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オミナス・ワールド  作者: ひとやま あてる
第3章 第2幕 Variation in Corruption
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第65話 激化

「あアァ、醜いイゐぃい……。 僕がこんナ、こンなァあ゛……!」


 ウルは嘆く。 全身を黒く異形に染めていく過程を、人間の終わりを。


「最低限ノ理性ハ保タレテイルヨウダナ」


 魔人が他人事のように呟いた。


「くそォ、クソぉおオ……」


 魔人の言葉を受けて、ウルは悔しげに声を漏らす。


 肉体の変貌具合に比例してウルの呻きは深刻なものとなってゆく。


「僕ヲ、ゴんな姿ニしやガっデぇ……」


 ギリリ、とウルの口元が歪んだ。


 声帯にも変異が及び、ウルの声はくぐもった濁音へ。


「全員殺す殺スぅ……」


 人外への更なる進行は、ウルの思考さえも塗り替えてしまうようだ。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 程なくして、ウルの大規模な肉体変化は落ち着いた。


 ウルは息荒く肩を上下させながら、身体の具合を確かめている。 ウルは暫くそうさせて、満足したタイミングで魔人を見た。


「存分ニ動ケルカ?」

「ああ、恐らクは……。 君こソ、大丈夫か?」


 というのも、魔人はリヒトの攻撃以降動きが芳しくない。


「難シイナ。 魔法ヲ強制解除サレタ影響デ、魔法使用ニ制限ガアル。 暫クハオ前ガ戦エ」

「ちッ……仕方がなイ」


 “空間型”魔法は敵を拘束して不利益を押し付けられる絶対的な優位性を持った魔法だが、もちろん欠点もある。 敵の逃亡を許したり魔法を破壊された場合、使用者に制限が掛かる仕組みとなっている。 だからこそ空間型魔法は必殺でなければならず、解除された場合の対応も考えておかなければならない。


「リヒトは僕ガやル。 君ハ僕の補助に回レ」

「イイダロウ。 ダガ、勝テルノカ?」

「少なくトも、負けはシナいさ」


 ウルはそれだけ言い残すと、乱暴に岩の覆いを壊した。


 ウルの眼下には灼熱の地面が広がっている。 が、迷うことなくそこへ降り立つ。


 環境には未だ、リヒトの灼熱影響が展開され続けている。 しかし現在のウルは、火傷もしなければ暑さを感じることもない。


「成程、ナるほど」


 ウルの顔面──二割ほど人間の肌色を残した異形が、不敵に歪んだ。 かと思いきや、ウルは奇声を上げながら地面を蹴った。 本人も自覚しないその声は、魔人と化した影響だろうか。


 ウルはマナ発生の中心部──リヒトが佇むその場所までトップスピードで走り抜けていく。


 程なくしてリヒトの姿が見え、ウルは動きを止めた。


「……!?」


 自らの変化にウルは驚愕した。


  少なくともリヒトとの距離は100メートル以上あるはずだ。 リヒトからも気づかれてすらいない。 それなのにウルは、リヒトの表情の細かな動きまで把握することに成功している。


「身体機能、感覚器官、そノ他様々な能力向上……。 コの全能感……。 案外悪く無いカモしれナイな……」


 ウルはくつくつとした嗤いを漏らした。


 全ての機能が人間だった頃よりも飛躍的に向上し、ウルの魔人化への絶望は希望へと昇華されてゆく。


 ウルは魔法技能においても能力向上を実感している。 大気中のマナの動きが把握できているし、なにより自身の内蔵マナの容量増大が顕著だ。


 これが魔人の見る世界か、と。 ウルは感動を覚えつつ魔導書を展開した。


 ウルはリヒトを視界に捉えている。 見えているということは、射程範囲内ということ。


「《岩槍ランス》、《岩槍ランス》、《岩槍ランス》、《岩槍ランス》、《岩槍ランス》ゥウう!!!」


 冷静沈着な対応で知られているウルから、普段では発することのない大きな叫びが発せられている。


 岩槍は、一つ一つが数メートル級の巨大な殺戮兵器だ。 ウルはこれを身体の周囲に次々と展開保持し、武器を蓄えてゆく。


 ダ──ンッ!


