第9話 不幸はそんなに浅くない
フエンが項のあたりにある魔導印にマナを込めると、その小さな体には不釣り合いな魔導書が姿を現した。
「《浮遊》」
フエンは魔導書を開き、呪文を唱えた。 すると緑色の光が放たれ、フエンの体がゆっくりと宙に浮き上がる。 その動きのままフエンは魔導書を閉じて水平に整えると、そこにちょこんと腰掛けた。
「さっさと掴まるです」
「どうにもこのスタイルは不安定でなりませんねぇ」
文句を言いつつリバーは両手を魔導書の縁へ。
急激に宙へ翔け上がる二人。
優雅に座るフエンとは対照に、リバーは懸垂の要領で魔導書にぶら下がっているだけなので、手を離せば地面に真っ逆さまだ。 しかしこれ以外にフエンの許可が出る移動様式がないために、リバーは渋々このスタイルを受け入れている。
「リバーさんも移動系魔法を取得するべきです」
「あいにくそういった系統に恵まれない属性ですからねぇ……」
「なら、それが得意な新人の募集を推奨します」
「トンプソン様の納得のいく人物が居れば、ですかね。 それまでは一生あなたが下っ端ですよ」
「早く後輩が欲しいのです」
リバートフエンが会話をしている間にも、かなりの距離を飛んでいる。 人の足であれば半日は掛かりそうな山越えも半刻ほどで終わり、目的地が見えてきた。
「なるほど、あれがそうですか」
瘴気を立ち上らせる一本の樹木が見える。 しかしそれは、樹木というより朽ちた老木だ。
根元に近いあたりの幹でへし折れた老木は、幹の内部空洞を見事に晒している。 その周囲は更地のように何もなく、更にその外側の木々は色褪せて紫色に変色してしまっている。
「周囲の生態系にも影響は大きそうです」
「村長が魔物の出現を示唆していたのは間違いないということですか。 あれほどのものは久々ですねぇ」
老木を含む広大な樹林の向こうには海が見えている。 ここはエーデルグライト王国の南端であり、海に臨む広大な敷地を先の領主は利用したかったのだろう。 しかし山が邪魔して開拓は上手くいかず、あのような枯れたラクラ村が出来上がっている。
「少し離れた場所で降りましょうか。 あの場に降り立って周囲が魔物だらけとなれば目も当てられませんから」
「戦闘はお任せするです」
「フエンさんも戦うんですよ? 多対一など私の想定する戦闘様式ではありませんから」
「フエンがポーションジャンキーになってもいいというのであれば頑張るです」
「……そうはなってほしくないので、できる限りのことはしますよ」
「適材適所、です」
西の山を超えたリバーとフエンは、そこから下った場所にある小高い丘に降り立った。
「フエンさん、早速索敵をお願いします」
「人遣いが荒いのです。 ……《反響》」
フエンは地面に降りるや否や魔導書を引っ掴み、風属性の音波探索魔法を唱えた。
フエンを中心に音波が広域に拡散され始める。
「何か分かりますか?」
「そんなにすぐ分かるわけないのです。 リバーさんはさっさと魔法を準備するです」
ここでリバーも魔導書を出現させた。 黒紫色の装丁は闇属性の証。
「《操影》」
リバーの影がブルリと震えたかと思うと、縦横無尽に形を変え始めた。
「リバーさんも探索系の魔法を習得するべきです」
「そうは言われましても、発現する魔法は気まぐれですから」
魔法は使用者の性格影響を受けて成長する。 その他にも生まれ育った環境など様々な要素が魔法の方向性を規定する。
幼少期のリバーはスラム街を生きてきた。 そこで行われるのは人間同士の汚い駆け引きであり、その生活はリバーに多大な影響を与えた。 リバーはひたすら影を這うように独りで行動し、その結果影魔法が発現した。
