第86話 虚無感
壁が砕け、飛散した破片がエマに降りかかった。
「わ゛ッ……!? な、なに──ぎゃッ!」
そこそこの速度で以て破片が頭部を強打し、一瞬でエマの意識が刈り取られる。
室内へ雪崩れ込む一人の人影。 現在奴隷区画を纏めるニナ、彼女だった。
「多い……わねっ!」
ニナはエマの周囲に陣取っていた魔物に素早く蹴りと掌底を叩き込む。
遅れて飛びかかる魔物たちだったが、首元や延髄、頭蓋など重要器官を次々に叩き割られていった。 そしてその全てがニナに致命傷を負わせることなく地面に転がった。
「痛、ったぁ……」
ニナが警戒している中で、魔物たちは数秒を置いて砕け散った。
「これも偽物なの……? 町中に解き放たれてる魔物と一緒ってことね。 驚くべきは、ここにエマがいるってことだけど」
ここはニナが偶然見つけた壁面の横穴。 彼女一人が通るにはやや狭かったので勢いで壊したわけだが、思った以上に広い空間が内蔵されていて驚いている。
(外壁から掘っても辿り着かなかったけど、内壁からだと意外と近い場所に空間があったのね。 でもまぁ、知っていても商業・平民区画境界まで来るのは至難だったと思うけど)
ニナは素早く傷口に包帯を巻くと、エマに駆け寄る。
「エマ、エマ、起きなさい!」
動きのないエマを見て、ニナはエマの口元に耳を添えて呼吸音を聴く。
「息はしてる。 傷口は頭と足。 足は再生が進んでるから、ポーションが効いてる最中って感じか。 この娘を誘拐した誰かが施したのかもね。 とにかく、何者かがエマに価値を置いている可能性がある以上、連れ帰るのは必須よね」
ニナはエマを抱き抱えると、奥の暗い通路をチラッと覗いた。
「奥も気になるけど、魔物が犇いてるだろうことは明白だから一旦無視。 今回の目的が達せられてから調査しても問題は無いはずだしね。 じゃあエマ、ちょっと揺れるよ」
ニナはエマを背に抱え直し、空いた大穴から平民区画に向けて飛び出した。
▽
「ハァ、ハァ……、エマ……ッ!」
ハジメが息荒く飛び込んだ室内にエマの姿はない。 外からの衝撃で壁面が大きく壊されて瓦礫が散乱している以外は、特に大きな変化は見られない。
「叫んでも戻らないの」
魔物の背に乗って悠々と到着したメイが他人事のように言う。
「わかってるけどよ! 別にいいだろ!」
「うん、別にいいの。 でもうるさいの。 意味があるならそうすればいいけど、あとで敵に見つかることとか考えてないなら阿呆なの」
「それは……」
ここに入り込んだ時点では見なかった木の根が侵入してきている。 それはつまり、騒動に呼応してこの場所が見つかった可能性を示している。 ハジメがやっていることはつまり、敵を招き入れる行動でしかないということ。
「冷静さを失う意味がわからないの。 なんで自分から不利を背負うの?」
「それは俺が、未熟だからだ……」
「んー、なんかつまらなくなったの。 だからここでサヨナラなの。 あとは好きにするといいの」
「えっ、ちょ、待ってくれよ……。 まだエマが──メイちゃんが守ってくれていれば……」
「それはメイの落ち度だけど、あの子に構ってる時間ないの。 ロドリゲスを止めないと全員死ぬの」
「だからって……」
「自分でなんとかするの。 あれこれメイの揚げ足取って協力させるしかできないの?」
「いや、そんなつもりじゃ……。 確かに対等ではありたいと思ったけど、それは互いのためであって、それで……」
「今回はメイが協力させただけで、お互い利益があるとか夢見過ぎなの。 メイを動かしてたいなら、もっと強くあるべきなの。《転換》」
「お、おい待──」
突如霧の如く掻き消えたメイ。 代わりに出現した魔物は一瞬だけ吠えると、粉々に砕け散った。
「──なんで、なんでこうも……」