 ウルは限界まで岩槍を抱えると、地面を一気に踏み抜いた。


 その一歩の後には、膂力だけで数メートルのクレーターが刻まれるほど。


「死ねェえええッ! !!」


 ウルはスピードに乗せ、リヒトに向けて全ての岩槍を解き放った。


 岩槍はコンマ1秒にも満たない間に音速を超えた。


 ソニックを撒き散らし必殺の威力を秘めた岩の弾丸は、真っ直ぐにリヒトの元へ。


 直後。


 岩槍は風を切る──というより、風の爆ぜるような音をリヒトに届かせた。 そして次の瞬間には、岩槍はリヒトの寸前にまで迫っていた。


 防御が間に合わない。 気づいてからでは遅い。 ウルは勝ちを確信して口角を上げた。 しかし──。


「なニ……?」


 爆発。 それは岩槍がリヒトに触れる直前、前兆なく巻き起こっていた。


 リヒトを覆うように形成された轟炎が岩槍を飲み込み、爆風によってその全て木っ端微塵にした。 そればかりか、ウルの攻撃全てを跳ね返す威力さえ備えていたようで、無数の破片がウルの頭上に降り注いでいる。


 ウルの攻撃で、リヒトに直撃したものは皆無。


「……ぐぬぅッ!?」


 それでも処理しきれなかった細かい岩の破片がリヒトを傷つけ、痛みに声が漏れている。


「そうイウことカい」


 ウルは一連の流れから、攻撃がカウンターを受けたことを確信した。


 リヒトは襲撃に備えて対抗魔法を準備していた。 これによって意識の外側から放たれた攻撃にさえも反応でき、爆炎で迎え撃つことができたというわけだ。


 奇襲を凌ぎきれたことに安堵したリヒトだったが、それと同時に、一回の奇襲によって待機させていた魔法を使い切らされたことに焦りを覚える。


「流石、上級魔法使い。 これデは殺し切レなイか」


 迫るウルの存在にリヒトが気付く。


「こやつ……」

「リヒト、僕ガ相手をしてヤる」

「……愚かなことを」


 会話を合図に、本格的な戦闘が開始された。


 ウルの姿は見るも無惨な異形へと成り果ててしまっているが、リヒトはあまり動じていない様子だ。


「驚かなイんだネ」


 魔人に与した時点で、ウルがそうなることはリヒトの想定の範囲内だ。 しかし魔人化前に処理できなかったことに対しては後悔の念を禁じ得ないリヒトである。


「《炎熱変換コンバート・ブレイズエナジー》」


 リヒトの魔法。 これによって大気が急速に熱を失い始めた。


「自分で放っテおいて、ソレを武器にすルなんて随分都合ガ良いネ」


 ウルの周囲で猛威を振るっていた火炎も一瞬で鎮火し、温度は一桁にまで落ち込んでいる。


「好きに言うがよい」


 変換された熱エネルギーはリヒトの右手へ集約されつつある。 渦巻く熱球となったそれは、まるで小さな太陽のようだ。


 ウルはリヒトの強大なマナを見ても怯むことなく突撃を続ける。


 リヒトは呆れるような声を漏らすと、熱球をウルに向けた。


「やれやれ、判断力を失ったか」

「さテ、どウかな。 《ロック──」


 ウルの魔法起動と同時に、リヒト以上に大量のマナがウルへと集まってゆく。


「ぬ……?」


 リヒトは通常人間ではあり得ない量のマナの動きを感知し、ウルの心理を理解した。 ウルは決して負けないと思っている、いや、信じているのだと。 しかしリヒトに動揺は無い。 すでに準備は整っているからだ。


「死ぬが良い。 ──《炎熱解放リリース・ブレイズエナジー》」


 カッ──。


 閃光がウルの視界を埋めつくした。


 続くのは、太陽の爆鳴。


 ウルの魔法は間に合わなかったわけだが、


「さテ、僕がドウ強くなッタか確かめサセてモラうよ」


 目の前の災害を見ても、ウルは謎に嗤いを深めるばかり。 同時に両手さえも広げ、全身で攻撃を受ける構えだ。 少なくともこれは、諦めから来る行動ではない。


「ハァーッハッハ──」


 直後、凄まじい炎熱と衝撃がウルの身体を貫いた。


 放出されたエネルギーは、環境に《業火ブリムスタウン》以上の惨禍を刻んでいる。 地面は数十メートルの範囲を抉り取り、当然そこに存在していたはずの木々は根こそぎ吹き飛ばされてしまっていた。


