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オミナス・ワールド  作者: ひとやま あてる
第4章 第3幕 Strategy among the GODs
144/155

第135話 過去の記憶

「ひっ……!」


 一瞬でエマの至近距離まで迫った肉塊──マルト。


(以前にもこれに似た生物を見た気がする。 でも、思い出せな──)


 エマは恐怖から身動きが取れず、間の抜けたような思考だけが流れていた。 人間の末路にこれが横たわっているという事実、そしてその過程をまざまざと見せつけられたという衝撃に、エマは世界の残酷さを身に沁みて実感していた。


 エマは思わず目を閉じた。 コンマ数秒以内に刻まれる傷害を、避けられないものと受け入れた。


「……あ、あれ?」


 エマの頬を突風が撫ぜた。 しかしそれ以上のイベントは発生しなかった。


 恐る恐る目を開けると、エマの眼前にはいつの間にやら見知らぬ人物が佇んでいた。


「きみ、誰?」

「 管理人ですけど?」

「それは、どうも……?」


 管理人を名乗る少女。 異常に白い肌と、ところどころ異形化した肉体。 どう考えてもマルトと同種であろう存在が、その手でマルトを抑え込んでいた。


 どうしてか、マルトは暴れることができない。 そればかりか即座に四肢を投げ出して、力無く地面に叩きつけられた。


 マルトは踏み潰された昆虫の如く、潰れた身体で四肢だけをピクピクと動かしている。 それでもなお、全身の腫瘍にも似た構造は膨らんでは弾けてを繰り返している。 あまりにも悍ましい。


「何、したの……?」

「黙ってもらいました」

「そう、なんだ……」

「はい。 ハジメが助けろと言ってたエマって、あなたですね?」

「う、うん。ハジメさんは大丈夫なの?」

「無事、ですよ。 でもあんまり、まともじゃないかな……?」

「それってどう──」

「貴様ら、どういうつもりだ!?」


 エマに一瞬、存在を忘れられていたエヴォル。 大声を張り上げながら敵意を剥き出しに、右手に赤い粒子を掻き集めている。


「ぼくはハジメに言われたので来ただけですけど?」

「……は? 会話が通じないのか!? どういうつもりで味方の邪魔をしているのかと聞いているんだ……!」

「味方って言われましても。 ぼくはあなたのことを知らないですし」

「これだから知性の劣る化け物は困るな……」


 エヴォルはブツブツと呟きながら手元で赤い武器を完成させた。


「貴様、管理人と言ったな? 自分はカスペル様の弟子だ。 こう言えば分かるか?」

「何を言ってるのさっぱり?」

「本気で言っているのか……?」


 エヴォルはこめかみに血管を浮き上がらせながら右手を掲げた。 手のひらで球状に渦巻く赤は、あらゆる形状への変化を備えた殺意の塊。


「管理人ちゃん……? あれはマズイよ……」


 エマが赤く認識しているエリアはエヴォルの手元だけではない。 未だ渦巻く村内のマナは薄くも赤いままであり、エヴォルは何らかの手段を用いてマナの猛襲を防いでいるようだ。


「そうですか? そうでもないと思いますよ」

「えっ? 管理人ちゃんも見えるの……?」

「見える? エマが何を見てるのか分からないです。 でも、そうですね。 ハジメが何とかするって言ってたので、大丈夫じゃないですかね」

「それって──」


 管理人の声に合わせたように、流動的なマナがエヴォルに向けて一斉に襲い掛かった。 この動きをハジメが操っているのは間違いない。 またエマや管理人の周辺から赤色が取り払われている状況も、ハジメの存在を知らしめるものだった。


「な、に……!? 貴様ら、小癪な真似を……!」


 エヴォルは即座に手元の武装を解いた。 砕けた赤球は彼の左右へ移動し、周囲のマナを引き寄せ始めた。


「じゃあ、ぼくは行きますね」

「……え?」


 管理人はそんなことを言って、この状況から興味を失くして颯爽と歩き始めた。


「ま、待ってよ……!?」

「言われた通りの役割は全うしたので、あとはエマの自由にすればいいです」

「そ、そんなこと言われても……」

「ま、待て、貴様ら……!」


 エヴォルはその場から動くことができない。 マナの応酬を抑え留めるだけで精一杯なようだ。 玉のような汗を流しながら、それでも怒りを隠しきれない表情を湛えている。


「ど、どうしよう……」


 エマはついて行くべきか、ハジメのもとへ参じるべきか迷う。


 管理人の登場で、ひとまず危機は去った。 マルトは自壊と再生を繰り返すだけの汚物に成り下がっているし、エヴォルも簡単には動けない。 だからと言って、安全が保証されているわけでもない。


