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オミナス・ワールド  作者: ひとやま あてる
第2章 第2幕 Desertion in New Life
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第31話 知らされる歴史

「お頭、これからどうすれば……?」

「黙れ! 今考えてる……!」


 盗賊業を生業にしているカルミネという男がいた。 彼はベルナルダンから南東の山間部を活動圏域としており、そこはクレメント村とのちょうど中間にあたる。


「あいつがまた来たら……」

「うるせぇ、黙れっつってんだろ!」


 カルミネとその部下は焦っていた。 なぜなら、彼らの拠点が謎の魔物から襲撃を受けたからだ。 それだけなら良かったのだが、不幸なことにそれはカルミネたちの拠点をナワバリとして生活を始めてしまった。 そこには彼らの溜め込んだ物資の数々がある。


「お頭、なんなら俺たちがあいつを引きつけて──」

「やめろ、無駄だ。 そもそも近づくことも許さん」

「なぜ……?」

「てめぇらに言っても分からん! 今はここを離れるぞ」


 カルミネは荒らされた山を降る。 彼の視線の先には瘴気の吹き上がる空間がある。


「……チッ。 仕方ねぇ、足が付くかもしれねぇがやるしかないな……」

「お頭、まさか……」

「いずれやる予定だったのが早まっただけだ。 お前ら、クレメント村を根城にするぞ」

「へい!」

「まずは下準備だ。 最低限の人員配置と、フリックがいない時を見計らって攻めるぞ」


 フリックの存在はこの辺りではそこそこ知られている。 彼の所属するチームがベルナルダンを拠点しているということと、彼らがそこで最も腕の立つ集団ということは有名な話だ。


「よし、行くぞ」


 そうやってクレメント村に急襲を掛けたカルミネ一行。 それはベルナルダンで苦い思いをしたアーキアが戻ってきたその日であり、クレメント村で真っ先に殺されたのも彼であった。


「こっからは俺らが王だ。 逆らうやつは女子供でも殺す。 こいつの次に死にたいやつはどいつだ?」


 村人たちは震える。


 カルミネの足元には、切り刻まれたヴァンドの姿があった。 この村一番の肉体を誇る彼であってもカルミネには敵わなかったが、それは急襲されたことが原因ではない。 一対一の戦いで以ってヴァンドは蹂躙されたのだ。


『俺がお前を殺せば、村からは手を引いてもらう』

『それができたら、な』


 カルミネの手には緑掛かった装丁の本──魔導書が握られている。 彼の魔法の力はヴァンドですら子供のように翻弄し、そして限界まで痛みつけた挙句無残に殺害した。


「てめぇらが何を話そうが、俺は魔法で全てを把握できる。 陰口を叩いたり逃げ出す算段をしたり、少しでも俺に面倒が降りかかる行動をした場合……聞こえてんだよなぁ!? 《風弾バレット》!」


 カルミネが突如声を荒げ、極小の風を生み出した。 それが飛んだ先は、彼の部下の足元でコソコソと何かを話している男の頭部へ。


 風はスッと男の頭蓋を貫き、そして頭蓋内で圧縮された力が一気に拡散された。


 脳漿をぶちまけて死亡する男。


「……!?」


 下顎を残してそれより上を失った人間が出現したことに、組み伏せられた村人たちは恐慌状態に陥った。


「次からは警告なしに殺す。 こっからは俺を村長として、お前らは今まで通り生活しろ。 分かったな……?」


 村人たちは声も上げず無言で同意を示すと、これによって村はカルミネ一行の支配下となった。


 そんな折グレッグがクレメント村にやってきたが、村の体裁を立て直している時期だったのでカルミネたちによる派手な行動は行われなかった。 グレッグとしても違和感を禁じ得ない村の状況だったが、何も起こらなかったことで彼はそのままベルナルダンに向かうこととなった。


 そして今回、手頃な若い男女がやってきた。 女はもちろん性奴隷として利用価値があり、若い男は労働力としても使える。


 カルミネは大きな行動を起こしてしまった以上、なるべくこの間に力を蓄えなければならない。 ここで地盤固めをしなければ、今後生活するにしても盗賊を続けるにしても立ち行かなくなる。 だからこそ、取り込めるものは取り込まねばならないのだ。


