第78話 求道者
情報過多。
『求道?』
『神の道を探求する行為のことだ。 その結果示されるのが右道と左道。 人間どもの間では右道は恩恵的なもの、左道は邪悪なものとして認識されているが、実際の意味は異なったものだ』
『そもそもその二つを知らないんですけど』
『黙って聞いておれ』
『……はい』
ツォヴィナールが語るのは神の世界に関わる知識。
『まず、そなたは左道に入った。 これは左目の網膜に深く刻まれた魔法陣で確認することが可能だ』
『いつの間にそんなものが?』
『つい今しがただな』
『俺は求道なんてしてないんですが……』
『何を言っておる。 最高神たるアラマズドがそなたに課したものこそ、求道の最たる過程ではないか』
『……?』
『そなたを神のマナで覆い、それによって試練を誘発する。 試練を乗り越えられれば最善、失敗しても周囲を不幸にして生き残れば次善、神との接触が果たされれば三善といった具合に、そなたが求道を遂行できる道筋が最初から用意されておったのだ』
『仰られている意味が分かりませんけど、それができたらどうなるんです?』
『ごくごく僅かではあるが、神性を獲得できる。 求道を通過することが神へ至る最低条件であり、求道者の辿った内容によってそこから右道と左道に分岐する』
終始ハジメの頭上にはハテナが浮かんでいる。 それでも何とか理解しようと脳をフル回転させる。
『人間どもは右道と左道を対比させて認識しておるが、実際その二つに大きな違いは無いがの。 分類しているのは神側の都合だ』
『恩恵とか邪悪って認識が間違ってるんですか?』
『当たらずも遠からずだな。 神が管理可能な者を右道、そうでない者を左道と呼んでおるだけのこと。 左道はどちらにも傾くイレギュラーであり、神が最も危険視している存在だ。 堕落する可能性を加味すると、左道が邪悪を含んだ概念であることに間違いはない』
ハジメは首を捻る。 そして違和感に気がつく。
『アラマズド神の意思が介在していたなら、どうして俺が左道に入ったんですか?』
『これは今だから言えるが、彼の者はそなたを右道に入らせコントロールするという狙いがあった。 言うなれば神の使徒を生み出す計画だな』
『それが上手く行った場合、俺はどうなってたんですか?』
『神の盲信者と成り果てて居ただろうな。 それこそ死ぬまで神のために尽くしていただろうよ』
ツォヴィナールが何気なく発した一言に、ハジメはゾッとした。 アラマズドというアルス世界の神は、ハジメを呼び出しただけでなく傀儡として用いようとしていたのだ。
『ただしそれは計画が盤石に運んだ場合の話だ。 サブプランとして、そなたが左道に入るルートも計画されておった。 左道に入ったとしても、右道へ引き込む流れがあったはずだ』
『……はず? えーっと、まだまだ理解が追いついてないんですけど……俺は今もアラマズド神の敷いたレールの上を歩いてるってことですか?』
『もう外れておるぞ』
『え、そうなんですか!? でも、左道に入ったとしても右道に引き込まれる可能性は残るんですよね? ナール様のお話を聞くと、左道には悪いイメージしか湧かなくて怖いんですけど……』
ツォヴィナールは嘆息し、それでも必要な過程として話を続ける。
『右道とは、完全に神に寄った流れのこと。 彼の者は右道の教団“アースティカ”結成を促し、神の秩序を敷いた光の社会を成立させようとしておる。 一方、左道は秩序には縛られない自由な流れを汲んでいる。 だがその中には、右道とは真逆の信念を持った連中がおる。 “ナースティカ”を名乗る其奴らは、神の支配体系破壊を目論み、神さえも殺そうと画策している。 だからこそ左道の者は危険視されておるし、両陣営はどちらにも寄っていない左道者を取り込もうと必死になっておる。 その半端者というのが、そなたのことだ』
ツォヴィナールの左目が、怪しく光を宿す。
▽
「報告がございます」
ロウリエッタの元に、王国に配置した部下からの書状を持った密偵がやってきた。
「述べよ」
「王国勇者の片翼であるスワ=カミズルが右道に入ったようです」
ロウリエッタは数秒思考を巡らし、それから天を仰いだ。
「王国の愚図は何とかならんのか……」
「心中お察しします」