『ハジメが何とかするって言ってたので、大丈夫じゃないですかね』


 先程の管理人の言葉が思い出される。 得体の知れない存在だが、明らかな強者である彼女が言うのならそうなのだろう。


 もしかしたら、エマが管理人に追随することでエヴォルをこの場から引き離すことができるかも知れない。 単なる甘い想定だが、動きを規定するには十分なものだった。


「管理人ちゃんについて行くから……!」

「そうですか」


 管理人はエマにすら興味がない。 それでも、エマが巻き込まれている状況──神のいざこざを理解するためには、動き出すしかなかった。


「待て……ッ!」


 エマはエヴォルの叫び声を背中に感じながら、思惑渦巻く村内を歩む。


「管理人ちゃん、どこ行くの……?」

「カスペル様のところです。 確認することがあるので」

「なんでわざわざ……」


 御神木が座す村の中心。 そこへ向かうほど危険度は大きくなっている。 未だ拡散する音律は、カスペルの魔法が健在だと言うことを意味する。 同時に、ハジメが彼女を抑え込んでいるということでもあるだろう。


 フッ、とマナの圧が弱まった。 突然のことにエマはハジメの安全が損なわれたと考えてしまったが、飄々とした管理人から何らかの情報が得られるわけでもない。


「ハジメさん、大丈夫っすかね……?」

「心配なら自分で確認すればいいんじゃないですか?」

「それはそう、なんだけど……」


 管理人は迷い無く歩く。 エマはこの先に何かが見えると信じて、頑張ってついて行くしかない。


 程なくして、カスペルの姿が見えてきた。 彼女は御神木に相対し、背を向けている。


「エヴォルは、またしても失敗しましたか。 仕方の無い子ですね……」


 待っていたと言わんばかりに、カスペルから話し始めた。 手に持つ魔導書は微かに振動を残している。


「さて管理人、どうしましたか? 自らの役目を放棄するとは、不思議なことがあったものですね」

「ちょっと確認したいことがあったので」

「……そうですか。 そこまでの行動を許した覚えはありませんが。 話しなさい」


 カスペルは驚く様子もなく、あまりにも自然に佇んでいる。 それは余裕の表れだろうか。


(あたしは無視か。 脅威にはならないってわけね……)


「カスペル様が神様に奉仕してる証明をしてください」

「おかしなことを言うものですね。 私たちの組織がアースティカなればこそ、それは言うまでもない話のはずですが?」

「えっと、何でしたっけ……あ、そうだ!」

「……?」

「カスペル様は、神様を乱暴に扱ってますよね?」

「何を……言っているのです?」


 管理人の指摘に、カスペルの余裕が一瞬だけ揺らいだ。


「御神木は神様なんですよね? それなら、どうしてそんな場所にずっと放置するんですか?」

「あの男、要らぬことを吹き込んだようですね」


 忌々しげに表情を歪めるカスペル。


「……放置とは、どうにも見え方が異なっているようです。 御神木は、自らの意思でこの場に留まっているのですから」

「留まって何をしているんですか?」

「悪意を、封じています。 溢れ出す悪神を抑え込む役割を、今もなお担っているのですよ。 ですので、悪神の手が伸びるこの場所以外に御神木は存在できません」

「じゃあカスペル様は、御神木に何をしているんですか?」

「質問が多いですね。 私は御神木が最大限に効力を発揮できるよう、その根本から纏い付く悪意を取り払っています。 御神木を以てしてもなお、悪神は力を増し続けています。 私が御神木に後押しを加えることで、悪神を地の底へと追いやることができています。 これを聞いてもなお、私の役割を疑うのですか?」

