第138話 呼び声
「ま、待って……!」
管理人の悲痛な声が飛ぶ。
ビクリ。 異形たちが痙攣したように動きを止めた。
「……ッ……!」
異形の腕が、ハジメの首元に触れる直前で浮いている。 一方ハジメは紙一重で異形に触れており、あとはマナを注ぎ込むだけの状態だった。
(あ、っぶな……)
「何をやっているのです。 その男を止めなさい。 命令に従えないのですか?」
「ハジメさんを攻撃しちゃダメです……!」
異形が小刻みに揺れる。 上位存在からの命令が同時に下されたことで、迷いが出ているのだろうか。
「管理人、勝手な真似を──」
伸ばされたカスペルの手。 それを管理人は、人間離れした動きで避けた。
管理人は崩れた体勢そのままに足裏だけで全身を跳ね上げ、天井に留まって全体を俯瞰できる状況にいる。
(今だ……)
「ハ、ハジメとぼくとの約束を破らせないでください……!」
「貴方にも魔法を施したはずですが、一体どのような手段を用いたのでしょうか。 ……あら?」
「っぐ……」
カスペルが徐に脚を蹴り上げた。 そこには、腕を弾かれたハジメの姿がある。
「いけませんね、不意打ちとは」
「ハッ、そうかよ……!」
ハジメはカスペルに近接し、殴打を続ける。 しかしその全てを彼女は凌いで見せた。 またハジメの意図に気づいているのか、徐々に距離が開いていく。
「魔法は、触れることで最大限の効果を発揮します。 貴方の魔法は典型的なそれで、だからこそ動きを読みやすい。 まさか私が格闘術の心得が無いとでも思いましたか?」
カスペルは流暢に言葉を紡ぎ、悠々とハジメの攻撃を撃ち落としていく。
(ダメだダメだ……。 これじゃいつまでも後手だぞ。 だが、これなら……?)
ハジメは空間のマナを掴み、腕を振るった。
「それも見えています。 いえ、感じていると言った方が良いでしょうか」
カスペルは身を屈め、見えないはずのマナの重圧を回避してみせた。
「そうみたいだな……!」
ハジメはマナを掴んでは振り回す。 しかしどうにも掴みづらさがある。 この場はすでにカスペルの支配下なのだろうか。
(先んじてカスペルが空間を掌握してる影響か……? だったら俺の意図を即座に看破してくるのも頷けるが……。 近接が無理なら──)
ハジメはマナ操作の過程で異形たちの位置を確認していた。 そこに意思を込めたマナを流し込んでいく。
「させませんよ。《折伏》」
ノロノロと動き出そうとしていた異形が、何度目かになる痙攣を見せて停止した。
「ちっ……」
(魔法効果が似すぎて相性が悪い。 ポジティブに捉えればカスペルの行動を潰せているとも取れるが、後手に回っていることには変わらないな……。 どうする?)
カスペルはハジメの意図を理解してくれただろう。 それによって彼女はリソースの一部を異形の制御に割かなければならない。 ハジメは次の手を模索し続ける。
(管理人は異形と違って、カスペルの魔法に抵抗できている。 管理人がじっと動かずにいるのはどうしてだ? この辺りに活路を見出せそうか……?)
どれだけ危機的な状況だろうとも、思考は崩れることなく回っている。 それを思うと、ハジメはまだ余裕があるのだと認識できた。
(管理人を参戦させるとカスペル側に回収される可能性がある。 魔法強度がもっと上がれば、もしくはカスペルの魔法を解除できれば、異形で襲わせることもできるかもしれないが……。 それを管理人がどう評価するかが分からないから厳しいか。 あとは……)
ハジメが使える武器は少ない。 マナを介して墓所内を探ってみても十分な成果は得られない。 ハジメが扱うことのできる魔法的存在ないしは物質の類など、管理人を含めた周囲の異形たちくらいなものだ。
「《折伏》」
ハジメが思考に気を回している間に、カスペルが魔法を重ね掛ける隙を生ませてしまっている。
「……くそっ」
異形は鈍重な金属のような動きでハジメの魔法に抵抗を見せている。 ハジメがそれらに触れないよう細心の注意を払っているうちに、カスペルと肉薄できる距離は失われてしまった。
(こいつらをしつこく使いたがるってことは、カスペルも俺同様、決め手に欠けているのか……? 今こそ攻める時か?)