一人残されたハジメ。 何事も上手くいかないというより、思い通りにいかないことが彼を大いに悩ませる。
(ああッ! クッソ、心のモヤモヤが溜まる……! ちょっとくらい手伝ってくれてもいいじゃねぇかよ。 一緒に協力して動いてもいいじゃねぇか。 なんで皆んな身勝手なんだ!? なんで俺はいつも全部報われねぇんだよ)
ハジメは内心ではらわたが煮え繰り返りそうになる。 そう思うことすら身勝手というものなのだが、何でもかんでも求めてきた彼には、明確な答えが与えられないことは不安でしかない。 自ら思考して行動するには自信が足りず、自信を担保するための実力もこの状況では足りているとは到底思えないハジメだった。
『ナール様、すいません……』
結局、ハジメはツォヴィナールに頼ってしまう。
ハジメは、精神の安定性を欠けばツォヴィナールとの接続が途切れることを分かっている。 しかし事あるごとに思考を乱し、何度もおなじ過ちを繰り返している。 そんな状況はハジメの自己嫌悪を助長し、更なる負のループへ誘う。
『見てられんな。 かと言って、妾の指示通り動くだけでは使徒と変わらん。 妾はそのようなことは求めておらんのでな。 さて、そなたはどうしたい?』
『どう、でしょう……。 エマを守ると決めても上手くいかないし、それ以上に生き残ることに精一杯で……。 全部が全部悪い方向に行ってる気がして、なんか急に虚無感が……』
『先程は成長を実感できたのでは無かったか?』
『それはそうなんですけど、俺が少し強くなったところで周りには全然追いつけてないので……』
ハジメの脳裏で、ツォヴィナールの嘆息する様子が伝わってきた。
『呆れられてるのは分かってます。 けど、頑張って対応しても最終的に満足できる結果には辿り着けてないし、紙一重で生きられているだけでそこに俺の思考は無いというか……。 ただ無力に漂っているだけのような感覚で、どうにも頑張るって気力があまり……』
ハジメの感覚で言えば、必死に勉強して自分の点数を上げても自分以外が全員満点を取れているような状態。 頑張ったところで、全体的に見れば順位が変わっていない。 そんな心持ちだ。
(まったく、ここで心が折れるのか。 少しばかり重症だな。 だが、妾が見出した存在である以上、妾が管理せねばなるまいか……。 ある種の鬱状態と言って良いのか──そのような者に、がむしゃらにやれと言っても通じんだろうな)
ツォヴィナールはそのような感情をハジメに悟られないように考えを巡らせる。 接続が確立されている状態は互いの思考すら伝播する可能性があり、それはそれで使いようもあるのだが、余計なものまで流れ込んでしまう懸念もあるため一長一短で使い所は難しい。
『そなたの第一の望みは?』
『第一、ですか。 えっと、とにかく死にたくないのが一番ですかね』
『次』
『次は……俺のやるべきことを完遂しなきゃ、ですかね』
『それは望みではない。 そなたの願望を言え』
『願望って言っても、パッと思いつくものなんて……』
『そなたは無欲というわけでもないが、欲を持つこと自体に罪悪感のようなものを持っているのやもしれんな』
『罪悪感……』
『元の世界で培われたそなたの思考形態は知らんが、強欲であることが禁じられる環境にいたことが推測できるな。欲を出すべきではないということを幼い時分から教育された、そのような印象を覚える』
『……確かに、ナール様のお考えは間違っていないですね。 俺の育った国は、欲を出して協調性の保たれた環境を壊すべきではないって考えが根深いです。 それこそ他人と違うことは異端と受け取られがちなので、協調性を乱すことはひどく糾弾される行為だと今も思います』
(本当にやりたいことって、自分でもよく分かってない気がするな。 俺の性格的に、欲を全面に出すのは違うしな……)
