第75話 ウォーロック
「フン、しつこい奴だ。 《捧贄》」
ロドリゲスは一瞬だけ背後を確認し、小さな何かを投げつけた。
勢いよく飛来したそれは、歪な黒い魔石。 周囲の空間が収束させるような動きを見せている。
キィィン──。
共鳴音を響かせる魔石は、ゼラの眼前。
「まっず、い」
魔石は急激な圧縮反応を見せ、消失。 ゼラが無理やりな緊急回避に移ったと同時に、けたたましい轟音を伴った爆発を振り撒いた。
「痛っ……たいなぁ!」
流石に衝撃波まで回避し切ることができなかったゼラは、何度か地面を跳ねながら吹き飛ばされた。 しかしなんとか空中で姿勢を変え、バランスを失いながらも着地している。
ロドリゲスの魔法を何とか凌いだと思ったのも束の間、
「これだから、詠唱を無視できる魔法は嫌いなん──」
ゼラの頭上に向けて二つの魔石が放り投げられていた。
「──って、二個同時かよ」
先程同様、魔石の消失した瞬間に魔法が即時展開。
巨大な黒い杭が二本、凄まじい速度で降り注いだ。
地面を穿ち、深々と痕跡を刻む黒杭。 ゼラの脚を掠め、皮膚を広範に削いでいる。
「……ッ!」
ゼラは《負力変換》を使用して身体能力を向上させている。 それなのに、回避はギリギリだった。
ゼラの飛び退った先では、三つの魔石が彼を取り囲むように転がされていた。 やはりそれら魔石は消失し、今度は三角形の魔法陣が地面に姿を現していた。
「いつの間にか魔石をばら撒いてたのか……。 セットマジックとは古風なものを」
未だ着地できていないゼラがここから回避へ向かうのは困難。 ロドリゲスが冷笑を深める。
「これでもう逃げられまい」
「気が早いね。 《制限解除》」
魔法陣が完全に光を帯びて発動される直前、ゼラは魔導書を放り投げてそこへ両手を突いた。 莫大な量のマナを注ぎ込み、完成前の魔法陣を内側から爆ぜさせる。
「なに……?」
ゼラは魔法陣破壊と同時に両腕の作用で身体を浮かせて体勢を整え、着地後一気にロドリゲスに詰める。
「魔石消費数は六個。 全部吐き出すまで君を追い回すよ」
「貴様……! タダでは殺さん」
「そう言いながら逃げるのは意味不なんだけど」
再び逃走劇を開始するロドリゲスと、それを追うゼラ。
ダンッ──。
「三……」
ダンッ──。
「四……」
逃走の中で、ロドリゲスは何度か強い踏み込みで石畳を叩いていた。 ゼラがその違和感を取りこぼすことはなく、ロドリゲスの背後にピッタリと付けている。
「離れろ、阿呆が」
「お得意のセットマジックだ。 発動の瞬間に魔法陣の内側にいなければ大した問題は無い。 そうだよね?」
「好きに考察していろ!」
ロドリゲスが叫びと同時に踏み込んだ。 直後、ロドリゲスの踏んできた五点を頂点とした光が生じ、五芒の魔法陣が姿を見せ始めた。
「五。 このサイズは破壊困難だけど……ん?」
ゼラは、ロドリゲスが大きく撤退する動きを見せたことで大規模魔法の到来を予期した。 しかし、事態はゼラの想定を上回っていた。
「馬鹿め、そいつはただの起動魔法陣だ」
光の筋は五芒星を描いたかと思うと、そこから爆発的に光の筋が広がる。 光は平民区画全域へと枝葉を伸ばし、ゼラがその全貌を視界に収めるのは困難なほどになっていった。
「町の全域を覆ってた魔法陣とは違うのか。 いつの間に仕込んでいたんだい?」
「知ったところで意味は無い」
「流石に術式を読むのは無理だね。 どんな魔法かな?」
「実際に体感しろ、阿呆が。 貴様一人に使用するには惜しいが、今更しのごの言ってられん。 準備不足は否めんが、ここから我が軍団を世界に知らしめる!」
「軍団か。 これはちょっと面倒臭そうだ」
魔法はすでに起動してしまった。
予め魔法陣を描いてから発動する方法を取るセットマジック。 魔導書から呼び出すコールマジックとは異なり、理論上その規模は無限大だと言われている。 魔法陣を大きく描けば内容は煩雑となり、マナの必要量は乗数的に増大するデメリットはある。 しかしひとたび完成すれば、魔導書を介して発動する空間型魔法など一笑に付してしまうような効果を発揮する。
ゼラにこの魔法を止める術はない。 ロドリゲスが軍団と言い張っている以上、何かしらの兵隊が生み出されるのは想像に難くないが、問題はこの規模。 区画一つを使用した魔法を個人で止められると思えるほどゼラは増長していない。
