第82話 秤は傾く、悪なる方へ
「フエン、この町に上級魔法使いがこれほど揃っているのはどうしてだと思いますか?」
「知らないのです。 偶然です?」
「いいえ。 リヒト様など知識ある先達の存在が大きく関わった結果です。 彼らは魔法を崇拝し、一方で軽蔑さえしていました。 魔法とは世界に現れた奇跡の片鱗であり、いつ着火するか分からない爆弾そのもの。 彼らはその危険性を当初から警戒しており、だからこそ丁寧に研究を進めて現代まで永らえさせてきたのです」
「永らえさせる?」
「魔法を安全な手段に落とし込み──いえ、昇華させ、誰もが運用できるものとして存続させる。 それこそが先達の至上命題でした。 リヒト様はそういった思想を受け継いだ正規の魔法使い。 この世界の魔法を、この世界を魔法で壊すことのないように、彼らは心血を注いできた」
カチュアは語る。 先達たちの偉業を。
「話が見えないのです」
「魔法は世界を一変させる力。 それだけ危険なものだということを理解しているかどうかで、魔法使いの未来は分岐します。 上級魔法使いと魔人、その二つに」
「……?」
「少し語弊がありましたね。 上級魔法使いになれなかった魔法使いが全て魔人ということになります」
「何を言ってるです?」
「あなたが知りたかった内容です。 私が死ねば上級魔法使いというベールが剥がされ、魔人の顔が露出しますから」
「今、二つに分岐したと言わなかったです?」
「仮初の分岐ですよ。 上級魔法使いとはつまり、魔人化をギリギリのところで押し留め、それでも魔人には堕ちずに薄氷の上を歩く奇跡の体現。 リヒト様たち先達が見つけ出した、未来の可能性です」
カチュアは死を免れるためにこのような話をしているのかもしれない。 しかしフエンには、その言葉を発する彼女の眼が真実を語っているように見える。
「生物としての単純な死は魔人としての死を意味しない。 私を一撃で粉々にできるような魔法をお持ちであれば試しても構いませんが、失敗した場合のリスクは重々ご承知を」
「下手に殺せば厄災が顕現する、ですか。 エスナならすでにやらかしていそうです」
「あなたたちの陣営が何を意図しているかわかりませんが、世界の破壊を目論まないのであれば下手な行動は慎むべきですね。 魔法の濫用はそれだけで魔人への到達を容易にしますから」
「魔法を使うだけで魔人に……?」
「そのようですね。 黎明期であれば、魔人とは落伍者の末路でした。 だからこそ落伍者とならないための手法が研究され、多くがそうなる前に処分されていたと聞きます。 しかしこの時代、魔法使いはその数を増やし、管理しきれない魔人予備軍が犇いている。 とりわけ上級に到達しうる魔法使いは、強大な魔人へ成長する可能性も同時に秘めています。 だからこそ私は、警告の意味で話をしています」
「……魔人にならないための条件は何です?」
「成長に見合ったマナ暴露が魔人化回避の条件として指摘されています。 力を求めて無茶な魔法使用を続けるとマナはそれだけ体内を出入りするので、暴露量は増大します。 マナ噴出地帯や魔法教育が不十分な場所で魔人出現率が高いのはそういった理由ですね」
「なるほど、そういうことですか……」
フエンはこれまでの経験を思い出していた。
ラクラ村の南部には瘴気の発生源があり、そこは謂わばマナ噴出地帯だった。 村の内部こそマナ影響は少なかったが、瘴気はヤエスという魔人を産んでいた。 リバーの遺体もまた瘴気を発し、強大な魔物を育む温床となっていた。
フエンはモルテヴァの北部未開域でもマナ濃度の高さを体験した。 やはりそこには魔物が多く、魔人が隠れ潜んでいるという噂も恐らく事実だろうと理解した。
魔法を好き放題に使用していたオリガは魔人になった。 そんな彼女を、エスナは覚醒前になんとか処理した。
「一つお聞きしますが、エスナとは何者ですか?」
話す一方だったカチュアから、フエンに質問が投げ掛けられた。
「ただの村娘です」
「肉体の一部だけを完全魔人化させる村娘などいるとは思えませんが……」
「完全魔人化?」
「魔人化の進行とともに異形化部分はその範囲を増します。 そこから一定水準の力量を越えると異形化部分は黒化し、人間の形態を取り戻す過程に入ります。 ですので、狭い範囲を維持しながら黒化──完全魔人化しているエスナには甚だ疑問が残るのですよ。 魔人化を抑制できる手段があるのでれば、是非ともお聞きしたいですね。 ご存知ないですか?」
