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オミナス・ワールド  作者: ひとやま あてる
第2章 第2幕 Desertion in New Life
34/155

第29話 与えられる課題

(※1)騎士関連の説明は第17話参照。

(※2)魔法の習得方法は第18話参照。

–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––


 学習塾──これがフリックの扱う最も大きな仕事の一つだ。 主に読み書きや計算、最低限日常生活に必要な知識などを教え、それによって給金を得ている。 教える対象は学習塾を利用したいと考える者なら誰でも構わない。 子供から大人まで幅広く利用するためフリックの居宅1階のスペースだけでは到底収まりきらないが、そこは工夫して行われている。


 一週間のうち四日間は学習塾が開かれ、利用者はそれぞれ初級、中級、上級、最上級のうち自分の目的に合ったクラスを受講する仕組みだ。 また朝の部と昼の部で同じ内容の講義が行われるため、一週間に計8回の講義が設置されている。


 また週に2回、魔法使いのための講義が夕の部として設置されており、魔法を学ぶ必要のある者がここを利用している。


「なぁお前、なんでこっちに来たんだ?」

「言わない。 あたし今勉強してるからあっち行って」

「勉強っつったって、文字の勉強だろ? 今更始めても遅いだけだっての」

「もう、うるさい! 邪魔するなら帰って!」


 レスカにちょっかいを掛けているのは、13歳の少年──イグナス=カーライル。 彼は騎士を父に持ち、彼の兄は現在15歳で《従騎士エクスワイア》として騎士修行中の身だ(※1)。 そんな環境に生まれたイグナスだが、いかんせん剣術の才能には恵まれず、怠慢な性格も相まって家族からは見放されていた。


 家に帰ってもイグナスに居場所はなく居心地が悪いため、講義の設置されている日にはこうやって無駄に時間を潰している。


「なんだよ相手しろよ。 俺は暇なんだよ」

「じゃあ家に帰って仕事でもしてれば? 暇なんでしょ?」

「お前なぁ、俺は親父が騎士なんだぞ? ちょっとは敬意を払えよな」


 騎士修行を諦めて逃げ出した割には、父の名を使って威張り散らすイグナス。 そんな彼だからこそ友達などできるはずもなく、こうやってまた友を作る機会を逸していくのだ。


「でも君は騎士じゃないでしょ。 騎士はもっとカッコよくて、みんなを守る凄い人なんだから」

「お前、騎士を見たことあんのかよ?」

「あるよ」

「どこの誰だよ?」

「教えない」

「なんだよ、やっぱり嘘なんじゃないか」

「じゃあ嘘でもいいよ。 だからもう勉強の邪魔しないで!」


 常に人に嫌われる態度を取り続けてしまうイグナスだが、そんな彼にも恵まれた才能があった。


「邪魔なんだったら、お前が家に帰ればいいじゃないか。 こんなところでずっと居なくてもいいだろ?」

「ここの方が勉強できるの! なんで君はいっつも邪魔ばっかりするの!?」

「邪魔なんかしてないって。 俺はお前に話しかけてるだけだぜ」

「それが邪魔って言ってるの!」


 現在口論が繰り広げられてるここは、夕の部を終えた後の教室内。 レスカもイグナスもその講義を受けており、

つまるところそれは二人が魔法の技能を備えているということ。


 イグナスの家系には魔法使いの血は流れていない。 にもかかわらず彼の身に魔法技能が開花したのは、突然変異的な偶然だ。 ただ、これによってイグナスは家から追い出されることなく、ギリギリのところで家に居させてもらっている状態だ。


 しかしイグナスのいけないところは、魔法技能を得たことで安心してしまって、それ以降はまともに身の入った勉強も特訓もしていないところだ。 魔法使いとして大成すれば家族を見返すことだって可能なのに、それをしないのは──それを考えられないのは、彼の未熟さ故だ。


 そもそもイグナスは成人年齢に達しておらず、成人までに必要な情操教育すらまともに行われていない。 その原因は彼を見限っている彼の家族にもあるが、彼の怠慢さや他人を思いやれない性格も大きく影響している。