「流れ込んでくる負力も微々たるものだし、僕の武器も少なくなってきた。 これはメイを呼び戻す必要があるか。 ここからは対応の時間だね。 向こうもエスナが派手に動いたようだから、状況は大詰めと考えて良さそうかな」
ゼラは商業区画で発動された《断天弾雨》によるマナの波動を感じ取っていた。 ロドリゲスも一瞬だけそちらを見遣ったが、これからの魔法に集中するために意識を自身の魔導書に向けている。
「さぁ刮目せよ! 我が生涯を賭して完成させた、代償魔法の極致!」
ロドリゲスが上着を取り払うと、夥しい数の大小様々な魔石が地面に散らばった。 それを受けて、魔法陣は脈動するように煌めきを増してゆく。
「《人魔混成》!」
魔法陣から光が極限まで溢れた。
黒雲に覆われて暗闇の町と化していたモルテヴァが、一瞬だけ輝きに包まれた。
平民区画での謎の光が収まりを見せた。
「今のは何だ!?」
「知るわけないでしょ! どうせ誰かの魔法よ!」
ジギスと行動を共にしていたワソラが投げやりにそう叫んだ。 二人は──いや、奴隷区画の面々は執拗に狂人の狩りを徹底していた。
「そうかよ、クソ! また何かが起こるぞ! まだ全然殺し切れてねぇっていうのによ!」
狂人の出現はエスナにとっても予想外だった。 しかしそれが狂人であれ正常な住民であれ、最終的に町の人間を殺し尽くすことは変わらなかった。
エスナは魔導具解析の中で、そこに込められた複数の術式を抽出していた。 大半は何かしらの制限や罰を課すようなものだったが、一つだけ気になるものがあった。 結局それを完全に解析することはできなかったのだが、対象の肉体を改変するような方向性の術式だというところまでは判明していた。 だからこそ奴隷区画の面々の魔導具を取り外し、身内から問題が起こらないように前準備を行なった。
「ジギス、後ろ!」
「おいワソラ、足元を見ろ!」
二人の周囲で、身をもたげる多数の存在がある。 それらは全て、頭部を切断して生命活動を停止させた死体だったはずだ。
エスナの想定は大きく外れてはいなかった。 実際、ジギスらの周囲だけでなく平民区画全土で同様の現象が巻き起こっていたし、このような異常を示したのは魔導具を装着していた者に限られていた。 問題は、それが死体でも発生可能な現象だったということ。
魔導具の安易な取り外しは危険極まりない行為だ。 そもそも取り外すこと自体困難なのだが、無理に外せば魔導具内の魔法が致死的な攻撃を放つ仕組みとなっている。 その前提があったため、エスナは住民の確実な処理方法として頭部の切断を意図したわけだ。
想定外もあった。 魔導具処理を後回しにした結果、ロドリゲスの魔法を受けて魔導具が起動した。 エスナはもちろん、ジギスなど奴隷区画の面々がそれを知る由もない。
「魔石を、生成してる……?」
死体の一部にそれまで存在していなかった魔石が姿を見せ、そこから伸ばされた脈動する根が全身に栄養を送り込む。
次々と立ち上がる首の無い死体。
「まてまてまて……」
ジギスとワソラはこの辺りで派手に狂人を狩っていたため、周囲には少なくない数の異常化の素体が転がっていた。 逃げ場を失いつつある二人は、更なる異常事態を知覚した。
完全に立ち上がった死体たちの魔石がそれぞれ共鳴したように輝き出し、それに合わせて全身を気味悪く痙攣させ始めている。
……ィァァアアアア゛ア゛ア゛ァ──。
「やばい、何か来るぞ……!」
死体は口も無いのに、どこからともなく悲鳴のような音を漏らしている。 大気が震え、音は耳鳴りのような甲高いものへ。
「えっ……?」
死体たちの輪唱がパタリと止んだ。 それは魔石同士の接続が完了した合図だった。
▽
「ひっ……!」
エマの身体がびくりと震えた。 これで何度目だろうか。 モルテヴァの各所で、激しい戦闘を思わせる振動と爆鳴が響いている。
町で繰り広げられている戦闘や殺戮の多くが魔法によるものだということを、エマは直感的に認識していた。 身近な場所で様々な魔法の波動を浴びたエマが、強制的に魔法の可能性を開花された結果だ。
「い、痛い……怖い……っ」
