第55話 特異性の応用
「仕事も失敗して、魔導具も壊してしまった……と?」
「はい、すいません……」
組合でハジメはカウンター越しにアンドレイから冷ややかな視線を送られている。
カウンターの上には、真ん中でポッキリと折れてしまった魔杖が鎮座されている。 これは昨日の防衛任務の折に魔物の襲撃を受けて壊されてしまったものだ。
「その上武器すら失ったとなれば、もう君に選択肢は無いな」
「そうですね……」
「ひとまずこれは君に金貨50枚で買い取ってもらうとして──」
「え、そんなに高いんですか!?」
(あんなチャチな効果で50枚!? ぼったくりにも程があんだろ!)
「当然だろう。 君は魔導具をどう解釈しているんだ?」
「それはえっと、生活を豊かにする……みたいな?」
「非魔法使いが魔法を使用できる。 それはつまり、不可能を可能にするのと同義だ。 それを金貨50枚で買えるのであれば、安い買い物だろうに」
「でも、使った感じ全然……」
「君は包丁を握った途端に料理が上手くなるのか?」
「そんなことはないですけど……」
「魔杖も同じだ。 非魔法使いであっても、使いこなせば相応の効果を発揮できるようにはなっている。 君の弱さは肉体ではなく、その甘い考えから来ているな」
(くそ、なんで連日説教されなきゃならないんだよ……)
とにかく、と前置きしてアンドレイは続ける。
「君は借金持ちとなるわけだが、本来であれば即奴隷落ちの案件だ」
「え……」
「儂がそうしないのは、君の底をまだ見ていないというその一点に尽きる。 儂はたった数日で君に無能の烙印は押さないが、それが数週、数ヶ月と続けば話は別だ。 そうならないために君はまず、無能でないことを証明しなければならない。 だが君はそれを成すための武器もなければ、現状の手札で金貨50枚を返し切る見込みも無い。 さて、君はどうするつもりだ?」
「それはえっと……」
(まずい、まずい、まずい……。 奴隷と言われて心臓が潰れるかと思った……。 未だに鼓動が鳴り止まない……)
「こちらから仕事を斡旋してやっても良いが、そのためには君の魔法技能を知らなければならない。 そうでなければ適切な業務提供など不可能だからな」
(やばい、どうする……? できれば魔法を知られることはしたくない。 アンドレイさんからは一応の気遣いが見えるけど、それは最低限の配慮ってだけだ。 決して信じられる人間とは言い切れない。 だってモルテヴァは魔法で色んな縛りを課している町なんだ。 だとすれば、俺がどこかで隙を見せると精神的・肉体的に制限を受けることは想像に難くない)
「何でもいいから君の考えを示せ」
(この状況下で最大限俺の価値を示すためには……──)
「一ついいですか?」
「言ってみろ」
「一ヶ月いただければ、その間に俺の有用性を証明して見せます」
「根拠は?」
「ありません。 ですが、俺の魔法はそれが可能です」
「なぜそれが分かる?」
「俺の魔法だからです」
「……俺の魔法、か。 生意気だな」
「駄目ですか?」
アンドレイは顎に手を当てて宙空を見つめている。 少々の思惑があるようだ。
(ここで無理と言われたら終わりだ。 その場合は、力量不足のまま危険と言われている調査任務に突貫して運だけで切り抜けていくしかない。 安定性を重視するメイグスの考えには俺も一目置いているし、俺としては安定性を欠いた行動は避けたい。 順当な成長を望んでいたけど、奴隷に落とされることと危険性を天秤に掛ければ、俺は恐らく後者に重きを置くだろう。 なにせ奴隷には選択の自由さえも与えられないからだ)
「それを証明する手段は?」
「更に要望を言わせてもらえれば、その一ヶ月の間は魔導具を自由に使わせてください。 持ち逃げする気はサラサラありません。 ただ、それが叶えば結果を伴う可能性が非常に高まる、とだけ。 先行投資と思って俺の案に乗っていただきたいです」
「一ヶ月後、儂を唸らせられると?」
「はい」
(臆したら負けだ。 ここで最大限ベットしないと、中途半端では結果は伴わない気がするが……どうだ?)