「右道から入って神を引き摺り下ろすなど到底無理な話よ。 カイゼル王は本質的にはナースティカに居るはずだが、何も分かっておらん。 勇者という重要な駒を右道に流すなど、狂気の沙汰だ」
「いかがしますか?」
「このままでは均衡が崩れる。 何としてもフミヤ=アレマキを左道に流せ。 ただし、トンプソンには絶対に気取られるな」
「承知しました」
密偵が消え、ロウリエッタの表情がさらに険しいものとなる。
「王国勇者は、二枚揃ってようやく帝国勇者に匹敵する程度。 その一枚が失われたとなれば、ナースティカから勇者を召喚せねばならんかもな」
ローライト家当主、ロウリエッタ。 教会ライトロード家の分家にあたる彼女の系譜は元来、教会を影から支える役割を持つ。
ロウリエッタの義理の姉であるオリビア=ライトロードは教会の巫女であり、神に接触した経験から当然の如く右道に入っている。 そのような環境に居てロウリエッタが何故左道に入っているかと言えば、左道者を右道に誘う役目を与えられたからだ。 アースティカは管理可能な左道者を増やし、光の社会設立を盤石なものとしようとしている。 しかし神の思惑がいつも思い通りに行くとは限らない。
ロウリエッタはナースティカに属している。 オリビアはそれを知らない。
今や神は人界への干渉は原則不可能であり、直接的な示唆を与えることさえ叶わない。 ましてや誰が右道で誰が左道などを知ることもできない。 神はただ理想郷を語り、民草を惹きつけるのみ。
▽
『ナール様、それは……?』
ツォヴィナールの左目奥には、見慣れない魔法陣が姿を見せている。
『これこそ、そなたとの繋がりだ。 これを介して、妾はそなたを眷属に加えることができたわけだ』
『眷属って概念がそもそも……』
『そなたは頭が弱いのう。 言うなれば、妾の思惑に沿って動くことを強いられた駒よ』
『……』
ハジメはツォヴィナールに不快感を露わにした。 表情が険しいものになる。
『これは極論すぎたな。 そう渋い顔をするな。 妾は彼の者のような仕打ちはせん。 そなたへの待遇はそう悪くは無いと思うがの』
『……具体的にお願いします』
『思考を規定することはないな』
『でも方向性は規定されるんですよね?』
『まずは聞け。 妾はアースティカにもナースティカにも偏らん。 本来であれば自由な流れを汲んだものが左道ではあるが、この時代の左道は右道と対極に位置しておる。 太古の時代にも同様の二者対立が勃発したが、最終的に世界に残されたのは深刻な被害のみだった。 だからこそ妾は中道“マディヤマー”を生み出し、均衡を重んじる新たな潮流を世界に注ぐ。 これがどのような結末を引き起こすのかなど神さえも知り得ぬが、少なくともそなたの自由を奪うことはせぬ』
それを聞いたハジメは押し黙る。
(おかしな流れに乗せられていたことに今更腹が立ってるけど、この世界に来れたことは幸運なことで間違い無い。 アラマズド神のこともナール様のことも、結局は俺がどう感じるかってだけなんだよな。 俺が良いと思えば良いし、悪いと思えば悪い。 あと少し気になることだけ聞いてみるか)
少し考えた後、ハジメは問いを投げる。
『ナール様の仰る自由の中に、右道とか左道の対立に参加しないって選択肢はありますか?』
『そなたの好きにすれば良い。 ただし、均衡を守る為に最低限せねばならぬことはある。 それさえこなせば、妾がそなたに強いることはない』
(アラマズド神の思惑に乗せられた時点で、大いなる流れは此奴の全身を飲み込んでおる。 いかに目を瞑ろうと、目を背けようと、運命という呪いからは逃げられんからの。 好きにさせてやろう)
ツォヴィナールは内心でハジメに憐憫の情を投げながら、それを顔には出さずに淡々と話す。
『分かりました。 ナール様のお考えを支持します』
(どっちつかずってのは分かってるけど、優柔不断な俺にはナール様の理想は少し心地良いんだよな。 問題を後回しにしてるのは実感してる。 けど、誰かと敵対するようなことにはなりたくないからな。 今は……これでいいはずだ)
『マディヤマーに所属し、妾の眷属としての自覚が出たなら重畳。 ついでと言ってはなんだが、求道の達成条件を教えてやろう。 これを知っておれば、過ちを犯しそうな者を正しき方向へ導けるかもしれんしの』
『……お願いします』
導くという動詞を聞いて、ハジメはやるべき仕事が増えたことを確信した。