フエンは戦災孤児だ。 彼女もリバーと同様に劣悪な環境を生き抜く過程で魔法を発現させ、こうしてトンプソンという雇い主の元で働いている。
リバーもフエンも、自らの境遇を特別不幸なものだとは考えていない。 そんなもの、弱肉強食のアルス世界ではありふれた話だ。 だから誰も不幸を語らない。 語って買えるのは同情だけであり、それによって飯が食える訳ではないからだ。
「リバーさんはあれをどうするつもりです?」
「当然、破壊しますよ。 破壊できる確証はありませんがね」
二人の視線は、鬱蒼とした森の中で禍々しく色を変えた空間に向けられている。 その中心には半ば朽ちた老木が佇んでおり、周囲に瘴気を漂わせている。
人の手が入らないような場所は、往々にして魔物が蔓延る危険地帯となりやすい。 そういった場所に赴くのであれば、事前の調査や念入りな準備が必要になってくる。 しかし二人は軽々しくやってきている。 それは二人が準備期間をスキップできるだけの魔法技能を備えているからだ。
「やけに静かです……」
「瘴気があれだけ広範囲に緑を侵しているなら、それこそ魔物が跋扈していてもおかしくはなさそうですが……」
本来であれば小鳥の囀りでも聞こえてきそうな昼下がりだが、あたりは異様な静寂に包まれていて、なおかつフエンの魔法が生物の存在を捕捉することすらない。
「凶暴な魔物が潜んでいそうですねぇ」
「魔石を集めて旦那様に褒めてもらうです」
魔物は体内に魔石という物質を宿しており、凶暴性に比例して魔石は大きさを増す。 そんな魔石は高価な魔法触媒であり、魔法研究者が欲しがる一品だ。 一部では魔石を使った取引が盛んな場所もあるという。
二人は警戒しつつ森を進む。
「縄張りを形成するレベルの魔物が出ないことを祈るばかりですよ」
凶暴な魔物──とりわけ独自のテリトリーを形成するような大物は、ハンターや魔法使いが大人数で討伐に当たることとなっている。 危険度によっては近隣住民を避難させることもあるため、今回の二人の来訪は危険度調査の意味合いも強い。 もちろん彼らだけで対処できる案件であれば、そのまま処理して帰還する手筈である。
「……おや?」
リバーが何かを見つけた。
「動物の死骸、です。 流石に不動の存在まで探知できないのです」
「それは仕方ありませんよ。 それにしても随分鋭利な切り口ですねぇ。 それに……」
胴で真っ二つに離断された動物が転がっている。 腐敗の状況から、死後それほどの時間は経過していない。
側の樹木には、これまた鋭利な切り傷が刻まれている。 その傷の厚さは5センチを超え、深さはその倍ほどもあることが分かった。
「魔物の仕業です?」
「さて、どうなんでしょう。 殺した後に魔石でも探したんでしょうかね」
動物の内臓と頭部は鋭利さとは無縁な荒らされ方をしている。 それこそ、乱暴に引き千切ったりしたような。
「魔石狩りをする魔物だったらまずいのです」
「ええ、それは本当に。 そこまで知能を付けられると厄介極まりないですからね」
魔石は魔法触媒であると同時に、マナが封じ込められた爆弾でもある。 使い方を間違えれば大きな事故さえ起こるシロモノだ。 そんな魔石を欲する魔物、それは高度に知能を発達させた化け物であり、魔石を自身の力に変換できる知的生命体だ。 場合によっては、リバーとフエンは即座に踵を返さなければならない。 それでも敵の存在確認は必要なので、二人は歩みを進める。
「近づくほどに死骸が増えてきたです」
「ここの住人は働き者ですねぇ……」
