第67話 黒い雨
しばらく触れられていない間にレビューを頂きました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
「やはり貴様が裏で糸を引いていたか」
「やぁ、ユハン。 元気そうで何よりだよ」
ユハンは魔物を召喚し続ける敵を追っていた。 しかしどれだけ追いかけても紙一重で攻撃を回避され続け、仕舞いにはゼラとの合流を許してしまった。
「そう言う貴様は手負いのようだが。 モノにやられたか?」
「正解。 あの化け物、思った以上に厄介だったよ。 君が手元に置いておきたい気持ちも分かるよね」
「その子供は貴様の仲間か」
ゼラが立ち塞がったことでユハンは子供を追う足を止められている。 子供はというと、現在ゼラの背後で様子を窺っているところだ。
「そんなところ。 生まれはモルテヴァじゃないから、君の魔法は通用しない。 当然、この僕にもね」
ゼラはヒラヒラと両手を振り動かした。 そこにはやはり魔導具は装着されていない。
「貴様は、元より私を下に見ているだろう」
「そりゃあね。 あんな低俗な男の元に生まれた君が不憫で仕方なかったよ。 だから君に敬意なんて無いし、僕より雑魚とさえ思ってる。 下に見られるのはどんな気分だい?」
「あいにく何も感じないな」
「そうかい、それは残念だ。 ……それで、君は僕らとやり合うつもり? 帰ってくれたら何もしないであげるけど?」
「貴様はここで処分しなければならない。 退くことは有り得ん」
「リヒトもモノも居ない君に何ができるって言うんだい? 町の外じゃ君は無能に成り下がるだろ。 その全身の傷じゃあ、継戦も難しいんじゃないかな?」
「貴様の方が重症だとは思うがな」
「そうかい?」
ゼラは足が折れているためこの会話の最中も片足立ちだが、そんな彼からは余裕しか感じられない。 ゼラが口八丁でユハンを退かせたいわけではないこともユハンには理解できる。 ゼラの余裕の要因がゼラ自身ではないと言うのなら、答えは一つ。
「背後の子供。 それが貴様の隠し球か。 同時に、掌中の珠とも言えるな」
「またまた正解。 やっぱり、馬鹿じゃない奴と話すのは楽しいね。 ま、ここに居たら誰かと話す機会なんてほとんどないわけだけど。 それにしても、君たちがここに来るまで随分と時間が掛かったね。 ざっと半年くらいかな?」
「ウルというハンターに導かれて、な。 それさえも貴様の差金だろう?」
「根拠は?」
「半年も姿を眩ませられる人間がヘマをして居処を掴まれるとは思えん。 負傷もその一環か?」
「これは単に僕の慢心からきたものだよ」
「どうだかな」
「あれ、信じてくれない? せっかく会話が続いているというのに」
「これが会話か? 時間稼ぎだろう」
「そっちこそ。 何かを準備しているのは知っているからお互い様だよ。 じゃあ──」
ユハンは、ゼラが少し深く沈み込んだのを見て身構えた。
「──やらないけどね」
「……なに?」
「メイ、やっていいよ」
「うい。 《転換》」
ゼラの指示でメイが魔法を発動した。
「待てッ!」
ユハンが事態を理解した時、すでにゼラとメイの姿は掻き消えている。 その代わりといった具合に、二体の魔物がユハンの目の前に出現していた。
「……してやられたか」
残念そうな言葉とは対照的に、ユハンの腕には力が篭っていた。
取るに足らない魔物として、ユハンはそれらを一刀の元に切り伏せた。 これもやはり粉々に砕け散って塵さえ残さない。
「……魔物の召喚、複製そして座標置換か。 ゼラめ、随分と有能な部下を従えているな。 まぁいい、逃げるというのなら追うまでだ」
ユハンは懐から信号弾を取り出した。 これはマナを込めることで一定時間後に起爆し、マナを広範囲に拡散させて居場所を知らせる魔導具。
ユハンが信号弾を上空へ打ち上げた。 密林のさらに上へと抜け、激しいマナの波動が周囲に届けられる。 魔物を呼び寄せることにもつながるため使用には一長一短あるが、真っ先に魔法使いに知覚されるため救援を望む場合での活用が多い。
「若、ご無事か」
「問題ない。 それは……ああ、生きていたか」
しばらくすると、信号を感知したリヒトが現れた。 リヒトの背中には意識を失ったハジメが担がれている。
「若の知り合いですかのう?」
「一時的に操作しただけの人間だ。 ポーションが余っているなら使ってやれ」
「随分とお優しい。 こやつは有用な人間だと?」
「複数属性を操るようだからな。 今後、用途が生まれないとも限らん」
