第153話 不揃いな足元
宿舎裏の細い路地。 リオルとソシエは誰の目にも触れない場所に来ると、そこでようやく表情を変えた。
「通じなかったね?」
「……そうだね」
ソシエは腕を組んで、苛立ちを隠さずに吐いた。 リオルはいつも通りの笑みを浮かべていたが、瞳だけは揺れていた。
リオルは微かに震える右手を見つめる。 先ほどハジメに向けて魔法を発動しようとして、握りつぶされそうになった感覚が未だ残っている。
「あれは、確かにおかしかったね。 触れようとしたら、そのまま乱暴に殴られたような感じだったよ」
「リオルの魔法を意に介してすらいなかったわね。 涼しい顔して、一丁前に警告なんかしてくれちゃって。 ほんとにイラつく」
ソシエの言葉に、リオルは無言で頷いた。
リオルが使用したのは、簡易魔導書に宿る闇属性魔法——《理制》。 敵意を削ぎ、会話に引き込むための魔法だ。 その際、会話以外の全ての行動に制限がかかり、魔法使用や暴力行為などが禁じられることとなる。
「彼は魔法そのものを見ていたようだったね。 あの瞬間の彼は、ボクの魔法を触れもせずに跳ね除けたみたいだった」
「最初から警戒されてたし、ある意味当然の結果なのかもね」
「分かってる。 でも……」
リオルは小さく息を吐いた。
「普通なら、気付かれもしないんだよ? ボクの魔法は見えない。 これまで高位の魔法使い相手でも、一瞬で滑り込ませることはできていた。 それなのに彼には、干渉さえさせてもらえなかった」
ソシエは眉をひそめた。
「あの目……ほんとに何かを視てる感じだった。 嫌な感覚。 こっちの内面を覗かれたような」
「……ねえ、ソシエ。 もし彼が、ボクの魔法をあの一瞬で看破したなら?」
「冗談でしょ。 そんな魔法使いなんて聞いたことがない。 例えそうだとしても、あいつまだ若いじゃない。 そこまで優秀になれるほどの年齢じゃないわよ」
「でも、そうとしか思えないんだよ」
リオルは簡易魔導書をそっと撫でた。 表紙に刻まれた紋様はまだ生きているが、微かにひび割れてもいた。
「これは、奪って得られた魔法。 だから分からない部分も多いし、どうしても扱いは粗い。 本物の魔法使いはその点、魔法に関する経験や知識では圧倒的に優れている。 これが本物と偽物の差だよね」
簡易魔導書は性能が最大限まで振り切っているぶん、使用限度が設定されてしまっている。 それは魔法を使い続けるという経験値が貯まらないことを意味し、いつまでも魔法使い狩りは魔法使い狩りのままだ。
「だからって、魔法使いが全部あいつみたいだって言うの? そんなの──」
「そう。 ここに至っても、魔法使いは未だ上位存在だよ。 この差は埋まらないし、ハジメが言ったような未来も、もしかしたらあり得るかもしれないね。 でもそこは、ボクらの理想さえ実現すれば関係がなくなる。 今は耐えて、来るべき時に備える必要があるんだよ」
「そうね……」
ソシエは吐息を漏らした。
「そこまで分かってるなら、よくもそんな相手に魔法を使おうと思ったわね? 馬鹿げてない?」
「試したかったんだよ。 大切なことだからね。 いや、確かめたかったと言った方が正しいかな」
「何を?」
リオルは口角を上げながら言う。
「彼の本質を」
そして、少し間を置いてから続ける。
「同時に、味方にできるかどうかもね」
ソシエの眉がさらに寄る。
「わざわざ敵に回すような真似してどうするのよ。 あれでもしあいつを本気で怒らせてたら、どちらもタダじゃ済まなかったわよ?」
「でも、死ななかったよね?」
「あんた、たまに無茶しすぎ」
「そのおかげで、彼の根幹は見えたでしょ? 彼は、あの瞬間でも殺さない選択をした。 その選択が優先されたんだ。 これって、これからの大事な局面において必要な情報だよね?」
ハジメの微細な判断を、リオルは見逃していなかった。 甘さがあることを、見抜かれてしまっていた。
「あれが彼の限界点なんだ。 怒らせても、会話の余地は残ると言うことさ」
ソシエは溜息をつき、呆れた顔にも似た、しかしどこか納得するような表情を浮かべた。
