第79話 隔絶監視
『アンドレイ。 もし我が区画単位の魔法を使用することがあれば、お前の魔法で町全土を覆い隠せ』
『それは何故ですかな?』
『……分かるだろう? この町には王から依頼されて研究を進めている魔法が多い。 それらを保護するためだ』
『区画単位の魔法というのが分かりかねますが──』
『それ以上問いを投げるな、不愉快だ。 お前のその腕輪には我と同等の権限を与えている。 それだけで満足していろ』
アンドレイは足元に転がるネイビスをぼんやりと眺めながら、過去のロドリゲスの発言を思い出していた。
平民区画では謎の光が迸っている。
「……」
「アンドレイ、どうした?」
「なんでもない、ラカツ殿。 儂は戻るのでここは頼みます」
「仕事か、熱心だな。 無理はするな」
「失礼する」
アンドレイは瓦礫の散乱する壁外を大きく回り込む。
「《発芽》」
マナをばら撒きながら、ロドリゲスの指示を全うするべく走る。
▽
平民区画を慎重に進むハジメとエマ。
「ハジメさん、そ、そこの路地の右側にいるっす……!」
「……なんで分かるんだ?」
エマの忠告を受けてハジメは足を止めた。
「分かんないけど、分かるんです」
「……了解。 エマはここに居てくれ」
ハジメは駆け出す。
「《過重──」
ハジメは手元に魔弾を形成しながら路地の角から飛び出した。 そこにいるであろう存在が何者なのかを即座に判断する。
(体色は黒。 異形化と魔導書……討伐対象!)
「──弾》!」
ハジメは迷わず魔弾を射出した。 しかし──。
「な、に!?」
異形の化け物は背中を向けていたにも関わらずこれを避けた。 化け物の身体がグニャリと曲がり、魔弾の斜線から外れている。
化け物の頭部が180度反転してハジメをしっかりと捉えている。 といっても、顔面と呼ばれる部分には脈動する魔石が埋め込まれていて、視覚的に捕捉されたは分からない。 それでも化け物に魔導書すらハジメの方を向いていれば、敵対関係になったことは確かだろう。
「《影縫》」
「……なんつった?」
「ハジメさん、下っす!」
濁った声の出所は、恐らく目の前の化け物。 ハジメが耳でその意味を理解しようと必死になり始めた瞬間、エマの声が響いた。
「ッ……!」
ハジメはエマを信頼して後上方へ飛んだ。
直後、ハジメの足元を何かが通過した。 それは、雲によって暗がりに覆われた環境であっても一際黒く蠢く何か。
「って、そういうことか化け物め……。 《過重弾》!」
化け物の身体がぐにゃりと細長く伸びている。 よくよく見れば影と肉体の形状が一致している。 下半身は人間の形状のまま、上半身が細く捻じられたというべきか。
ハジメの放った魔弾は動きの鈍そうな下半身部分へ。
魔弾の軌道上にあたる化け物の肉体部分が左右に裂け、
「まぁ、──」
見事に避けられた。
「──同じじゃねぇよ。 《拡散》」
魔弾は化け物の間を通過する瞬間、波動が広がる。
「ゲ、ェ……ッ……ェ゛!」
バシャリ。
極限まで質量の増した化け物の身体が地面に叩きつけられた。 長く伸ばされた上半身が、自重に耐えられず崩れている。 流動性を獲得しているためか、潰れるというよりは薄く広がっているようだ。
「うえ、気持ちわる……。 とにかく、効果が切れる前に壊さねぇと」
スライムのような粘性生物に成り果てた化け物の中心には脈動する魔石。 その付近には口と思しき構造物がパクパクと何かを発そうとしている。 その意味を理解させるように、化け物の側には未だ具現化されたままの魔導書が転がっていた。
「危ねぇ! 《過重弾》!」
ハジメは慌てて魔弾を射出。 今度は避けられることはなかった。
中心を撃ち抜かれた魔石が震える。 数瞬の後、魔石全体にパキパキと亀裂が広がり始めた。
「こんなのが普通に歩き回ってるかと思うと、この町も終わりだな……」
魔石が砕けて塵と化すのを見届けて、ハジメはポツリと呟いた。
