第126話 心壊
過去一でシンドイ回でした
「なん、で……そんな酷いこと……」
「エマ、ごめん。 これには──」
「ちゃんと話してください……」
先程までとは打って変わって、エマの目には恐怖と怒りの色が見える。
「歴とした、理由があるんだ……」
「だからって……何の権利があって、あたしの……あたしのッ」
エマは髪を振り乱して、理不尽な仕打ちに震える。 信じてきたものが、信じそうになったものさえ、全てが灰色の嘘っぱちになるような思いだった。
「エマ、落ち着いて聞いてくれ」
「二年も時間を奪う、正当な理由があるんですか……?」
「……ある、と俺は判断した。 まずは聞いてくれ。 その上で、思ったことを教えて欲しい」
「うぅ……はい……」
ハジメの真剣な眼差しに、エマは一旦折れた。 ただし、裏切られた気持ちがすぐに癒えることはない。
「ロヒル街道で、俺たちが宿に入って──」
ハジメは順を追って事情を説明していく。 そしてエマが攫われ、二人の男に嬲り壊される様子までも。
ハジメは吐き気を我慢しながら、仔細にエマの状態を告げていった。 エマのどの部位がどう壊され、最終的にエマの心が粉々に砕け散るところまで。
「うッ……!?」
エマは想像可能なほどに描写されたグロテスクさに、嘔気を堪えられなかった。 派手に胃内容を吐出し、それでも込み上げる気持ち悪さは収まらなかった。
健康に見えるこの身体が、一度は無茶苦茶に壊された後なのだと。 場合によっては、新しい命さえ植え付けられている可能性も。 エマは自らの身体さえ信じられなくなり、気が狂わんばかりだった。
「エマの心身は消耗仕切っていて、到底時間が解決できるレベルは超えていたんだ……。 だから組合の魔法使いに無理を言って、かなりの記憶が失われるリスクも承知の上で、俺の身勝手な正義感を振り翳した」
「……ハァ……ハァ……事情、は……理解しました……」
「ごめん……全部、俺が君を連れ出したせいだ。 こんな残酷な世界だって分かっていながら、誰かを守れるだけの余裕も無かったのに、俺は勘違いして……」
「……ハジメさんは、あたしの二年を殺して……何がしたかったんですか……?」
エマはハジメの行動原理が理解できない。 そのために、ハジメが何かしらの化け物に見えて仕方がない。
「俺は元気なエマを取り戻したかったんだ……。 心の拠り所が欲しかったのかもしれないし、守り切れなかったという事実から目を背けたかったのかもしれない……。 けど、大切なのは事実で、それだけは間違いないんだ」
「こんなこと、できれば聞きたくなかった……っ。 こんな穢れた身体なんて、知りたくなかった……! どうせなら、ずっと嘘ついてて欲しかった……。 もう、遅いけど……」
沈黙が続いた。
半刻経過しても、何一つ言葉は発されなかった。 いや、二人とも何かを口に出そうとはしていた。 しかし、適切な単語はどれだけ探しても見つからなかった。
「信じたかったなぁ……色々と。 あたしって、ずっと良いことないんですよね……」
エマは積極的な言葉は見つからず、諦め混じりな不平を漏らすしかない。 一度吐き出してしまうと、そこから次々と負の感情が湧き上がる。
「人間って、苦しむために生まれてきたんですかね……? はは、は……」
「そんなこと、無いと信じたいけど……」
「ハジメさんは良いですよね……」
「何が、だ……?」
「罪があるから、悪いことが起きたって罰だって思えるじゃないですか。 でも、あたしには罰しかない……。 何も、悪いことはしてないのに……っ。 良いことだって、いっぱいしてきたはずな゛のに゛ッ……。 どうして、あ゛だしばっかりッ……!!! うわぁあ゛あア……!」
ついにエマの堤防が決壊した。 堰を切ったように涙と鳴き声が溢れ、とめどなく中身が放出される。
「あ゛ぁあああ……! もうやだっ……こんな……こんな人生……! やだよぅ……ゔぅううッ……」
「そんなこと、言うなよ……」
「幸せになりだがっだぁ……。 幸せにな゛れるっで、そう、思いたかっだよう……」
「ウゥ……ごめん……」
「こんな汚れた身体で……こんな腐った心で……どうやって生きていけば、いいの……」
エマは滔々と嗚咽を漏らし、ぐったりと項垂れた。 精魂尽き果てた容姿のまま、近くの木に身体を力なく預けている。
「幸せになる方法も、どこかには……」
「あるはずない、ですよ……。 ごめんなさい、ハジメさん。 さっきあたしが言った内容は嘘っぱちです。 ハジメさんを勇気付けようとか思っちゃって、思っても無いことを言いました。 本当のあたしはここにいるあたしで、良い人間じゃ無かったみたいです。 今、気づきました。 気づいちゃいました……」