「いいだろう。 それでは君にはここで魔法契約を結んでもらう」
「契約、ですか?」
「そうだ。 闇属性の契約魔法、それを使用できる人間を呼ぶから待っていろ」
▽
「さて、時間がない……。 仕事をして生活しつつ、魔法を習得しなきゃならないからな」
ハジメは更に生活費を突き詰めるために最安の宿へと移動した。 その上で募集のある特定の仕事を選択せず、自力で魔物を狩って魔石を得る方法を取ることにした。
(遠いけど、北に行くよりは安全だ。 それに、《改定》を使っている場面は誰にも見られるわけにもいかないから遠出は必須だしな。 だからと言って、誰も居ない場所ってのも危険すぎる)
現在ハジメが向かっているのは、モルテヴァの南東にある山間部。 そこの魔物の危険度は未開拓領域ほど高くなく、初心者のハンターが比較的よく利用する地域だ。 ハジメがベルナルダンからモルテヴァにやってくるまでにその地域は通過済みで、なおかつそこに生息する魔物とも戦闘経験があるため、昼間に出ている限りは先日のようなヘマはしないだろう。
(まぁ誰も向かわない場所に行くよりは、気持ちも少しは楽か。 あとは誰にも見られないようにして魔法を使うことができれば完璧だな)
ハジメはアンドレイから借りたいくつかの魔導具を手に、道中を急ぐ。 もちろん身を守る武器として黒刀も所持しているが、その刀身は短いままだ。 とはいえあのまま使用することは難しかったので、鍛冶屋で折れた刀身の断端を整えてもらっている。 その結果、元の半分ほどの長さの歪な武器が出来上がっている。
「このあたりが最適だろうな」
ハジメは小一時間歩くことによって、目的地に到着した。 ここまでの間にいくつかのパーティに遭遇しているし、山間部に出入りしているそれらも確認している。
「じゃあやるぞ……!」
そこから魔物を狩りつつ魔法を使い続ける作業は困難を極めた。 武器を持ちながら魔導書を開いて、その上で地面に設置した魔杖から《改定》で《闇弾》を拝借して使用までしなければならないのだ。
《改定》を使って武器から身体に付与する“強化”効果と異なり、《闇弾》は使用のたびに効果が失われる。 前者が持続的な効果を発揮してくれる一方で、後者は一回使い切り。 そのおかげでハジメのマナは驚くべき速度で目減りし、そのたびにマナポーションを呷ることとなっている。
何より面倒なのは、現状の魔弾では小型の獣でさえ倒しきれないということ。 もし相手が低俗な魔物であれば考えなしに攻撃を選択してくれるのだが、ただの獣であれば逃げ出してしまうので一撃で落とせないのは致命的だ。 その過程で毎回《改定》の掛け直しを行わなければならず、ハジメにはもどかしさが山積していく。
(武器なら一撃でやれるから魔石は回収できるけど、そうすると魔法の習得が遅れる。 だけど魔法は使い続けないと精度が上がらない。 正直面倒臭せぇ……)
まず《闇弾》の命中精度は50%程しかなく、それが尚更ハジメのフラストレーションを貯める。 それによって回避される度にハジメが被弾する確率も上がるため、「とりあえずやってみよう」では正直済まない次元の問題が浮上している。
(二兎を追うのはやめよう、無理だ。 《闇弾》が魔導書に入るまでは……まだそうなる確証はないんだけど、これを攻撃手段と考えるのは難しい。 単に反復使用だけを目指して、手に入った時点で精度を上げることを考えるべきだ。 だとすれば、金策を最短で終わらせて、余った時間で《改定》を多用するのが最適だろうな……)
初日では十分な魔石すら得られなかったが、それでも指針が見えてきたことが大きい。
宿代然り、ポーション代然り、必要経費が非常に嵩む。 その問題を解決するのは多少の危険を承知で魔物狩りを行わなければならず、なおかつそれを短時間で終える必要さえ生まれている。 そうして得られた金銭で自主トレの効率化を図る──それが今日の経験で得られたのはハジメにとって大きな収穫だった。
(できれば一日おきに狩りと特訓を切り替えるべきだな。 明日は少し危険度の高い場所に向かうか)
そうして翌日訪れた北部未開域付近では、単体の魔物討伐にのみ注力したおかげで金貨3枚相当の魔石を入手することができた。 しかし最終的には相応の負傷もしてしまったために出費と相殺してトントンという結果が得られるだけとなった。
「思い通りにいかねぇ……」
宿屋でハジメは頭を悩ませる。
武器がリーチの短いものに成り下がってしまったこともあって、一方的に敵を屠れるまでにはいかない。 なおかつ敵の脅威度も上がっているため、北部未開域は総合的に判断してハジメにはレベルの高い狩場だったらしい。