「エスナに聞かないと分からないですけど、たぶん身近な人の死が関わってると思うです」
「なるほど。 それは例えば、最愛の異性だったりしますか?」
「……どうして知ってるです?」
「ヴェリアに居た頃、エスナと似た境遇の話を聞いたことがありましたので」
「……?」
『 そこな娘、歩みを止めよ。 深き底から声が響く。
私を呼ぶは何者か。 娘は声の主に問う。
我は天使。 神の使い。 光の道を進む者なり。
天に座すべき彼方の民が、なにゆえかような場に沈む。
うら昏き地中の獄へ、神の非道が我を投じた。
涙を流す天使を憐れみ、娘は右手を差し伸べる。
なんと優しき心の娘か。 天使は喜び手を差し出した。
娘は不意に立ち止まり、天使の左を訝しむ。
躊躇うばかりは人の罪なり。 我は正しき神の手先ぞ。
神は左方にいずる者へ、左の黒手を与うという。
悪き噂を信ずるなかれ。 我の黒手は過光の火傷。
神の威光は天使も焼くか。 果たして天使は善なる者か。
しからば娘に奇跡を示さん。 奇跡は悪に成し得ぬ業なり。
夫は病を克服し、私の左は黒く爛れた。
威光は娘の身に余る。 されど我の証は成った。
奇跡をもたらす善なる天使。 私の左を治せぬものか。
我の視界を晴らすが先ぞ。 求めが過ぎるも人の罪なり。
ならばと娘は天使に触れた。 天使は不敵に笑みを溢した。
あな恐ろしや、悪なる娘。 嘲る声で天使は去った。
娘は醒めた、災禍の果てで。 怨嗟が響き、景色は燃ゆる。
娘の手には今際の夫。 最期に一つ、残して果てた。
崩れる夫、遺骸は堰に。 堰は娘の黒を留めた。
黒き魔性に抗わば、右に光を左に意思を。 』
迷信だったり御伽話のような形で、ヴェリアの各地に伝え聞かれる物語がある。 これはかつてカチュアが目にした叙事詩の一節。
ヴェリアの古代遺跡都市アルタクサタからは様々な伝承が出土し、それらは『王書』という一冊の大全に収載されていたと言われている。 そのほか神に関わる知識など、アルス世界創生から様々な重要情報が多く含まれていたらしい。 しかしそのほとんどは各地に散逸し、過程で失われてしまったものも少なくない。
ヴェリアは魔物の活動域の広さから国として危険地域に指定されており、その中でもアルタクサタは群を抜いている。 手付かずの古代遺産が多数眠っているということもあって、高難度の狩場として有名な場所でもある。
「フエン、提供情報とここからの協力を以て、私の命を保証してください」
「何を言ってるです?」
「今はまさに、領主様の研究の集大成が成されようとしています。 私はリヒト様の指示のもと、秘密裏に領主様を調査していました。 まさか今日この日にそれが行われるとは思っても見ませんでしたが、あれを放置していれば内部の人間は全員死にます」
「それは確かな情報です?」
「はい。 エスナも含めて、全てを殺して完成する魔法が起動するはずです。 私はそれを止めなければなりません」
「どうして止めるです?」
「この世界のため。 魔法という異物は、時間を掛けて解きほぐしていかなければならないものです。 その過程を無視するような動きは、正道を歩む魔法使いとして許容できませんから」
決して命乞いではない。 それはカチュアの目を見ればすぐに理解できた。
「……お前を町まで連れて行くです。 情報に関して出し惜しみはするなです」
「いいでしょう。 魔法に関して嘘はつきませんので」
満身創痍の二人は、極期のモルテヴァに意識を向けた。
▽
トキス姉妹──。
「あ゛……ッ」
複数の根が重なり合って鋭く捩れ、凄まじい勢いでリセスの腹部を貫いていた。
「リセス……!?」
同時にドミナも狙われていたが、リセスの負傷を見て即座に回避行動に移ったおかげで一撃目を逃れた。 しかし攻撃は一つだけではない。 誰も攻撃性の魔法と判断していなかったためにこれらは放置され、今ではそこら中に根が押し茂っている。 謂わばどこもかしこも地雷原であり銃口だ。
他に狙われたのは、全て人間。 現時点で魔人でも化け物でもない者たちだ。
ハジメとエマ──。
「ハジメさん……!」
「エマ!?」
化け物を何とか処理し続けていたハジメ。 彼の後ろでエマの悲鳴が聞こえた。
ハジメの展開した《歪虚》が解除されている。 これまで物理攻撃や魔法によるものまであらゆるものを重力で歪めてしまっていた魔法だが、どうにも限界があるらしい。