「ああ、疑うな」


 この場に存在しないはずの声が響いた。


「──ッ!?」


 背後から覆い被さるプレッシャーと、魔導書を持つ手に触れた熱。 カスペルは根源的な恐怖が身体に流れ込んできたのを感じて、無意識的に腕を跳ね上げた。


「抵抗したか」


 カスペルの予想外な反応速度を見て、ハジメは素直に驚いていた。


「貴方、は……っ……」


 カスペルは未だ身の内に燻る不快感を吐き出せないまま、息荒く肩を上下させた。 心臓を握られているような違和感が、痛みにも似た苦痛を生じさせていた。


「だが、最低限の効果は出たみたいだ」

「は、っ……! くッ……!?」


 魔導書が一向に具現化されない。 カスペルは自らの身に何が起こったか理解できず、視線をハジメと右手の間で行き来させるしかなかった。


「言ったろ、管理人? こいつはそれっぽいことを言って、はぐらかすだけだってな」

「でも、本当のことを言ってそうでしたよ?」

「事実はどうか分からないだろ。 管理人、こいつを取り押さえてろ」

「はい」


 管理人は言われるがままカスペルに飛び掛かり、容易に組み敷いた。


「敵に鞍替えするとは……! 管理人、自分が今何をしているか理解しているのですか?」

「カスペル様ごめんなさい。 でも、カスペル様から神様のマナを感じないので信用できないです」

「神様の、マナ……? 何を言っているのですか……!? これも貴方が……!」

「えらく感情的だな、落ち着けよ」


 カスペルは目を剥いてハジメを睨み付けた。 ハジメはそれを受け流しながら、魔導書を手に魔法を唱えた。


「《改定リビジョン》。 じゃあ、始めるか」

「何をする、つもりですか……?」

「管理人、そいつを俺の近くへ。 エマは離れててくれ。 もし俺が危ない状況になったら、その時は頼む」

「え、あ、はいっす……!」

「何をするつもりかと聞いているのです……!」


 カスペルは、無視するハジメに声を荒げた。 ハジメはそんな彼女の手を雑に握り、もう一度マナを送り込んだ。


「ぅ、グ……ゥ……」


 カスペルは半ば白目を剥きながら、グッタリと身を地面に預けた。 口元から泡を溢れさせながら、それでもギリギリのところで意識を保つことができていた。


「調整が難しいな。 でもまぁ、ちょうどいいか」

「ハジメさん、大丈夫なんすか……?」

「ああ、多分な。 ちょっくら御神木に触れるだけだ。 もし万が一俺が意識消失したら、何としても叩き起こしてくれ。 じゃあ、行ってくる」

「は、はい……」


 御神木という存在に対し、ハジメには確証にも近い感覚があった。 だからこそ、この場に至って必要な工程を踏んでいる。


 ナイアレ村で魂に触れた時、ハジメは《改定》の何たるかを知った。 これは魔法的な事象を掴み、握り潰すなどネガティブな意図を行使するものではない。 その本質は、触れたものの事象を改変し、強制的にハジメの意識を接続させることにある。 接続が可能だからこそ、結果として如何様にも変質させることができるわけだ。 支配こそが《改定》の最たる効果と言える。 神の力なればこそ、それが可能だということも当然だと言える。


 ハジメは内心で覚悟を決め、カスペルの腕を更に強く握りつけた。 その状態で御神木に触れ、《改定》の効果を発揮させた。


 バチリ。 脳内に電気が流れたような感覚は、ハジメだけでなく、そこに触れていたカスペルや管理人もろとも意識の深淵へと引き摺り込んでいく。


「あ、わっ……」


 次々に倒れ込むハジメたちを見て、エマは慌てるほかなかった。



          ▽



 どこにでもある、何の特産もない集落。 そこで彼は生まれた。 名前もなく、彼を特定できる情報は何一つ与えられなかった。


 何気ない日常。 何気ない人生。 与えられる仕事に疑問を持つことなく、日々の食事の少なさに不平を垂れるわけもなく、彼はただ消耗品としての生を全うしていた。


 病に伏せれば死ぬだけだ。 運良く成人まで至ったのなら、結婚の機会もあるのだろう。 そのような漠然とした思考のまま、彼は無為に労働に従事した。


 ある時、教会の神父を名乗る人物がやってきた。 大人たちの話を要約すると、なんでも集落の中にとある可能性を見出された人物が現れたらしい。


 大人たちはやけに騒がしかった。 誰もが歓喜に震えているように思えたが、どうにもそうではない様子だった。 しかし、農奴が疑問を持つことなど許されることではなかった。 この世は階級こそ全てであり、教会勢力は王さえ凌ぐ地位にあることは農奴にさえ常識的な内容だった。