「明日の分のポーション代を今日で稼ぐつもりだったけど、少しマイナスだな……。 明日は特訓だけするとして、明後日は少しレベルを落とした場所で乱獲するくらいじゃないと釣り合いが取れないだろうな。 やべえ、考えることと実践することが多すぎて時間が足りねぇ……」
そんなことは言いつつもやるべきことをやるしかないため、ハジメはただがむしゃらに日々を消化していく。 そうして一週間が経過した頃、ようやく目に見えた成果を得ることができた。
「おし……! おっし! ようやく生えた! 生えたぞぉ!!!」
モルテヴァ南東の山間部にてハジメの雄叫びが木霊している。
ハジメは魔導書に魔法が宿ったことを生えたと言っているのだ。
魔導書に刻まれた魔法は《闇弾》であり、同頻度で使用している《光弾》や《夜目》もこの調子で行けば入手することが可能だと考えられる。
「喜ぶのはこの程度にして、残り三週間だとギリギリっぽいな……。 最悪その間にフエンちゃん見たく《闇弾》を次の段階に昇華させられれば、最低限の攻撃手段としては成立するはずだ」
ハジメがそう判断するのには理由がある。 これまで出会ってきた魔法使いはどれも《魔弾》こそ使えど、フエンが使用していたようなアドバンスな魔法を見ることはなかった。 それはつまり、彼女のそれは普通の魔法使いでは到達が難しい領域だということ。
「現状《闇弾》は初級相当だから、中級まで三週間っていうと厳しいかもしれない……って予防線貼ってる時点で駄目だな。 まぁ、やるしかないか」
そしてさらに一週間。 否応なく時間は過ぎていく。
「《闇弾》!」
暗闇の中で魔物を寸分違わず狙った魔弾だったが、ハジメの想定通りの威力は発揮されなかった。 それでもダメージを与えて一瞬でも動きを止めることに寄与しているため、続く斬撃で魔物を討ち滅ぼすことには成功した。
「くそ、なんか違う……。 威力がある地点から一向に伸びない。 最低限の攻撃は必要だけど、それよりも闇属性の性質変化が必要だな」
(えっと確か、ナール様は……)
『闇属性の性質は大きく四つ。 精神操作、状態異常、陰影そして代償』
『代償、ですか?』
『何かを捨てて何かを得る行為のことだ。 指向性を弄れば、契約という形で対象に一方的な制限を課すことさえ可能だな』
『性質が多いんですね』
『元となる性質は“束縛”。 それらはそこから派生したに過ぎない。 精神操作は思考を、状態異常は健康を、陰影は肉体を、そして代償は魂を縛る。 対処法は──』
(フエンちゃんは魔弾に回転・貫通の指向性を付与して、新しい魔法を獲得していた。 俺にもそれはできるはずなんだ。 だから考えろ……)
ハジメは思考を魔法のことに全振りしながら、最適な行動を意識して駆け回る。 ここは夜間の山中であり、競合する他者もいないことからハジメにとっては最適な狩場だ。 こんな無茶が可能なのは《改定》で《夜目》を使用できるからであり、リスクを背負って行動しているからだ。 また《闇弾》で先制をとれることもあって昼間より夜間の方がリスクは低減している。
(フエンちゃんのあれは、風属性の特性を活かした順当な変化だったと言える。 じゃあ闇属性は何だ……? ナール様の説明をそのまま受け取れば、魔弾に束縛の効果を付加することは何らおかしな変化じゃない。 だけど、どうやってそれを完成させるかが問題だ。 これは風属性の状態変化というより性質変化に近いからな)
また一匹、《闇弾》が魔物にクリーンヒットした。 そうして怒り狂って近づいてくる魔物の軌道に斬撃を重ねて処分する。
(例えば魔弾にデバフ効果を付加したい場合、俺がその状態を知ることから始めなければならない。 知らないことを盛り込むなんてことは不可能に近いからな。 だからといって麻痺だったり毒だったり、そんなものを日頃から受ける訓練なんかしてないし、徐々にやるとしても時間が足りなさすぎる。 だからこれは却下だな)
ハジメは倒した魔物から魔石を抜き取り、山間のより深い部分へと潜っていく。
(だとしたら精神操作を付加するか? いや、これこそ意味が分からん。 ナール様の説明では、精神操作はパニック状態を押し付けるのが一般的らしい。 だけど、それこそ俺は精神科医でもないんだし、脳に作用させる魔法なんて理解の外だ。 これまで一応、《改定》で魔物の思考をバグらせるくらいのことはしてきたけど、その原理も実のところ分かってるわけじゃないしな)
少し先に、やや大型の魔物が木を背に佇んでいる。 ハジメの見立てでは熊に近い姿形だが、体長が2メートル程度なので取るに足らない相手だろう。
ハジメはゆっくりと近づき、武器を構えたまま魔導書を開く。
「《改定》」
ズ──!