これ幸いと言わんばかりに、エマの周囲で待機していた化け物たちが彼女に向けて飛び込んだ。 それらは魔法的技能に乏しい者たちで、だからこそ膂力にほとんどのリソースが割り振られている。 一般人的な肉体能力しか持ち合わせないエマが彼らの攻撃を受ければ重症必至だが──。
「ぎゃあ!?」
反射的に身を屈めて前に出たエマ。 転びそうになりながらも無理な動きをしたおかげか、被害は彼女の頭上を化け物たちが通過するだけに抑えられた。
しかし次の一歩が駄目だった。 そこには地面を這う木の根が存在しており、エマはその一本に引っかかった。
派手に転ぶエマ。
「《歪──」
いつからこんな根があるのかといえば、時間経過とともに平民区画全域へ徐々に増え始めたとしか言えない。 今では細い枝先が無数に這い回る状況が出来上がっている。 ハジメはこれがアンドレイの仕業だということに気付いていたが、先程遭遇した彼に悪意は感じられなかったので無視していた。
血と肉片が舞う。
「い゛ッ……」
結果、ハジメが安全なものと高を括っていたものによってエマの脚が吹き飛んだ。
「──虚》……!」
エマの直上に球体が出現。《歪虚》の膜が一瞬で彼女を覆い尽くすように膨らんだ。
今まさにエマに襲い掛からんとしていた化け物が潰れ、悉くが塵と消えた。 しかし、彼女が負傷した事実は消えない。
「あ゛ぁあああ……!」
「エマッ!!!」
ハジメも歪虚空間に慌てて飛び込んだことで追撃を免れ、一部の化け物がグシャリと潰れた。
「血が、血を……どうやって……」
ハジメは痛みに悶えるエマを抱きながら、腰のポーチにある低級治癒ポーションの存在を思い出した。
「お、おいエマ、大丈夫だ……! とにかくこれを、こいつを飲め……っ」
半狂乱で喘ぐように息をするエマの顔面を押さえつけながら、なんとか口に液体を注がせる。 それでも暴れるエマを羽交締めにしていると、今度は化け物以外にも複数の根が立ち上がりハジメたちに向けて覆い被さり始めた。
化け物よろしく、根も空間に触れて圧壊している。 瞬間、根は何かに気づいたように動きを止めた。
「ッ……なんなんだよ、くそ……! あんたも敵かよ!」
ハジメは見えないアンドレイに向かって吠える。
このようなアンドレイの魔法効果は、平民区画全土で影響を見せ始めていた。
ロドリゲスおよびメイ──。
「ふはははは、我が二人とは! 貴様はそこでこいつらの餌にでもなっていろ!」
根と化け物に翻弄されているメイを見て、ロドリゲスは高らかに叫んだ。
今や化け物たちは根の攻撃を一切受けず、この場ではメイだけが標的。 それでもメイ以外が障害物となって全てが一斉に彼女へ襲い掛かるわけではない。
「めん、っどう……なの!」
環境まで敵となってしまったため、メイにロドリゲスを追いかける余裕はない。
ロドリゲスはこれ幸いと、嗤い声を残しながらどこかへ姿を消してゆく。
残されたメイは多勢に無勢。 召喚された魔物を操作できるためできることは多いが、デミタスの指摘通り彼女には攻撃力が無い。 内向的な性格が影響しているというよりも、最初からサポート能力を開花させるようにロウリエッタの教育を受けていたため、そうならざるを得なかったというのが正しいところだ。
「……この根っこ、魔物を避けるの。 いっぱい《召喚》!」
一瞬のうちにメイは気づいた。 根がメイだけを狙っているということに。 根は化け物連中を迂回するように動きを見せるのと同様に、魔物を障害物として認識してる様子だ。 そのため根先の存在している方面に魔物を召喚すれば、致死性の攻撃も鳴りを潜める。 しかし気づいた時には遅く、ロドリゲスを索敵範囲外に逃してしまった。
「あー! ロウリエッタ聖に怒られちゃうの……!」
メイの慌てるような叫びが化け物集団の中で響き渡る。
アンドレイを味方につけたロドリゲスの反撃により、様々な場所で綻びが引き起こされていた。
ユハンとモノ──。
襲い来る根を切り伏せたモノだったが、そのうち幾つかが彼女の攻撃を抜けた。
「ッ……ユハン様!」
モノが慌てて背後を振り向くと、間一髪ユハンは魔導書にマナを蓄積し終えていた。
「《君臨》」
ユハンが魔法を発動した直後、彼を中心として球状の空間が膜を広げた。
そんなもの関係無しと、根の軍勢は彼を貫かんと降り注ぐ。
「命令する。 ──私を傷つけるな」