ハジメは突進する構えを見せつつも、思考は止めなかった。
ハジメが魔法強度を高めれば、それだけ束ねられるマナの量は増えるだろう。 しかし空間内のマナというリソースは限られており、強度を上げれば規模が減じ、その分だけ抑えられる異形の数も減る。 言うなれば、カスペルとの綱引きで負け始めている状態だ。
「……は? どういうことだ?」
ハジメはカスペルの魔導書からマナの高まりを感じた。
(どうして今、俺は《《それ》》が分かるんだ……?)
魔導書内に蓄積されていくマナ。 大魔法を予兆させるようなものではなく、ごく当たり前のマナの動き。 本来なら直接触れていなければ分からないような、血管の拍動を触れている時にも似た感覚。 ハジメの中に現れたのは、第六感とも言えるような新たな感受性。
マナの動きが止まった。 ハジメは、次なる魔法が紡がれることを肌で理解していた。
「《共振》」
ハジメは分かっていた。 魔導書が一瞬膨張したように活性を増し、魔法を迸らせることを。 魔法が超振動で空気を揺らし、伝播して迫ってくることを。
(マナを介して、動きが予見できる……。 これは恐らく、カスペルの魔法が振動系統に属してる影響だろうけどな。 とはいえ、だ。 感覚を研ぎ澄ませていけば、もっと多くの情報を得られるはずだ。 情報アドバンテージは、きっと俺の力になる)
ハジメはバックステップを踏んでいた。 カスペルの魔法が、彼女を中心とした範囲攻撃だと読めていたからだ。 ハジメは音速よりも早く動くことができないが、距離を空けて効果を減弱することはできる。
(空気を揺らすのか、それとも空気中のマナを揺らしてるのかは不明だ。 だけど後者の場合は、俺が操っているマナに干渉される危険性がある。 だから──)
次いでハジメは、大気中のマナを拡散させてカスペル側に追いやった。
「……」
カスペルの表情に、僅かばかりの戸惑いが見られた。 ハジメが迫ってくると予測していたのだろう。
ハジメは漠然としない実感を覚えつつ、身に降りかかる不快な振動に耐えながら回避に専念。 その過程で、墓所へ下る階段付近に辿り着いた。
(あいつらが動き出してるな。 それに……)
管理人は振動をもろに食らい、耐えられず地面に墜落してしまっていた。 彼女も異形の連中と同様、操られてしまうだろう。
ハジメは後ろ髪を引かれる思いを若干抱きながら、階段を駆け上がる。
(このまま戦況が長引いても、打開策は見出せなかったからな。 しっかし、決め手に欠ける……。 《改定》は色々便利に使えてるけど、器用貧乏って感じだよな。 手札が多くても少なくても雑魚いままなのは厳しいな)
ハジメは墓所を出てみて分かる。 やはりマナは乱暴に暴れ回って。 延々と総量が減らないままに排水溝で渦を巻く水の如く、そこには排水の──マナ流出の悪さを禁じ得ない。
「待てよ? 悪さをしてるのは御神木じゃないってことか……?」
ハジメは、ある事実に思い至った。
もし本当にカスペルの仕業でないのならば、何らかの要因で御神木に不具合が生じていることが示唆される。 例えば、御神木と悪神のパワーバランスに乱れが生じたなどが挙がる。
(カスペルはそれらのバランス調整を行っていた……ってことか? だとしたら、ここから退場させるのはマズイんじゃ……?)
最適な解を得るための思考によって、ここに至ってもハジメの優柔不断さが繰り返される。 どこか落とし所へと着地させることが常に難しく、それがハジメの弱点でもある。
(……いや、考えるな。 俺の選択で得られた結果なら、どうなっても後悔はないはずだ。 一番ダメなのは、ここで何も結果を出せずに逃げ出すこと。 その最悪さえ回避すれば、多分どうにかなるはずだ……!)
結果的に、数百年の楔が十全に機能しなくなった。 そう仮定して動くならば、カスペルの魔法ないしは、それに相当する手段を見出す必要がある。
カスペルを生かすかどうかといえば、そうすべきではないとハジメは考える。 その場合、必要になるのは御神木の安定もしくは、それに代わる御神木的な何か。
「御神木の代替品なん、て……」
ハジメはそこまで考えて、ハッとした。
居るではないか。 御神木と化した彼と、肉体的に近しい存在が。
ここで一つ、ハジメの中で画期的な案が生まれた。
(だが、本当にそれができるのか……?)