 盗賊稼業も楽ではない。 盗賊の存在が明らかになれば討伐隊が組まれることになるし、かといって人を襲わなければ収入もない。 だからカルミネたちは拠点付近で活動は行わず、わざわざ離れた場所で人を襲い、ひどく遠回りをしてまで拠点に戻っていた。 そういう慎重さが彼らをここまで生きながらえさせてきており、そうでもしなければ正攻法以外の手段など通用しない。


「お頭、女を俺にも分けてくれねぇか?」

「そういやお前にはあてがってなかったか。 だが、流石に全員に一人ずつ女を与えるのは難しいな。 ゴルジみたいに男を殺されたら面倒だからな」

「俺はそんなことしねぇよ! 頼むよ、最近してなくて溜まってんだよ!」

「……仕方ねぇな。 俺が楽しんだ後、お前に真っ先に流してやるよ」

「や、やった!」


 部下の進言から、カルミネは今回の旅人を襲う算段を立てた。 村人は完全に服従した状態だし、ゴルジの報告から相手はまだ子供かもしれないという。


 カルミネは道を外れた魔法使いだ。 それでも魔法には真面目に取り組んできたし、だからこそ挫折して正道から逸れたということもある。 全ての人間に対して努力に見合った成果が訪れるわけではないし、もちろんカルミネも例に漏れなかった。


 そして誰もが寝静まった時間、カルミネたちによる夜襲が行われた。 だが……。


「へぇ……。 その魔物のこと教えてよ」


 暗闇に二つの魔導書が光を放っている。 一つは黒く、一つは白い。


 ゼラ=ヴェスパとオリガ=アウローラはモルテヴァに拠点を置く魔法使いコンビである。 彼らはラクラ村から端を発した事件に関わる魔物調査のためにベルナルダンを目指していた。 それは男爵からの直接依頼であり、何を以ってしても完遂せよとの命を受けている。


「返事くらいしたら? えっと、『大人しく俺の奴隷になるなら丁重に扱ってやる』だっけ? さっきはあーしらに対して随分と上からだったけど、今じゃあんた以外全員死んじゃった。 これからどんな死に方をご希望?」

「こ、殺さないでくれ……! 魔物のことも知ってることを全て話す!」

「あーしとしては全殺しでいいんだけど」

「駄目だよ、オリガ。 知ってるというのなら全部話してもらわなくっちゃ。 殺すのはその後でいい」

「ひっ……!」

「まぁ安心してよ。 僕は手出しされてないから特段怒りなんて無いんだ。 これをやったのも全部オリガだしね。 今から僕たちの下僕として誠心誠意働くなら殺すのは勘弁してやってもいいと思ってるよ」

「ゼラさぁ……。 まぁ、気色悪いやつは全部殺したからあと一人増えようが変わんないんだけど」

「じゃあ決まりだね。 《強制契約フォース・コントラクト》……君は僕らの下僕で、何かしら僕らに被害を及ぼす行動を実行・意図した場合は即座に自害すること。 いいね?」

「はいっ……!」


 ゼラの闇属性魔法──相手の言動を縛る精神系統のそれが、カルミネに影響を及ぼした。


 精神系統の魔法は正常な状態の人間には作用しづらい反面、肉体的・精神的に損耗した人間などには大きな効果を発揮するものである。 特に、相手の心を折って仕舞えば効果は覿面だ。 契約は対象者を魂まで縛る強制力を持つ魔法であり、成立させてしまったが最後、正常さを取り戻してあとから契約を破棄しようとも、魂にまで刻まれた魔法は対象者に全ての契約履行を強いる。