ここでハジメは一度、自分を見直してみた。
(俺は他人を気遣ってる……いや、少し違うか。 なんというか、俺は皆んなと違うことをして目立ちたくないんだよな。 誰かに嫌われるってことが極端に恐いんだ。 自分のキャラクターを全面に出せる奴らに対しては嫌悪感を覚えながらも、一方で羨望もある。 俺は当然前者で、俺自身がそうあることは想像できない)
そう考えた時、ハジメが自らの願望を全面に出すというのは中々に難しいことだった。 それは自分のキャラクターを殊更強調することに他ならない。
ハジメのそれがアルスにはそぐわない性格といえど、20年ほど浸かった日本での思考パターンを今更脱却させるのは至難の業だ。
(──だとすれば、無理に考え方を変えるのは無理だな。 どこかで齟齬を感じるのは想像に難くないし……。 そもそも考え方を変えただけで未来が変わるわけでもないし。 なんか急に虚無感がすごいな……)
ハジメが考えあぐねていると、痺れを切らしたようにツォヴィナールが口を開いた。
『ひとまず、そなたはやりたいことを優先して行なえ。 やるべきことは後回しで構わん』
『それでいいんですか……?』
『現状、荷が勝ちすぎているきらいがある。 そなたの軟弱さを見れば、段階を踏んで進むべきことは明白。 これまではそなたの能力と運でカバーできる範疇だったが、ここで無理が出た。 妾としても、そこを押し通してまでそなたに強いるつもりはない。 だから今は、思った通りに行動せよ。 尻拭いは妾がしてやる』
(ハジメのこれは、頑張らなければという意識が強すぎた結果だろうな。 自らで自らを追い込むタイプの性格が把握できただけでも、今回は収穫ありと判断するか)
『ありがとうございます……』
『して、もう一度聞く。 そなたの願望は?』
『生き残りたい、です』
『悪神の使徒はどうする?』
『できれば十分な強さを確保してから……』
『では、今回は生き残ることを優先しろ。 必要であれば、エマという娘を利用してやればよい』
『えっと、あの、俺はエマを助けられるなら助けてやりたいんですけど……』
『それも願望か?』
『だって俺はあの娘を助けるって決めてたから……』
『決めてたというのであれば、それは願望では無いな』
『いやでも、こうしている間にもエマは──!』
『本当にそなたの願望なのかと言えば、恐らく異なるだろうがな。 ……だが、そうしたいと思うのなら好きにせよ。 そのぶん、リスクが伴うということを理解しておるのなら止めはせん』
『……はい、分かりました』
(あまり意地の悪いことを言うと、また拗らせる可能性があるからの。 今回はこのあたりにしておいてやろう)
ツォヴィナールはこれ以上の追求はやめ、行動に移させるべくハジメの背中を叩く。
『無理に妾の言う通りに動く必要はない。 そなたで考え、そなたで動け。 妾は背後で見ておいてやる』
『ありがとうございます……』
『では足掻け。 動かんことには成果は伴わぬからな』
そうして一方的に接続が途絶えた。 ハジメの思考が現実に戻り、思わず目眩を覚える。
「結局、やるしか無いんだよな」
脳内会話での現実時間としてはほとんど短期間であり、エマが消失してからは十数分程度しか経過していない。
ハジメは急ぎ開いた大穴から平民区画を一望。 そしてまた思惑する。
(ナール様はああ言ってたけど、それでもやっぱりエマのことは心配だ。 何もせず俺一人が生き残ったとき、俺は絶対に後悔するだろうしな。 いや……後悔したくないから動くっていうのは、やっぱり行動する動機としてはおかしいのか? 俺の自己満足のためにエマを助けようとしてる? それなら助ける必要なんてないのか? そもそも、助けるなんて上から目線で言ってる時点でおかしいのか?)