思い付いたとはいえ、実現可能性は高くない。 なにせそれは、カスペルが行ってきたことと何ら変わりないのだから。
(例えばそれが可能として、カスペルの不在は村にどのような影響をもたらす? カスペルを失うだけのメリットは……?)
ハジメの案は確実性がなく、また情報も不足している。 ここから必要なものは、御神木の機能性と、管理人の同意。
『…………タス……ケ…………』
「は……!?」
ハジメの脳裏に届く声。 突然耳元で話しかけられた時のような驚きと共に、ハジメは鼓動を抑えながら周囲を見渡した。
「……だ、誰だ!?」
しかし、返事などない。 気持ちの悪いくらいの静寂の中に、複数の振動が迫り来るのみだ。
「次から次へと……何なんだよ、くそッ」
かぶりを振って走るハジメは、どうにも気持ち悪さを禁じ得ない。 あのたった一言が脳裏に焼き付いて離れないのだ。 それは女性的であり、儚くも悲痛な声。 何とか絞り出したような、救いを求めるものに聞こえた。
(俺の思考を邪魔すんなよ……。 そんな声を聞いたら、気になって仕方がないだろうが……!)
声の発生源はどこだろうか。 このタイミングであったことを加味すると、御神木からか、それとも──。
せっかく纏まりを見せそうだったハジメの思考が、今や再び解けかかっている。
(駄目だ駄目だ、落ち着け……。 目的を思い出せ……。 変な声に耳を傾けんな)
ハジメは自らを鼓舞するように、意識を目的へと集中した。
(管理人が操られたとすれば、もうそれは引き返せない状況だ。 だとすると、カスペルを処理する前にあいつらを始末しなければならないのは必定。 そうなると、御神木を調整するしかなくなる。 仕方ない、無理な時は……)
ハジメは一旦、方向性を定めた。
『…………我、ハ………………誰………………』
「くっそ、うるせぇ……。 お前が誰とか知らねぇよ! なんでこのタイミングなんだよ……お前もさァ!?」
グルル……。
白い肉の塊が、臨戦態勢でハジメを見据えていた。 肉塊はハジメと視線が合った瞬間、獰猛な獣の如く駆け出した。
ハジメは魔導書を取り出し、再度魔法を付与。
「《改定》……」
ハジメは飛びかかってくる敵を見上げながら、同時に姿を見せた肉塊も含めて、全てを殺害対象に加える。
敵がジャンプの最大地点に到達したあたりで、ハジメの手繰るマナが空中姿勢の敵に触れた。
ぐらり。 高濃度のマナを通過した彼らの身体が揺れている。 表情などは一切読めないが、効いていることは間違いないようだ。
(想定通り。 これで──)
「っぐゥ……う!?」
ハジメは最初、何が起こったかを理解できなかった。 とにかく顔面が痛む。
身体が宙に浮いた。 浮遊感からそう理解する頃には、新たな衝撃がハジメの身体を叩いていた。
(なに……が……)
揺れる視界の中で、肉塊が大きく弾け飛んでいる。 もちろんハジメが何かをしたわけではない。 新規の飛来物が全てを薙ぎ払ったのだ。
「ぐ……くっ、そ……!」
そう呪詛を吐いた時、近くで何かが着地した音が響いた。 続く一歩の踏み締めが聞こえたあたりで、ようやくハジメの思考が舞い戻ってきた。
「な、に……!?」
眼前に迫る影。 それが何者かの腕だと理解するより前に、ハジメは両手で顔面を覆っていた。
「……ゥ、あ゛ッ」
みしり。 ハジメが重ねた両手のうち、上にあった左手掌が嫌な音で軋んだ。
折れた。 衝撃を受け止めきれず、中手骨の幾つかが弾けたらしい。 そう痛みに悶えながら、それでもハジメは視界を狭めなかった。
「お前……っ……!」
そこには腕を振りかぶった姿勢を維持する管理人。 目は虚ろで、感情の色はない。 続けてもう片方の腕を叩きつけてきた。
「ク……ッソが!」
ハジメは思い出したようにマナを注いだ。
触れ合った部分から流れ込む侵入者に、管理人は咄嗟に攻撃を止めた。 かと思いきや、激しい蹴りを繰り出してハジメのバランスを崩させる。
「……が、ア……ッ!」
ハジメが攻撃をなんとか肘で受け止めるも、貫通する衝撃が着実なダメージを刻んでくる。 思考を反撃に移そうとした時には、すでに管理人は距離を取っている。
「痛ってぇな……ッ! 近接戦闘は苦手っつってんだろ……!」
叫ぶハジメに対し、管理人は感情の無い目で見つめ返すのみだ。
管理人は右手に違和感を覚えているのか、何度もグーパーを繰り返している。 そんな彼女の背後には、二体の異形。 彼らが動きを見せないのは、管理人の指示によるものか。
(ここでやり合ってると、後続が集まって来そうだな……。 一旦外に出るのもありだけど、そうするとこいつらがエマの方へ向かう可能性もある。 まったく、俺はいっつも後手に回りすぎだな)
「……何をしてる?」
管理人が動かない。 よく見ると、彼女は何かを警戒している様子だ。
(一体、俺のどこを気にしてるんだ……? 魔法はそうなんだろうが、近接戦を嫌う意味が──)
そう思った瞬間、ハジメはマナを手繰っていた。
管理人が、動き出そうとした味方を乱暴殴りつけている。 かと思いきや、即座に攻撃に転じた。 勢い良く走り出している。
(くっそ、避けられた……!)