「契約成立っと」

「村人はどうする? こいつらのせいでちょうど疲弊してるし、コマとして持っておいたら?」

「それもそうだね。 最低でも囮には使えそうだし、魔物のところに行くときは一緒に連れていこっか」

「それがいいと思う。 それにしても、やっぱりゼラの魔法って便利よね」

「僕は直接的な攻撃力の方が欲しかったけどね。 オリガのそれが羨ましいよ」

「つくづく思い通りにはならないのよ、魔法って。 ま、あんたもああなりたくなかったら、必死に働いた方がいいよ」

「は、はい……ッ!」


 そう言ってオリガが一瞥した先には、光の十字架に磔にされたカルミネの部下たちの姿があった。 彼らは数十本の光の楔によって身体を十字架に打ち付けられ、そして謎の熱によって全身を焼かれている。


 部下たちの表情は死んでもなお絶望と恐怖による彩りを残しており、それは彼らの体験した事態の深刻さを物語っている。


「あいつらのあーしに対する罪としては軽いけど、あんたはどれだけ罪を抱えてるのかな? もっと悲惨な結末になったりして?」

「それはその時に確認するといいさ。 じゃあ僕はもう少し働いてくるよ。 オリガはその間にその人から話でも聞いといて」

「えー、面倒臭い」


 村人にとって、ゼラとオリガは決して救世主ではなかった。 彼らは気づかぬ間に魂まで縛り付けられ、カルミネの統治下以上に深刻な楔を打ち込まれてしまったのだ。


 カルミネは目の前で聞かされた話に戦慄しつつ、自分の弱さを嘆いた。 こうなったのは魔物より弱かった自分達の責任であり、選択とタイミングを間違えた運の悪さによるものだ。 しかし今更それを後悔しようとも、未来は何も変わらない。 この世界の人間は、生まれた時からそれを思い知らされているのだ。



          ▽



「なんで俺がお前の予定なんかに……!」

「別にいいでしょ! 課題をやろうって言ってるわけじゃ無いんだし、一緒に遊ぼうってだけじゃない」

「ま、まぁ……お前が遊びたいって言うんなら、仕方ねぇな……」


 そうは言いつつ、口元を押さえてニヤけるのを隠すイグナス。


 先日の喧嘩別れ以降いつも通り人間関係がリセットされたと判断していたイグナスの元に、レスカはすぐにやってきていた。 喧嘩なんてなかったかのようにグイグイ来る彼女の様子に、イグナスは今まで接してきた人間とは違う何かを感じていた。 それは単に距離感を測れないことから来るものなのだが、それに気づけるほど彼は人間関係が豊富ではない。