『求道の根源には魂の救済という至上命題が存在している。 その救済方法によって、道は左右に分岐する。 救済が生者に対するものであれば右道に、そうでなければ左道に。 そなたの場合は最初から神性が獲得されておったし、彼の者の思惑に乗せられていたから右道に入ることが確約されておったが、様々な問題が折り重なって左道に入っておるの』
『えっと、生者に対してではない救済の意味が分からないんですけど……』
『端的に言えば死による救済だな。 悪神どもが死を救済と捉えているために、殺害行為が救済と認識された結果だな。 これによって殺害行為だけでも左道に入ることができるようになり、神性獲得の敷居が非常に低いものになっておる』
『悪神……ですか。 知らない単語のオンパレードですね』
『神──とりわけ彼の者を祀る集団アースティカ、悪神を祀る集団ナースティカ、そして妾が興したマディヤマー。 妾の台頭によって、これからアルス世界は激動の時代を迎えるだろうな』
『ナール様は自ら突っ込んでいくスタイルですか……』
安穏な生活を期待していたハジメは、その期待が軽く打ち砕かれたことを実感した。 普通に生活しているだけでも事件に巻き込まれていたのに、これからはマディヤマーに所属したことで生まれる問題もあるだろう。
『不満か? 知らぬ内に神と悪神の争いに巻き込まれるよりは、自ら介入できた方が多少は気持ちも楽だろう』
『楽かどうかは分かんないですけど……。 その神と悪神の騒動というのが全ての発端で、色んな人が巻き込まれているってわけですね?』
『うむ。 これは数千年前から始まり、ここに至っても完全な終結を見せていない。 むしろ再度熱を帯び始めていると言って良い。 そなたの存在がその最たる理由だな』
『迷惑な話ですね……』
『だからこそ妾が介入し、良い形での終結を目指しておる』
『なるほど、そういう考えでしたか。 そういう理由でナール様は左道に入ったんですね』
『違うが?』
『えっ?』
ハジメは都合の良い解釈をしたが、どうやら違うらしい。
『この世界に受肉した瞬間、すでに妾は左道の存在であった。 マディヤマー設立を考えたのはそれ以降であるし、妾の意思と左道とは関係が無い』
『ではどうして……?』
『以前の魔についての会話の際、神が行使するものを奇跡、人間が行使するものを魔法と妾は説明した。 覚えておるな?』
突然会話の内容が変わってハジメは混乱する。
『す、すいません、忘れました……』
そういえばそのような会話があったことはハジメも朧げに覚えているが、具体的にどのような内容だったかまでは思い出せない。 あれはハジメが自身の魔法を発現させた頃だっただろうか。
『神は人間のように面倒な過程を経ずとも魔法──奇跡を起こすことができる。 しかし現在の人界では神が顕現することはもちろん、奇跡を行使することなど絶対的な禁忌事項。 その原因を作ったのが悪神という存在であり、奇跡を濫用したからこそ奴らは神から悪神として貶められた』
『あれ……? ナール様は奇跡を使ってましたよね?』
『そうだの。 その禁忌に照らしてみれば、今の妾は悪神ということになる。 厳密には少し違うがな』
『……え』
ハジメは思わず後退った。 ここは精神世界なのでそのような行為など意味はないのだが、ハジメはツォヴィナールが一瞬で恐ろしい何かに見えた。 神も悪神も、どちらも争いを生む火種でしかないのだから。
『至極真っ当な反応だな。 だが安心しろ。 妾は中道を歩んでおるし、そもそも人間の肉体にパッケージされておるから神ですら無い』
『でも──』
『話は最後まで聞け、愚か者』
『──わ、分かりました……』
『神同様、悪神は人界にはおらぬ。 であれば妾が悪神と無関係といえばそうでもなく、悪神の使徒に程近い存在であることは確かだ』
『使徒?』
『神または悪神に絶対的な忠誠を誓い、命まで捧げている者のこと。 そなたが向かうべきだった未来の姿だな』
ハジメの頬を冷や汗が伝う。 この世界に来させられただけならまだしも、意思さえ奪われるというのは恐怖以外の何物でもない。
『今やそなたも妾の管理下だ。 心配せずとも良い』
『それならいいんですけど……』
『この世界において妾以外にも奇跡を行使できる存在──それが、悪神の使徒。 悪神の意思を色濃く受けた其奴らは、禁忌を犯すことのできない神の陣営には到底不可能な芸当をやってのける。 だが、奇跡の代償として人外の化け物に成り果てるようだ。 これはむしろ悪神には利益しかないがな』