瞬間、根はピタリと動きを止めた。 まるで運動エネルギーなど存在しなかったかのように痙攣し静止しているそれらは、ユハンを怯えるような佇まいを見せている。 仕舞いには首を垂れるように地面にその身を預けると、するするとその場から去っていった。
「ユ、ユハン様……! 申し訳ありません、危うくお身体に傷を──」
「良い。 お前は十分に働いている。 私よりむしろお前たちが失われる方が心配だ。 無理はするな」
「あ、ありがとうございます……! しかし、私まで含めていただけるとは……」
「くどい。 私の意志でやっていることだ」
「……分かりました」
ユハンとモノを内容した空間は、この周囲に散らばっていた根を全て押し退けるように広がりを見せている。 範囲としては直径10メートルほどの球体だが、ユハンの魔法が効力を発揮しているおかげで、彼より上位者でもなければ魔法効果の壁を越えることはできない。
「モノ、この状況をどう見る?」
根の妨害を退けられたとはいえ、相変わらず向かってくる化け物もいる。 そうでないものもいるために判断に苦慮するが、ある程度の法則性がユハンには見えつつある。
「アンドレイのこれは、極刑に値する暴挙かと。 どういうつもりでやっているのかまでは理解しかねます」
モノは空間内へ侵入可能な敵だけを優先して処理しながら話す。
「私を狙ってまで欲するものがあったということだろうな。 ……しかし面倒なことになってきた。 ここまで広大な範囲を制圧されては、私の魔法を解くことは叶わなくなったな。 擬似的に空間へ閉じ込められたと言っても過言ではない」
ユハンも魔弾で援護をしながら次の動きを思考する。 現状、最大の火力要因だったリヒトは側におらず、だからといって全方位から迫り来る敵の中心で動きを止める訳にもいかない。
「この空間ごと移動は可能ですか?」
「可能だ。 効果範囲を広げたおかげで速度は出せないがな。 ひとまずは父上から情報を入手した方が良いだろう。 こんな状況での行き先はおそらく、父上が秘密裏に実験場としていた場所だろうからな」
「それはどちらに?」
「平民区画の北部に、父上しか侵──」
「……?」
光が通過した。
モノの視界に、何かが舞っている。 それがユハンの腕であることに、通り過ぎた光が攻撃性の魔法だったことに、モノはすぐに気がついた。 彼女を掠めた攻撃の一部が霧散していたからだ。
兜の下のモノの表情が絶望的なものとなり、同時にユハンを守る推進力を得ていた。
「ッ……! ユハン様、急ぎ回復──を!?」
ユハンを背に隠し、攻撃が飛んできた方向を探そうとしたモノに二発目、三発目の光が降り注ぐ。 それらを鎧の真正面で受け切ることでユハンには攻撃が届かない見込みだったが、殺しきれないエネルギーの一部がモノの身体を仰け反らせた。
モノの魔法無効化能力は万能ではない。 それは研究段階で偶発的に得られた産物であり、実際の機能は“ある一定以下の魔法効果を遮る”という程度に過ぎないからだ。 無効化には一度の攻撃に対して上限があり、総合的に受け切れる上限もある。 そのため一発の攻撃力が高すぎる場合は、魔法的な副次効果から先に無効化し、残った物理的効果がモノにダメージを負わせてしまうという仕組みとなっている。
「っゔ……モノ……」
「私の心配は無用です! ユハン様はポーションで治療を!」
攻撃の合間、ここでようやくモノは光を迸らせる敵の姿を見た。 全身真っ白な不健康さで、頭部中央の空洞に脈動する魔石を保持する異形。
「違、う……! 私の、この右腕を切り落と、せ……」
「ユハン様、一体何……を」
モノはハッと気がついた。 ユハンの腕の吹き飛んだ傷口から、黒い汚染が遡上し始めている。
「いいから、やれ……!」
「申し訳、ありませんッ……」
モノはギュッと目を瞑り、剣を振り下ろした。
剣がユハンの腕を通過。
唇を噛んで痛みに耐えたおかげで、ユハンの身から黒い汚染が取り除かれた。
断片となった肉片は真っ黒に染まると、ぐずぐずとドス黒いマナを漏らす呪物と成り果てた。
モノは光線を捌きながら、ユハンに応急手当ての時間を確保。 程なくして、最低限の止血だけが施された。
「ユハン様、退きましょう。 そのお身体では──」
「黙れ。 モノ、あれを潰す……! 手伝え……」
ユハンが玉のような冷や汗を流しながら睨む先には、光線を撒き散らし続ける化け物──悪神の使徒の姿があった。
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