 神父が指差す。 大人たちの視線がそれを追い、彼に焦点が定まった。 初めて個として認識された瞬間だった。 どうして彼が選ばれたのか。 ついぞそれを知らされることはなかった。


 彼は名を与えられた。 守護者──それこそが彼の呼称であり役目でもあった。 村長や警吏といった肩書きよりも遥かに高い位置にあるらしいそれは、同時に彼の集落での階級を最高位に引き上げた。 しかしながら、集落の運営に関わる職位ではないらしい。 疑問は多いが、彼は黙して役割を受け入れた。


 意味を持たなかった人生に光が当たったことで、彼の僅かな疑問もすぐに霧散していた。 目まぐるしい日常の変化が彼を翻弄した。


 集落の奥地に個人の邸宅を与えられ、労働の義務を免除された。 これからはある種、教会の一員として集落に貢献する必要があるらしかった。


 食事内容が変わった。 これまで口にしたことのない肉を含んだ豪華な食事。 時にはあまりにも過量なそれに、彼は満腹感を超えて吐き気を催すことがあった。 しかしこれも自らの職責として受け入れた。


 教育が始まった。 文字を覚えさせられ、神の何たるかを徹底的に叩き込まれた。 慣れない情報の応酬に、疲れ切った頃には敬虔な信徒が出来上がっていた。


 神の敵を教えられた。 それは地の底に沈んだ怪物で、常に地上を目指して蠢動を続けているらしい。 彼の集落からほど近い場所にも怪物の気配があるらしく、ここでようやく自らの役割を理解し始めた。


 この頃になると、彼の身体には異常が散見され始めていた。 肌は異様に白く色を帯び、ところどころに腫が形成されていた。 痛みはないが、無意識的にぶつけてしまったり不快感は拭えなかった。 しかし教会勢力以外の誰とも接触できない生活だったため、大した問題ではなかった。


 件の神父がやってきた。 出会うのは数年ぶりだ。 準備ができたのだという。 その来訪は、次の段階へ進むという証明だ。 重要な儀式のため、白い装束に着替えさせた。


 彼は漸く、自らの意味を問うことができるのだと歓喜した。 意味の無い人生に可能性を与えてくれた教会に感謝し、神父に連れられて満面の笑みで邸宅を出た。


 なんだ、その視線は。 集落民の感情は、彼の意識とは大きくかけ離れた場所にあった。 誰も彼を祝福していない。 誰も彼の門出を喜んでいない。 誰も、彼の姿を直視しようとしない。 そこにあるのは嘲りと、腫れ物が集落から離れることへの安堵だった。 誰もがヒソヒソと声を顰め、彼の醜さを強調していた。


 彼の感覚は、すでに常人のそれを遥かに凌駕していた。 全ての小声を拾い、全ての感情を純度100パーセントで理解できてしまっていた。


 彼は思わず目を伏せ、否応なしに流れ込んでくる呪詛のような声を聞き流そうと必死になった。 それでも彼の感覚は拾いたくないものばかりを拾う。


 ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。 それは思い入れのある声だっただけに、最も彼の心抉っていった。


 雑踏の中から一瞬で目的の人物を見つけ出した。 目が合うと、彼女の表情が強張った。


 彼女は、言うなれば彼の許嫁のような女性だった。 問題なく生きていれば、彼にあてがわれるはずの人物だった。 決して恋仲でもなければ、仲良く過ごしていたわけでもない。 集落の中で自然と決められていた婚約関係という程度のものだった。 しかし何も持たなかった彼にとっては、集落の生活で強い絆を感じる存在だった。


 そんな彼女も、やはり彼に対する軽蔑の声を発していた。 遠く声は聞こえないはずなのに、彼女は彼に全てを聞かれてしまったような顔をしていた。 事実、彼の脳はその全てを克明に記憶してしまっていたため、目を見開いて彼女の顔を見続けた。