ハジメはエマから町の状況は大まかに聞いている。 多くの人間が死んだことも、化け物が住民から生まれていることも。 しかしそれを知ってもハジメにはほとんど動揺は見られない。
(俺が変わってしまったのか、あまり驚きは無いな。 あまり付き合いがなかったのもあるけど、俺はここの住民には半ば嫌悪感があったんだよな。 エマのこと然り奴隷のこと然り、色々──)
『何を感慨に耽っておる? もう勝ち組気分か? 先ほども妾の助けがなければあぶなかったというのに』
ハジメの脳裏のナールの声だけが響く。
『す、すいません……!』
『妾が補助しても、魔法の指向性が多少増した程度だったからのう。 そなたは所詮中級魔法使いレベルだと理解せよ』
『気をつけます……』
そんな脳内監視にハジメが怯えていると、駆け寄るエマの姿が見えた。
「エマ、危ないから隠れてろって」
「ここは安全っす!」
そう言い切るエマを見て、ハジメは先程のことを思い出した。
「そうだ、さっきは助かったよ。 エマがよく見てくれてなきゃ危なかったからな」
「見てというか、勘というか」
「どうした?」
「いえ、何でも。 とにかく無事で何よりっす」
エマが過剰なまでに周囲を気にしながらハジメの元へ駆け寄ってくる。 そのままハジメに抱きつくギリギリあたりで足を止めた。
「あんなのがウヨウヨいるのか?」
「です、ね。 でも今のは初めて見たっす」
「今のは? どういう意味だ? 他にいるのか?」
「そ、そうっす。 首が無いのとか変なのとか……」
「あれが首のある奴……いや、変な奴か?」
「変なのは見れば分かるっす。 異様な雰囲気してるので」
「そうか……」
(エマは何が見えてる? 逃げりゃ安全そうなもんなのに、俺に付いてくるのはどうしてだ?)
ハジメはこっそりとエマの視線を追う。 が、そこに何かが見えるということはない。
「……!?」
「って、なんだ?」
ハジメは町の外側から高まりを見せるマナの波動を感じ取った。 エマも同様に周囲を確認している。
ゴゴゴ──。
揺れるモルテヴァ。
立ち上る巨大な木の根が町全土を覆い、まるで外壁のように町の内外を隔て始めた。
「ハジメさん、あれ何ですか!?」
「アンドレイさんか……?」
根は貴族区画すら飛び越えて天高く伸び続け、外界からモルテヴァを完全に隔離してしまった。 外側に外側に幾重にも層を作って取り囲むことで、上空からの出入りしかさせないような意図を感じるが、そもそも出入りなどさせるつもりはないのだろう。 アンドレイもその考えで魔法を発動している。
「何か分かるんですか!?」
「いや、分からない。 ただ、俺たちに悪影響のあるイベントが起こりそうなのは確実だな」
上空だけならまだしも、四方を覆われたことで光源は失われ、モルテヴァは本当に真っ暗な世界に変貌してしまった。
「エマ、目は見えてるか?」
「いえ、全然見えな……わっ!?」
「離すなよ? もし俺が手を離したら、その場から絶対に動かないでくれ」
「りょ、了解っす……」
ハジメには《夜目》があるから良いものの、エマはそうではない。 これは彼女だけでなく、生き残った面々に平等に訪れた災厄だった。 これを回避できるのは闇属性魔法使いくらいなものだろう。
この異常事態に呼応するように爆炎が舞い上がった。
貴族区画で生じた炎は木の根に向けられたが、延焼するような動きは見られない。 雨が根の表面を覆って火の影響を少なくするばかりで、いつまで経っても焼け焦げることはない。
「次から次へと。 火属性でも焼けないのは相当な強度だな」
「えっと、ハジメさん……? これからあたしたちって大丈夫なんです?」
エマの表情は不安げだ。
「俺がさっさとエマを外に送り出してればこうはならなかったよな、すまん……」
「それは大丈夫なんで、ハジメさんが何をしようとしてるのかだけ教えてもらっても?」
「そうだよな。 分からないことだらけは嫌だよな。 ……まずはそうだな、俺個人が置かれてる状況から話すか」
ハジメは大まかに神の密命を受けて活動していることを告げた。
