第87話 抜かれた牙
「あいつは……!」
ハジメの目の前が一気に真っ赤に染まった。 視線の先にはゼラ=ヴェスパ。 隣には魔物に跨ったメイの姿もある。
細々とマナを節約しながら化け物処理に勤しんできたハジメだったが、それでもマナの運用が難しくなっている。 《強化》を用いた魔法応用はハジメに相応の攻撃力を与えた。 一方でマナ消費が著しく、連戦は望むところではない。
「……うん、いいね。 良質な殺意だ」
ゼラは笑みを浮かべながらハジメに視線を向けてきた。 二人の間にはかなりの距離があるはずだが、負のエネルギーはゼラにとって極上の放射。 彼がそれを逃すはずがない。
「どーするの?」
「負力が欲しかったところだし、しばらく遊んであげよう。 メイ、補助は任せたよ」
「あい」
メイは魔物に乗ってゼラの元から離れてゆく。
ゼラは大手を広げ、待つ構えを見せている。
ザッ──。
「ゼラ=ヴェスパ……!」
思わずハジメは足を止めた。
「君はえっと……ハジメ、だっけ? さっきぶりだね」
「なんのつもりだ?」
「僕から攻撃する意思はない、と伝えたかったんだよ」
あくまでも余裕な様子を崩さないゼラに対し、ハジメの怒りはさらに大きくなる。
「は? ふざけてんのか? 馬鹿にすんなよ……!」
「別に馬鹿にはしてないかな。 侮ってはいるけどね。 君は少なくとも僕よりは愚かで雑魚だからさ。 それにさ、無駄な戦闘って疲れるだけでしょ? そう憤らずに少し話をしようよ。 まだ勧誘も終わってないからね」
「勧誘だと? 俺はお前が居る組織なんかに参加したりしねぇんだよ!」
「あらら、強情だね。 でもさ、志を同じくしているんだし仲良くできない?」
「無理に決まってんだろ! 俺の大切な人を傷つけたお前と誰がッ……!」
ゼラはハジメの叫びを受けてもどこ吹く風。 やれやれといった様子でハジメを眺めるのみ。 それが更にハジメをヒートアップさせる。
「その大切な人って誰の話?」
「お前が殺した……全員のことだッ!」
射出される魔弾。 それはハジメが手元に待機させていたもの。
腕を振るう動きに乗せて放たれた魔弾は、《強化》の影響を乗せて高速でゼラに迫る。
「よ、っと」
ゼラは軽くステップを踏んだ。 身体が1メートルほど後退する。
(どこまでも俺を馬鹿しやがって……! そんな動きで回避できるわけないだろ!)
ハジメの魔弾は拡散の指向性を備えるとともに、効果範囲が広がっている。 前回ゼラに放ったものと比べれば効果拡大は微々たるものだが、当たれば相当の被害を与えうる力を秘めていることは間違いない。
ゼラは未だ魔弾の射線を外せていない。
「《拡──」
ハジメは魔弾が直撃するタイミングを読んで指向性を追加。 拡散範囲は余裕でゼラを飲み込むだろう。
「──なにッ!?」
しかし、ハジメの予想は大きく外れる。
驚きの声を上げたのはハジメ。
魔弾はハジメの声を受ける前に拡散した。 というより勝手に爆ぜてしまっていた。
「……くそ、何が起こった!? いや、動きを止めるな。 次だ!」
ハジメが構えていた魔弾は元々三発。
今度は手を銃の形にゼラを向き、残り二発を立て続けに放った。
「あらら、学ばないね。 その愚直さは嫌いじゃないけどさ」
ピ、ピシッ──。
「あれは……!」
ハジメは、ゼラの手元が一瞬動くのを見た。 親指が二度弾かれ、その指先から小さい何かが弾き出されていた。
やはりゼラに触れる前に爆ぜる魔弾。
ゼラに向けられた二つの魔弾は、一拍を置いてそれぞれが勝手に弾けてしまっていた。
「チッ、そういうことかよ……!」
ハジメは動きを止めた。
構えていた魔弾は撃ち切った。 ここから準備するには、手札をいくつか晒す羽目になる。
「今度は見えたかな。 一生同じことを繰り返すとも思ったけど、案外目が良いんだ。 少し評価が上がったかな」
「黙れよ……」
そう言い放つゼラの手元には、細かな魔弾が複数浮き上がっていた。
(俺と同じで、最初から魔弾を準備してたってわけだな……。 どこに隠してやがった……?)