「違う……。 エマはもっと、優しい人間だ。 それは俺がこれまでも見てきてる! だから──」
「だから……何ですか? それは本当のあたしじゃないです。 ハジメさんが殺した、過去のあたしです」
「……ごめん、って……」
「謝らなくていいです。 もう怒ってないですし。 なんか全部通り過ぎて、今は何もかもどうでもいいって感じです。 あーあ、こんなことなら被虐民の時の方が良かったなぁ。 ……あ、そうだ……」
エマは突然むくりと立ち上がった。
「どう、したんだ……?」
ハジメの目に奇妙に映るエマは、目から生気が抜けてしまっている。 両腕はだらりと垂れ下がり、乱れた衣類を直そうともしない。
「あー……用を足してきます。 あと、すごい吐きそうなんで……えっと、水場がないかどうかも、見てきますね……」
「わ、分かった……。 あんまり遠くまで行くなよ……?」
「大丈夫ですよ。 全部、近くで済ませてきますから……」
「そ、そうか……」
ハジメは森の奥に進むエマを見送った。 そして姿が見えなくなった途端、激しい嘔気が込み上げてきた。
「ゔッ……おぇえええ゛ッ!? 」
抱えきれない感情が、身体症状として表出している。 その他、めまいや頭痛など複数の症状がハジメを苛む。
「ハァ……ハァ……」
どれくらいの時間が経過しただろうか。 ハジメは、いつまで経っても戻らないエマのことが気になった。
「遅いな……」
(随分と悪いことをしてしまったし、隠れて泣いてるかもしれない……。 記憶を消したことを言わなければ良かったのか? いや、嘘をつき続けることで生じる不具合の方が多いしな……。 いずれ言うことになってたんだけど、タイミングをミスったな)
「エマ、出てきてくれ。 もう少し話し合いたいんだ」
森は案外拓けており、魔物の気配もない。 木々はまばらで、だからこそハジメもエマを送り出したわけだが、それにしては遅い気がする。
ガサガサ──。
「エマ……?」
ひょっこりと尻を見せて逃げ去っていく小動物を見て、そちらの方向にエマはいないと判断する。
「水源なんてありそうにもないし、どこに行ったんだ? エマはなんて言ってたっけ……? 近くで済ませるとか言ってたはずなんだけど……あ、れ? いや、待て待て待て……」
(済ませる? それに、全部って……なんだ?)
ハジメの心臓が不愉快に鼓動を早めている。
「やばい、分からねぇ……。 行き先も、どこまで進んでいるのかも、あの娘が何を考えていたのかも……」
去っていく時のエマはどんな表情をしていた? その足取りはどんな感じだった? 他には何が気になる?
「手には、何かを持っていた……」
ハジメはあの時には気付きもしなかったが、今更になってエマの姿がくっきりと思い出された。
絶望した目で、死地へ向かうような足取り。 手には、リュックから取り出したロープ。
「いや、待て……待ってくれ! 駄目だろ、そんなこと……! 駄目に決まってる! そんな選択、しちゃいけないんだよ……ッ!」
絶対にあり得てはならない未来を思い浮かべながら、ハジメは狂ったように走り出した。
『大丈夫ですよ。 全部、近くで済ませてきますから……』
「何、が……大丈夫なんだよッ!? 全然大丈夫な顔してねぇじゃねぇかよ……!!!」
溢れる涙でぼやける視界を拭いながら、何度も転びながらエマの名を叫ぶ。
「エマ、どこだ!? どこに行ったんだ!? 頼む、教えてぐれぇえええ……!」
エマを見つけるような便利な魔法は無い。 だからハジメは自分の足で体力の続く限り走るしかない。
5分、10分……どこを探してもエマの痕跡は見つからない。 時間を追うごとにハジメの心は壊れ掛け、それでも最悪のケースだけは避けられると信じて苦しみにも耐えた。
「ハァ、ハァ……ここ、は」
放置されている荷物が見える。 走り回った結果、どうやら元居た場所に戻ってきたらしい。
ハジメは何気なく背後を見た。 そして──。
「ハジメさん、そんな顔してどうしたんすか?」
「エマ!? お前、どこ行ってたんだよ!? 心配したんだぞ……!」
エマは落ち着いた様子でそこに居た。
「用を足すって言ったじゃないっすか。 この森ってあんまり身を隠せるところが少なかったんで、ちょっと遠くまで行っちゃいましたけど。 でも、スッキリしたんで大丈夫っす」
「え、でも……本当に大丈夫なのか?」
「何がっすか?」
「いや、その、俺が君の記憶を……消してしまったから……」
「それなら、もうどうしようもないんで諦めたっす。 全部を許したわけじゃないし、まだまだ怒ってるっすよ? でも、ハジメさんがあたしのことを守ろうとしてやったことだと思うんで、これから少しずつ消化していきます。 だから、ハジメさんも一緒に考えていきましょう!」