「じゃあ、お前が面白い話をしたら帰ってやるよ。 簡単だろ?」

「面白い話なんて無い。 君が黙ったら済む話だよ」

「じゃあお前のこと教えろよ。 それで勘弁してやる」

「やだ」

「なんでだよ?」

「やなものはやなの!」


 レスカが話したがらないのはイグナスが鬱陶し過ぎることもあるが、それをすることで嫌なことを思い出してしまうから。 せっかく新しい目標に向けて切磋琢磨しているのに、そこに水を差すような回顧はレスカにとって邪魔でしかない事象だ。


「話したって減るもんじゃないだろ」

「減らないけど、君に話すのは嫌!」

「そうかよ。 そうやって俺を邪険にするのだって、実は俺のことが羨ましいんだろ? 自分の話をしたら俺の家との差に気づいてしまうから、恥ずかしくて話せないんだろ? 正直に言えっての」


 イグナス自身、本当はそんなことまで思っていない。 だが、なぜかそんな言葉が口を突いて出てしまう。 それが何故なのかは彼自身理解できておらず、また彼の過ちを指摘してくれる大人は彼の周りにはいないため、ずっとこのような調子だ。 それでは誰も近寄らない。


「もういい! 嫌い!」


 レスカはそう叫ぶと、勉強道具を纏めて教室から走って抜け出した。


「なんだよ可愛げがねぇな。 まぁ、どうせ近いうちにあいつから俺のことを好きになるだろ。 恥ずかしがりやがって」


 負け惜しみのようにイグナスはそう呟く。


 イグナスが教室で1人になると、途端に寂しさが襲ってきた。


 いつだってそうだ。 イグナスが誰かに近づくたびに謎の寂寥感が彼を苛む。 だから彼はそれを紛らわせるために他人に近づくのだが、未だにどうして彼の元に人が集まらないのかが理解できない。 それを必死に理解しようとする彼の行動は、何故か全て逆効果になってしまう。


「おやイグナス君、遅くまで熱心ですね。 ですがもう遅いので、そろそろおうちに帰りましょう。 家に帰っても今日の復習は忘れないようにしてください」

「……分かってるよ」


 一時的に教室を空けていたフリックが戻り、イグナスに声を掛けた。 それに対してイグナスは生返事を返すと、足早に教室を後にした。


 どうせやりもしない復習のことなど帰路の時点で忘れ去られ、イグナスの心にあるのは家に帰りたくないという気持ちと、理解のできない居た堪れなさだけだった。


「どうにも彼は難しいですね。 他人に近づきたいはずのに、こちらから近づこうとすれば離れていく。 どうすればいいのでしょうか」


 フリックは去るイグナスの背中を見ながらそう溢した。


 イグナスは、言ってしまえば問題児の部類に含まれる生徒だ。 何を教えても本当に学ぶ気があるのか分からないし、そのくせ講義にはしっかりと出席する。 しかし、出された課題には一切手をつけず、その場凌ぎの言い訳で取り繕おうとする。


 フリックは半ば諦め気味だ。 だが、彼のような学生を見捨てることなく教え抜けなければ、教師という肩書きは嘘のものになってしまう。


「全生徒がレスカさんのように真面目なら良かったのですが、なかなか難しいですね」


 レスカの勉強意欲には目を見張るものがある。 元々彼女には勉学に向いた才能があったのだろうが、それを発揮できる場面がここまでの人生でなかった。 それが最近では、環境に恵まれたということで彼女の才能は開花し、メキメキと力をつけている。 計算は苦手なようだが、文字は簡単に覚えるし、何より良いのは彼女の学びたいという姿勢だ。


「ハジメさん然り、恐らく彼女の中で目標ができたのでしょう。 やはり未来を見据える若者の姿は見ていて気持ちの良いものがありますね」


 できればイグナスにも彼らと同じ方向を目指してほしいが、それは現状難しいし、今後もさらに難しくなるはずだ。


 レスカが勉強を推し進めていけば、いずれイグナスは彼女に追い越されてしまうだろう。 その時彼の中で劣等感が爆発すれば彼の意欲はなくなり、手の施しようがなくなってしまう。 そうならないようにするためには、絶対的にレスカの助けが必要だ。