魔物はハジメの接近に気がついて身体をもたげたところだったが、それが急に地面へ倒れ伏した。 それはまるで地面に吸い込まれるような動きで、魔物は状況が理解できずにただただもがく。 ハジメはそれを確認すると一目散に駆け出し、魔物の首元に斬撃を加えて一旦離れた。
ギャア、という魔物の悲鳴が響いた。
魔物は赤い目をハジメに向けて敵意満々に歯茎を見せているが、なぜか思うように動けない。 それでも何とか動き出そうとして、立ち上がれずに転がるという無様を繰り返し続ける。 どうにも全身が地面にめり込んでしまっていて素早い行動に移ることができていないらしい。 ハジメはそれが分かっているので慎重に動きを観察し、隙を見て四肢の腱に当たる場所を次々に切断し続ける。
ハジメによる一方的な蹂躙が何度か繰り返された。 魔物は最後、力の無い呻くような断末魔を残すのみで、それ以降動きを見せることはなくなった。
「ふぅ……。 やっぱり“過重”は優秀だな。 敵にも付与できて、かつ重量のコントロール権がこっちにあるって正直チートだろ。 ……って、そうか。 ああ、いや、違うな。 別に“過重”を魔弾に付与する必要はないか? “過重”は“過重”だけで習得できるはずだしな。 うーん……できることが増えても、同時に分からないことも増えてくるな」
それからも地道な試行錯誤は続き、あっという間に規程の一ヶ月が経過した。
組合の扉が乱暴に開かれ、予定通りハジメが現れた。
「……どうした? 山籠りでもしていたか?」
ハジメを迎え入れたアンドレイだったが、草臥れきったハジメの様子に心配が勝ってしまう。
ハジメは後半の二週間をほとんど宿に戻ることすらなく山中で生活していたため、装備は汚れて匂いもひどく、髭も髪も伸び散らかしている。 組合へも南東の狩場から直接やってきたため、大した身支度すら済ませられていない。
「そんなところです。 とりあえずこれを買い取ってもらっていいですか?」
ジャラリ、とカウンターの上に転がる大量の魔石。 それらは細部まで洗浄されているわけではないため、多少の肉片などがこびりついている。
「あ、ああ……」
アンドレイは差し出されたその量に若干引いている。 ハジメはそんなことなど関係なく言葉を続ける。
「あと、これらはお返しします。 汚してしまったことに関しては、さっきの魔石から差し引いてください」
魔石と同様に、ハジメは借りていた魔導具をカウンターの上に並べた。 これらも文字通り多用していたため、それだけで清掃代金が掛かるほどには汚れが目立っている。
(こいつに何があった? 先月とは雰囲気が違う。 それだけ必死にやってきたのだろうが、恐らくあの魔石だけで借金は返済できるほどあるな。 ただ今後のことも考えて、支払いが確定する前に力量を知っておく必要はありそうだ)
アンドレイは内心でそう判断すると、自然な流れでハジメに提案を持ちかける。
「さて、君の一ヶ月の成果を見せてもらおう。 場所はどこが良い?」
「できれば見せるのはアンドレイさんだけが良いですね。 攻撃魔法を使うので、魔物がいる場所がありがたいです」
「魔石の勘定も時間が掛かりそうだし、その間に儂が直々に確認する。 未開域なら魔物にも困らんだろう。 儂もいるし、安全は保証できる」
「ではそれでお願いします」
(……やけに淡々と話すな。 それだけ自信があるのか?)