「まったく、本当に……。 理解不能な天才か、ただの狂人か。 どっちなの?」
「両方、じゃないかな?」
「ほんと最悪ね」
ソシエは吐き捨てながらも、頬をかすかに緩めた。
「それにしても、あの女……」
「エマのこと?」
「そう。 途中、様子がおかしくなったでしょ? それで急に何を言い出すかと思えば、ハジメもその意見に同調し始めるし。 エマは何か、重要な選択ができる能力を有してるんだと思うのよね」
「だろうね。 多分、無作為に発動するような魔法なんじゃないかな。 そんな反応だったよ」
リオルの声色が僅かに変わる。 慎重になった時にだけ発する声になる。
「そして彼女の言葉で、ハジメは決裂を選ばなかった。 あれがなかったら、ボクらは置いていかれてた」
「恩を売られたってこと?」
「実質的にはそうなるね」
リオルは、笑うしかないといった表情で肩を落とした。
「本来なら、ボクらが誠意を見せてでも引き止める立場なのに。 彼女のせいで、一番大切な局面の主導権を取られた」
「誠意を見せるって、何をどうやって?」
「難しいよね。 あの場面だったら、なんとか言葉で誠意を示せたはずなんだけどさ。 こうなると、手土産が必要になるよね」
リオルの瞳が鋭く光り、口元が不敵に吊り上がる。
「困ったね。 彼らを敵にしたくない理由が、今日だけで二つ増えたよ」
ソシエも静かに頷いた。
「確かに。 ハジメもエマも、今まで出会った魔法使いとは何かが違うわね。 攻撃一辺倒な相手だとリオルの魔法で完封できたけど。 今回は本当に無能じゃない?」
「言い過ぎなんだだけど? でも、間違ってはいないかな。 ボクらの弱点が見えたのは収穫だし、彼らはボクらの足りない部分を埋めてくれるよね。 戦闘効率も跳ね上がるだろうし、ますます彼らが欲しくなったよ」
リオルとソシエは、味方に引き入れたいと改めて確信した。
「で、結論だけど」
「うん?」
「ハジメを敵に回すのは、割に合わない。 味方に引き入れれば、計画を何段階も進められる。 そういうことよね?」
「そう。 彼はボクらの理想を完成させるに足る人間だと思ったよ。 彼は——」
リオルは宝物でも思い出すように柔らかく言った。
「──あんなに泥まみれで……それでも、前に進もうとする。 本物の魔法使いだよ」
ソシエは小さく吹き出す。
「あんた、ああいうタイプが好きよね」
「だって、物語を動かすのはいつも、ああいう人だから。 泥水を啜ってでも生きようとする人間こそ、これからの世界に必要なのだから」
「じゃあ今度は、殺しにいかない方法を探さないとだめね」
「殺さない、ねぇ……。 ボクらはいつもそのつもりだけど?」
「対話を望まない人間が大半だから、武力を行使せざるを得ないのは仕方ないわよ。 だから、頑張って?」
「難しくない?」
「簡単よ。 二度と、こっそり魔法を使わないこと。 あと、必要以上にハジメを試さない。 そうするだけで、ああいう類の人間は不用意な行動を起こさないはずよ」
「そうだといいけどね」
「じゃあ敵になれば?」
「嫌だよ。 彼はボクの作る、新しい未来の鍵なんだから」
ソシエは大きくため息をついた。
「ほんと、あんたの行動原理はよく分からないんだけど」
「分からなくていいよ。 ただ、ハジメの目的とボクの目的が、今はほんの少しだけ重なるんだよ。 その一点だけあれば十分なんだよね」
「積極的に尋問して情報収集した甲斐があったかな。 ハジメは王都に向かうことに関して否定的じゃなかったし、案外いいとこ突いてたとは思うけどね」
「そうだね」
リオルは空を見上げた。 彼には、自分にとって都合の良い、明るい未来しか見えていない。
「さて。 彼の答えが出るまで、できるだけのことをやっておこうか」
▽
契約魔法を使用できる魔法使いの詰所は、都市中央の一角にあった。 石壁は古びているが、そこに刻まれた魔法的紋様だけはやけに新しく、淡い光を帯びている。
「ここでいいんすかね……?」
「ああ。 町の安全を担ってる魔法使いってのは、ここにいる」