「イグナス君は例によって人を遠ざけていますし、レスカさんもそれには漏れませんね……。 さて、どうしたものやら」


 フリックは頭を悩ませる。 それは勉強をし得るという以上に、彼には難しいことだった。



          ▽



「──それで、これで『ハジメ』って意味なんだよ」

「ハ、ジ、メ……こう?」

「そう!」

「レスカ、教える上手。 偉い」

「そ、そうかな……?」

「フリック同じ。 教える向いてる」

「本当? 嬉しい!」


 ハジメとレスカが2人でいる時間は、専ら言葉と文字の勉強が行われている。 レスカは教えることで更に勉強内容を厚くし、ハジメの学びによって更に教えることへ身が入る。


「勉強、楽しい?」

「うん! でもね、いろんな人がいるから疲れる時もあるかな」

「人と触れる、大事」

「そうだねー。 もっと早く勉強したかったなぁ」

「今ある、みんなのお陰」

「そう、感謝しないとね」


 レスカ同様、ハジメも現在働きに出て頑張っており、少額ながら給金を得ている。 それによってフリックに恩を返せるだけの額など貯まるはずもないのだが、それでも自分の活動によって対価を得る行為はハジメに活力を与えていた。 給料が支払われるのは、それすなわち相応の働きを認められているということだからだ。


「ハジメは毎日大変そうだけど、嫌なことはない?」

「厳しい。 でも、楽しい」

「そうなんだ!」


 ハジメはフリックを経由してオルソーへ接触し、仕事を斡旋してもらっている。 現在関わっているのは主に外壁に関わる肉体労働であるが、今後何らかの依頼や狩りなどに連れて行ってもらえるという話だ。


 オルソーとしてもハジメを育てることは吝かではない。 しかしハジメの魔法には未知の部分が多いため、最近では専らオルソーが彼を監視している。 魔法は未だ解明されていない部分が多く、未知はそれそのまま恐怖に繋がる。


「まだ、魔法も」

「あたしも全然なんだ。 フリックさんに教えてもらってるけど基礎的なことばっかりだしー」

「時間かかる、だから大事」

「ハジメも文字覚えるのに時間かかってるからねぇ……むぎぃ!?」

「意地悪」

「ご、ごめんなひゃい……」


 顔面を握られて悲鳴を上げているレスカと、それを楽しむハジメ。 彼らのそれは兄弟でもなく恋人でもない関係性だが、どちらにも傾かないからこそ居心地が良いというのもある。 二人は、恐らくこれが家族というものなのだろうという漠然とした感覚を覚え始めていた。


 数日後──。


「今日はお二人に課題を与えます」


 夕の部の開始時、フリックがイグナスとレスカに向けてそう言った。


「なんだよ、授業じゃないのかよ」

「あまりこちらから教えてばかりでは魔法は成長しませんからね。 今日からは実践的なことを主にやっていこうと思います」

「やったー!」

「お前何喜んでるんだよ。 魔法の一つも使えないくせに!」

「使える使えないとか関係ないもん! 頑張ることに意味があるんだから」

「頑張る頑張るって、お前は俺の親父とか兄貴かよ。 頑張ることに何の意味があるんだか」

「意味を見つけることが勉強であり、それこそが人間に与えられた知恵の使い所です。 意味があるかどうかは、やってみなければ分かりませんよ」

「先生は難しいこと言い過ぎ。 子供相手にそんなこと言っても理解できないっての」

「君は屁理屈ばっかり言い過ぎー」

「うるせぇ! そういう生意気は魔法くらい使えてから言えよなアホ女」

「あたしアホじゃないし! 君だって大した魔法も使えないくせに、偉そうにしないで!」

「はぁ!? 撤回しろよその発言!」


 口を開けば喧嘩になってしまう彼らは、どう見ても仲良くはない。 どちらも子供のため、フリックはこういうのを見ると微笑ましくなることもある。 しかし彼らはいつまで経っても犬猿の仲でしかなく、このまま放置して良い関係性が築けるとも思えない。


