第146話 何気ない日常のひととき
理学第一研究所内の各部署を強引に連れ回され、研究員たちはハジメに対する理解を深めていく。 その一環で得られたハジメの知見は多くあった。
ハジメの《改定》は、基本となる六属性全てを掴み取ることができた。 さらに、いくつかの派生属性においてもそれは可能だった。 それによってハジメの魔法に属性的な垣根がないことが示唆された。 触れさえすれば、ある程度の自由度を持って魔法を使えるということだ。
「全属性にマナ干渉が可能、だと……!?」
研究員の驚愕たるや、凄まじいものだった。 今やハジメは彼らからの人気を一身に集めている。 魔法分野の珍獣という意味で。
(魔法の使い勝手が、エマの死亡経験から大きく違ってるな……。 それまでは「奪う」って感覚が強かったけど、今はやはり「借りる」という具合だ。 だからこそ、《改定》による自分への魔法付与を繰り返しても、魔導書にその魔法が刻まれないだろうことが分かる。 操作性が格段に増したのは確かで、それ自体は素晴らしい変化だ。 これがなければ、アリスト村での攻防を乗り切れなかったしな。 一方で、自分の魔法が増えないだろうことへの不安も拭いきれない)
この変化は、ハジメ一人では何もできないという烙印にも感じられた。 誰かと協力するということに違和感はないのだが、ハジメはこれまで多くの人間を死に追いやっている。 関わる人間がその度に死んでしまっているという事実は、ハジメに対して他者との深い関わりを制限させる要因となっている。
(だからこそ、俺は一人でも戦える力が欲しい。 せめて魔法は無理にしても、ここで研究されている兵器の一つでも使いこなせるようなことがあれば最高だな)
続けてハジメの魔導書内容に関しても調査のメスが入った。 まず最初のページと《改定》以外の文章全てが一本線で消されていることに、研究員たちは興奮とともに気持ち悪さを覚えた。 彼らがハジメと同様の感性を持っていることに安心したし、魔導書の文字解読には多少なり貢献できたかもしれない。 とはいえ、現状この世界で魔導書文字を正確に解読した前例はない。 あくまで、その領域に新たな未知が追加されただけのことだ。
「疲れた……」
ハジメは宿のベッドに突っ伏して大きく嘆息した。
研究に付き合った報酬として、ハジメは幾ばくかの金銭を得た。 金貨1枚。 一般的な町においてこれは、技術職が得る日給に等しい。 一食が銀貨10枚なので、普通と言えば普通の額だろう。(※貨幣価値は第28話参照)
「バイト代にしてはちょっと高いけどさぁ……。 人との付き合いは疲れるぜ」
魔物を狩っていられた頃は、危険がありつつも収入は安定していた。 しかし今や、ハジメは安易な攻撃魔法を持ち合わせない。 安定収入には程遠い状況に陥っていた。 手段が減り、敵の脅威度が増した。 この現状は如何ともし難い。 早急に対応策を講じる必要がある。
コン、コン──。
扉がノックされた。
「ハジメさん、いるっすか?」
「ああ、いるよ。 空いてるから入っていいぞ」
「じゃ、お邪魔するっすー」
エマは元気を残している。 彼女も彼女で研究に付き合わされたが、ハジメとは大きな違いがある。
「わっ、薄汚れてる!」
「ひどいこと言うな。 俺は疲れてんだ」
「清拭して欲しいっすか?」
「やめろ。 俺はまだ自分で生きられる。 老いぼれちゃいない」
「あら、そっすか。 食事ついでに散歩行きたいんで、さっさと綺麗になってもらっていいっすかね?」
「最近俺の扱いが雑だぞ」
「ハジメさんがどうしようもない人間っていうのが分かり始めたっすからねぇ」
「やめろ、俺をそれ以上傷つけるな……!」
「じゃあ、下で待ってるので来て欲しいっす」
「あいよ……」
エマが扉を閉めたことを確認し、ハジメは衣類を脱いだ。 予め水入バケツと手拭いをもらってきているため、それを使って身を清める。
「生活を豊かにする魔法が欲しいな。 せめて水属性魔法は使えるようになりたい。 湯が出るなら尚更だ」
ハジメはこの町の魔法の可能性に期待しつつ、急いで支度を整えた。
