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第17話 殴られる前に殴る

 俯いたアベルは、ふっと呼吸にも似た笑いをこぼした。

「じゃあ交渉決裂だな」

 さっといたいけな子供の仮面を外しアベルは淡々と言う。先程までの殊勝さはどこへやら、俯いたアベルに残ったのは傲岸不遜ともいえる笑み。でも、勝ち誇った男たちはそれに気付けない。あーあ、せっかくアベルが慈悲を見せたというのに。

「交渉決裂ぅ? お子ちゃまが難しい言葉を知っているんでちゅねー」

 ぎゃはは、下卑た笑いが部屋いっぱいに広がる。少し甲高い声も混ざっていて不快だ。最低な当代マスターを思い出してしまいそうで。ああ、あんなクズ、さっさと忘れよう。

「てか見ろよ、こいつらの服、奴隷みてぇ。奴隷商人に売り飛ばすか?」

「そりゃあいいな、高く売れるだろうなァ。顔は悪くないんだし」


 ぎゃはは。げらげら。周りの男も追従して笑う。それをぼんやりと眺めながら、ぐっと拳に力を込めた。こんな茶番に付き合ってられない。ふとアベルの言葉が脳裏に蘇る。


 ――殴り返す? それじゃあ意味がないんだよ、カイン。


 アベルはこの茶番が始まる前にそう囁いた。そう、殴られた分を殴り返すだけでは面白くないのだ。貰った以上のものをお見舞いする。これがおれらの流儀だった。

 とはいえ別に男たちを甚振って愉しむ趣味はない。そもそも男共にやられた訳でもないし。

 畢竟、おれらは遊びたかっただけなのだ。今回は「勝手に優越感に浸っている無知な男共」で遊んでいたのだ。これを遊びというにはあまりにも歪んでいるかもしれないけれど。でも、退屈は毒で、残念ながらおれらはこれ以外に娯楽を知らなかったのだ。


「はは、退屈しのぎにはなっただろう? カイン」

 アベルがまた耳元で囁く。男共はやはり気が付かない。

「でも、おれはそろそろ飽きたな」

 ぎゃははという下卑た笑い声が狭い室内に響いて不快だ。ユートピアではこんなうるさい笑い声を聞いたことがなかったから、単に慣れていないだけかもしれないが。

「奇遇だな、カイン。俺も飽きていたところだ」

 それは『頭脳』としての指令だった。そう、カインとアベルの意思が一致すると『手足』は動くのだ。


 だからおれは拳を握りしめた。目の前で下品に笑っている男の鳩尾を殴ってやる。今までの鬱憤を晴らすがごとく、速度つきのフルスイングをお見舞いする。肉に拳が食い込む感覚。あまり好きではない。

「ぐぇ……」

 少し黙らせるだけのつもりが、醜い声を出してそのまま男は気絶してしまった。なんだ、甲斐性のないやつ。ユートピアだったら生きていけないだろうなと思った。まあ、それはおれらのように少しでも平等から外れようとした場合だけれど。変なことをしなければ、暴力とは無縁の生活を送れるはずなのだ。本当は。でも、それじゃあつまらない。

 そう、平等な社会では平等を守ろうとするやつだけが平穏無事に生き延びられるのだ。出る杭は打たれる。それを骨の髄までわかっていておれらは打たれる杭になったのだ。


 手をどかすと、どさりと音を立てて男が頽れる。体格はおれより立派なのに、情けない。その筋肉は飾りなのだろうか。くるり、ふと振り返る。別に気配がわかるからわざわざ視覚に頼らなくても良かったのだけれど。


 案の定、他の男らは呆けていてまだ襲いかかってくる気配はなかった。きっと一瞬のうちに味方が気絶してしまって驚いたのだろう。本当にばかだな。敵にこんな悠長に考え事をさせるなんて愚の骨頂だ。

「はは、やるねぇ」

 嫌な緊張が張り詰める部屋で、アベルがのんびりと言った。まるで十年来の友人とカードゲームをするような呑気ささえ漂っていた。しかし油断してはいけない。その整った笑顔に「カインがやらなければ俺がやっていた」と書いてあるのだ。

 忘れることなかれ、『頭脳』になると言ったくせにアベルはおれよりも手が出るのが早かった。朝のヘッドロック然り。下手をすれば力加減を誤って殺してしまいかねない。おれが先に殴って良かったと心底思った。