扉を叩くと、しばらくして軋んだ音とともに内側から開いた。
「用件は?」
姿を現したのは、白髪混じりの中年の男だった。 長い外套の内側には、いくつもの封印札と古い魔導具。 目だけが妙に力強い。
「契約魔法を依頼したい。 対象は俺とこちらのエマ、それから……他二名だ」
「ふむ。 外からやって来た四人が今日ここに揃って来訪とは、何やら不穏だな」
男はハジメを一瞥すると、僅かに口角を上げた。
「あいつらに今回のことを伝えてないぞ……」
「示し合わせたわけではないのか」
「そっすね。 今日はまず話を聞きにきたんすけど」
「先にやって来た若い二人は、『契約を用いるなら同席を望む』だそうだ。 どうやら、お前さんたちと同じ考えのようだな」
「……そうか。 あっちから望んできたってわけか」
(あいつらの方から契約を望むってのは、正直意外だな)
エマがハジメの袖を引っ張る。
「なんか拍子抜けっすね」
「何もかも見透かしていそうで、気分が悪いな……」
契約魔法師は奥を顎で示した。
「中に入れ。 条件を詰める必要がある」
ハジメとエマは男に続いて古い階段を上がる。
案内された部屋の中央には、円形の石床がある。 そこには複雑な紋様が彫り込まれていて、ここが契約のための部屋だということが一目で理解できる。
「まず確認しておく。 契約魔法は、魂に刻まれるものだ。 契約を破った場合の弊害は様々だが、軽いもので一時的な魔法使用制約、重いものなら魔法の喪失さえありうる。 それでも構わないか?」
「問題ありません」
ハジメが即答すると、エマは少しだけ青ざめながらも頷いた。
「ハ、ハイ……」
「対象の二人を呼ぼう」
契約魔法師が指を鳴らすと、扉がノックもなく開いた。
「やあ、思ったより早かったね。 来ちゃったよ」
リオルが手を振りながら入ってくる。 その声は相変わらず軽い。 その後ろには、不機嫌そうな顔のソシエ。
「どうも。 あんたたちが契約魔法を使うと思って、先回りしといたのよ。 その方が話も早いでしょ」
「……そっちの方から望んでたってのは本当らしいな」
ハジメは眉をひそめながらも、わずかに肩の力を抜いた。
「当然じゃないか。 ボクらに敵意はない。 それを証明する手段を、ずっと探してたんだ」
「そういう割には、こっそり魔法を使ってきてたけどな」
「だからこそ、再発防止のための契約だよ」
リオルがあっさり認めるものだから、ハジメとしても追及を続ける気が少し失せる。
(誠意ってやつか……。 いや、こいつの場合、計算づくなんだろうけどな)
契約魔法使いが咳払いをした。
「では、条件を確認しよう。 お前たちが望むのは、互いに相手へ害を及ぼさない契約でいいのか?」
「えっと、害って言葉、大雑把すぎないっすかね……?」
エマがおずおずと手を挙げる。
「例えば、結果として怪我させちゃった場合とかもあるだろうし……」
「ふむ。 そのあたりは文言を詰める必要がある。 “意図して”か、“利益を目的として”か、“結果の如何に関わらず”か。 意味合いは、いくらでも変化の幅を持っている。 意見があるなら述べろ」
ここでリオルが前のめりになった。
「ボクから提案してもいいかな?」
「聞こう」
「こうしよう。 契約内容は、『お互いに、明確な悪意・敵意・害意をもって、相手に不利益を及ぼすことを目的とした一切の行動を取らない』だ」
ソシエが横目でハジメたちを見た。
「要するに、わざとやらないってことね。 そうすれば、戦場での流れ弾とか、不可避な事態は除外されるでしょ」
「そのかわり、意図して裏切ることはできなくなる。 どうかな?」
契約魔法使いも頷いた。
「魔法的にもその文言なら成立しやすい。 意図の有無は魂の揺れとして読み取ることができる」
ハジメは少し考え、口を開いた。
「そこに一つ加えたい内容がある」
「言ってみろ」
「『契約の抜け道を探すことを目的とした行動も、同様に禁じる』。 これも含めて、互いに対して適用したい」
リオルの表情が一瞬だけ固まる。
「……厳しいね」
「最初から抜け道を探したいなら、契約なんていらないからな。 違うか?」