アンドレイは怪訝な思いを抱えながらハジメとともに町の北へ。 そこでは木々の切り出しを行う者や調査任務で中に入って行く者など多数おり、それらは全て未開域の解放活動に繋がっている。
「前に来た時もそうだったんですけど、ここはずっと雨が降ってるんですか?」
「ああ。 何故かここは年中雨が降り止まない。 だからああやって物理的に森林を破壊するしか手段が無い。 雨さえなければ調査も随分と捗るんだがな……」
「なるほど」
ハジメが空を見上げると、昼間なのに黒雲が未開域全域を覆っている。 そこに生える木々は全て数十メートルを誇るものばかりであり、そのせいで未開域内部は日光が届かず、暗く陰鬱とした空間がどこまでも広がり続けている。
「中に入るか?」
「そうしましょう。 《夜目》」
「使えるようになったのか」
「魔導具を借りていたおかげで、何とか」
「そうか、では入るか。 《操樹》」
アンドレイは手近な樹木に手を触れ、魔法を唱えた。 彼の魔導書は緑と茶が入り混じったような色合いをしている。
ズズ──。
ハジメの足元に地中を蠢く何かが感じられた。
「これはアンドレイさんの魔法ですか?」
「そうだ。 索敵は儂に任せておけ」
ハジメを先頭に、アンドレイの案内を得て二人は未開域を進む。 少し入り込むだけで光は失われて一気に暗黒の世界に早変わりするが、ハジメは《夜目》によって、アンドレイも《操樹》によって空間把握が可能なため足取りは衰えることなく奥へ奥へ。
「君の右前方30メートルあたりに一匹いるな。 見えるか?」
「ああ、はい。 見えました」
「儂は上で観察しているから、君一人で討伐しろ。 いいな?」
「了解しました」
(アンドレイさんの索敵能力が異常に高いな。 俺はしっかり見えてるのに、その上を行ってる。 まぁでも、足元の魔法陣までは見られなさそうだし、小出しにしながらやるか)
ハジメは魔導書を出現させながら作戦を立てる。
(この距離で当てる自信はないから、釣るところからだな)
「《強化》、《重量操作》」
ハジメは二つを発動させた。 前者はいつも通りの肉体強化であり、後者はこの一ヶ月で会得したものだ。
元々黒刀に刻まれていた“過重”と“減軽”の刻印魔法だが、《改定》を用いてそれらを何度も身に帯びさせることで《強化》と同様に《過重》と《減軽》のページが追加され、魔導書から読み出すことが可能となった。 なおかつそれらが二つ揃った段階で、派生する新しい魔法が魔導書に増えていた。 それこそが《重量操作》であり、意識するだけで体重を変化させることができる。 しかしこれは強化系統に属する魔法のため対象は自分自身のみであり、自分以外に作用させようと思えば派生前の《過重》と《減軽》を使うこととなる。
(俺の魔法のキモとなる《改定》だけは誰にも見られちゃならない。 でもそれ以外はいずれ生活の中で人の目に晒されるだろうな。 だから今回のこれは必要な過程として割り切った方がいいだろう)
「じゃあ、やるか……。《闇弾》!」
狙いすまされたハジメの魔弾は真っ直ぐ魔物の元まで飛来し、ごく近くの地面を叩くだけの結果を示した。
「やべっ!」
未だに魔弾の精度は低い。 そもそもハジメはこれまで30メートルなんて距離を狙った試しなどないし、せいぜいその半分程度の距離で命中させるのが関の山だ。 だから今の魔弾はむしろ大成功だと言える出来だ。 とはいえ、傍目には命中させられなかったという事実があるのみだ。
ハジメに刺激された魔物──六本の脚を持つそれは、後ろ脚が左右に一本ずつ足され、それらは真横に伸びている。 シルエットはチーターのような魔物だが、そのまま地面を疾走はせずに軽く飛び上がると、左右の後ろ脚で木々を交互に蹴りながら宙を駆けてきている。 それはまるで忍者のような器用さで、瞬く間にハジメとの距離を詰め切った。
「《闇弾》!」
魔物はハジメの攻撃を予め読んでいたかのように高く飛び上がっており、その側を魔弾が通り抜けている。 そのまま木にぶつかった魔弾は拳大のクレーターをその幹に刻んでいるが、その瞬間には魔物が上部の枝を蹴って急転直下を始めていた。
ギィン──、とけたたましい金属音が響く。
咄嗟にハジメが頭上に構えた黒刀が魔物の牙と爪を阻んでいた。 ハジメはすぐさま武器を上空へ振るったが、魔物はすでにその場にはおらず、再び木々を蹴って空中を駆け回っている。
(魔弾の命中精度はイマイチ。 闇が中位属性ということを加味すると、威力も随分と低いな。 その程度の魔法使いならごまんといるが、さてどうする……?)