『あまりペラペラと話すでないわ』
『すいません。 でも、エマは信頼できるので』
『どうだかな』
ハジメはナールの声を拾おうとするたびに目から流血するので、エマにとっては恐怖でしかない。
「複雑な事情ってのは理解したっす……」
「俺はしっかりと目が見えてるし、確実に処理すべき存在は今もずっと補足できてる。 そいつに比べたらさっきの敵はまだ楽な方だ」
「ほんとっすか……?」
「あー……すまん、嘘ついた。 エマの補助がないと危なかった。 それにしてもよく見てくれてたよな」
「危ないのが分かる、みたいな?」
「特殊能力的なやつか?」
「多分魔法だと思うんすけど、自分でもあんまり把握できてなくて……」
ここで徐に胸元を見せつけるエマ。
「ちょ、何やってんだ!?」
「見て欲しいっす。 魔導印ってこれのことです?」
「……ちょっと見るわ」
慌てたのはハジメだけでエマは真剣そのものだった。 そのためハジメは努めて冷静を装ってそこを見る。
ギリギリ突起部分が見えない程度に押し下げられたエマの胸元には、しっかりと魔導印が刻み込まれていた。
(今まで何人か見てきたけど、全員が形も内容も違うな)
ハジメは気になる部分に吸い込まれそうになる視線を必死に押さえ、魔導印を観察している。
「は、恥ずかしいんでもういいっすか……?」
「お、おう……」
顔を真っ赤にして衣服を整えるエマの姿に、ハジメはある種の卑猥さを感じていた。 この状況を見ていられるのもハジメだけとあって、興奮は増すばかり。 しかしすぐに現実に戻される。
ザッ──。
「……エマ、後ろにいてろ」
「は、はいっす」
ハジメの目には、見知った者姿がしっかりと映し出されている。 こっそりと覗くエマが何も言わないのは危険がないからか、それとも単に見えないからか。
ハジメは魔導書を抱えたまま、警戒半分にアンドレイを観察し続けた。 闇属性ですらないアンドレイの方もハジメを見ており、何かしらの手段で把握されていることをハジメは直感する。
「アンドレイさん」
ハジメが声を掛けると、アンドレイは足を止めた。
「ハジメ=クロカワか。 隣は誰だ?」
(見えてはいないのか。 現状可能なのは存在把握だけってことだな。 この複雑な状況を作り上げてる時点でアンドレイさんは敵陣営なのは確定的なんだけど、どうなんだ?)
「エマです。 知ってますよね?」
「被虐民のエマだな」
「……そう、です」
「君は未開域の調査に赴いたはずだが、どうしてここにいる?」
「知らない間にユハンさんらに運ばれて、気づいたらここにいました。 エマの話では、他にもモノって騎士だったりリヒトって爺さんも戻ってるみたいです」
アンドレイは顎に手を添えて少し黙った。
(俺が嘘ついてるとでも思ってるのか? それにしては妙な反応だな……)
「そう警戒するな。 少し思うところがあっただけだ」
「アンドレイさんはこんな魔法使ってまで、ここで何してるんですか?」
「……緊急時の対応として魔法を発動したまでだ。 儂はこの事態に対応する。 君たちは安全な場所に隠れていろ」
「分かりました」
アンドレイはハジメたちの方向へは進まず、一旦戻ると手前の角を曲がって消えていった。
「何かあるな」
「で、ですよね……」
「まるでこれから安全じゃなくなるような口ぶりだった。 追いかけてもいいけど本来の目的とは逸れるし、何より動きは把握されてそうだ。 わざわざ面倒事に関わる必要は無いな」
「確かに……」
「最初にエマが説明してくれた通り、奴隷区画の人らも閉じ込められてるかもしれないし、他の魔法使いの援助も頼まないといけない。 そのためにはさっきの化け物退治は必須だろうから、申し訳ないけどもう少し付き合ってくれ」
「それは勿論……!」
「じゃあ行くぞ」
「は、はい……」
ハジメはエマの手を引いてゆっくりと歩き出す。
「でもなんで、その使徒をやっつけないといけないんですか?」
「それは、あれだ。 放っておくと力をつける可能性があるからだな」