騒動が勃発して以降、何故かは分からないが、時折エマに流れ込んでくる負の感情があった。 今ではその濃度は粘り気を増し、エマが望む望まないに関係なく体内を蹂躙する。 エマはそのたびに脳を締め付けられるような不快感を覚え、恐怖すら感じていた。
現在エマが隠れ潜んでいるのは、ほとんどの住民が出払った後の奴隷区画。 ここに残っているのは非力な老人や、すでに狂ってしまったか疲れ果ててしまった者たちだけだ。
エマはジギスと邂逅した後、結局何もできずに奴隷区画に身を潜めることとなった。 逃げられる可能性を感じたにも関わらず、挑戦よりも到底まともとは言えない安定を選んだ。 しかしそれもあまり長くはないことが分かっている。
「やめて……入ってこないで……」
怨嗟のような感情がエマの内側で暴れ回る。 それは肉体的なダメージよりも深く深く彼女を傷つけ、気の触れそうな不快感として燻り続ける。
ドクン──。
「痛……ッ……!」
突如突き刺すような痛みが生じ、エマは胸を押さえて悶える。 痛みはだんだんと熱を持ち、全身へ神経を伸ばすように広がりを見せ始めた。
「あ゛、っぐ……ぐぅ……!」
胸の締め付けは極限まで強くなり、油のような汗を流して喘ぐしかない。
「ッ……は、ァ……ハァ……──」
永遠にも近い苦しみの末、エマは苦しみから雑に解き放たれた。 だからだろうか。 派手に家屋を破壊しながら飛来した存在に気が付かなかった。
「──え……?」
悍ましい化け物がエマを覗き込んでいた。
のっぺりとした白い顔面に人間を示すパーツは無い。 ぽっかりと漆黒の大穴が顔面の中央を占拠していたからだ。 穴の奥には拳大の魔石が存在し、血管のような無数の赤細い筋で固定されている。 化け物はそんな頭部を両手で上下から挟み込み、疑問を呈するかのように頭部を斜めに傾けた。
「──、────」
エマは耳に届いた濁るような雑音が何か分からなかった。 しかしすぐにそれが化け物の声だということに気がついた。 頭部の魔石が震えながら紫色の光を湛え始めている。
「ま……魔、法……!?」
エマの腕が吹き飛び、傷口から黒い斑紋が全身に広がる。 そんなイメージが彼女の脳裏に浮かんだ。
エマは思わずその場から身を投げ出した。 直後、すれ違うように黒い光線が駆け抜けた。
化け物の頭部──その魔石から直接吐き出される光線は、地面にぶつかって物理的な破壊の跡を刻んだ。 それだけではない。 その中に運悪く光線に触れてしまった奴隷区画の老人が居た。 老人は一瞬だけ悲鳴のような声を漏らしたかと思えば、エマが見たイメージ通りの末路を辿った。 その全身を犯す黒い斑紋はボコボコと膨らみを見せ、カビが塊を作ったようなグロテスクな様相を呈し始めた。
「ひぃッ……!」
高い物理的威力に加え、副次的な効果も伴った光線──《邪光》。 触れた者の身体は、高濃度のマナを吐き出す肉塊に姿を変えられる。
エマは恐怖で動けなくなりそうだったが、本能的な忌避感が彼女の足を動かした。
「や、やだ……! あんな死に方なん──ま、また……!?」
エマの脳裏に再び死のビジョンが浮かび上がった。 今度の光線はエマの背中から腹を貫通している。
「ぃや゛……っ」
エマがほとんど倒れ込むようにして身を屈めると、その頭上を光線が通過。 目の前の建物が壁面を派手に爆ぜさせた。
光線を発射した化け物は反動で仰け反った体勢だったが、すぐに立て直してエマだけを見据えた。 そのまま人間ではあり得ない関節の曲げ方をしながら奇妙に走り出した。
「なん、で……! なんで来るのッ……」
化け物の悍ましさと追いかけられる恐怖、そして理不尽な死のイメージ。 それらがエマを絶望の逃走劇に誘い込んだ。
化け物の頭部が静かに震え始め、振幅は魔石の輝度に比例して大きくなる。 両手で頭部を支え続ける様も、その震えを必死に押さえ込んでいるようだ。
エマは路地に飛び込んだ。
追走を続ける化け物は速度こそ一般的な人間のそれだが、バランスが悪いのか角を曲がりきれずに壁へと激突した。 かと思えば、頭部だけはブレることなくまっすぐにエマを捉えて離さない。
「見え──ない……!?」
今度はエマの脳裏にイメージが浮かばなかった。 だから勘で回避するしかなく、それさえも不安なエマは近くの民家に傾れ込むしかなかった。
「……だ、誰……?」