「手当たり次第、といった感じです」
木々の倒壊も目立ってきた。
暴力をそこら中に振り撒いているのか、地面も木々も、時には大きな岩石さえ打ち砕かれて転がっている。
「あれの影響を受けすぎたのか──」
リバーは木々の隙間から見えてきた老木を見つめながら言う。
「それとも魔石を回収しすぎたのか──」
魔物と言えど、魔石の取り込みにも限界はある。 一種の麻薬であるそれは、使い過ぎればまともではいられない。
「こいつが瘴気を発している……と」
リバーとフエンは老木に近づいて様子を確認すると、瘴気はやや濃さを増している。
「……ん?」
「どうしたです?」
リバーは何かに気が付いた。
「これは……人骨ですね。 それもやけに多い……」
「魔物にとっては人間はおやつです」
「それはそうなんですが……」
「変、です」
フエンが呟くように言った。
「ええ、これは……おかしいですねぇ」
リバーも同意を示し、二人は突如警戒体制に入る。
素早く周囲を見渡すが、今のところ怪しい存在は確認できない。
「こいつ、全然活性化してないです」
瘴気を立ち昇らせている老木だが、近づいても瘴気密度は対して増したようには感じられなかった。 この老木が原因で環境変化が起きているのなら瘴気はもっと漏出しているはずで、周辺の木々が瘴気を吸って変化していなければおかしい。 これが五年前から続く現象なのであれば、このごく狭い範囲だけで影響が抑えられているというのは違和感しかない。 つまり時間経過と影響範囲にズレがあり、その要因は老木とは別の場所に存在しているということ。
「この老木は死に損ない、ということですか。 それはこちらとしても好都合ですが……」
それでも老木は瘴気を放出しているので、破壊対象には違いない。
「ここの主に見つかる前に、早いところ始末するです……」
フエンが焦る。 ここに瘴気を吸い尽くす存在がいる可能性が高まったからだ。
瘴気の振り撒かれた空間は、発生源たる存在の住みやすい場所に変化する。 周辺環境も最終的には発生源と同様の変化をさせるに至り、そこは独自の魔界と言えるような空間にまで昇華される。 しかしその過程で、瘴気に耐えられない生物はその大半が死を迎える。
老木周囲が更地になっているのは、瘴気を受けた植物が死滅した結果だ。 問題は色濃く影響を受けてなお息づいている木々で、これらもいずれ瘴気を放つ存在となる。 だからこういった瘴気影響下の区域は広範囲に滅却される運命にあるし、リバーたちも勿論そのつもりでやってきている。
「瘴気を吸い尽くしている存在がいるようですね……」
現在の老木は、周囲で影響を受けた木々が若干活性化した程度の脅威度しかない。 とはいえ全ての元凶はこの老木なので、リバーは迷わず破壊に向かう。
リバーはバッグから瓶を取り出した。 そこには“霊薬”と呼ばれる瘴気に特効の液体が封じられている。
リバーは迷うことなく老木の虚に瓶を投げ入れた。
ズ、ァアアア──……。
空気が重苦しく振動し始めた。 まるで地獄の底から響く怨嗟のような音が伴われており、周囲のあらゆる生命に恐怖を振り撒く。
二人は顛末を見守る。
しばらくすると音も止み、リバーはほっと胸を撫で下ろしたその瞬間。
「フエンさん、これで──」
「リバーさん避けて!」
フエンの叫びを受けて、リバーはその場から急いで飛び退いた。 が、しかし──。
「ぐ……ぅう……ッ……!」
リバーは肩あたりが抉られ、激しく血飛沫が舞う。
腱を切断されたのか、リバーの腕はだらりと垂れ下がっている。
(間に合わなければ即死していましたねぇ……!)