「なるほど。 ではそのように」
リヒトがハジメにポーションを飲ませると、ハジメの傷が癒え始めた。 ハジメはこれまで休まず戦い続けており、また手持ちのポーションも底を突いていたため負傷は全身に及んでいた。 そんな状態でも継戦できたのは、恐怖と使命感が先行していたからだ。 もしハジメが安心して戦いを止めることがあれば、その時点で倒れていただろう。
「若、モノが戻ってきましたぞ」
リヒトが到着してから幾ばくかの間を置いて、モノが姿を見せた。 その背後にはレイシとゲニウス、そして彼女らに肩を貸してもらっているラフィアンが続く。
「ユハン様、ご無事で何よりです。 ですが、申し訳ありません。 ゼラ=ヴェスパを取り逃してしまいました」
「ゼラに逃げられたことに関しては私も同じことだ。 謝罪は必要無い」
「では奴がこちらに?」
「ああ、私の追う敵と合流する形でな。 だが、逃げ果せたのはゼラの魔法によるものではない。 爺もウル以外に魔人の姿を確認したようだし、ゼラの仲間はこの未開域にどれだけ潜伏しているか分からんな」
「では、調査を継続されますか?」
「爺があの様子だからな。 爺とお前が連れ帰った連中も継戦は困難だろう」
「それは確かに」
「ゼラの向かった先も恐らくはモルテヴァだろう。 よって、町へ帰還しない理由は無い」
「ゼラは負傷しておりましたが、あのまま何かをしでかすでしょうか?」
「町でポーションを強奪などすれば負傷も癒えるだろう。 ここに居座るよりも活動継続性は高いはずだな。 ……爺、動けるか?」
ユハンは身を休めるリヒトに声を掛けた。 最も強大な敵と戦ったのが彼で、もちろん負傷と消耗も大きい。
「もう一度魔人と戦えと言われれば難しいが、他の面々も含めて移動だけなら問題は無さそうですな。 ハジメなどという青年だけは意識不明なので誰かが運ばねばなりませんが」
「連中に運ばせれば良いだろう。 では移動するぞ」
この場ではユハンの発言権が最も高いため、一端のハンター如きでは反論もできない。 そのため今から魔人と戦うなどと言われても拒否はできないわけだが、ユハンに関してはハンターを低く見ていないためそのような事態は起こらない。
ユハンは有用な人間は徴用するし、価値を見出せば見捨てることはない。 そう言うわけでハジメは奇跡的に命拾いをし、未開域に放置されることはなかった。
最終的にはヘリオドも合流し、ユハンをリーダーとした小隊はモルテヴァを目指す。
「ウルは我々を釣る餌だったということですか」
「確証は無いがな。 失踪事件や魔人、魔物に……ゼラが関与しているであろう問題は挙げればキリがない」
「儂がウルを捕獲できれば良かったんじゃが、不甲斐なくて申し訳ない」
「気にするな。 ゼラを行動させたと思えば対価としては悪くない」
一方。 警戒もほどほどに会話するユハンらの後方で、ラフィアンは遅れないようにするのが大変だった。
「ラフィアン、付いてくるの無理そうじゃなーい?」
「うるせぇ……。 俺様を気にかけるな」
「何その言い草。 ゲニウスが居なきゃ死んでんじゃん。 感謝くらいしなよー」
「チッ……。 分かってる」
レイシが揶揄い半分心配半分でラフィアンに声をかけている。
現在一番遅れているのがラフィアンであり、レイシやゲニウスも負傷から立ち直れていない。 またゲニウスのマナが底を尽きていることもあって、更なる治癒魔法も期待できない。
ユハンのチームもラフィアンらに施しを行なう義理はなく、リヒトが激しく負傷したこともあって回復物資のほとんどは彼に充てられている。
「待ってあげよっか?」
「黙ってろ」
「あーそう。 じゃあ頑張んなー。 ヘリオドも平気?」
「我は問題無い」
「ふーん」
ヘリオドの背にはハジメが担がれている。 しかしこの対応に文句は言えない。 彼らの目の前にいるのはモルテヴァの最高権力者たちで、助けてもらった手前何も言う権利は無い。
「知ってるー?」
「何を、だ?」
「こいつ単体で魔物を百以上処理したらしいよ。 ユハンが言ってたから間違い無いっぽい。 ヘリオド、そーよね?」
「雑魚をひたすらに狩っていたに過ぎん」
「だってさー」
「……俺様よりも有能とでも言いたいのか?」
「まー、結果だけ見れば?」
「そうかよ。 そりゃ仕事熱心なこった」
▽
「エマ、もうあなたは用済みよ。 あとは好きに過ごしなさい」
「好きに、って……」
「エスナ、案内するから付いてきて」