「怪訝な顔つきだね。 気分が良いからネタバレすると、これはずっと僕の背後に隠してあったものだよ。 手ぶらを装えば相手は油断するからね。 君もまんまと引っ掛かってくれたから、効果は実証済みだよね?」
「……」
(次はどうする……? こいつを喋らせてる間に考えねぇと……)
「反応無しは悲しいなぁ。 せっかくの学びの機会をフイにするのは勿体無いと思うんだけど?」
「一生そうやって喋ってろ……!」
「うんうん、生意気な感じが実に好みだ。 じゃあ先輩が色々教えてあげようかな」
「勝手にしてろ」
「ではお言葉に甘えて。 まず君程度ができる指向性変化なんて、大半の魔法使いには造作もないことさ。 だから君が誰かより優れてるなんて考えない方がいい。 君にしかできないこと、ここで戦わなくっちゃ」
「お前が俺の何を知ってるって言うんだ」
「知らないさ。 知らないけど、魔法には色々共通点がある。 例えば魔弾だけど、これは着弾した時点で最大の効果を発揮するシロモノだ。 言い換えれば、それまではほとんど効果を持たないってこと。 だから着弾前に効果を発揮するよう君みたいに拡散させたりするわけだよね。 つまり魔弾の対処法は、着弾前だったり指向性変化を伴う前に何かをぶつけて着弾という結果を先に誘発すればいい。 簡単だよね」
魔弾は謂わば孵る前の卵であり、卵の段階で壊せば魔法効果という中身は勝手に溢れ落ちることとなる。
「ハッ、そうかよ」
ハジメは平静を保った様子を見せつけつつ、思考を回そうと心がける。
(どこまでも癪に触る口調だ。 全然思考が纏まらないじゃねぇかよ……)
しかし思い通りにはいかない。 未だ状況の主導権はゼラにあり、ハジメは翻弄される一方だ。
ハジメノフラストレーションは溜まり続け、負の感情として表出されたそれはそのままゼラの元へ向かっている。
「敵──というか、僕から色々教えられてる時点で君は魔法使いとしては大したことないんだよね。 それなのに誰かを傷つけられて怒るとか、ちゃんちゃらおかしな話さ。 誰かを守れないのは君が貧弱なせいだし、それを棚に上げて僕のせいっていうのは道理じゃないよね」
「……は?」
ハジメは冷静にゼラの言葉を無視したいはずなのに、どうしても耳に入り込んでくる。
「僕に怒る前に自分に怒りなよ。 前に言ってた、そのなんとかっていう人が死んだとか傷付いたのって、君が守れば済んだ話じゃないか。 それなのにいくら僕を貶めたって君が強くなるわけじゃないし、次に同じことが起きても結果は変わらない」
「黙れ黙れ黙れ……! うるせぇって言ってんだろ! 《歪──」
(今回は規模を最大限に……!)
ゼラの周囲にハジメのマナが爆発的に広がる。
「うーん、この先心配だなぁ」
ゼラは魔法の効果範囲を軽く確認しながらハジメの背後に一瞬だけ目配せ。
「──虚》!」
ハジメは強度を度外視して、規模と発動速度を最優先に魔法を発動。
多方面から極大に重力を歪める《歪虚》がゼラを飲み込んだ。
「チッ……邪魔すんなよ!」
発動された空間に魔物が出現したのを見て、ハジメは虚空に向けて大きく叫んだ。 誰が邪魔をしているかは分かっている。
「だからさぁ、単調なんだって」
声はハジメの背後から。
「……お前ら、楽しいかよ? そんなに俺をイジメて……!」
お前らという言葉の中にはメイも含まれている。
「教育だって。 このままじゃ君はすぐに死んじゃうからね。 成長のためには苦痛が伴うものなんだよ、肉体的にも精神的にもね」
「これが成長の過程だと……? お前らが嗜虐心を満たしてるだけだろうがッ!」
「思い込みが激しいなぁ。 僕が殺し回ったおかげで君は左道に入れてるし、それがあったからこそ君は生き残れているんじゃないのかい? これまでのことは必要な犠牲って考えられない? 僕のおかげで誰かが死んで、代わりに君が生きられた。 それが歴然たる事実なんだよ。 僕は君にとって必要なことをしてあげてるだけさ」
「誰かを犠牲にして得られた幸福なんて嬉しくもなんともねぇんだよ……! 勝手に良いように解釈して説教してくんな!」
「生きるには誰かを犠牲にしなくちゃならない。 それこそが真理だし、君がこうしているのも犠牲の結果。 生きてるだけで誰かが不幸になるんだから、いちいちそれを気にしても仕方なくない? 生きづらいよ、君の考え方は」
ゼラの発言はハジメの培ってきた思考過程にそぐわない。 しかしながら、アルス世界においてはそれが事実のように聞こえてしまう。 恐らくは真理なのだろうが、それ以外の可能性が無いと断言されると受け入れることができない。
「じゃあ誰も犠牲にしない生き方は無いってのかよ!? それこそ生きてること自体が罪じゃねぇかよ!」
「そうだよ、僕たちがこの世界に生存していることは罪以外のなにものでもない。 そんなに嫌なら自害しなよ。 君が死んだおかげで今後助かる人もいくらかは出てくるだろうしね」
「そんなこと──」
