余程の鈍さ、図太さを備えた令嬢
身から出た錆び、自業自得で「ざまあみろ」ならば良心は傷まない……本当に?
例えば巷の噂に聞く、どこぞの悪どい商人の家に強盗が入った、とか、どこそこの腐った貴族が賭け事で借金まみれになった、などであればそれらは我が身に直接関係の無い所詮他人事で、「ほれ、見たことか。ざまあみろ」とでも思ってしまえるのだけれど。
わたくしは大勢が集まる夜会の場で婚約破棄を言い渡された側の人間で、それ以降、ご令嬢方やご婦人方が好む噂話の種とされ、嘲笑の的になった。
そもそも婚約は、家同士の都合によるもので、わたくしは幼馴染の元婚約者に恋心など抱いてはいなかったし、自己肯定感バリ高の自信家でかつナルシスト気味の元婚約者に対して生理的に受け付けない類いの嫌悪感を昔から抱いていた。定例のお茶会は、真夏だろうと場所が温室だろうと、鳥肌が立ってしまうくらいには異性としても人としても、元婚約者のことが無理だった。
そういったことから、わたくし個人の気持ちだけで言わせてもらうなら、婚約関係の解消自体は全く構わなかったのだけれど。
婚約していた当時から、わたくしは学園内で元婚約者を可能な限り避けていた。元婚約者が玉の輿狙いの男爵令嬢とベタベタ触れ合っていても口出しせず、生温かい目で陰ながらそっと見守っていた。なんなら、二人だけの甘ったるい世界に通行人という邪魔者が入ってしまわないよう交通整備を行うなどして細心の注意を払ったりもした。
また時に、校舎裏の灼熱のベンチに腰掛けイベント発生を待つ玉の輿狙い男爵令嬢に打ち水をぶっかけ「ごめんあそばせ」と言い放ったり、校外学習先の玉造温泉では背中の泡を流しきれていない玉の輿狙い男爵令嬢に美肌の湯を頭からぶっかけ「ごめんあそばせ」と言い放ったり、健康と美容に配慮した上での悪質な嫌がらせを地道に続けたりもした。
そうしたわたくしの労が奏し、心に深い傷を負った玉の輿狙い男爵令嬢と、正義感溢れるわたくしの元婚約者は、わたくしを悪役に据えることで絆を深め、心を寄せ合った。いつしか二人の間に生まれた愛は、お互いの胸の内に秘めることができないまでの大きさに成長した。
そうして、今から約一箇月前の夜会でわたくしは断罪され、二人の愛は本人達の宣言により公のものとなった。
学園でも、夜会でも、わたくしにはチラチラと視線が送られる。コソコソと、ヒソヒソと、わたくしの胸をチクチクと突き刺す言葉が日々囁かれている。
顔は俯き加減で、肩は窄めて、手は心細さに耐えるよう握りしめる。
目は伏し目がちに、眉尻はやや下げ、弱々しく見えるように。
自然と上がってしまいそうな口角に気を付けながら。
それから程なくして。
元婚約者と、玉の輿狙い男爵令嬢が破局した。
元婚約者も、玉の輿狙い男爵令嬢も、わたくしは彼も彼女もたいして好きではなかったけれど、両人とも最低と言えるほど腐った神経の持ち主ではなかったようだから、まぁそうなるだろうなとわたくしが想像した通りの結果になって、鼻で笑ってやった。
婚約解消自体はわたくし的には大歓迎だったけれど、婚約の破棄、という形でわたくしの輝かしい未来に傷を付けた罪は勿論重い。
その罪は当然、償われて然るべき。
婚約破棄の宣言の瞬間に最高潮を迎えただろう二人の愛と高揚感は、徐々に日常が戻るにつれ、現実と想像した未来とに大きな落差を感じさせたことだろう。
だって、誰もが二人を祝福しない。
元婚約者はいけ好かない性格ではあったものの優しい面もそれなりにはあったけれど、玉の輿狙い男爵令嬢に誘惑されてしまうくらい意志が弱く、色欲に負けた男として貴族社会に認知された。
玉の輿狙い男爵令嬢はその二つ名が示す通り、玉の輿狙いで品の無い厚顔無恥な令嬢、と眉をひそめられ、婚約者ある令息に粉をかけ惑わした貞操観念の欠けたアバズレ、と社交界で蔑まれ、陰で罵られた。
余程の鈍さ、図太さが無ければ、良心とは痛むもの。
良心が痛めば、次第に心から喜べなくなる。
笑顔が引きつる、表情が曇る。
二人の愛に歪みが生じる。
歪みは埋められない深さの溝となり、関係はギクシャクする。
すれ違う心……。
辛くなる、二人でいることが。
わたくしという一人の令嬢を不幸にしたことが、喉に引っ掛かった小さな骨のように心の隅に残り続ける。
わたくしを踏み台にして幸せを掴むことの罪悪感に苛まれる。
苦しみは徐々に大きくなり、自分達二人が結ばれた幸せを、もう幸せとは思えなくなる。
やがて、破局する。
そして、わたくしは心から思うのだ。
ざまあみろ、と。