アンドレイは息を殺して観察を続ける。
魔物はハジメを翻弄するように縦横無尽に動き続けている。 ハジメは《夜目》で魔物の姿を確認できるとはいえ、その異常な速度によって捉えることができているのは残像のみだ。
魔物はすぐには攻撃を仕掛けず、かといってハジメを決して逃そうとはしていない。 これは弱者をいたぶるようにも見え、それでいて警戒も忘れない強者っぷりを醸している。
ハジメが一瞬魔見失った瞬間を見計らって、魔物が彼の背後から飛び出した。
魔物の顔が横向きに傾き、その顎はハジメの首を圧し折る軌道に乗っている。 そしてそのまま双方が触れ合うと思われた時、ハジメの姿が魔物の視界から消えた。 かと思いきや、魔物の眼前にはハジメの脚が現れていた。
背後に魔物の存在を具に感じ取っていたハジメ。 彼はギリギリまで攻撃を引きつけてからバック宙の要領で身体を回転させ、円弧を描いて脚による攻撃を魔物の頭上に叩き込んでいたのだ。
バギッ──!
ハジメの攻撃が先行した。 凄まじい威力で放たれたそれは、骨の壊れる音を迸らせながら魔物を地面へと叩きつけた。
魔物から悲鳴が上がっている。
これはハジメの《重量操作》の成せる技であり、インパクトの瞬間にのみ最大重量まで重さを増した攻撃は、速度を伴って凄まじい威力にまで変貌していた。 本来これをやると攻撃した側までダメージを負ってしまうほどなのだが、ハジメは《強化》によって肉体強度を上げているため、自傷ダメージはそこそこに抑えられている。
攻撃を受けてしまったことで、魔物は一瞬で不利を悟った。 決して油断をしていなかったことから、総合的にハジメの力量を高く評価した結果だ。
魔物はダメージを無視した無茶な動きで撤退を選んだ。 これがただの魔物であれば愚直な攻撃に走っているはずだが、こいつは違っている。 この未開域で群れずに単独行動をしていたのはこいつが強者だからであり、これまでも窮地において人間より理性的な判断を続けてきたからこそ長く生きることが可能だった。
勝てなくても負けなければ良い。 上位の魔物はそんな判断基準を獲得することによって、長期的に人間を害する存在へと昇華されていく。
魔物は今回の経験で学びを得た。 それを糧に、魔物は今後も更に強い個体へと成長していくだろう。 ……ただしそれは、逃げることが叶った場合の話。
「《過重弾》」
魔物の脚が止まった。
「《過重弾》」
継続して打ち込まれる攻撃。 それ自体にダメージは少ないが、みるみるうちに魔物の肉体は地面へとめり込んでいく。
《過重弾》──それは、ハジメが《闇弾》を成長させて生み出した魔法。 《改定》を利用して、《闇弾》に対して《過重》を混ぜ合わせるという試行錯誤を繰り返すことによって生まれた新たな可能性だ。 これを受けた対象は強制的に体重を引き上げられ、筋力を超えた重量によって動きの鈍化を余儀なくされる。 そうして大抵の存在はこれだけで一歩すら踏み出すこともできなくなってしまう。 とりわけこの魔物は機動力に特化して身体機能が発達していたため、《過重弾》の効果は覿面だったと言える。
闇属性の性質に存在する、束縛。 《過重》はその中でも状態異常に近しい効果があり、それが奇跡的に属性の性質にピタリとはまり込んだことによって《過重弾》は生まれた。 これは試行錯誤の産物であるが、想像力の産物でもある。 それ以前にハジメの魔法の特異性が奇跡の成就を可能にしていた。
ハジメは徐に魔物へ近づくと、無防備なその首元に刃を振り下ろした。 ザクリという音に加えて嫌な感触を通り過ぎると、あとは離断されて機能停止した死体が残るだけとなった。
(……よし。 魔物が利口だからこそ背後の攻撃を読めたってのはあるけど、それでも俺の想定を超えない内容だった。 山籠りでの魔物討伐生活が生きたな。 あとは、アンドレイさんがこれをどう評価するかだな)
「終わりました!」
ハジメは周囲に敵性存在がいないことを確認した上で、大声でアンドレイに呼びかけた。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。