「哀れな男よ。 生け捕りは困難じゃろうし、やはり殺してしまうのが最適解じゃな」


 リヒトによりもたらされた災害は一切の生物の生存を許さず、最後に残されたのは静寂のみ。 そこにリヒトの呟きがやけに大きく響いていた。


「さて、あとは魔人を──」


 そう言ったあたりで、静寂を切り裂く風音が。


 ザシュッ──!


 血飛沫とともにリヒトの身体が浮き上がった。


「──んがァッ!?」


 リヒトは驚きの声を上げるとともに、 突如生じた痛みによって視界が明滅した。


 見れば、リヒトの肩には太い岩の槍が深々と突き刺さり、そのまま背中へと抜けている。


「まさ、か……!」


 投擲された岩槍の威力に煽られ、リヒトの身体が吹き飛ばされていたのだ。


 岩槍はリヒトを貫いてもなお止まることを知らず、そのまま十数メートル進んだ後にリヒトごと地面に叩きつけられた。


「が、ぁ……ッ……!」


 衝撃がリヒトに痛みを再度思い出させた。


「《エクス──」


 リヒトの耳に嫌な単語が届いた。 濁った声の主はウルで、ほぼ無傷の彼がそこに居る。


 驚くより早く、リヒトは思考の加速を試みた。 これは通常思考とは独立した、マナにより活性化された新たな思考様式。 俗に魔導思考とも呼ばれているこれは、シナプス伝達速度をはるかに凌駕した思考過程を可能にする。 高度な魔法使いに許された思考方法だが、脳への負担が大きいため多用は禁物だ。


 コンマ数秒の間に、リヒトは自身の頭上で完成されつつある魔法──そのマナの動きを見ている。


 まるで走馬灯のような時間の流れの中、リヒトの思考速度は痛みの発生・知覚速度を上回り、通常思考では導き出せない最善の対応策を叩き出す。


 リヒトの手には魔導書が握られ、指先だけで目的のページが開かれている。 そこに記載されているのは、現状最短で発動でき、尚且つ最大限の効果を発揮させる魔法。


「──プロード》!」

「《火爆エクスプロード》」


 リヒトの体感時間の流れが正常に戻ったとき、彼とウルの魔法起動は同時だった。 違ったのは、爆発が起こった場所だけ。


 凝縮された岩は散弾の如く無数の破片を空中で撒き散らした。


 一方、凝縮された爆風はリヒトの足元で推進剤となって起動した。


「ぎぃ、や……ッ」


 リヒトは岩片の雨を浴びながら悲鳴を上げる。 それでもなんとか爆風によって爆心地から離れることに成功した。


 そんなリヒトの安心も束の間。


「《岩剣之雨(ブレード・レイン)》」


 退避した場所、リヒトの頭上を、またもやウルのマナが渦巻いていた。


「ぐっ……老人虐待じゃぞ……」


 リヒトは呪詛を吐きつつも焦ることなく、魔導書を握っていない片手を上空へ向けている。


 次々と形成され落下を始めている岩の剣に向けて、魔法は唱えられた。


「《連続魔法シーシレス》……《火爆》」


 無数の火球が上空に放たれ、岩の剣を飲み込んだ爆発は連鎖的に他の剣を破壊してゆく。


 上級魔法使いが使用する《爆発》は、それ単体が絶大な威力を誇る。 リヒトの性格影響も攻撃性に偏ったもののため、威力はさらに引き上げられる。


 一方のウルは、防御に寄った性格だ。 魔人化したとはいえ、その力は未だ発展途上であり、岩の剣がリヒトの魔法を耐え切るほどの強度を備えはしない。


 単純な力関係によって降り注ぐ剣は押し留められ、ウル優位の関係が逆転され始めた。


 徐々にリヒトに余裕が生まれ、攻撃の隙を突いて肩の岩槍を引き抜き立ち上がる。


 リヒトの腕だけは上空に向けられ、未だ降り注ぐウル渾身の攻撃魔法へ適切に対処している。 ここでウルが攻撃を止めれば、連続魔法は直接ウルに猛威を振るうだろう。 そうなれば策が一つ潰されるため、ウルは敢えて劣勢を演じる。