「おいおい、何か失礼なことを考えていないだろうな、カイン。俺だって力加減くらいわかるって」

 言葉の割にアベルがほんの少し愉快そうに言った。全く説得力がなくておれは吹き出した。眠っているおれに殺人ヘッドロックをかましているのは誰だよ。

「はは。冗談は休み休み言ってくれ、アベル」

「俺はいつだって本気だけど」

「そういうところだ」


 なんていつもの如く世間話を楽しんでいると、「なにこの、」と怒声をあげてもう一人の男がおれに殴りかかってきた。予想通り過ぎる展開に思わず失笑しそうになる。

「ばかだな」

 ユートピアにいた頃のようにわざと殴られてやる義理はない。重心ぶれぶれの拳を軽くいなし、足払いをかけて床に叩き落とした。呻く男を足で転がして仰向けにさせると、そのま鳩尾に蹴りをいれる。あっけなく二人目の男は白目を剝いて意識を失った。続いて三人目。いちばんひょろひょろの男は倒れた男に蹴躓き、そこに手刀をお見舞いしてやったらすぐに崩折れた。

 これでおしまい。


 ぱん。ぱん。おれが手についた埃を払うと、すぐさま部屋には静寂が戻った。

 あの数人がかりの訓練と称されたリンチに耐えるよりずっとずっと簡単だった。戦いでは守るより攻めるほうが遥かに簡単なのだ。修復より破壊のほうが簡単なのと同じで。


「ひゅー、やるう」

 アベルが口笛を吹いて上機嫌にチェストを物色し始めた。中途半端に開けられた引き出しから覗くのは衣類だ。そのいちばん上に仕舞われていたものをアベルは手に取った。

「じゃーん。これ、いい服だな」

上質な布の、ボタンのたくさんあるブラウス。しかも、この腐った匂いのする街であまり臭くない。この男たちは見かけによらずいい暮らしをしているのだろうか。服屋に置かれているものよりマシだろう。

 ふとアベルはぽつりと漏らした。

「きれいな服だな。俺らの奴隷みたいな服と違って」

 その言葉が嚆矢だった。おれらは彼らの上等そうな白いブラウスとスラックスを奪った。ついでに彼らが身につけている武器やら金品になりそうなものも拝借する。これってもしかして。

「ああ、これが追い剥ぎか」

 ぽつりとおれが呟くと、

「知ってるか、カイン。世の中にはオイハギって魚があるらしいぜ。食べたことも見たこともないけどな」

 なんて軽口を叩きながらアベルは男を転がす。その横顔に罪悪感は微塵も浮かんでいなかった。

 なんだか時が巻き戻ったみたいだ。ユートピアで悪戯に興じていたあの頃に。あの時と違うのは、おれらがもう同じではないことと、さらに倫理観が終わっているということだ。もう戻れない。


「カイン、もたもたするな。時間がない」

 意識を現実に戻すと、ちょうど足元の男が呻くのが耳に入った。もう一度手刀をお見舞いしてもいいのだが。力加減を誤ったら困るし、もとより体格差で不利なので少し面倒だ。面倒事は避けるに限る。

「わかってるって」

 そして今度は微塵も躊躇わず、今まで来ていた服を脱ぎ捨てた。長年、何度も洗って何度も繕った綿の服。奴隷みたいだと称された服。脱いだそれをまじまじと見ると、確かに襤褸布のようにも見える。


 ぱちぱち。ぱち、ぱちぱち。火の爆ぜる音。


 ちょうどそこに暖炉があったので、おれらはそれを投げ入れて燃やすことにした。ユートピアで長年も洗って、何度も繕って着ていた服。そのはずなのに、全く未練は感じなかった。ユートピアに何の未練も感じないように。

 ゴミを捨てるように、丸めて投げ入れた。


 ぼわっ。


 綿の服だったのでよく燃えた。火が大きくなって、あたたかい。

「はは、良く燃えてよかったな。……行くぞ」

 さっと慣れないブラウスのボタンを留め終わったアベルはもう扉の方へ向かっていた。いつの間に拾ったのか林檎まで手にしている。

「また林檎かよ」

 林檎は幌馬車でたんまりと食べたのだ。欲を言うと、もっと肉とかパンが食べたい。なんて思いながらおれも林檎を一つ拾ってアベルの元へ歩く。

 なあ、知ってるかとアベルは扉を開けながら呟く。路地裏の暗い空気を背にアベルはどこか無邪気に笑った。

「林檎って罪の象徴らしいぜ」

 ちっとも悪びれずにそう言って、そのままアベルは林檎を齧った。しゃくり。しゃくり。

 おれも歩きながら齧る。しゃくり。少し酸っぱさの残る、甘い果実。罪の味とは程遠い気がする。

 

 視界の隅で真っ白なブラウスが風に揺れた。

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