「そう、君はできない。 誰かを生かすことも殺すこともできない君が、ましてや自らを殺すなんてことはできやしないんだよ。 死ぬ覚悟もないくせに大きな口を叩くなよ、小物が」
「ッ……」
ふざけた様子から一点。 ゼラの口調が急に厳しいものになった。
「今この瞬間に君が生きてられるのも、君が左道の新参で、僕の気分が良いからだよ? 君は僕に殺されないと思い込んでるのかもしれないけど、気が変われば普通に殺すよ?」
「……ちく、しょう……」
喉元に刃を突きつけられ、ハジメは何も言えなくなった。
子供のように喚き散らしていることも、それが間違っていることもハジメは理解している。 それでも自らが間違っていないと思い込みたいあまり、こういった行動に出てしまう。
「君は身の程を知った方がいい。 君には大した力もなければ、頼るべき仲間もいないようだしね。 そこが君の限界なんだから、力量の範囲で可能なこと以外は望むべきじゃない。 それにさ、たとえ僕を殺せたところでモルテヴァの状況はむしろ悪化するよね。 君にとって僕はこの状況を打開する味方なわけだし、それ以前に左道の同志だよ。 目の前のことだけじゃなくて、もっと先を見据えて行動するのが賢明じゃない?」
ゼラは追い打ちを続ける。
「多分だけどさ、君のそういうところが犠牲を増やしてるんだと思うよ。 君がもう少し利口なら、死ぬ人も少なくなったんじゃないかな。 それに──って、メイ何かあった?」
そろそろ潮時と見て、メイがゼラの側にやってきた。
「いろいろ」
「じゃあそろそろ動こうか。 ……あれ、まだ何かある?」
移動しようとしたゼラに対し、メイは俯くハジメを見つめている。
「借りを返すの」
「借り? って、ああ、そういうことか。 手伝ってくれたのはハジメだったんだ」
「エマは知らない女が奴隷区画方面に回収していったの」
「え……?」
情報を出し渋られなかったのでハジメは驚く。
「モルテヴァ全体だと、この区画の北側にロドリゲスとユハンが居るの。 南にアンドレイが居て、東の方で毒の姉妹が戦ってるの。 あとは魔法使いじゃない人が暴れてたり、上の区画でエスナが休んでるの」
「随分と情報を大放出するね。 そんなに甘やかさなくてもいいのに」
「こいつも一応戦力なの。 使えるものは使うの」
「だってさ、認められて良かったじゃん」
「あとこれを渡すの。 有効活用するの」
メイがハジメに袋を放って寄越した。 中身はマナポーション二本であり、治癒ポーションは入っていなかった。
(もしかして、治癒ポーションを俺たちに全部渡してたのか?)
ハジメとしては治癒ポーションが欲しかったが、貰えるだけマシというもの。 マナポーションだけでも助かるのは事実。
「あらら、全部渡しちゃう? まぁいいか。 君もあとは地道に頑張りなよ。 今ここで何かをするなら、色々やろうとか考えるより一つくらいが君には丁度いいかな。 じゃあ同志よ、これが終わったらまた会おう」
ゼラとメイはさっさと北の方面へ。 どうやら元凶の首魁たるロドリゲスを攻めるらしい。
残されたハジメは、この世界に来て何度目かの無力感に打ちひしがれる。
周囲では木の根が荒々しく動き始めている。
「あーあ、なんだよクソ……」
主役級の者たちが動き出したことで、本格的に佳境に入り始めたことをハジメは直感で理解した。
どこに行こうとハジメはモブであり、ゼラに叩きつけられた言葉はこれからもモブとしての人生が続くことを示唆していた。
この世界に来て神に関わるイザコザに巻き込まれたことで、ハジメはある種、物語の主人公にでもなったような気がしていた。 しかしそうではないと思い知らされた。 華やかな強者を喜ばせるだけの弱者でしかない、と。
『事あるごとに接続が切れるのはどうにかならんかのう?』
『俺はそんなに駄目ですか……?』
『敬意が足らんが、まぁよい。 無力さを知るのはそう悪いことではない。 それに押し潰されるのは問題だがな』
『そう、ですかね……』
『言ったであろう、好きにせよと。 そなたがどう転ぼうと見ていてやるとも言ったな。 人間とは元来愚かな生き物。 そこを悔いても仕方あるまい』
『……分かりました』
ツォヴィナールの優しさが滲み、ハジメは前を向いた。
『とにかく、俺が決めた事なんでエマを助けます。 そんで逃げます』
『やりたいようにせよ』
『問題は、東の方にあいつがいることですが……』
奴隷区画に程近い場所には悪神の使徒。 その姿がハジメの左目には映っている。
モルテヴァの騒乱において、あれだけが完全なイレギュラー。
ハジメの行動には、常に障害が付き纏っていた。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
また↓の広告のさらに↓に☆☆☆☆☆があり、タップで作品評価になります。
作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。