「で、どこ行くんだよ?」

「クレルヴォー修道院。 フリックさんに伝えたら行ってもいいって」

「俺たちだけで行くのか?」

「危なくない時間と思って朝にしたけど、一応大人の人も呼んでるよ」

「は? 誰?」

「あの人」


 レスカが指差した方向から、一人の人物が歩み寄る。


「げっ!」

「君、あの人と知り合いなの?」

「なんであいつなんだよ! レスカ、お前洗脳されたのか!?」

「洗脳って何?」

「あいつやばいんだって! 変な話ばっかりで意味わかんないんだからよ!」

「ちゃんと話したら普通だって。 見えてる世界が違うだけなんだよ」

「はぁ……!?」


 イグナスがレスカの発言を理解する前に、件の人物が目の前にやってきた。


「レスカ、早速興味を持ってくれたようで何よりだ。 そちらもか?」

「お、俺はお前なんか興味ねぇよ!」

「最初は皆そう言うものだ」


 タージはレスカの発言に大きく頷いている。


 イグナスには未だ状況が掴めない。


「ほらやっぱ会話通じねぇ! なんでこんなのと付き合ってんだよ!?」

「こんなのって、君はタージさんのこと知らないからそう言ってるだけだよ」

「知ってたってそう言うっての!」

「それはあたしと君も同じだし、知らないから誤解が生まれるの」

「はぁ……!?」

「あたしは色々知りたいの。 タージさんの居る修道院だって、君のことだって」

「……だ、だから何だってんだよ?」

「あたしが色々見てみたいから、どうせなら君も一緒に見て欲しいなって思うんだよね。 その代わりに、君のことも色々教えてくれていいよ?」

「意味わっかんねぇ……。 さっきから何言ってんだよ」

「知らないから誤解が生まれるってこと。 今からあたしのこと教えるからさ、だから君のことも教えてよ」

「……イグナス」


 ポツリと言った。


「ん? 何?」

「君じゃない。 俺の名前はイグナスだ」

「うん! イグナス君、初めまして」

「……ちっ、やりづらい女だぜ」

「ふふん」

「何笑ってんだよ」

「なんでもなーい」

「我々の親交も深まったところで、そろそろ向かう」

「お前とは何もねーよ!」


 タージの案内を受けながら、レスカとイグナスは何もない平野を進む。


 朝方ということもあり、また基本的には安全な平地ということもあり、ここは子供でも問題なく歩き回れる大地だ。 なぜこうも安全かというと、視界を遮る植物や構造物が存在しないからであり、密集地域では人の手でこういった環境が作り出されている。 そうすることで動物や魔物などを山や森の中に隔離し、人々の安全な暮らしが担保される。


 三人がしばらく──子供では根を上げそうな距離を歩くと、ようやく人界から離れた木々の集まりが見えてきた。


「ここに入るのか?」

「いかにも。 魔物は寄り付かない場所だから安心するといい」


 そうは言うが、安心などできない。 そもそもタージの発言を肯定する証拠はなく、また彼の風貌からは全く信憑性などを見出すことはできない。


 ただ、ここは少し違うということがレスカとイグナスにも分かる。 本来、森や山林など人の立ち入らない場所は、そこ特有の鬱蒼とした様子だったり匂いだったりを醸しているものだ。 しかしここはそんな人を遠ざける不快な要素はなく、むしろ拓かれてさえいるようだ。


「なんだ、この……」

「変な感じ。 何だか──」


 ハジメのようだ、と言おうとして、レスカは言葉を飲み込む。


「どうしたんだ?」

「う、ううん、何でもないよ」

「……?」


 普段からタージが出入りしているのか、踏み鳴らされた地面を目印に木々の間を進んで外壁を抜けると、苔や蔦に覆われながらも荘厳さを失っていない修道院が姿を現した。


 修道院は四方から外壁に囲まれ、壁外には野菜園のような農業の跡が見られる。 さらに周囲には小さな建物がいくつかあるが、それらは手入れがなされていないのか、朽ちて崩れている。 内部の修道院は回廊を形成し、そこから四方向にそれぞれ通路が伸びて、それぞれ異なる施設につながる。


 レスカとイグナスは物珍しそうに周囲を眺めつつ、回廊から繋がった南の教会へ。 ちょうど北側から侵入したことになるので、行程で修道院の全景を臨むことができた。


「パーソン司祭、お連れしました」

「ご苦労だった。 下がって良いぞ」

「はい」


 タージは恭しく頭を下げると、そのまま教会から離れた。


 残された二人に対し、パーソンが大仰に告げる。


「私はこの修道院を管理するパーソンという者だ。 新たな息吹の到来に感謝しよう」

「あ、えっと、レスカです」

「イグナス=カーライル」

「ふむ。 レスカにイグナス、お前たちは魔法使いで間違いないな」

「あたしは魔導印が出てないですけど」

「なんで分かるんだ?」

「私も神から力を与えられた存在だからだ。 レスカのそれがたとえ小さな脈動であろうと、この目はそれを捉えている」

「ふーん。 神とか何言ってるか分かんないけど」

「ちょっとイグナス君、さっきから失礼だよ!」

「良い。 気にするな。 今や王国で我々の存在に価値などなく、過去の遺物として忘れ去られる運命だ。 しかし、そんな我々にでも興味を持って訪れる若者の存在は斯くも喜ばしい。 礼をこそ述べ、お前たちを叱責する資格など我々にはない」