「すまん、待たせた」
「もう、遅いっすよ!」
宿の一階、入ってすぐの椅子でエマは待ってくれていた。
「エマ、研究所でどこかいい店あるか聞いた?」
「あの人たちが食に興味あるはずないじゃないっすか」
「そうだよな……。 おばちゃん、どっかいい店知ってる?」
ハジメは宿のカウンターで暇そうにしている女将に質問を投げた。
「そりゃあ、うちに決まってるじゃないか」
「ま、そう言うよな。 今度食べるんで、なんか教えてよ」
「んー、そうだねぇ……──」
そうして二人は言われた通りの道を辿り、その店舗にやってきた。
「穴場とは聞いたけど、まじで誰も通っちゃいないな」
「でもあれ、そうじゃないっすか?」
そこは住宅街の細い裏路地。 一般家庭の裏口にしか見えない扉が鎮座している。 かなり上を見上げてみると、確かに言われた通りの小さな看板が壁に打ち付けられていた。 どうやらここで間違いないらしい。
「これで誰かの家とか嫌だぞ? それで犯罪者扱いされたら、もっと嫌なんだが」
「じゃ、入ってもらっていいっすか?」
「こう言う時こそエマじゃね?」
「道つっかえてるんで、先に入ってくださいよ」
「はぁー、俺はなんか悲しいよ」
「またまた恥ずかしがっちゃって」
「うるせ。 じゃ、ごめんくださーい」
扉が開く。 まずハジメが入った。
カウベルも何もなく、開ければ即カウンターがあった。 こじんまりしたバーの如く、カウンターに沿って椅子がいくつか据えてある。 椅子の後ろは人ひとりが通れるくらいの幅があり、想像した定食屋とは違った。 一番奥には、客らしき男が食事に向かっている。
「ど、どうも」
「好きなとこ、座んな」
カウンター内側の無愛想な女性が、それだけを発してメニューをよこしてきた。 するとすぐ、その店長らしきタバコのようなものをふかして、手元の新聞へと視線を落とした。
「ハジメさん、ご馳走になるっすよ」
「え、支払い俺なの?」
「だって荷物流れちゃったじゃないっすか。 それに、ようやくまともに得られた給料なんで、貯めておかないと」
「それ、俺も同じなんだけど?」
その時ふと、客の男と目が合った。 彼の目は、一度エマを見た後にハジメを見て、そしてエマを二度見した。
「あっ……!?」
男が食事を少し口から溢しながら驚いている。
「え、なに……?」
「ハジメさん、どうしたっすか?」
「いや、俺も分からないんだけど。 あの人が……」
「ぐふっ、ごほッ、ゴホっ……!」
「……え?」
そこでようやく、エマも男をしっかりと認識した。
「あ、れ……? 確か……」
「はぁ、はぁ……お前、エマか? そっちも見たことがあるな……。 ドミナと一緒にいただろう?」
男は唐突に、そんなことを言う。
「え、俺とも知り合い? 見覚えなさすぎるんだけど」
「えー、っと……デミタス、さん……?」
「モルテヴァの人!?」
「おいおい、こんなことがあるのかよ」
モルテヴァの出入管理部門、商業区画を担当していたデミタス=ラクリマ。 思わぬ場所で、思わぬ人物との出会いがあった。
「これが、おすすめか……」
ハジメとエマの前には、隠れた名物とされる肉料理の一皿が並んだ。
皿の上に、蒸気がゆらりと立ちのぼっていた。 それは一見、煮込み料理のようでいて、肉の繊維が屋内の光を微かに帯びた芸術のようにも見える。
マナ肉のロースト。 森の魔物エルクの腿肉を用い、火魔石で均一に焼き上げた逸品だ。
ナイフを入れると、外はしっかりとした焼き目の香ばしさ、内側はわずかに魔物肉の青みを残したしっとりとした質感。 切り口からは、淡い光を放つ肉汁がとろりと流れ出る。 その光は、マナが熱に反応して“可視化”されたものだという。まるで星明かりを溶かしたような幻想的な輝き。
口に運ぶ──。
まず、舌の上でふわりと甘い芳香が広がる。 野生肉特有の臭みはほとんどなく、かわりに森の草木を思わせる清涼な苦味と、微かな電気のような刺激が走る。 マナが体内の流れを刺激し、まるで自分の血が一瞬、熱を帯びるような感覚すらある。