「良い奇襲じゃったが、それもここまでじゃな。 諦めて降伏するなら助けてやらんでもないぞ?」

「それハ難シいかナ。 だって未だ──」


 ウルは意味ありげに身体を低くした。 これをリヒトは物理攻撃の構えと理解したが、即座に誤りだと理解することとなった。


「ぅぐ……! お主、どこから……」


 リヒトは顔を歪めつつ限界まで首を背後に向け、そこに現れた魔人に最大限の警戒を送る。


「負傷老体ニシテハ素早イ」

「待たせすギだネ」

「無茶ヲ言ウナ」

「二対一か……まったく、面倒ったらないのう……!」


 リヒトはギリギリで耳聡く音を拾っていた。 そこからすぐ回避行動に移ったわけだが、魔人攻撃を回避しきれず、リヒトの背中には深々とした爪の痕が刻まれてしまった。


「強制解除による制限は未だ有効じゃが……身体能力は健在かッ。 であれば──《奪熱ヒート・アブソーバ》」


 大気から熱が奪われ、気温は更に冷え込む。 これによってリヒトは敵の運動機能を下げる狙いだったが、魔人の動きに一切の変化は見られない。


「面倒な魔人じゃ……」


 リヒトは失敗した雰囲気を出して憎々しげな声を漏らすが、未だ継続して環境から熱を回収して攻撃手段として変換中だ。 しかし先ほど大幅にリソースを消費したせいで、熱エネルギーは圧倒的に不足しているといえる。 これでは効果的な解決手段は見込めない。


 また、魔人の攻撃で魔法を中断された影響でウルの攻撃も再開されている。 それらに対処しつつ細かな攻撃を入れていくだけでは、リヒトと言えど敵を殺し切るには足りない。 劣勢になればなるほど、一撃に込められた攻撃力が求められるのだ。


 現状リヒトに必要なのは、魔法リソースとそれを活用できるだけの十分な時間。 一連の状況からリヒトは暫く回避に専念するほかなくなっているため、反撃の機会は遠い。


「ええい、鬱陶しいのう……《炎渦スパウト》」


 リヒトの周囲に炎の渦が無数に立ち上り、敵を撹乱する。 その間にリヒトは老人には似つかわしくない運動能力を見せ付けつつ、魔導思考で最適解を探す。


 肩を貫かれ背中を刻まれているはずだが、痛む様子などリヒトには皆無。 思考の加速で常に最適な行動を選択し続け、迫り来る魔人の攻撃だけでなく降り注ぐ無数の剣さえも紙一重で躱してゆく。


 しかし対応策を見出すまでの僅かな時間でさえ、リヒトへ肉体とは別の苦痛を生じさせた。 ウルや魔人からは余裕の動きに見えるリヒトであっても、続ければ激しい頭痛によって視野は狭まり、思考の幅さえも同様の末路へと向かうこととなる。


「……ム?」


 さすがにリヒトの動きが異常すぎて、魔人も違和感を禁じ得ない。


「馬鹿め、お主の攻撃程度で儂の魔法が制限できると思うてか……?」

「我々トノ接触ハ初メテデハナイ訳カ。 ダテニ長命デハナイナ」


 魔人のマナを取り込んでしまった人間は、たちどころに肉体が変質してしまう。 これは一部では知られた現象で、とりわけ魔法使いに対しては甚大な被害を及ぼすとされる。 変質部分が大気中から過剰にマナを取り込むことでマナ回路は破綻し、これによってまともなマナ操作が困難になるという仕組みだ。


 魔人は自身のマナ特性を理解しているからこそ、リヒトが魔法を使い続けられることを不思議に思った。 が、すぐに得心した。 リヒトはそれができるほどの魔法使いなのだ、と。