倒れ込んだエマの目に映ったのは、急な来客に怯える痩身の女性と男児。
「駄目、逃げて!」
「な、なに、が……?」
ドドド──。
迫る化け物の足音。
「いいから逃げて!」
エマが叫んだのと同時に、化け物は滑るようにして震える頭部を屋内に差し込んだ。 頭部の魔石は限界まで光を湛えている。 この時、三度目のイメージがエマに届いた。 光線がエマもろとも親子を傷つけ、家屋が破壊されて倒壊するという内容だ。
最悪の未来にしかならないイメージを見せられ、エマはほぼ考えなしに化け物へと駆けた。
「や、め──」
飛び出したエマの手が化け物の顎あたりに触れ、光線を何とか上空に向けさせた。 光線はエマの髪を一部貫いたが、そこから斑紋が広がることはなかった。
「──あなたたちは逃げて……!」
エマは化け物を押し倒す形で最悪の未来を回避し、二人にそれだけ告げてから走り出した。
なぜ他人を助けているのかはエマ自身にも分からない。 しかし、死にたくないという感情と誰かを犠牲にしたくないという思いは同じだった。
そこからのエマは、化け物の斜線を切ることを最優先に逃走ルートを確保し続けた。 その間も即死級の光線が射出され続けたが、誰よりも各区画を渡り歩いてきたエマにとって地形を利用した逃走は容易なことだった。
向かうは平民区画。 街の外へ出ても良かったが、化け物は平地で戦える相手ではない。 それに、平民区画には魔法使い連中が居る。 ドミナなどに押しつければ退治してくれるはずだ。 そんな甘い考えで以て、エマは必死に足を動かす。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
相変わらず化け物の追走が切れることはない。
本来であれば真っ直ぐ平民区画を目指すだけなのだが、光線を避けて蛇行するように進まなければならないため異常に時間が掛かっている。 現在は奴隷区画にあまり人がいないということもあり、なんとか人的被害を出さずに逃げられている。
「見せるなら、ハァ、ちゃんと、ハァ、見せてよ……!」
これまで何度かやってきた死のイメージは頻度がマチマチだ。 また意識して呼び出せるものでもなく、出現タイミングも死の直前と来ている。 これでは考えて動くなど不可能で、エマはほとんど反射神経だけで回避行動を取るだけとなっている。
「もう、すぐ……」
エマは最後の連絡通路を駆け上がり、検問所の衛兵の腐乱死体のそばを抜けて平民区画へ。
「……え?」
最初にエマを出迎えた存在は、やはり人間ではなかった。 そう判断できるのは、人間のシルエットは残しつつも頭部が無かったからだ。 胸の辺りには脈動する魔石が顔を出し、そこから伸びる根のような黒い触手が全身に広がって身体の各所を無理矢理動かしているような印象を受ける。
頭部を失っているのは奴隷区画の面々が狂人を狩り回った結果なのだが、今のエマにそこまで思考の余裕は無い。
「ッ……」
エマが動きを止めると次なる化け物も動きを止めたので、エマは直感的にこいつが視覚を持たない存在なのだと気がついた。 しかしここで止まるわけにはいかない。 背後から迫る足音が近づいているからだ。
頭部を持たない化け物がピクリと動いた。 まるで頭部のように魔石部分がエマに向き、かと思えば四肢を使って飛び上がった。
「ひッ……」
怯えるエマの頭上を大きく飛び越えた化け物は一瞬だけ彼女の悲鳴に反応したが、振動を振り撒いて走る存在の方を優先した。
空中姿勢のまま魔石だけが光を帯び、全身を震わせながら魔法発動に備える頭部の無い化け物。 そして姿を現した頭部を支える化け物。
この隙にエマは逃げることを思いついた。 想定外の事態だったが、対処してくれる存在が現れたのだ。
二体の化け物の魔法発動は同時だった。
頭部の無い化け物は黒い薄膜を体周囲に展開し、そこに光線が突き刺さった。 薄膜は一時的に光線を受け止めたように見えたがそれも一瞬で、光線は頭部の無い化け物の魔石を見事に撃ち抜いていた。
頭部を支える化け物は、力無く動きを見せなくなった存在への興味を無くし、遠くへ走り去るエマを再び追いかける。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。