そんな一時の安心は、投げかけられる重苦しい声に掻き消される。
「去レ」
「リバーさん……これは……」
声の主はゆっくりとその姿を衆目に晒し、そばには複数の魔物が付き従っている。
「……そのッ線を、失念していましたね……ッ」
「魔人はお呼びじゃない、です……」
魔物を使役する存在。 それはリバーたちの予想の外にいた魔人だった。
魔人の姿は人間を模したものだが、体の至る所が異形化してしまっている。 所々に黒く変色した肌を持つ魔人は惜しげもなくマナを放出させ、敵意をリバーとフエンに向けてきている。
魔人の頭上には青黒い魔導書。
「去れ、という割に殺意が高すぎッ……では?」
「コレハ僕ノ意志デハナイ。 何用カ知ラナイガ、早ク消エテクレ……《水刃》」
魔人は何かを我慢するように震えていたかと思うと、急に魔法を放ってきた。
二本出現した水刃は、それぞれリバーとフエンを水平に両断する軌道を描いた。 リバーは屈無ことによって、フエンは魔導書に飛び乗ることで上空に回避する。
「じゃあ逃げしてくれませ──」
「《水爆》……済マナイ」
「──ん!?」
魔人が複数の水球を放つ。 そららは瞬く間にリバーとフエンの目前へ至ると、膨張して爆発した。 激しい衝撃が二人を貫き、無様に地面に転がされる。
「《闇弾》! 何のつもりですか……!?」
リバーは影で自らを無理矢理に立ち上がらせ、反撃に転じた。
「《水弾》……分カラナイ……。 兎ニ角ココカラ逃ゲルベキダ」
リバーと魔人の魔弾がぶつかり、消滅する。 しかしそれでは収まらず、無数の水弾が魔人より撃ち出され続けた。
「言動が一致してませんよ……《闇弾》!」
リバーは傷ついた体を押して回避に専念する。 フエンもなんとか立ち上がっているが、動きが鈍い。
「《浮遊》……」
フエンは逃げに転じるが、やはり14歳の子供にとってはきつい戦いだ。 先手でダメージを叩き込まれているため、リバーたちはどうしても後手に回らなければならない。
「《水爆》」
「リバーさん、こっち──きゃッ……!?」
ちょうど二人の間で水爆が炸裂し、リバーは吹き飛ばされ、フエンも勢いに煽られる。
(この魔人、何を目的に行動している……?)
リバーは魔人の行動が今ひとつ理解できない。 魔人はもっと攻撃的で狂人的で、妄執的な行動を繰り返すはずだ。
「分カラナイ……分カラナインダ……。 何故僕ガコウシテイルノカ……《水爆》……僕ノ、──トイウ名前以外ハ……《水爆》、《水爆》、《水爆》、《水爆》──」
魔人は片手を顔面に押し当てて苦悩した様子で震えている。 しかしもう片方の手が彼の意志とは関係なく魔法を放ち続けている。
「ぐぅッ……」
単体攻撃主体のリバーでは範囲攻撃や数の攻撃には対処できない。
リバーは継戦を完全に放棄して回避に専念するが、無数の空間爆撃はリバーを錐揉み状態に。
「フエン、さん……あなただけでも脱出を!」
「だ、駄目……ッ!」
リバーは魔人の精神的不調に負けを悟った。 フエンのように機動性に富んだ魔法を使用できないリバーに、この爆撃の嵐からの脱出は不可能だ。
本来魔人は人間に深い憎悪を抱える存在だし、むしろこうやって狂っていなければおかしいのだ。 魔人が思った通りの存在だったことに、リバーは意識を手放しつつも安堵していた。
「分カラナイ……殺シテ、殺シテクレ……僕ヲ、僕ガァ……ア゛ァ、アアアアア!!!」
魔人の侍らせていた魔物たちが解き放たれた。
「ここで死んでもらっては困る、です……!」
フエンが一瞬だけ高速移動して《浮遊》を解除すると、彼女の身体が落下状態に突入した。
ギリギリで意識を保っていたリバー。 何をするつもりかと目を見開くが、声を出せるだけの体力はもはや彼に残されていない。
フエンは乗っていた魔導書を器用に捲り、特定のページで指を止めた。 継続発動型の《浮遊》を使用している際、現在のフエンの力量では他の魔法を同時に使用できない。 使うためには一度、《浮遊》を解除せねばならない。