見えないはずのマナの奔流を読まれた。 慌てたハジメは、マナを手元に手繰り寄せる。
管理人の飛び蹴り。 すでに乗せられた勢いを、マナだけでどうにかすることはできない。
ハジメは致命的なダメージを避けるため、あえて姿勢を左に崩しつつ、頭部だけは勢い良く後傾。
額を削りながら掠めていく蹴りに、ハジメの視界が一瞬明滅。 それでも意識を保ちながら、右手で管理人の右大腿あたりに触れた。
管理人にマナの塊をぶつけることは叶わなかった。 しかし手元に集められたマナを、多少なり注ぐことはできた。
「……!」
「……くッ!?」
ハジメの顔面に衝撃が走った。
(なに、が……)
ハジメがめまいのする頭で視線を動かすと、空中でバランスを崩しつつある管理人の姿がある。
恐らく管理人にダメージは通っただろう。 しかし同タイミングで反撃も食らった読まれたようだ。
「あぶ、ねぇ……!」
ハジメは何とか手を突いて態勢を整えた。
同じく着地した管理人だったが、そのままバランスを崩した。 どうやら、右脚が思うように動いていないらしい。
やはり管理人も魔法生物。 それが理解できただけでもハジメにとって十分だったが、殺害せずに無力化できそうなことも同じく収穫だった。
(効いてる……! 追撃を──)
そう思った瞬間、管理人から並々ならぬマナが立ち昇った。 怒りからくるものなのかは、彼女の無表情からは読み取れない。
ハジメが一瞬たじろいでいる隙に、管理人は左脚だけで大きく跳躍。 木々の間を縫って飛び去ってしまった。
「どういう、ことだ……?」
マナを周囲に巡らせてみると、先程まで確認していた異形たちが消えている。
回復のために撤退したのか、それとも急襲のために姿を隠したのか。 いずれにしても対応は必要だ。
「カスペルが意味もなく、管理人に俺を攻撃させるとも思えない……。 となると、別の意図があるはずだ。 どっちに向かう?」
向かうべきはエマの元か、御神木にするべきか。 解き放たれた異形とともに、処理すべき案件が残り過ぎている。
『…………誰カ、早…………ク…………』
喧騒が止むと、やはり脳内に響くのは何者かの声。 ハジメはこれが気になって仕方がない。
ハジメは意識を強く持ち、環境中のマナを辿りながら管理人を追う形で歩みを進めた。
▽
「お、おい!? どこまで追いかけてくるんだよ……っ!」
「だ、大丈夫っす……! ここまでは来れないみたいっすから!」
慌てふためく村人たちに向けて、エマが大きく声を張り上げる。
エマは生き残った村人を集めて、村の外へ出ていた。 村の管理区域を超えると、異形たちはそれ以上追いかけてくることは無くなった。 しかしそれらが立ちはだかり、村にも戻ることもできなくなってしまった。
「このまま村に戻れないのはいけないわ……! どうするつもりよ!?」
「だ、だから一旦落ち着いて……」
「俺らの身体を見ろよ! ずっと村の外にいるのはまずいんだって!」
村人が気にしているのは、タイムリミット。 彼らの中には、皮膚が一部白色変異し始めている者が散見されている。 その部分は樹皮のような外観を呈して硬く、御神木表面の形状に見えなくもない。
「ハジメさんが何とかするはずっすから、ちょっと落ち着いて──」
「落ち着いてられっかよ!? 俺は化け物になるのは嫌だからなッ!」
村人たちが落ち着かないのも仕方がない。 ここに至る過程で異形の介入があり、村長と逸れてしまったのだ。 その他にも数名、脱出が間に合わなかった者もいる。
「じゃあお前だけ残ればよかっただろ!」
「こうなるって聞いてたら残ってたさ!」
怒りを吐き出す連中が増え、村長を欠いた状況では収拾がつかなくなってしまっている。
(落ち着くのが一番大切なのに、この人たちはどうしてこうも……)
ついには殴り合いを始める始末で、このままでは致命的な結末すら想定しなければならなくなった。
直接的な怒りの矛先が自身に向かないことに、エマは思わず胸を撫で下ろした。 しかしそれも、ほんの束の間だった。
「そもそもお前が……!」
「え……」
そう言って、腕を振り上げながらエマに迫る男。 ガタイは男性の平均よりやや大きく、年齢はエマより一回りは上と言ったところか。
男は怒りを込めた表情で肩を大きく揺らしながら、徐々に歩速を早めていった。
エマの魔法発動が伴わずとも、勢いのままに殴り抜こうとしているのは明らかだった。
(ど、どうするのが正解……!?)