「シカシ、イツマデ逃ゲ続ケル? オ前トテ、コノ空間カラ脱出デキマイ」

「良く回る頭、じゃのう……!」


 リヒトは、魔人が上級魔法使い相当の実力を持ち合わせていると知っている。 それなのに未だ数的不利で継戦できているのは魔人に魔法的制限が課せられているからであり、時間経過は魔人の制限解除を促すキッカケにしかなり得ない。 だからこそリヒトは短期決戦を望んでいるが、どう考えても常に何かが足りない状況が続いている。


 ウルの動きも妙だ。 一時期は積極性を見せていたはずなのに、今では補助的に遠隔魔法を使用することに徹している。 魔人は近接でも魔法使いに優位を取れるし、現在の制限下では近接攻撃しか選択できないのは明らかなため違和感は無い。


(何かを、狙っておるな。 それは何じゃ?)


 リヒトは思考をフルに回転させて違和感の元を探る。


 目の前の魔人の行動、ウルの魔法、マナの動き……。 無数の情報を拾う中で、リヒトは魔人の皮膚に目を遣った。 全身が黒くて判断は難しいが、あちこちに焼け爛れた痕が見える。 《業火》や《炎渦》、その他様々な要因から火傷を負うのは当然なのだが──。


(なるほど、そういうことか。 ウルが後衛に徹しているのも、儂がそう動くことを想定したものに違いあるまい。 やつは恐らく、魔人化の過程でそうなったのじゃろうな。 まったく、厄介な存在に成り果ておって……)


 リヒトはウルの肉体を注視した。 そこに──いや、特定の部位にだけ火傷の跡は皆無だ。


 やはり、とリヒトは情報的優位を確信した。


 知識は武器だ。 リヒトを長命たらしめる要因は彼の魔法技能などではなく、長らく培った経験から齎された知識に他ならない。 最高の判断を的確に選択させるだけの知識があってこそ、リヒトは最強たる上級魔法使いの地位に居座ることができているというわけだ。


 リヒトは、敵に自身の魔法への耐性を獲得された経験はない。 しかし秘密裏な研究の過程で、異形化した人間の一部が環境影響に順応するのを直接その目で確認したことがある。


 今回ウルが魔人化したのは《業火》が作り出した灼熱環境において。 そんな非常時に死を克服しようとして魔人化したというのなら、火炎に耐性を獲得していても何らおかしくはない。 むしろ正常な過程を踏んだものだと言える。


(儂が焦って後衛に手を出そうすれば、ウルは反撃に動き出すはずじゃろう。 そこを突いてやっても良いが、あいにく負傷とリソース不足で大きな動きには出られん。 であれば、此奴らが最も考えの及ばない手段を取るしかあるまいな……)


 リヒトの顔が徐々に苦しげなものに歪む。


 そろそろリヒトの魔導思考も限界に近いため、今ここで最大の成果を得られる選択をしなければならない。


(まったく、仕方ないのう……。 儂の命と此奴ら二人の危険性を天秤に掛ければ、未だ儂に秤は傾く。 こればかりは儂の落ち度じゃが、情報を手土産にすれば何とか元も取れるじゃろう。 いやはや、儂も老いたものじゃ)


 リヒトは空間に満ちた自身のマナを操作することに集中した。 最後のギリギリまで魔導思考を展開させれば、このような極限の精密操作などお手のものだ。


 魔人とウルはその肉体的特性から、リヒトの次なる行動を具に理解した。 大規模な魔法がやってくる、と。


 範囲攻撃が想定される以上、魔人にそこまで焦りは無い。


 もしこのマナの規模で単体攻撃が放たれれば魔人は滅ぼされるだろうが、それならリヒトは次弾の装填に時間が掛かるし、その間にウルがリヒトを仕留められる。 また単体攻撃がウルに向いた場合でも、炎熱耐性によって攻撃はほぼ無効化できるため問題はない。 もちろん範囲攻撃であれば魔人とウルを同時に殺し得るほどの威力は見込めないため、やはり問題はないということになる。