 フリックが聞いたエスナの話では、レスカは友達もおらず冷遇されて生きてきたようだし、イグナスも彼の性格が影響して友達と呼べる人間は居ない。 二人は異なっているようでどこか似ており、そんな彼らだからこそ良い親和性を生むことができるかもしれないとフリックは考えた。 その考えの結果が──。


「そのような調子では課題はクリアできませんよ? 今回の課題はお二人で取り組んでもらう共同作業です。 1ヶ月の期限の間に、全てを達成してみせてください」

「何で俺がこんなアホ女と……!」

「あたしもこんな子供と一緒は嫌です!」

「これは覆らない決定事項です。 お二人が課題を達成できなかった場合、それ以降私が魔法を教えることはしません。 ですので、協力して達成を目指してください。 敢えて言っておきますが、これはお二人のための課題ですからね?」


 フリックが提示した課題は、イグナスとレスカが協力してある事を成し遂げる事。


「だりぃ……。 おいアホ女、さっさと解決策を考えろよな」

「あたしにはレスカって名前があるから! 君って年下なのに何でそんなに生意気なの!?」

「それは俺が選ばれた人間だからだぜ」

「そんな要素どこにあるのよ!?」

「はぁ!? 見て分かんねぇのか? 魔法使いの家系でもないのに魔法を使えるってのは、とんでもない才能ってこと!」

「まぁ、それはどうでもいいんだけど……」

「もっと驚けよ!」

「じゃあそのとんでもないイグナスさん、早く君の魔法を全部見せてよ。 それが分からなきゃ課題は絶対に達成できないよ?」

「ちっ……」


 二人の課題──それは、イグナスの固有魔法を発現させること。 魔法技能を得てなお彼固有の魔法を見出せていない現状を脱せよ、というのが根本的なフリックの狙いである。


 レスカからはなぜ手伝わなければならないのかという疑問がフリックに飛んだ。 だがそこは、魔法の本質を理解することが魔法発現の鍵だとフリックに言われて、レスカは無理やり押し通されてしまった。


 次の日から、レスカにとっては余計な──イグナスとの課題研究が始まった。


「目ぇかっぽじってよく見とけよな!」


 イグナスはそう言うと魔導書を浮かび上がらせた。 その装丁はほんのりと赤み掛かっており、彼が火属性に関わる魔法使いだという事を示している。 こればかりは流石にすごい事だが、果たして彼の魔法とは如何に。


 二人が居るここは、町から少し離れた平野。


 子供があまり遠くへ行くことはあまり推奨されていないが、一切の障害物さえないここであれば、危険が迫ってもすぐに察知できる。


 以前イグナスが魔法の練習を外壁直近で行っていた際、魔法を壁に向けて放っていたら随分と叱られた経験がある。 そういうこともあって、魔法を使用するなら人のいない平野などが選択される。 また、他人がいる場所での魔法使用は緊急時以外原則的に禁止されていることもあって、魔法の特訓場所は限られている。 とはいえ……。


「《火弾バレット》!」


 イグナスはその手から魔弾バレットを射出させた。


「……え?」

「どうだ、驚いたか! これがレスカ、お前の到達できない魔法使いの境地だぜ!」

「えっと、そうじゃなくて……。 というか、名前呼べるなら最初から呼びなよ!」

「名前呼びして欲しいとか、お前どんだけ俺に気に入られたいんだよ。 まったく、勘弁してくれよな」

「……うざ」

「恥ずかしがっちゃって。 とにかく、今ので俺の実力が分かっただろ? もっと驚いていいぞ」

「それが君の……全力?」


 レスカがひどく呆れた声で言ったのは、イグナスの魔弾が数メートル進んだあたりで急に勢いを失って消え去ってしまったから。


 レスカは今まで三人の魔法使いの魔弾を見てきている。 エスナのそれはそこまで強大なものではなかったが、リバーやフエンの魔弾はもっと破壊力を秘めた凶器だったはずだ。 またフエンに至ってはさらに上位の魔弾を使用しており、あれはまさに人を死に至らしめる一撃だった。