「だってよ。 よく分かんないけど」

「もう……」


 イグナスの言動が流石に度を越しているので気になったレスカだが、パーソンは言葉通り気にもしていない様子だ。


 パーソンは家名を名乗らなかったが、やはり神職者といえど家名を持つ方が身分が高いのだろうか。 そんな疑問が湧いたためにレスカはイグナスを注意していた。


「私から偉そうに何かを説法する気はない。 気になることがあれば何でも質問すると良い」

「じゃあ、えっと……歴史について知りたいです。 タージさんが言うには、教わってるのとは違った歴史があるみたいなので」

「良いだろう。 我々の歴史を語って聞かせよう」

「レスカ、何言ってんだ? 歴史なんて先生から習ってるだろ。 それにまず、神とか言ってる連中が胡散臭すぎるだろ」

「ちょっと、さっきから──」

「気にすることはない。 本来歴史に存在しない我々に敬意は不要だ。 しかし神は実際に存在しており、この魔導印こそ神の存在証明に他ならない」


 パーソンが左腕を捲って見せた。 その上腕には、くっきりと魔導印が刻まれている。


「意味わかんねぇ……。 神なんて最初からいないのによ」

「それではイグナス、なぜこの世に神がいないのか教えてくれないか?」

「子供の頃から教えられてる話だぜ。 神はいなくなったのがこの世界だろ?」


『神に裏切られたアルス世界には闇が渦巻いていました。 天は暗黒の雲に覆われ、地上には魔物が蔓延り、人々は救いを求めて安住の地を探し続けていました。 しかしいつまで経っても救いの手は訪れません。 そしていつしか人々は絶望を待つのみとなっていました。

そんなある時、四人の勇気ある若者が立ち上がりました。 彼らの名前はそれぞれエーデルグライト、ヴェリア、トラキア、そしてランドヴァルド。

勇者となった四人は闇を切り裂き、魔を祓い、地上に光を取り戻しました。 そうして世界には平和が──』


「──訪れましたとさ、めでたしめでたし。 こんな感じの簡単な童謡ならみんな聴いてるって。 元々神ってのがいないのに、なんで今更その名前が出てくるんだよ」

「なるほど、現代ではそこまで内容が改悪されているのだな」

「あんたもそう教えられたんだろ?」

「そうも教わっているし、そうでないとも教わっている」

「はぁ……?」

「イグナス君、ちゃんと聞こうよ」

「ふん……まぁ、聞くだけ聞いてやるけどよ」


 レスカにそう言われると言い返せないイグナス。 彼の視線はすぐにレスカの顔や身体の輪郭──特に胸の部分に吸い込まれるし、彼女が何に興味を持っているのかというのがどうにも気になるようだ。


「前提から話すから長い話になることを先に伝えておこう。 ……その昔──」


 ベルナルドゥスという若き修道士がいた。 彼は騎士の父と貴族の母の間に生まれ、特に母は彼に対して教育熱心な人間だった。 母は若くしてこの世を去り、家族は彼に従軍することを期待していたが、彼自身は母の影響を色濃く受けていたことから修道院に入ることを願った。 彼の望む生涯は、修道士として世俗と無縁の生活を送ることだった。 そんな彼に対し、家族は彼の願いを無碍にすることなく、聖職者になるために必要な最高の教育環境を作り上げた。 彼の努力もあってか、最終的にはシトー修道院に入ることが叶った。


 シトー修道院に入るにあたり、ベルナルドゥスは自分だけでなく兄弟や親族、友人なども連れて同院の門戸を叩いた。 その頃の同院は宗教改革運動という本来の熱意を失いつつある状態だったが、彼を含め地域の名門一族から多くの人間が入会したことから再度活気づいた。 そしてそこから様々な修道院が生まれることになった。


「神、出てこなくね?」

「もう、なんで話の腰を折るの」

「教会とは共通の信仰──神を崇拝し彼の教えを世に知らしめようという活動、それを実行する人間によって形成される社会概念のことだった。 それがいつしか物質としての教会施設が生まれ、宗教活動の拠点として機能することとなった。 教会の存在は神を前提とするものであり、この話には常に神が居られる」