フエンの落下軌道は、ちょうどリバーの直上に来るように調整されている。
「《風──」
魔物たちが嬉々として二人に群がってきた。 しかしその直前、フエンの手が何とかリバーに触れる。
「──爆》!」
魔物もろとも風が弾けた。 勢いを受けて二人の体は激しく宙に浮かされる。
風の発生源がリバーの直下だったこともあって、彼に対するダメージは甚大だ。 しかし脱出のためには推進力を得る必要があり、魔物を追い払うという意味でもフエンの行動は理に適ったものだった。
「ッ……《浮遊》!」
フエンは限界まで握力を込めてリバーを掴んでいる。 手を離さないように心がけながら、自身と魔導書を浮遊状態へ。 背後で次々と巻き起こる爆撃を無視し、脱出に全力を注ぐ。
「ゔ……──」
数発の水爆がフエンの直近で炸裂した。
「──っぶない、です……」
フエンは一瞬意識を飛ばしたものの、なんとか気力で耐えた。 そのままギリギリの体勢を維持しながら移動を続ける。
フエンは背後も振り返らず、一心不乱に魔導書を操作し続けた。
奇跡的にというか偶然にというか、魔人や魔物は追ってこなかった。 フエンの自爆覚悟の魔法使用が功を奏したというわけだ。
「はァ……はァ……」
途中、とうとうフエンのマナが尽きた。 体力の限界ということもあって、南の山あたりでフエンは移動が困難になった。 そこからフエンの記憶はないく、気づけば山の中で朝を迎えていた。
フエンは体格的にリバーを抱えることは困難だったので、彼を魔導書に乗せて自分の足で山を下った。
子供の足には厳しい過程だった、それでも彼女はやりきった。 そして満身創痍の二人が村に到着した場面に繋がる。
「──というわけで、フエンさんの機転によって命からがら逃げ帰って来れたというわけです」
リバーの語りを聞いて、エスナを不安が襲う。
「魔人なんて、話に聞いたことしか……」
「しかし、これが事実です」
「すぐに逃げないと! それを教えるために話されたんですよね……?」
「いいえ、違います。 あの魔人を倒すためにエスナさん、あなたの力が必要なのです。 だからこうして話しているんです」
「どうして……。 なんでそんなことを言うんですか……?」
「それは……魔人が水属性を使用するです。 あの攻撃を防ぐためには、同じ属性のあなたの力が不可欠なのです」
「ごめんなさい……。 リバーさんの頼みでも、それは無理です……」
「どうしてですか?」
「私に魔人と戦う力なんてありません……」
「これから鍛えればどうにでもなりますよ?」
「私には関係ないじゃないですか……ッ!」
リバーのこれまでの優しさは、エスナを利用するためだった。 そう思えて、エスナは声を荒げた。
「どうしてリバーさんは私の気持ちを弄ぶんですか……」
「弄ぶ? すいません、言っている意味が……」
「……私はリバーさんが好きです……」
「え゛ッ!?」
「こんな気持ち、持ったこと無かった……! リバーさんの平気で踏み込んでくる感じが、私に好意を抱かせるのに十分だったんです! それなのに、それなのにッ……!」
エスナはなおも荒々しく内面を吐露する。
リバーの話はエスナの好意を踏み躙る行為だ。 恋情と怒りは複雑に絡み合ってエスナの心を揺さぶり、処理しきれず涙となって溢れ出す。
「ずっと虐げられてきたから、誰かに優しくされるなんて思わなかった……。 このまま一生レスカを守って生きるんだって決めてたのに……。 それなのにどうしてリバーさんは私の決心を揺るがすんですか? 誰かに甘えたっていいって、どうしてそんなことを私に教えるんですか……!?」
魔人の出現以上に予期できなかった事態がリバーを焦らせる。
(なぜ私などに好意を……? 他人と距離を取るためのピエロメイクが逆に好印象……?)