「そうなんすね……」
ハジメは敵を警戒しつつナールから情報を引き出す。
『魔導書を介さずに魔法を使う存在がいれば、それは使徒に違いない』
『魔法で生み出した生物とかと違うんですか?』
『魔法によって生み出された生物や兵器などは、命令以外の行動は取らん。 それに較べて使徒は思考する生物で、尚且つ成長の可能性さえも秘めておる。 なに、見れば分かる』
『了解しました』
▽
「ええい、鬱陶しい連中だ。 いつまで我を追跡するつもりだ」
《人魔混成》発動によってゼラを撒いたロドリゲスだったが、今度は謎の魔物──メイの生み出した魔法生物からの執拗なストーキングを受けている。
攻撃するでもなく各所から複数の目で捕捉されており、尚且つ潰しても潰しても魔物は湧いてくる。 そのため、ロドリゲスの苛立ちは右肩上がりで増すばかり。
「ものども、さっさと邪魔な追跡者を処理せんか……!」
ロドリゲスの意思を乗せたマナを受けて、彼の生み出した軍勢が活性化する。 目についた生物を襲い、魔法も使い、連携さえする化け物たちは、魔法の使えない者にとっては災害そのもの。 見つかれば死ぬ、と言えるほどの脅威となっている。
「……まぁ良いわ。 この状況こそ我が悲願。 我でさえも卓上の駒であることに違いはない。 最善は現状を見て知っていただくこと。 我が魔法の完成など二の次よ」
ロドリゲスは怒りを溜めながらも長い展望を以てして不敵に笑う。
モルテヴァの上空には《召喚》によって生み出された魔法生物サーチアイが数匹。 《夜目》が常時起動しているそれらは、外界から区切られたモルテヴァの様子を隈なく網羅している。
「ついに始まりました」
「うむ」
サーチアイの目を通して状況を俯瞰する者がいた。
「これはヒースコート男爵たっての希望ですから、期待して良さそうですな」
「デノイ、それはどうか分からんぞ? どちらに転んでも王国には益しかないから、余は正直なんでも構わんがな」
「では王よ。 どちらに賭けますかな? 私は男爵の思惑が成就する方へ」
「余は失敗する方へ賭けてやろう」
「よろしいのですか?」
「単に成功してもつまらぬからな。 我らを興じさせているというその一点だけで、すでにヒースコートは役目を終えている。 あとはどれだけ長く楽しませてくれるか、それだけのことよ」
「それでは賭けが成り立ちませんな。 そういうことであれば……これはどうでしょう。 私が勝てば、フミヤも右道に流すというのは?」
「また妙なことを言いおるわ」
エーデルグライト国王カイゼルは、デノイの提案に唸る。
二人の賭け事の結果、スワこと上水流諏訪は右道に流れた。 これこそロウリエッタが失望していたカイゼルの采配であり、まさか賭博によってそうなったとは彼女には思いもよらない異常事態。
「いかがされますか?」
「……いや、余は選択を変えん。 そうでなくては面白くないからな」
「相変わらずですな。 そうやって面白半分で政策を変更することさえなければ良き王なのですがね」
「気に入らん者は粛清すれば良い。 今度はモルテヴァの被虐民制度でも導入してみるか?」
「お戯れを。 では、私はヒースコート男爵の成功に賭けます。 今回も存分に楽しみましょうぞ」
「デノイ、今回は負けんぞ」
カイゼルを諌めないデノイのせいで、エーデルグライト王都の民は度々面倒な被害を被る。
王都ギュムリはモルテヴァほど身分差が顕著ではないものの、王の権力が強すぎるあまり時折理不尽な圧政を受けることがある。 しかし王都周辺もモルテヴァ同様魔物被害が多い地域にあたるので、王都内に住居を置くことがほぼ必須となっている。
「また税率が上がるのか……」
「魔法使いの子を産むだけで大金を得られる、だと? どこまで都民を愚弄するつもりなんだ」
「徴兵を避けるには──」
「議会は何をやっている……?」
不満の種は芽吹くばかり。
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