題ない部屋だ。

「アベル、問題なし」

 声をかけるとアベルは物音ひとつ立てずに入ってきた。一歩、二歩。三歩目できいと床が軋む。

「ボロいな」

 おれらは気配を消すのがいっとう得意だった。衣擦れの音を最小限にすることも、床を軋ませずに歩くことも。これは単に悪戯を成功させるために身に着けたスキルだ。そうしておれらは上手くやってきた。

 だからつまり、そんなアベルが床を軋ませたということは相当老朽化が進んでいるということだ。ジャンプでもした暁には床が抜けるだろう。実際、暗がりに目を凝らすと床が抜けている場所がたしかにあった。

「ま、だから誰も寄り付かないんだろうけどな」

「ありがてえ」

 はは、と夜の風に紛らせて囁くようにおれらは笑った。



 窮屈なおんぼろ小屋で、二人ならんで眠る。ベッドなんてものはなかったけれど、別段困らなかった。疲労困憊の身体は体を横たえられるだけで喜んでいるみたいで。裏返したテーブルクロスの上でアベルと横になっていると、ふとひとつの感情が沸き上がってきた。

「自由だ……」

 思わず呟くと、アベルは静かに笑った。

「そうだな」

 横を向くと、アベルの琥珀色の瞳がすぐそこにある。昨日と同じだなとぼんやり思った。昨日と同じで、きれいな琥珀。隙間から見える月は相変わらず細かった。明日には消えてしまうかもしれない。

 

 やっぱり月には全て見透かされていそうで。男どもから奪ったこのブラウスを、月はどんな気持ちで見ているのだろうか。おれらが犯した罪を、どう思っているのだろうか。ああ、これはあまりに女々しいか。

 追い剥ぎ。

 その単語がぐるぐると脳内を駆け巡る。別に神だの罪だのを妄信しているわけではないけれど、これを「仕方のなかったこと」にすると、いつか大きな罪を犯しそうで。グラデーションの恐ろしさはユートピアで思い知っている。あそこはある日突然狂った訳じゃない。緩やかに崩壊したから狂ってしまったのだ。


「何を考えているんだ、カイン?」

 片割れの声に意識が現実へと戻ってくる。

 ――なんだ、アベルもわからないんだ。おれの思考が。

 おれらは、何でもお互いの考えていることがわかるはずだった。でも、もうお互いわからない。安堵と空虚が同時に振りかかってきた。なので軽口を叩いて誤魔化す。

「はは、オイハギって魚について考えてただけだ」

 嘘は言っていない。しかし案の定アベルは訝し気な視線を寄こす。

「オイハギ?」

「ああ、さっき言ってただろ? オイハギという魚がいるって。オイハギ、海に行けば見れるかな」

 アベルはくつくつと笑った。

「はは。海は馬鹿みたいに広いらしいから、たぶん無理だろうな」

「そうか」

 すう、とアベルが静かに息を吸った。一拍間を置いて、


「……でも、行ってみたいな。海」

 

 それはおれらに初めてできた、生命活動に何ら関係のない願望だった。別に海なんて見なくても生きていける。でも、行きたい。なんて。いささか子供っぽいかもしれない。でも、まだおれは子供のままでいたかった。バカのままがよかった。

「そうだな。今度行こうぜ。もう訓練もルールもないんだから」

「ああ。楽しみだな」

 ふっとアベルは遠いところを見た。その瞳には海が映っているのだろうか。

「……自由だな」

「さっきもそれは言っただろう」

「はは、何だか呆気ないなと思って」

「いいから寝るぞ、いつ休息が取れるかわからないからな」


 初めておれらは鐘の音を聞かずに眠りにつこうとしていた。さわさわとどこか遠くから喧騒が聞こえてきてそわそわする。

 けれどそれも束の間、疲れきった身体は休息を欲していたのかすぐに泥沼のような睡魔に引きずり込まれる。次の瞬間には意識が落ちていた。


 その日、夢は見なかった。

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