ドミナはエマの返事を聞くことなく、エスナを引き連れて走り去っていった。 向かう先は貴族区画だろう。 エマは彼女らの会話から朧げな目的を聞き及んでいる。
呆然とするエマのそばにフエンが立ち寄った。
「お前、エマといったですか。 ここからは町の各所で戦闘行為が頻発するです。 死にたくないなら奴隷区画で引き篭もってろです」
「フエン……ちゃんは、どうするの?」
「目的を果たすだけです。 エマ、お前がハジメのお気に入りなら下手な行動は控えるべきです」
「え、ハジメさんを知ってるの……?」
「短い間過ごしたです。 あとは町中で入手した情報からの推測です」
「なんで今ここでそんなこと……?」
「自分でも分からんです。 ただの気まぐれとしか。 まぁ、お前も魔法使いならやるべき事は自ずと分かるはずです」
現状に加えて新たな情報を与えられたことでエマは混乱する。 そんな彼女の心境など無視するように、フエンは魔導書を具現化させる。
「ちょっと待ってよ……。 色々言われても、あたし分かんない」
「分からないなら下手な行動は慎むです。 お前が死んで悲しむ人間もいるということを言いたかっただけです」
「ハジメさんがそうだって言うの……?」
「お前の雰囲気はレスカに似てるです。 だからハジメも、お前なんかを守ってあげたくなると思うです。 とにかくあとは自己判断に任せるです。 《浮遊》」
「ま、待って!」
「お前ならハジメの支えになれそうだから、せいぜい生き残ることを期待してるです」
ドミナよろしく、フエンも自分勝手に言葉を吐いて去っていった。 エマは上空へ消えていくフエンを眺めながら、これから起こるであろう悲劇に震える。
すでに町の均衡は崩れている。 力ある者たちが自分勝手に動き始め、力なき者たちは流れに翻弄されるしかない。 エマは当然後者で、何が起きているのかを知っているからといって、できる事など無い。
それにしても、とエマは思う。
「あたしが、魔法使い……?」
フエンはエマに向けてはっきりと魔法使いを断言した。 フエンの視線は魔導印らしき部分を示していなかったことから、外見的にエマを魔法使いと判断したとは思えない。 だとすれば何を根拠に言ったのだろうか。 エマにはその理由がこれっぽっちも分からない。
「これから、どうしたら……」
これまで明確な意思を持って行動してこなかったエマは、自発的な意思発動が困難な状態に陥っている。 外圧に耐え、ただひたすらに生きることだけに注力してきたエマには、自分で考えて行動するという思考は希薄だ。 そんなエマの目前では、魔法使いたちがそれぞれの信条に従って行動している。 内容がどうであれ、彼らが未来を変革させるために行動しているのは明らかで、エマにとってその事実はあまりにも眩しかった。
「あたしに……あたしなんか、できることなんて……」
魔法使いたちの圧倒的な力を見せつけられ、エマは抗うことなく眺めているしかなかった。 今更一般市民が──いや、それ未満の被虐民の起こす行動が未来に影響するなど、ましてや変革を引き起こすなど万に一つもあり得ない。 どんなポジティブな思考ルートを辿っても、エマは良い結果を見出すことができなかった。
「それでも……」
先程エマがドミナの殺人行為を止めたかったのは事実だ。 これまで非道な対応を受け続けてきたのに、攻撃してきた人々を殺そうとは決して思えなかった。
「いや、違うかな……。 あたしは殺人を止めたかったんじゃなくて、ただ行動を起こしたかっただけかも……。あたしは、自分が変われないって事実を受け入れられなかったんだ」
被虐民に甘んじたと思っていながら、決して納得はしていなかった。 納得したと自分自身を騙し続けていたことに、エマは気付いた。
『お前も魔法使いなら、やるべき事は自ずと分かるはずです』
エマの脳裏にフエンの言葉が思い出される。 あれは特別な意図で発されたものではなさそうだが、それでもエマは何かしらの意味を感じざるを得なかった。
「フエンちゃんは、あたしのどこかに魔法使いの可能性を見た……? 外見じゃないなら、内面? それが魔法使いを規定する?」
ここでエマはビクリと震えた。
どこからか悲鳴が聞こえている。 騒音も増しており、状況が悪化の一途を辿っていることは明らかだ。
状況は、グルグルと回るエマの思考を待つことなどない。 考えている今の間にも、確実に誰かの命が奪われているだろう。
「だからって、どうしたら……」
思考が変化しても行動へ移せないところが、現時点でのエマの限界を示していた。
▽