 レスカの目には、イグナスの魔弾がこれまで認識してきた魔弾とは全く違う何かにしか見えない。 そこにはまるで、人間と子虫ほどの違いがあるようだった。 もちろんイグナスの魔法が子虫にあたる。


「は?」

「えっと、他には……!?」


 イグナスの気分を害したら話が進まなくなりそうだったので、レスカは慌てて他の話題を振った。


「どんだけ欲しがるんだよ」

「も、もっと見せて!」

「しゃあねぇなぁ……そんなに言うんだったら見せてやるぜ」


 やや勢い任せなレスカだったが、イグナスは気づかなかった。


「《火刃ブレード》!」


 イグナスがブンと腕を振るった。 その瞬間に現れた魔刃ブレードだったが長さは30センチほどで、彼が腕を振り切る前にそれは消えてしまっていた。


「……」

「どうした? 驚きすぎて声も出ないってか?」

「……まだある?」

「お前、どんだけ!」

「もっと見たい、なぁ……?」

「ヘッ、あんまり惚れんなよ?」

「……はやくして」

「まったく……《火爆エクスプロード》!」


 しかし、何も起こらない。


「?」

「まぁ見てろって。 《火爆》!」


 再びイグナスの叫びだけが虚空に消える。


「何してるの……?」

「きょ、今日は調子悪いみたいだな!? あんまり天気も良くないから、出にくいみたいだぜっ」

「晴天だけど?」

「お、お前は分かってねぇな!? 魔法──火属性ってのは繊細なものなんだよ! まぁ、魔法が使えないレスカには分からねぇ話だよ!」


 イグナスの顔が引き攣っているが、レスカはあえてそこには触れずに話を進める。


「い、いっぱい魔法使えるんだねっ……?」

「そりゃあな!」

「フリックさんは他には教えてくれなかったの?」

「さっきの3つは先生が簡易魔導書をくれたけど、それ以外はもらってないから今ので全部だな。 どうだ、それでもすげぇだろ!?」

「まぁ、うん」

「見せてやったのにその態度は失礼だろ!」


 フリックは魔法使いの基本セットたる3つの魔法──魔弾、魔刃、そして爆発の簡易魔導書をイグナスに使用させた。 しかしそれが悪かったのか彼が怠惰だったからなのか魔法は伸びず、そういうこともあってエスナの魔法指導にはそれを用いなかった。 加えてフリック自身の攻撃魔法性能が高くないこともあったので、余計な影響を教え子に与えたくなかったという意図もある(※2)。


 本来魔法という技術は使用者自身で伸ばしていくべきものだ。 それが現代では少し趣を変え、外部から方向性を規定することで意図的な魔法発現を期待し、それらの軍事利用が始まっている。 フリックはそこに危険を覚えたことで敢えて時間のかかる教育方針を取っているわけだが、やはりというか何というか、今のところ彼の指導の成果は芳しくない。 ということで、今回の課題ような手段を取っているということもある。


「ごめんごめん、凄すぎてあんまり言葉が出なかったよ。 とにかく君の実力は分かったけど、そこからどうやって魔法を生み出すかを二人で考えないとね」

「ていうか、俺は別にどうでもいいんだけどなぁ」


 唐突にそんなことを言い始めるイグナス。


「なんでよ!? 課題を達成できなかったら、もう魔法を教えてもらえないんだよ?」

「必死になって何が変わるんだって話。 別に俺は今のままでいいからな。 課題についても、お前のために仕方なくやってやってるだけだ」

「はぁ!?」

「別にいいだろ。 お前のためなんだから、もっと喜んでくれたっていいんだぜ?」

「良くない。 フリックさんは二人のための課題って言ってたでしょ。 だからあたしのためだったら意味ないの!」

「俺がお前のためにやってやってるのに、何が不満なんだよ!?」

「あたしのためとか言われても全然嬉しくない!」

「はぁ!? お前が頼むから見せてやったのに、時間無駄にしたんだけど。 時間返せよ!」

「時間って、いつも持て余してるでしょ! 何を今更時間とか言っちゃってるの? そんなこと言うなら、普段からもっとちゃんとやったらいいじゃない!」

「……あーあ、付き合ってやって損した。 だりぃから帰る」

「ちょっと! あたしが色々考えてあげるから最後までやろうよ!? あたし今までいっぱい魔法を見てきたから、君のやりたいこととか見つかったら課題も達成できるはずだよ!」