一瞬の沈黙のあと、リオルは肩をすくめて笑った。
「いいね。 むしろ、その方が誠実だ。 ボクは賛成だよ。 ソシエは?」
「私も別に構わないわよ。 抜け道を探すくらいなら、最初から一緒に行かないし」
エマがホッと息を吐いた。
「じゃあ、あたしもそれで」
「よし。 では、文言はこうだな」
契約魔法師は羊皮紙にさらさらと文字を書き連ねる。 そこには、四人の名前と、さきほどの条文が丁寧に綴られていく。
――互いに、明確な悪意・敵意・害意をもって、相手に不利益を及ぼすことを目的とした一切の行動を取らないこと。
――また、その契約の抜け道を探ることを目的とした行動を取らないこと。
「これを四名が読み上げ、それぞれ血印を捺す。 その後、完成した契約書を魔法陣に設置し、魔法を実行することで契約は成立だ」
円形の石床に、四人が向かい合って立つ。
「順番は誰からでも構わん。 名を名乗り、この契約を読み上げ、受け入れると宣言しろ」
「じゃあ、ボクから行くよ」
リオルが躊躇なく一歩前へ出た。
「ボクはリオル。 この契約文に従い、ハジメとエマに対して、悪意・敵意・害意をもって不利益を与えない。 抜け道を探る試みも行わない。 それらをここに誓う」
足元の魔法陣が闇色に揺れた。 契約を認識して反応したようにも見える。
リオルはナイフで指を小さく割くと、契約書に血印を施した。 それを隣のソシエに手渡す。
契約魔法使いが頷いた。
残る三人も、リオルに倣って同様の行動を取っていった。
「十分だ」
石床の魔法陣が一斉に光り、四人の足元から淡い光の糸が立ち上った。 糸は互いに交わり、結び目を作るように絡まり合う。
瞬間、光が弾け――そして静まった。
「これで契約は成立した。 今後、お前たちが互いに明確な敵になることはないだろう」
その言葉に、四人はそれぞれ異なる表情を浮かべた。
ハジメは、胸の奥にひっかかっていた棘がほんの少しだけ和らいだのを感じる。
(これで、少なくとも背中から刺される心配は減った。 ……まあ、正面から殴り合う可能性は残ってるけどな。 互いの信念がぶつかる時、この契約は恐らく機能しないだろうからな)
リオルは満足げに佇む。
これで最低限の信頼は形になった。 ここから先は、ボクのやり方次第だ。 リオルはそう内心でほくそ笑む。
ソシエは、わずかに視線を逸らしながらも呟く。
「まあ、これでいいか。 どのみち、この先は同じ方向に歩くんだし」
エマだけが、胸に重く残る感覚を拭えずにいた。
(この人たちと一緒に行くことで、あたしたちは助かる。 でもそれはきっと、楽な道じゃない)
それでも、エマは顔を上げた。
「よろしく頼む」
ハジメの言葉に、リオルは軽く笑って手を差し出した。
「こちらこそ。 歪んだ時代には、歪な旅路がお似合いだね?」
ハジメはその手を一瞬だけ見つめ、そして握り返した。
「この契約は、王都に至るまでの旅路に限定される。 王都に着いた後、そこで初めて契約の破棄が可能となる。 よいな?」
こうして。 互いを信用しきれず、しかし完全な敵にもなれない四人の、歪な旅が幕を開ける。
「お互いの考え方はどうしようもないくらいズレてるのに、行動だけは無理矢理に並べられたな。 これが、一番タチの悪い形の協力関係かもしれない」
「でも、進む先は同じだよ。 魔法使い狩りを発端とした王都での大粛清計画。 これは避けられない物語で、ボクらそれぞれが単体で動いたとしても微動だにしない、どうしようもなく壮大なものだ。 あとは――」
リオルは少しだけ間を置いて、笑う。
「──この先、誰がどんな物語を選ぶんだろうね」
「今は全く見えないな。 ひとまず俺は、この町でもう少し力をつける。 その間に情報を擦り合わせよう」
「それは当然、お互いに」
ソシエの言葉で、四人は別れた。
目的も、価値観も、結末のイメージもバラバラなまま。 ただ、契約という細い鎖だけが、彼らを一列に繋いでいた。
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