ドミナとエスナは燦々と降る雨の中、外壁の上を疾走していた。
すでに平民区画は混沌とした様相を全土に広げており、まともな思考を残した人間が圧倒的少数になるほどには状況が進行している。
二人は足を止めて最終確認に入る。
「人間が群れているけれど、あれがそう?」
平民区画と外界を境する検問所には、多数の人間が集まりつつある。 それらはリセスの魔法によって操作された者たちであり、遠隔地からでも動きの奇妙さがありありと確認できる。 ノロノロとした者から機敏に走り回る者まで様々だが、その全てはカチュアや衛兵の殺害を至上命題として行動している。
「リセス……私と妹の思惑通りなら、あそこにカチュア=テザーを縛り付けられているはずよ」
「それにしても、あなたたちの兵隊は随分と脆いのね。 強化はされてないの?」
検問所付近には山のように人間が積み上げられている場所がある。 今現在もまた、何らかの攻撃を受けた人間が派手に吹き飛び、地面に転がって動きを止めた。 そして衛兵らしき者たちが、それを壁際に放り投げて積み上げているという具合だ。
「大多数への精神操作が主な狙いだからね。 あくまで、私たちの狙いは混乱を生み出すことにある」
「そちらの都合で予定を早められた私たちの身にもなって欲しいのだけれど」
「それはごめんなさい。 でも、いずれそちらの主導で問題を引き起こしていたでしょう?」
「それはそうね。 ……とにかく、私はカチュアの動きを止めればいいのね?」
「そ。 出入管理部門の人間を残していると、後の動きに支障を来たすからね。 殺してくれるのが一番だけど、難しそうなら動きを制限するだけでも構わないわ」
「簡単に言わないで。 彼女って上級魔法使いでしょ?」
黄色い髪を振り乱すカチュアの姿が区画の内側に見える。 彼女は周囲の衛兵たちに指示を飛ばしながら、適宜遅い来る人間を遠隔攻撃で処理している。 普段は落ち着いた様子で仕事をこなす彼女だが、今はいつもの丸眼鏡すら掛けず、濡れた髪を顔面に貼り付けて奔走している。
「あの部門に所属する条件が上級以上ってことだから、今から私が狙うデミタスも力量は似たようなものよ。 だから商業区画にも雨は注いで置いてよね」
平民区画上空には限定的に黒雲が立ち込めている。 そこから降り注ぐ雨はエスナの魔法によるもの。
「まったく、人使いが荒いわ」
「力を持つ者がそれを秘めているなんて勿体無いわよ」
「はぁ……。 あなたは平民区画に兵を流さないようにだけ注力して。 こちらが済んだらすぐに追いかけるから」
「それは心強い。 さっすが、魔人は頼りになるわ」
「口には気を付けて、殺人鬼さん。 あまりひどいと、背後を気にして生きることになる」
「あら怖い。 もう言わないわ。 それじゃあ、この場をお願いするわ」
エスナは商業区画へ向かうドミナを見送り、魔導書を出現させた。
「さて……」
開かれた魔導書は真っ白なページを映し出している。
エスナは左手に持った青い魔導書を黒い右手に移した。 するとその装丁は水滴を落とした水面のように波打ち、黒い波紋が広がりを見せた。 みるみるうちに、青は青黒い濁りへと変貌を見せる。 それと同時に、空白だったページには文字と魔法陣が浮き上がっていた。
「モルテヴァ全土を覆えばいいんだろうけれど、そうするとこちらの陣営にも影響が出そうね。 ただ、あまり期待しすぎても仕方ないからパパッとやってしまおうかな。 普通の人間なんて、所詮賑やかしにしかならないんだから」
平民区画に限定されていた黒雲がモルテヴァ全土にその身を押し広げてゆく。 これはエスナから漏れ出した莫大な量のマナが上空へ拡散された結果だ。 当然、このような事象を他の魔法使いが見逃すはずがない。
「──《黒雨》」
降り注ぐ雨粒は黒さを含み、モルテヴァの異常性は最大限に引き上げられた。
カチュアが外壁に佇むエスナを見た。 吹き荒れる雨風に揺れるエスナの姿は異様そのもの。
カチュアは周囲へ何かを必死に訴えかけている。 しかし、視線はエスナから外さない。
全身を襤褸で覆ったエスナは正体を隠しているが、魔導書とともに敢えて右腕だけは外部に晒されている。 エスナがこれを見せたことで、カチュアは釘付けにならざるを得ない。
「カチュア=テザー、今からあなたを殺す。 リバーさん、力を借りるね」
現在のエスナには、ラクラ村にいた頃の面影はほとんど見られなかった。
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