「別にやりたいこととかないって」

「なんでそんなにやる気出ないの? 頑張ったらいつか良いことあるはずだよ? だからあたしもハジメも──」

「もういい」


 イグナスはそれだけ言うと、振り返ることなく真っ直ぐに壁内へと向かっていく。


 レスカは慌てて追いかける。


「ねぇ待ってよ! 課題やらなきゃ魔法上達しないよ!?」

「別に上達とかいいって。 それってお前が先生に教えてもらえなくなるのが嫌なだけだろ? 俺は必死にやるのが嫌いなの。 やりたきゃお前だけでやれよ」

「君の魔法に関わることなんだから、君が協力してくれなきゃ何もできないじゃない!」

「知らねぇよ。 そんなことより、お前が魔法を使えるようになった方がいいんじゃねぇの? こんなことで時間無駄にしてないで、自分のことを先にやってろよ。 俺もお前に付き合ってやれるほど暇じゃねぇし」

「はぁ……!? どうしてそうなるのよ!」

「魔法も使えないやつに指図されたくないし、そもそも俺のことも知らないクセにちゃんとやれとか言うなっての。 あとその必死な感じ、やっぱめんどくさいわ」

「い、一緒に考えようって言ってるだけじゃない! それのどこが必死なの!? それに指図とかしてないじゃん!」

「してるって。 その上から言ってくる感じがまさにそれ」

「はぁ!? 意味分かんないんだけど!」

「じゃあその意味を考えるところから始めれば? 俺はやっぱもうどうでもよくなった」


 やはり噛み合わず、スタスタと逃げるように早足になるイグナス。 それに対して声をかけながら追いかけるレスカだが、彼女の発言はどれも彼には刺さらない。 そればかりか、言葉を重ねるほどに彼の機嫌が悪くなるばかりだ。


「はぁ……はぁ……なんで、分かってくれないのっ!」


 イグナスを追うことは諦め、地団駄を踏んで怒りを露わにするレスカ。


 どうしてちゃんとやろうと思わないのか。 どうして最後まで頑張ろうという意志を持てないのか。 レスカにはさっぱり分からない。


 結局その日、レスカはイグナスと接触できなかった。 そのため、空いた時間を勉強にぶつけることで怒りを発散した。


「ハジメもあたしもちゃんとやってるのに、なんでできないの!?」


 それでも怒りは止まることを知らず、レスカは一日集中力を欠いた。


 レスカのこれまでの人生は抑圧されてばかりだった。 だから自分の意見をはっきりと述べる機会はなかったし、また友人関係も皆無だったためにこうやって怒りという感情を吐き出す相手もいなかった。 それがここにきて、自分とは相容れない存在の出現を前に感情が揺さぶられている。


 村という抑圧から解放されたからだろうか、反りの合わない人間が存在しているというのがレスカには理解できず、それが彼女をひどく悩ませる。


 他人との協調──集団生活では当たり前のことが、レスカにとっては初めての経験だった。 こんなに悩むのなら、村のような環境で一方的に意見を押し付けられる方が楽だったかもしれないとさえレスカは思ってしまう。