 彼女の側には、冴えない男が立っていた。 その男の腕には、幼い赤子が抱かれていた。 それを見た瞬間、彼の血液は沸騰したように熱を持った。 本来であれば、そこに立っているのは彼だったはずなのに。 邸宅を出た瞬間の歓喜は全て失われ、彼の内には醜い負の感情が渦巻いていた。


 口々に話す集落民の声が、これまで彼の置かれていた状況を教えてくれる。 教会の来訪は、良い報せをもたらすものではなかったらしい。 あれは謂わば生贄の選別儀式であり、神への供物としてであったり、悪神を封じるための人柱であったり。 彼の場合は後者だったが、見方を変えれば供物と言っても差し支えないだろう。


 彼が口にしていた肉も、鳥や豚、牛などでは無かったようだ。 肉体を神に近づけるため、それに見合った肉が用意されていたらしい。 見合った肉とは、彼に似た境遇を負わされ、惜しくも使命を完遂できず亡くなった人間のそれ。 神のマナを濃く浴びて異形化した人間が元となっているらしいが、今回の彼は肉として役目を終えるわけではないようだ。


 集落を離れてもなお、負の感情や声は、彼に向けて投げかけられ続けた。


 目的の場所の近づくにつれ、肌を刺激する不快な感覚は強くなった。


 神父が言う。 この先に、彼の向かうべき場所があるのだと。 そこに身を投じれば、彼は役目から解放されるのだと。


 彼は気づいていた。 神父もまた、彼に良い感情を向けていないのだと。 いつ爆発すると知れない化け物を、ついに捨て去ることができるのだと。 軽蔑と安堵が、彼に向けた神父のはなむけだった。


 彼の復讐心は、ここでピークに達していた。 しかし、思うように身体が動かない。 身の内に宿る凄まじい力を解放できない。


 では、行け。 労りのない、たったその一言が、神父の全てを物語っていた。


 彼の意識とは裏腹に、その身は終わりへと向かっていく。 必死になって身体に指令を送るも、それ以上の力で矯正されている感覚がある。


 そこは、地の底へと繋がっているのだろう。 進むほどに肌を焼くような痛みが指数関数的に増し、それでも苦痛を表出することさえ許されなかった。 生きたまま身を焼かれるとは、このようなことを言うのだろう。 彼は黒く渦巻くマナという炎の中を強制的に歩まされていた。


 何でもない、直径数十センチほどの黒い穴。 それが悪意の根源だった。 蓋をすれば、容易に閉じられることが分かる。 ただ、隙間なく埋めなければなならないようだ。 焼け焦げる肉体にあっても、彼のものではない思考は使命を完遂しようとしていた。


 黒い穴は細くも、そのまま飛び込めば良いというものでもない。 だから彼は、穴の上で身を捻った。 皮膚が裂けようとも、限界まで引き延ばされた筋線維が千切れようとも、彼の表情が苦痛にどれだけ歪もうとも、彼はなるべく細くあろうとした。


 こよりの如く引き延ばされた彼は、容易に穴の奥へと潜っていった。 腰ほどまで埋まったあたりで、彼は捻れを少し解いた。 そうすることで膨らんだ彼は、黒い穴を内側からピッタリと埋めることができた。


 焼かれ、捻じ切られる彼。 さらに下半身は無数の紐状に引き裂かれ、根のように地中を這った。 一方、上半身はむしろ捻れを増しながら、細くなるどころか張り裂けんばかりに太さを持ち始めた。 彼の皮膚はバキバキと硬化し、樹木のような形態および性質を帯び始めていることが理解できた。


 声は出ない。 苦痛は止まない。 しかし、意識は一向に切れない。 これこそ地獄。 逃げ場の無い痛みの拷問が死ぬまで、いや、一生続くのだろう。


 彼は呪った。 自らの境遇を。 神父を。 集落を。 彼女を。


 気づけば、彼の意識は樹木の外にあった。 であるならば、向かうべき場所は決まっていた。


 彼は食べていた肉が動物のものではないことも、どこかでは気づいていた。 それでも、使命と信じて全てを我慢した。 だから、努力を愚弄されたことが許せなかった。 彼のいるべき場所に、努力をしない他人が居座っていることが許せなかった。 彼以外の種を受け入れた彼女が許せなかった。


 彼は、集落に悪意を降り注いだ。 集落の人間が、彼と同じ境遇に至ることを願って。 そこで彼の意識は掻き消えた。

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