「分かんねぇけど、神が存在してる空想世界の話ってことだな」

「もう……」

「話を続ける」


 それからこの地には、クレルヴォー修道院が新しく創設された。 その院長には若きベルナルドゥスが任命され、大きな影響力を持つようになる。 というのも、彼は聖性と厳格な自己節制、そして説教師としての優れた資質を持ち合わせており、彼の名声が高かったことが要因だ。 彼の名声によってクレルヴォー修道院は形式的にはシトー修道院の子院だったが、実質的な重要性は本院を上回っていたとされる。


 ある時、ベルナルドゥスに神の奇跡が宿った。 それは遍く病魔や障害を取り除く力で、彼の元に巡礼していた人々の願いから生まれたものとも言われているが真偽の程は定かではない。 それでも治癒を与える彼の力は本物であり、それによって更に彼の名声が高まることとなった。


 ベルナルドゥスは修道士として世俗と無縁の生活を送ることを欲したはずだったが、彼の願いとは裏腹に、世俗世界は彼を見逃してはくれなかった。 いつしか彼は時の教皇にさえ助言を求められるほどの存在にまでのしあがっており、教会政治における手腕さえも発揮していた。


 ベルナルドゥスは戦に政治にあらゆる分野でその能力を発揮させられ続けた。 そこからは教会内部分裂を巻き起こしたり異端討伐に繰り出したり、教会の動きに彼はほとほと嫌気を来した。 また同じ頃、彼の助言による政治運動が失敗したという事実も相まって彼の影響力は弱まり、様々な出来事や論争、親友の死などが彼の衰えを加速させた。


 ベルナルドゥスには四人の教え子がいた。 それぞれ名を、エーデルグライト、ヴェリア、トラキア、そしてランドヴァルド。 ベルナルドゥスは死の間際、彼らを呼び出してこう言った。


『私は疲れ果ててしまった。 世界をどうこうしようなど考えるべきではなかった。 私の願いは世俗から離れて生きること、そこから変わることはなかったのだ。 それなのに、このような力を得たことで本来の目的を逸れてしまった。 その結果が、平和から大きくかけ離れてしまった世界情勢であり、これらは全て私の過ちから生まれたものだ。 だが、世界をより良いものにしようと願うお前たちであれば、この力を使いこなせるはずだ』


 ベルナルドゥスは四人の教え子に手を翳すと、彼らの身体の一部に魔導印が出現した。


 その新たな奇跡を見つめ、ベルナルドゥスは続けてこう言った。


『お前たち、ゆめ忘れるな。 これは神の力の一端を貸し与えられたに過ぎず、私たち人間には過ぎた力。 だが、お前たちであれば使いこなせるはずだ。 お前たち、本来の目的を忘れるな。 人々を救いに導くこと──これを信条に掲げ続ければ、その力はお前たちに微笑んでくれるはずだ』


 ベルナルドゥスはその言葉を最後にこの世を去った。


 力を得た四人の教え子たちはそれぞれ異なる地へ旅立ち、そして各地に平和をもたらした。


「これが魔導印出現の興りであり、魔法が神に与えられた力であるという歴史だ」

「なんか、教わった話にはそんな内容入ってなかったね」

「神も存在しないしな。 教会も随分昔に廃れたって聞いたぜ」

「そう昔のことではない。 せいぜい数百年程度だろう」

「それに、ベルナルなんとかって人の力が本当に神から貰った力か分かんないしな。 結局は吟遊詩人の話すような物語と変わんねぇよ」

「なんでそう否定的なの? そういう過去があったっていいじゃん!」

「馬鹿だなぁ、レスカも。 たとえそれが本当だったとして、それに何の意味があるんだって話。 俺たちがこれをみんなに伝えたところで、変なやつと思われるだけだっての。 あーあ、聞いて損したぜ」

「何で君は興味が持てないかなぁ……」

「平穏に暮らすのに必要な知識でもないからな。 むしろこれを知ったことで危険になる未来しか見えないぜ。 あのタージって人みたいにな」

「そりゃ、いきなり神に魔法の力を返せとか言っていたらびっくりするけど……。 パーソンさん、どうしてタージさんはあんなこと言ってたんですか?」

「おいおい、まだ聞くのかよ」

「いいじゃん、付き合ってくれるって言ったでしょ!」

「へいへい。 まったく……」


 イグナスは不貞腐れ気味に教会内を練り歩き出した。 もうパーソンの話には興味を失ってしまったようだ。 イグナスにとっては金にもならない知識よりも、教会内部構造の珍しさが勝ってしまっている。