 集団生活で生きるには、他者を知ることが必要だ。 レスカとイグナスは未だ互いを何も知らない。


 その夕方──。


「イグナス君、今日も遅くまで頑張ってるね」


 衛兵の一人が、壁内に戻ろうとしているイグナスに声を掛けていた。


「だろ?」

「勉強と魔法と色々大変そうだけど、順調かい?」

「まぁ、それでも何とかやってるぜ。 まだまだ時間はかかりそうだけどな!」

「そりゃあすごい。 うちの息子にも見習わせたいよ。 じゃあもう遅いからね、きちんと帰るんだよ」

「おう、じゃあな!」


 イグナスは顔を綻ばせながら家路に着く。 しかし衛兵が見えなくなった途端のイグナスの表情はすぐに無表情となった。


「俺はもう頑張ってる。 頑張ってないって言う奴が間違ってるんだ……」


 イグナスの両親も兄も、何かにつけて彼に努力を強いる。 かといって、彼が何かをしたところで認められることはない。 これからほぼ確実に爵位を得られるであろう彼の兄に比べれば、魔法使いなど何も偉くないからだ。


 イグナスの父は階級を重視する──謂わばエリート意識を持った騎士だ。 カーライル家が代々騎士爵を受け継ぐ貴族だけあって、貴族の中でも最底辺の爵位でありながもその事実に対するプライドは一級品だ。 というのも、ベルナルダンで貴族の爵位を持つのは彼の家系だけだし、そもそもヒースコート領に貴族が少ない。 そういうこともあって騎士と言えど幅を利かせることができており、それが更にエリート意識に拍車をかけている。


 イグナスも落ちこぼれとはいえ、カーライル家としての自負がある。 家名があり、魔法技能があり、彼はすでに全てを持ち合わせた人間だと思っている節もある。 だが家庭内では何一つ認められていないばかりか、冷遇される日々だ。 ところが、一歩外に出れば街の人はイグナスを頑張っている少年だと見てくれるし、それが彼にとって気持ち良かった。


 イグナスが毎日授業に通うのも、頑張っているという姿を周囲に見せつけるためのパフォーマンスであり、それによって家庭以外では評価されているのだから彼にとってはそれで十分なのであった。


 イグナスの生活に水を差すのは、彼の家族と新人のレスカ。 イグナスは邪魔者たる彼らを排除することは望んでも、自分を引き上げて認めさせたいという気持ちはない。 彼は自身の怠惰さを理解しているからこそ、むしろ無駄な努力はしたくない。 努力しなくても認められているのだから、それ以上の頑張りは彼の中では無意味だった。


「結局あいつも親父とかと一緒で、俺のことは何も分かってねぇ……!」


 課題に取り組んだ初日から関係性に亀裂の入ったイグナスとレスカ。 反発する彼らは、果たして課題をクリアできるのか。


「やはり魔法は、人心を惑わす異物だ……。 あんなものがあるからこそ人間は──」


 こっそりとイグナスを眺めながらブツブツと呟く存在があった。 彼──タージの啓蒙活動はめっきりと鳴りを潜め、今の彼は魔法使いを知ることに重きを置いている。


 タージは普段から魔法使いを観察してきているが、最近ではレスカとイグナスの二人にご執心だ。


 タージがレスカを知ったのは、彼女がプレートを出す場面を偶々目撃したからだ。


 子供の魔法使いはタージにとって格好の標的であるが、それはレスカを害したいという意識からくるものではない。 むしろ友好的に接して彼女の意識を変えることが彼の目的であり、そうすることで魔法を神に返還する彼の活動を正しいと証明させることが狙いだ。


 過去、タージの説法はイグナスには届かなかった。 だが、外の村からやってきたレスカにならそれも届くかもしれない。 タージはそう考えて、次の標的をレスカに絞る。 魔法を持ちつつも思い悩むイグナスならそろそろ懐柔できそうだが、彼はタージにとってまだまだ接触の難しい相手だ。


 タージは妙な活動を行なっているが、彼自身は臆病な性格であり、直接大人に何かを訴えかけられるほど心臓が強くない。 だからこそ子供相手にしか強く出られず、直接的な害のない変人として一般には認知されている。


「嘘の歴史を叩き込まれた哀れな民衆を導けるのは、やはり私めしかいない……」


 それでもタージは謎の正義感に溢れた人物であり、神に対する信心深さが彼の行動を後押しする。

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