男が肉薄する直前、エマの視界パッと色付いた。 それは今までに見た赤色ではなく、ほんのり桃色掛かったという程度。
エマは拍子抜けするとともに、男の攻撃をひょいと躱した。
男は腕を振った勢いを殺せず、バランスを崩して無様に倒れ込んだ。 そんな彼を見つめる全員の目は冷ややかで、それがさらに彼の怒りに拍車をかけた。 喧騒は止み、皆がエマと男の行く末を見守っていた。
「てめぇ、避けんなよォおおお!」
エマには全てが見えていた。 反撃などせず、攻撃を回避してみせた。 彼女でなくとも、冷静な状況であれば誰もが可能だったかもしれない。
エマはあえて、全ての攻撃を紙一重で掻い潜った。 もう少しで攻撃がヒットしそうだという思いが、男に攻撃を繰り返させた。
数分間、不毛なやり取りが続けられた。
「ハァ……ハァ……ッ……」
飄々としたエマと、腕を振るう体力さえなくなってしまった男。 勝敗は明らかだった。
「あたしみたいな小娘に攻撃も当てられないのに、村に戻って何ができるっすか? もっと冷静な頭なら、そんなこと分かるはずなのに。 まずは状況を確認して、できることを模索するのが先決じゃないっすか? 言い合って時間を無駄にしてることにすら意識が向かないのは、本当に駄目だと思うっす!」
エマの言葉は男に向けられたものだったが、それは多くの連中に突き刺さった。
「でも、どうすりゃいいんだよ……? ここに居たって……」
「じゃあ、どこかから壁を越えて入ればいいっす。 死んでしまう可能性もあるので、動くか動かないかは各自に任せるっす。 あたしはハジメさんの手伝いに行かないといけないんで、しばらくしたら動くっすけど」
「お前に何ができるってんだよ……」
そう悪態をつくのは、エマに攻撃してきた男。
「分かんないっす。 でもあたしは、何もできないって諦めるのは嫌っす」
「ハッ! 何かができるって思い込める、お前みたいな能天気は良いよな!?」
「そうっすか? あたしにあれだけ啖呵を切って暴力を振るう体力が残ってるのに、そうやって逃げ腰な人こそあたしは理解できないっすけど」
(なんか事実にしても、すごい嫌なこと言ってるかも。 はぁ、これもハジメさんの影響……?)
エマは、言葉を放った後で自己嫌悪に襲われた。 正論が必ずしも正しいわけではないが、あえてそう言うことで彼らを動かせると思ってしまったわけだ。
「てめぇ、俺をどこまで馬鹿に──」
「だから!」
「──は?」
「体力があるなら、遠距離からあれを攻撃してみるのはどうっすか?」
エマは、村の入り口でただ立ち尽くす異形を指さした。
「本当にあれらが村の外に出られないなら、一方的に攻撃できるかもしれないっすよね?」
エマは少し、いたずらっぽく言ってみた。 言葉にすれば彼女自身、どんなこともできそうな気がしてきた。
「俺らが、あれを……?」
エマの言葉は、これまで全てを諦めて風習に従ってきた村人の意識に少しだけ波紋を呼び起こしていた。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。