リバーも頭が混乱している。
「ゔ、ぅ……あぁっ……」
エスナは涙と嗚咽を漏らす。
エスナはレスカを守るという一心だけで生きてきた。 レスカの幸せを願うことがエスナの至上命題だと自身に思い込ませてきた。
リバーの出現でエスナは自身の幸せを望んでしまった。 本来存在するはずのなかった感情によりエスナの決心は揺らぎ、そのアンバランスさがエスナの精神を不安定なものにさせている。 戸惑い、怒り、その他様々な感情を処理できずパニックになっているのだ。 もちろん、そんなことを理解できるリバーではない。
「えー……っと、すいません。 意図せずエスナさんの感情を揺さぶったことは謝罪します。 そこまで切羽詰まった状態だとは理解できず、浅はかな行動を反省するばかりです」
「リバーさんが謝らないでください……。 全部私が悪いんですから……」
リバーはなおも号泣するエスナを見て狼狽し、挙動不審さに拍車がかかる。 側から見れば恐怖映像でしかない。
「エスナさんを利用しようとしているのは事実です。 これは先に謝っておきますよ」
「……やっぱり……」
「私はこれまで好意を向けられた経験がないため困惑しています。 だから適切に対応できるかは分かりません」
「そう、ですよね……」
「話は最後まで聞いてください。 今はエスナさんの気持ちに向き合うことができませんが、いずれ正式な形でお返事します。 よろしいでしょうか?」
「よろしいもなにも……迷惑を掛けてるのは私の方ですので……。 でも、そう言っていただけるだけで……」
リバーは返答を先延ばしにした。 色恋など面倒事以外のなにものでもない。 しかしエスナの存在は今後必要なので無碍にもできないことから、保留という形で折り合いをつけた。
「私たちは魔人という異常事態を抱えているため、ひとまずそちらを優先させてください。 その後であれば如何様にも」
「はい……。 分かりました」
ようやくリバーは話の舵を正常な方向へ切ることができる。
「魔人の出現は脅威ですが、あいにく私たちの組織はそういったことを専門としています。 ですので、この問題を無理はできません」
「でも、魔人と戦うなんて無謀じゃないですか……」
「今回に限ってはそうではないんです。 エスナさん、あなたがいるんですから。 まぁ、本来であればエスナさんたちには逃げてもらうべきなんでしょうが、今回は話が違います」
「えっと、ごめんなさい……全く理解が……」
「順に説明します。 まず魔法には相性というものがあります。 それぞれに有利不利があり、敵の属性に応じた戦い方が重要になってきます」
「それは学校で習いましたけど……」
「今回の魔人は水属性でした。 水属性に対しては風属性──フエンさんの魔法が有効となります」
水は火に強く、火は土に強く、土は風に強く、風は水に強い。
「フエンちゃんの魔法で戦う……って、あ、でも、相手が強かったんですよね……?」
「手も足も出ませんでした」
「じゃあ誰にも無理なんじゃ……? そんな強大な相手に私を加えても……」
「本来であればエスナさんへのお願いなどするつもりはありませんでした。 しかし事情が事情なだけに、こうして可能性を追求しているのです」
「……続けてください」
「敵が水属性ということなので、同じ水属性のエスナさんであればその攻撃を防ぐことは可能だと思うんですよ。 そうやって防いでもらっている間に、私とフエンさんで魔人をやっつけようという作戦です」
「無謀、だと思います……」
「その通り、勇者でも呼んでこなければ対処が難しい案件です。 しかしここが王国である以上、帝国から勇者を呼べません」
「……?」
「ああ、言っていませんでしたね。 私たちは帝国の人間なんですよ」
「帝国、ですか……。 では王国にお願いすれば……?」
「今代の王国勇者は召喚されたばかりなので戦力としては期待できないのですよ。 先代がまだ残っていれば対処も可能だったと思うのですが」
「勇者でも無理な相手と私を戦わせるつもりですか……!?」
「戦わなくて良いのです。 ただ、耐えていただければ」
「む、無理です……!」
いずれにせよエスナには荷が勝ちすぎている。 そもそも人生において誰かと殺し合うことなど想定していない。
「エスナさんの性格を鑑みれば、あなたの魔法技能は防御方面に向いていることが分かります。 ですので、無謀とも言い切れないです。 それに……」
リバーはここでなぜか言い淀んだ。 ここまで饒舌に解答困難な問題をつらつらと並べ立ててきたのに、だ。
エスナは思わず聞き返す。
「……どうしたんですか?」
「まず確認しておかなければならないことがありまして」
「はい……。 お答えできることは全てお答えします」
「お父上のお名前はヤエスで間違いありませんか?」
「……? 村長さんから聞いたんですか? それで間違いありませんが……」
「そうですか……」
ふぅ、とリバーは息を吐いた。
エスナは嫌な予感がする。
「な、なんでしょう……?」
「心して聞いてください」
「は、はい……」
「私たちが戦った魔人ですが──」
リバーの発した単語は、エスナの全身に怖気を走らせる。
「──彼の名前が、ヤエスというらしいのですよ」
「え……っ……なん、て……?」
理解が追い付くにつれ、エスナの震えは増す。
『……僕ノ、“ヤエス”トイウ名前以外ハ……』
リバーは確かに聞いていた。 魔人──エスナの父だった者の、その言葉を。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。