ハジメの思考が再び果てのない回廊に迷い込む。
「もうやめろ。 考え過ぎても仕方無い。 今までは何も考えずにやれてたのに、何でこうなっちゃってるんだ? とにかくやるべきことをやる、それだけなんだから黙って動けよな、俺」
かぶりを振って、ハジメはもう一度戦禍へと繰り出した。
「《過重弾》、《強化》!」
ハジメは先程習得した応用魔法を早速構える。 これを続ければ、いずれ強化魔弾のようなものが入手できるだろう。 ツォヴィナールが見てくれているということもあって、ハジメは少しだけポジティブな気持ちになる。
(可能性の幅はゼロじゃない。 これを努力の潤滑剤って考えるか……。 魔法に関しては成長の余地はかなりありそうだしな。 あとは俺の肉体と精神の問題だな……)
ハジメは駆ける。 エマの行方を探しながら、自らの虚無感を払拭するために。
▽
ブゥゥン──。
町全体に謎の重圧が掛かる。
ここは平民区画内に設置された秘匿空間。
「……何だ? またどこぞの妨害か?」
メイの追撃を逃れたロドリゲス。 次なる魔法に向けて準備をしている最中だった彼は、訪れた違和感には敏感だった。
セットマジック──大規模魔法として用いられることの多い描画型の魔法陣が、その光を急速に減じ始めている。
魔法使いが一般的に使用するコールマジックとは異なり、セットマジックはその発動が分かりやすい。 発動を目前にした魔法陣は徐々に光を湛え、発動の瞬間には光量が最大となる。 光量によって魔法が順調に形成されていることを疑似的に確認することができ、アナログな魔法発動形式と言えど悪いことばかりではない。 欠点は準備に時間が掛かるくらいなものだ。
「我の魔法への対抗型魔法を準備していた輩でも……? いや、この魔法を我以外に知る人間は居ないはず」
ロドリゲスは知らない。 つい今しがた、モルテヴァの核となる魔石が失われたことを。 しかしながらその存在自体は知っている。 知っているが、日常的に受けてきた魔石の恩恵が急に失われることなど想定もしていない。 だからこそ、その他のあらゆる可能性を考慮してしまい、思考を無駄に働かせることとなる。
「チッ……。 邪魔ばかりしおってからに……!」
途端にロドリゲスの機嫌が悪くなった。 魔法陣がこれにも増して不安定になり始めたからだ。
セットマジックであっても、魔法の発動に精神的な安定性は不可欠。 使用者が心を乱せば、完成に至っていない雛形の魔法など簡単に崩壊してしまう。
「ええい、忌々しい! このままでは準備が全て水泡に帰す……! 本格的にアンドレイを運用するしかあるまいか」
アンドレイの魔法は始めこそ攻撃目的で使用されていたが、現在は町全体を把握するための補助的な使用に留まっている。 遠隔で彼を操作するにも落ち着いた環境は必要なわけで、問題を処理するにはいずれにせよ何かを諦める必要がある。 今においても目的の魔法完成には至っていないし、《人魔混成》で生み出した存在も順次処理され始めている。
「ゼラだけでは飽き足らず、あの小娘も町の職員も魔人化を制御する輩も……。 エクセスの愚図も、死ぬなら死ぬで最低限の仕事をしろというのだ……!」
現状はロドリゲスの思い描く青写真とは程遠く、処理すべき案件は膨大だ。
「我の魔法を回避した奴隷連中もおかしな動きを見せておるし、どうにも手が足らん」
ロドリゲスの最善は《人魔混成》で全てを鎮圧することだった。 それができなくとも、目的の魔法さえ完成させてエーデルグライト王に見せつければ悲願は達成されるはずだった。 しかし現実は、どれも中途半端だ。
「アンドレイの操作を手放せば状況把握どころか敵を町に留めることすら困難になる。 何より、魔法出力の低下が致命的だ……。 仕方無い、アレをやるしかあるまいか」
ロドリゲスは魔石を手に魔法を唱える。
「《転写》」
魔導書が自動でパラパラと捲れ、白紙のページが開かれた。 じんわりと染みが浮き上がり、文字や記号が形成されてゆく。
「面倒なことばかりさせてくれる……」
魔導書に収まる程度ということでサイズ感はかなり減縮されたが、魔法陣は書内にしっかりと封じられた。 大きさを減じた分、当然魔法の規模や強度は下がる。 しかしそれを受け入れてでも対応しなければならない問題がロドリゲスには多々あるということだ。
「我に歯向かう愚か者どもには、力の差というものを見せつけねばならん。 全員、我が手ずから誅殺してやる……!」
ロドリゲスが直接参戦していない平民区画の戦線は、抵抗する勢力に軍配が上がっている。
ロドリゲスの手札は、アンドレイと化け物連中。 対して敵勢は、複数の魔法使い。
数的有利を取れるはずだったロドリゲス陣営だったが、どうにも不幸が続いている。 彼が自分の魔法に期待しすぎたという面もあるが、それ以上に途中参戦した奴隷陣営などが面倒を引き起こし過ぎた。
「ちょうどユハンも我を探しているようだ。 あれを協力させて、ゴミ掃除開始だ」
荒れる戦禍に身を投じるロドリゲス。
モルテヴァを取り巻く状況は、ここより激動を迎える。
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