「ベルナルドゥス聖が与えた力だが、ある時その力を個人的な目的のために利用しようとしたものが現れた。 それが、エーデルグライト。 彼の教え子だ」

「えっ……? いい人だったんじゃないですか?」

「基本的にはそうだが、やはりエーデルグライトはベルナルドゥス聖ほど聖人ではなかった。 名声を得て私腹を肥やすことに悦びを覚えた彼は、その力で人々を救うのではなく、支配することへ考えを変えてしまった。 その過程で研究が進み、こうして多くの人間が魔法を享受できる世の中になったが、それによる弊害も多く存在している」

「弊害、ですか?」

「そう。 今でこそ組合が設置されて魔法使いは管理下に置かれた存在だが、結局は戦争の道具に成り下がっており、いずれ魔法によって世界が滅ぶだろう。 タージはそれを危惧してああいった活動を行なっているようだ。 確かにタージの行動は少々目に余るところもあるが、私も魔法は人間にとって過ぎた力だと考えている」

「魔法は素敵な力だと思います。 私も魔法で守られてきたから……」

「使い方を誤らなければそうだろう。 だが、全ての魔法使いがそうとは限らない。 とりわけ戦争を指揮しているのは、魔法を使用できる王族や貴族などだ。 彼らがその姿勢を続ける限り、世界は魔法によって壊されていく」

「そう、ですよね……」


 魔法を使えることは大きな利点だ。 その一方で、たとえばラクラ村ではエスナを危険視する風潮もあった。 つまりは、使う者の資質が魔法を良いものにも悪いものにもしてしまうということだ。


「しかしレスカ、お前は幸運だ。 他人のために振るわれる魔法を目撃していることは、お前にも良き影響を与えるのだから」

「あたしの周りには、自分のために魔法を使ってる人なんていなかったです。 これって幸運なことだったんだ……」


 エスナ、リバー、フエン、フリック、そしてハジメ。 レスカの周囲にいた魔法使いは、誰も彼も自分のためだけに魔法を使っていなかった。 しかし、生きるためということを除けば、自分のために魔法を使用するという意味が今のレスカには理解できない。


「私利私欲のために魔法を使う人間は少なくない。 その典型が王族であり、殺人に魔法を使う輩だっている。 全ての魔法使いが同じ視点で生きているわけではないということを理解するべきだ」

「魔法を使いたいって思ってたけど、なんかちょっとそうじゃなくなってきたかも……」

「お前が他人のために魔法を使いたいと思い続ければ、周囲の人間同様、お前も良き魔法使いになれるだろう」

「そう、ですか。 忘れないようにします。 あと気になることがあるんですけど」

「好きに質問するといい」

「ベルナルダンとベルナルドゥスさんって、なんか名前が似てるなって」

「ああ、それはお前の想像通りだ。 ベルナルドゥス聖の名に因んで、町の名前が付けられている。 あいにく彼の血は後の世に残されてはいないがな」

「そうなんですね。 あ、あと──」


 パーソンはレスカの質問攻めにも嫌な顔一つせず答えていた。 だが、次のレスカの発言で彼は表情を大きく変えた。


「──ここにはパーソンさんとタージさんの他に人がいるんですか? さっきから微かに女の人の声が聞こえるですけど……?」


 クレルヴォー修道院はそこそこ広い規模だが、それでも手入れされながら利用されているのは回廊と教会、宿舎、そして壁外の菜園程度だ。 本来は地下だったり様々な設備があるのだが、ここで生活しているのはパーソンとタージだけなので広さは不要だ。 むしろ必要最低限を詰め込んで教会だけでいいとさえパーソンは思っている。


 ここに女性は居ない。 それに、パーソンには人の声すら聞こえていない。 だから、レスカの発言はパーソンを驚かせるには十分な異質さを含んでいた。

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