噛みしめるたびに、表層のカリッとした香ばしさと内側のとろける旨味が交錯し、肉そのものが魔素の塊であることを実感させる。 添えられたソースは、均一にマナを浴びた果樹の実を煮詰めた琥珀色で、ほのかな酸味が魔物肉の独特な風味をほどよく引き締めてくれる。
見た目は荘厳で、味わいは深く、グロテスクさなど微塵もない。 ただそこにあるのは、異世界の生命が持つ純粋な力強さを食として受け取る崇高な体験。
食後にはほんのりと身体が温かくなり、視界が澄んでいく。 マナを食べるとは単に栄養を摂ることではなく、魔法使いとして生かされていることを実感させてくれる。
「うめぇ……」
二人は感動を覚えつつ、デミタスとの会話に花を咲かせる。
「お前らよく生き残ったな。 他に生き残りがいたか?」
「あたしもよくは知らないんすよね。 ここ数年分の記憶が飛んじゃってて」
「……どういうことだ?」
「ロヒル街道で魔物に襲われた時、頭部を負傷しちゃったみたいなんすよね」
「ロヒルと言えば、あれか。 お前のいる場所には騒動ばかりが起こるな?」
(すいません、それ全部俺のせいです……)
とは言い出せず、ハジメは黙って会話を聞いていた。
「デミタスさんは、どうしてここに来たっすか?」
「モルテヴァを離れて、ふらふらと迷い込んだだけだ。 あの騒動がなければ、今もダラダラと暮らせてたはずなんだがな。 これも全部、エスナとかいう厄災女のせいだな」
「エスナ!?」
「……なんだお前、あれと知り合いか?」
「ええ、まぁ……」
「お前ら、どうなってる?」
「ははは……」
ハジメは乾いた笑いをこぼすしかなかった。
デミタスはモルテヴァ崩壊の直前に町を抜け出したようだった。 あとは投げた木の枝が示す方向に進んでいれば、この町に至っていたらしい。
デミタスはモルテヴァやロヒル街道が被った被害などをかいつまんで知っていた。 人の出入りが少ない町だが、時折訪れる者が情報を落としていくそうだ。
「霧の魔女、か。 エスナも随分と出世したもんだ」
「そう軽く言うな。 お前のお友達は、今や王都を揺るがす大悪党だぞ?」
「友達ってわけでもなくて、一緒の村で生活してただけなんで」
話題はこの街での生活へ。
「デミタスさんは、この町に定住してるっすか?」
「そうだな。 この町がなくならない限りは、暮らしてくつもりではあるな」
「あんまり怖いこと言わないでくださいよ」
(俺が訪れた先は、どこも崩壊の憂き目に遭うからな……。 この町の状況を見てると、今のところそんな感じはしないけども)
「実際、魔法使いにとっては暮らしやすい。 魔法を使えるなら、常に需要があるんだからよ。 ハジメ、ここに来たお前ならそれも分かるだろう?」
「揉みくちゃにされましたけどね……。 エマは平気みたいでしたけど」
「は? エマお前、魔法使いなのか?」
「記憶はないんすけど、モルテヴァの騒動の時に覚醒?したみたいっすね」
「フィルリアさんの娘なら、それも当然か……」
デミタスは水を煽りながら、少し悲しげな様子でそう呟いていた。
「え、何て言ったっすか?」
「……いや、何でもない。 とにかく、この町にいる限りは魔法兵器がお前らを守ってくれる。 住むなら己れも歓迎する」
「はい。 そう言えば、今日は第一研究所で見かけなかったっすけど、デミタスさんはどこで働いてるっすか?」
「己れの魔法は研究され尽くしたからな。 今は現場と実験場の往復生活だ」
「現場?」
「魔物の駆除や捕獲、その他様々な外界調査全般のことだ。 魔法使いは兵装なしでも奥地まで進めるから、お前らも自衛の手段が揃ってるなら紹介してやろうか?」
「俺は近接のみで、エマは危険察知の体現型なので、それはなかなか難しいかと」
「偏っているな。 だが、今日実験場に来た連中と一緒ならバランスも悪くはないか。 まぁいい。 興味があったら言ってくれれば良い。 己れと一緒の外界調査でも構わないからな」
「はい、助かるっす!」
思わぬ誘いだ。 魔法強者の雰囲気を滲み出すデミタスと行動を共にするのであれば、訓練を兼ねた外界調査によって金銭事情も潤うだろう。