「ああ……! ああ、そうだな……! それでも、ごめん。 俺の勝手な行動に巻き込んでしまったことは本当に申し訳ない! これからちゃんと償うから、君には俺を見ていて欲しい……!」
「あ、え? それってプロポーズっすか!?」
「そ、そんなつもりじゃない!」
「でも、あたしのことが大切なんすよね? だから色々と悩んでたんじゃないの!?」
「それはそうだが……これ以上君を困らせたくはないんだ。 でも、しっかり責任は取るつもりだ。 そういうことで君を幸せにできるなら、俺だって──」
「俺だって……?」
ニヤニヤしながら見つめるエマ。 ハジメは今更恥ずかしくなって、次の言葉を言い出せない。
「……揶揄うなっての」
「いやいや、駄目っすよ? あー、これはあれだなー。 楽しみの一つでもないと、この先やっていける自信がないなー。 男の人から一言あれば、それで満足できるのになー? チラッ、チラッ?」
「……ああ、くそ! 分かったよ! 言えばいいんだろ、言えば!」
「何を言うんすか?」
「あー、いや……だから、そのー……何というか……」
「エマちゃんと?」
「そう、エマと」
「何をしたいんすか?」
「え、っと……エッチなことを、したい……」
「ちょっとおおお!? 違うっすよね!? そこは結婚って言うのがスジってもんでしょーが! えっ……? え!? ハジメさん、言ってることやばいっすよ!?」
「ああああ……やってしまった……」
「そんなこと思ってたんすか!? ハジメさん、それはあまりにもスケベ過ぎやしないっすか!?」
「すまん……忘れてくれ……」
「これは救えないっす……。 あたしショックっす、そんな目で見てたなんて」
「だから、あの、その、違──いや、違わないんだけど……」
「これは教育が必要っすね。 ハジメさんのスケベ心をまずは何とかしないと」
ふざけ合う二人。 エマは昔の姿に戻ったようだった。 ハジメはそれが、どこか懐かしい。
(こんな未来が──)
「──あって欲しかった……」
▽
(……ああ、だめだ。 知らない身体に突っ込まれたかと思ったら、みんな嘘つきで、ハジメさんは殺人鬼で……。 何とか自分を騙せるかなって思ったけど、記憶だけじゃなくて大切な身体さえも汚らわしく犯され尽くしたあとなんて……。 もう、心が保たない……。 無理、最悪、最低、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い──)
エマは記憶抹消と陵辱の事実を聞かされ、まともな思考に戻れなくなった。
「……あ、そうだ……」
(消えればいいんだ。 消えれば、この気持ち悪さも、一緒に消えてくれるよね……)
エマはハジメに適当な内容を伝えてから、ゆっくりと歩き出した。
(ハジメさん、ずっと苦しんで、かわいそう。 でも、あたしも苦しい。 そうやって苦しんでいられるほど、あたしは強くない。 全部どうにでもなれって頭を空っぽにしないと、何もできそうにない。 だから、消えるね)
エマは少しだけ名残惜しくハジメに視線を合わせておいた。
(ヒントだけ、置いておこう。 助けに来てくれるのなら、少しだけ信じてみよう。 もし助けに来てくれなかったら、もういいや……。 その時は、信じられるものがなかった世界だと思って、見限って消えよう)
エマが残した視線は繋がらなかった。 ハジメは自身の苦しみの殻の中に引っ込んでしまった。
エマは嘆息して進む。 すぐに、一つだけやけに背の高い木を見つかった。
「これでいいかな」
エマは太い幹に迷いなく身を預けながら、時間を掛けて登っていく。 すると、てっぺんに近づいたあたりで遠くにハジメの姿が見えた。 うずくまって震える様子は、いつまで経っても変わらない。
(そうだよね。 やっぱり、自分の方が大切なんだ。 ほんと、最低……。 信じたかったけど、そんな優しい世界じゃなかったみたい。 じゃあ、終わりにしよう)
エマは木の幹へ器用にロープを固定し、残った部分を首に丁寧に巻き付けた。 確実に、死ねるように。
エマはロープがピンと張る場所まで少し降り、そこからゆっくりと手足を投げ出した。
「ゔッ……ぐ、ゥ……あ……」
エマの自重でロープが徐々に締まり、ギリリと紐が擦れる音だけが耳に届く。
エマはかすれゆく視界の中、最後にもう一度だけ見た。 ここに来て、歩き出しているハジメの様子がある。
(遅い、よ……。 もう少し、早かったら……)
「ゥ……だず……げ──」
誰にも拾われることのない断末魔を残し、エマはだらりと力を失った。
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