命令に忠実な傀儡であれば都合よく運用することができるし、恐怖心など余計な感情を持たせないことで人間以上の働きが期待できることは明白だ。
『ナースティカから悪神の使徒が生まれるということですか?』
『一部はな。 悪神の意思というのは絶えずアルス世界に漏れ出しており、ナースティカに属さない者も影響を受けて使徒と化す。 だからこそ神は悪神に対抗するため、そなたのような存在を呼び出したのだろう。 だが、その計画が上手く運んだとしても右道に入るのは厳しかったと思うがの』
『どうしてですか?』
『まずそなたが貧弱過ぎるが故に、与えられた試練を生者の救済という形で成就できなかったはずだ。 加えて、彼の者がそなたに施したものこそ奇跡の体現であるため、悪神の定義に引っかかって左道に入ることは避けようが無かったと考えられる』
『そう言われれば確かに……。 でも、どうして俺はこのタイミングで左道に入ったんですか?』
『それは妾の施した仕掛けが起動したからだな』
ツォヴィナールが口元を緩め、話を続ける。
『まず妾はそなたに餞別としてマナを譲渡した。 そして例の魔法を使うなと念押しした上で、緊急時に妾のマナで魔法が完成するように仕組んでおった。 謂わば奇跡に類似した魔法運用方法であり、これによって妾の側──左道へのアクセスを容易にした。 だからこうして、そなたとの縁が成就したわけだな』
縁と言われて一瞬だけ心地良くなってしまったハジメだが、すぐに思い直す。 ツォヴィナールも結局はアラマズド神似たようなことをしているに過ぎない、と。
『それが上手くいかなかったらどうなってたんですか?』
『その場合は死ぬだけのこと。 ただ今回もアラマズド神の場合と同様に、妾のマナがそなたを保護しておった。 意味は分かるな?』
『色々と面倒事に巻き込まれ続けたのはそういうわけですか、勘弁してくださいよ……』
『そうでもしなければ、そなたは容易に死んでしまうからな。 これは妾の善意であるからして、そう悲嘆するな』
(神のマナが介在してたんだから、そりゃ何度も死にかけるよな……。 というか昔の俺、修道院を出る時に気づけっての)
『あ、ありがとうございます……』
『あとはそうだな。 妾がそなたを左道に誘った経緯だが、右道者は右道者を、左道者は左道者を互いを認識できるということが主な理由だ。 現在世界を崩壊させかねない悪神の使徒を認識できなければ、奴らの跳梁跋扈を許すことに繋がってしまうからな』
『それってつまり、今は悪神側が優勢ってことですか?』
『有体に言えばそういうことになるな』
『でも右道とか左道って一般的に知られていることなんですよね? 見たらわかるんじゃないですか?』
『大抵の者は突然大きな変化が生じるためすぐに気づかれる。 だが、時間が経てば自ずと求道証明の隠匿が可能になるし、そうするべきだと誰もが気づき始める。 だから暫くは、信頼の置ける者にしか見せないことを奨める』
(求道を達成した者は基本的にそれを隠していて、同じ側にいる者同士であれば互いを認識できるって意味でいいんだよな? そうなるとナール様は左道を、というより悪神に寄った連中を抑えるためにマディヤマーを作ったってことだな。 つまるところ、神の陣営を助けるのが俺たちの役目。 ナール様も元は神なんだし、それは当然か)
『わ、分かりました』
『よろしい。 仔細な説明は後に行なうとして、ひとまずは現実に戻れ。 今この瞬間を生き残れなくして、今後の予定も立たぬからな』
『あの……え、と……──』
急激にハジメの視界が薄れ、視界が白く朧げなものへ変わってゆく。
現実に引き戻されていると理解した時には、ハジメの意識はこの空間の外側へ弾き出されていた。
ツォヴィナールは未だ空間内に残ったまま、頭上を仰ぎながら呟く。
『……とまぁ、説明はあの程度でよかろう。 嘘は言っておらぬしな。 ただし、マディヤマーとは中立であり中指の意。 両陣営に中指を立てる組織として、全ての思惑を破壊してやろう』
不敵な笑みは、広大な空間の闇に消えていった。
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