「ここの支払いは己れが持ってやろう。 話を聞く限り、お前ら素寒貧らしいからな」
「え、いいんすか?」
「ああ。 己れは頻繁にここを出入りしてるから、会いたければ夜に来るといい」
「デミタスあんた、勝手に溜まり場にしてんじゃないよ」
「いいだろ。 どうせ客の入りなんて大したことないんだからよ」
デミタスは店主と軽口を交わしたあと、店を出て行った。
「お姉さん、デミタスさんってここではどんな扱いの人っすか?」
エマが店主に積極的に話しかけてくれている。
「掴みどころはないけど、悪い人じゃあないさ。 この町は魔法使い自体は多い方だろうけど、外に出られる人間はそう多くはないからね。 あの人が来てから町の安全性が増したのは確かだね」
「やっぱりすごい人なんすね」
「あんたたち魔法使いは、みんな歓迎してる。 頑張りな」
店を出たハジメとエマは、夕方の町を歩く。
町の構造的に斜面ばかりで疲労が蓄積するが、整然と立ち並ぶ家々は景色として観るべきところが多い。
人々は行き交い、活気が見られる。 魔導兵装としての装備を身につけている者も少なくはなく、それらが警備としても一役買っているようだ。
「ハジメ、帰りか?」
「ああ、飯の帰りだ。 ヴィライ、そっちは大変じゃなかったか?」
ヴィライは、町に来た時以上に汚れている。 外界での業務でもあったのか。 隣のラフォンは身なりを小綺麗に整えており、彼女がヴィライに合流した形だろう。
「クレバンはどうしたんだ?」
「あいつとは……行動を別にした。 無理に付き合う必要もないしな」
ラフォンはバツが悪そうに下を向いている。
(ラフォンがクレバンに何かしたのか、その逆か。 男女関係とかその辺りっぽいな。 いずれにしても、パーティ内にそういうのを持ち込んだら駄目ってことだな)
「俺とエマはしばらくここで活動するつもりだけど、そっちはどうするんだ?」
ハジメにとってもエマにとっても、この町のような安定した場所は久しぶりだ。 少なくともサバイバルを強いられる環境ではないし、それはここに暮らす非魔法使いの生活を見ても明らかだ。
「こっちもそんなもんだ。 研究所の方はめんどくさそうだが、魔導兵装の施設は幾分か楽しかったぜ。 お前らも暇なら行ってみろ」
「ああ、近いうちに行ってみるよ」
「じゃあな。 俺たちは南の坂下に宿を取ってる。 何かあったら呼んでくれ」
そう言ってヴィライとラフォンは坂を下っていった。 付かず離れずのような距離感が見える。
「あの二人って、そういう関係なのか?」
「違うし、お似合いでもないっすよ」
「そうなのか? 女の子って、そのあたりのことよく分かるよな」
「誰でも分かるっすよ……」
二人は宿に戻り、それぞれの部屋へ。
ハジメはベッドで横になった。 窓辺から差し込む二つの月光が、ハジメの脳裏に様々な記憶をちらつかせる。
整えられたベッドで最後に寝たのはいつだっただろう。 モルテヴァが最後だったか。 そこでは厄災や魔人との邂逅を経験し、崩壊した町を後にした。
ロヒル街道を災禍に導き、エマは壊され、自らの手で多くの人間を殺した。 そして全てに嘘をつくつもりだった。 ついエマに真実を溢したところ、エマは死を選択し、ハジメは大切なものを差し出した。
アリスト村へは、内なる興味が先行した。 そうして無闇にアースティカを敵と断じて、村を戦場に変えた。 辛くも敵を追い出せたが、それが正しかったかは分からない。
ハジメは、いずれの行動も100%正しいとは言い切れない。
「俺はこれからも、こんなことを続けていく……のか……?」
いつまでも変わらない問題解決能力と、力を失った魔導書。 総合的には後退しているとしか思えない。 ツォヴィナールからは強くなり戻ることを言い渡されたハジメだが、どうにも無駄に時間だけが過ぎ去ってしまっているようにも感じられる。
「明日から……頑張ら……ねぇ、と……」
急激な睡魔がハジメを包み、瞼が強制的に下された。
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