 総合的な判断として勝ちが見込めるからこそ、魔人はリヒトを好きにさせる。


 そしてついに、空間中をリヒトのマナが埋め尽くした。


 これから巻き起こるのは、リヒト以外には想定すらできない事象。


「《分子凍結ゼロ・ランダムウォーク》」


 氷属性の《絶対零度アブソリュート・ゼロ》と同等の効果を発揮する火属性魔法──《分子凍結》。


 環境中の熱が全て消失し、分子運動は速やかに終わりへ。


 時が、止まる。



          ▽



 ユハンは着地すると、弾丸のように地を蹴った。


 人間離れした速度が発揮され、ユハンはすぐに魔物に跨る敵へ追いつく。


「わっ!?」


 驚く敵は腕だけを背後に向けると、どこからか魔物を生み出していた。 手元に魔導書を抱えているところを見ると、これはどうやら魔法によるものらしいことが分かる。


 上空で待機しているハジメの魔弾が正確に魔物を射抜き、召喚される魔物がユハンに及ぶことはない。


「なるほど、複数属性を使うか」


 ハジメの援護のおかげで、ユハンは常に敵のすぐ後ろに張り付いていた。


『援護時、貴様の攻撃が私に触れても一向に構わん』


 飛び出す寸前にユハンがそう言ったことで、ハジメは心置き無く魔弾を撃ち出せる。


(全くもってユハンさんの魔法が不明だけど、どう考えても俺より強いよな……。 ここは黙って従うことが最善だろうな)


 ハジメはここでようやくパーティでの立ち位置を理解し始めていた。


 ハジメは現状で最大限のパフォーマンスを発揮すべく、魔弾をひたすら命中させることだけに終始する。


 宙空で粉々に霧散する魔物を横目に、


「──命令する。 平民、停戦せよ」


 ユハンは敵を見据えて言葉を告げた。


「え、なに……!?」


 驚きの声は幼く、敵は子供だろうか。


 敵はユハンの言葉に混乱した様子だが、ユハンの命令が受諾されているという反応ではない。


「どういう──」


 ユハンがそう疑問を呈したあたりで、敵の腕に魔導具が装着されていなかったことに気がついた。


「──なるほど、私を私と理解しない人間か」


 ユハンは納得するように言った。


(何してんだ……?)


 上から観察を続けていたハジメはユハンからマナの高まりを感じた。 しかしそれによって何が起こるわけもなかったため、ハジメは当惑するしかない。


 そのままユハンが追走を再開したため、ハジメは疑問を解消できないまま木の上を移動し援護を続ける。


(どうやら直接攻撃主体じゃないっぽいな。 闇属性の“束縛”って性質に絡んだ何かだとは思うけど、効果が無かったのかもしれない)


 ハジメが援護を続けていてもユハンから攻撃魔法が飛び出さないため、ハジメは彼の魔法をそう判断していた。


 ユハンの使用した《君臨レイン》は、相手との身分差を基準に効果が変化する魔法だ。 故に、今回の敵のようにユハンの身分を認識していない者であれば十分な効果は期待できない。 一方で、ユハンを上位者と認識する者に対しては無類の力を発揮するシロモノでもある。


 ハジメの推測は的中しており、ユハンもこの現状に歯痒い思いをしている。


「人民に遍く効果を発揮させるには、未だ私の力は不十分というわけか」


 それでもユハンは満足げに口角を上げている。


「やはり武力こそ正義、というわけか。 野蛮だが仕方あるまい。 ──《犠牲剣サクリファイス・ソード》」


 ユハンが腰に差した剣を抜きつつ魔法を唱えると、刀身に禍々しいモヤが纏い付いているのが確認できる。


「……ふんッ!」


 ユハンが徐に剣を振り抜いた。


 キィン──、と凜とした斬撃音。


 ユハンの剣先から放たれる、数メートル幅の斬撃。


 敵は危険を感じ取り、魔物に任せて跳び上がった。


 直後、斬撃は敵の足元スレスレを通過していた。 尚且つ、効果範囲に入った大木全てに致命的な傷を刻む。


 木々がグラリと揺れる。


「ちょ……!?」


 ハジメは足場にすべき木々が切断されたことで、移動先の変更を余儀なくされて慌てる。


(今度は見境無しかよ、恐えぇな……!)


 戦闘は激化し、追走劇は続く。

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