第8話 人は見た目じゃ測れない
東の山に向かったはずのリバーとフエンは、翌朝になって傷だらけで村に戻ってきた。 その負傷具合は凄まじく、特にリバーが重症だった。
二人が南の山から下山してきたこともあって、村は騒然となった。 南の山は村人が頻繁に利用している採取場であり、そこに脅威の存在を知ってしまったからだ。
ラクラ村には医療院など治療を請け負う施設が無い。 村には治療が可能な医者が在中しておらず、治癒魔法を使える魔法使いもいない。 では怪我を負った者はどうするかというと、 軽症であれば薬草などを塗り込むことで簡易に処置する。 重傷の場合は、村に常備してある治癒ポーション──高価なため非常事態にしか用いられない──を使用する。 それらの中間ほどの怪我であれば判断を迷うが、その場合は近隣の村に運ぶなどして対処に当たっている。
今回リバーとフエンは、東の山から南の山にかけて探索を行った……ということになっている。 その前提には、村長がその活動を勧めたという事実があった。
「村長が勧めたのであれば、その責任を俺らに負わせることは間違っている!」
「それはそうだが、しかし……」
村の共有財産は全て村長が管理している。
村人から上納品や成果物を回収し、それを近隣の街などで金銭に換えるのは村長の役割であり、貨幣としての共有財産も村人の労働の対価だと言える。 つまりそこから購入された治癒ポーションは、村人全員のものだと判断されるわけだ。
ポーションを用いる対象がこの村の人間ならば、まず揉めることはなかった。 誰が怪我したとしても、互助関係にある村人同士なら仕方ないで済む話だったのだ。 しかし今回は話が違う。
「あのような不審な者たちを招き入れなければ、このような事態は起こっていないはずだ!」
「村長の独断で行われたのだから、ますます責任は村長個人にあるのでは?」
至極尤もな意見である。
「そうだ、今回の責任の所在は儂にある。 だがリバーさんたちの行動はこの村を慮ってくれたことによるものが大きい。 たとえそれが単純な金銭欲によるものだとしても、村を豊かにするという結果につながる行動だったのは間違いないのだ」
メレドにそう言われると、村人たちは語気を和らげるしかない。
「ではこれはどうだろうか。 今回はポーションを皆の総意で使用し、その対価はリバーさんたちから後払いとして求める。 幸運なことに彼らは単純な旅人ではなく行商も行っている。 同等のものを得られるかどうかは不明だが、昨日見せていただいたものの中にも価値のあるものは多かった。 商人であれば信用を第一にするはず。 そう信じて今回は儂に任せてくれないか?」
これ以上議論を長引かせてしまえばリバーたちの生命に関わるということで、なし崩し的に村長の案が採択された。 不満を抱える者が少なからずいたが、総意ということであれば異論を唱えることができない。
こうして不毛とも言える議論は幕を閉じた。
数日後の夕方──。
「リバーさん、もうよろしいのですか?」
「ええ。 村の皆さんが私に治癒ポーションを用いてくれたので、今では元気になっておりますよ。 備蓄の関係でフエンさんにはポーションを使用できませんでしたが、快方へ向かっていますのでそちらもご安心を」
リバーは事件以降、毎日エスナの元を訪れている。 生活に不審者が入り込んでハジメとしては迷惑なことこの上ないのだが、エスナとリバーが親密なので文句も言いづらい。
(これが俗に言う寝取られってやつか……)
ハジメは童貞らしい思考を爆発させている。
リバーは外見が最悪なだけで、それ以外は完璧だ。 ハジメの特訓を見てくれるし、エスナの魔法指導をしている。
(くそう……こいつが悪いやつなら良かったのにィいいい!)
ハジメは内心で髪の毛を掻きむしる。
今やハジメの相手をしてくれるのはレスカだけだ。 レスカも姉を取られた気分のようで、少し寂しげな様子。
「ハジメさん、今日の私はあなたのお手伝いができませんので、ご了承ください」
リバーがこっそりと言う。
「……?」
「リバーさんは今日お休みをくださいと言っているわ」
エスナが通訳をしてくれ、ハジメはそれっぽい理解を示して顔を縦に振った。
リバーは今日も夕食を姉妹宅で済ませ、宿に戻って行った。
「お姉ちゃん、最近元気になったね」
「そう? 今まで元気なかった……?」
「なんだかいつも疲れてたよ」
「そうなのね……。 でも今は、えっと……そうね、ハジメもお仕事を手伝ってくれてるから楽になったんだと思うわ。 私が学校に行っている間もレスカを見ててくれるから、とっても安心なの」
「うんうん、ハジメのおかげだよね! ハジメ、お姉ちゃんが褒めてるよ!」
「えっと……?」
「みんな嬉しいってこと!」
レスカは姉の発言を聞いて満足そうだ。 そんなレスカの様子を見て、ハジメは安心感をもらえる。
日本では希薄な家族関係を送っていたハジメに、初めて家族がいるという喜びが芽生えてきた。 それと同時にエスナを取られるかもしれないという不安も。
「じゃあ今後も安心ね」
「最近リバーさん来るからヤダ!」
「そんなこと言わないの。 色々教えてくれるし、とってもいい人よ?」
「でもぉ……やっぱり顔が……。 いつまであの人うちに来るの!?」
「そんなに邪険にしちゃダメよ。 リバーさんもフエンちゃんが心配で、それを紛らわせるために来てるんだから」
「フエンちゃん、かぁ……。 あの子あたしのこと馬鹿にするから嫌い!」
「レスカ、大人にならないとダメよ? 色んな人と仲良くしなくちゃ」
「でもぉ……」
エスナは自身の変化に気づいていない。 誰かと仲良くなど、これまでの彼女からは生まれてこなかった発想だ。
エスナを変えたのは勿論、リバーだ。 話を聞いてくれる──それも頼り甲斐のある大人の男性ということで、エスナは安心感を得ていた。
「ほら、明日もあるんだからそろそろ寝なくちゃいけないわ」
「はぁーい」
「レスカは今日もハジメと寝るの?」
「うん、そうするー」
「もうお姉ちゃん離れね。 感慨深いわ……」
「泣いてるのー? 今日は一緒に寝てあげようか? にししー」
「もう、調子に乗らないの」
整容を終えて、各自それぞれの寝室へ。
今やレスカはハジメの部屋の一つのベッドで就寝するルールになってしまっている。
「ハジメ、寝るよぉ?」
「分かった」
いつの間にやら、レスカの依存先がエスナからハジメに移行してしまっていた。 レスカにしてみれば兄ができたような感覚なのか、当然のようにべったりと抱き付いてくるが、ハジメにしてみれば毒でしかない。
レスカは歳相応以上にたわわに実った果実を惜しげもなく擦り付けてくるし、なおかつ同じベッドで眠る。 こうしてハジメは毎晩レスカの地獄のような攻めに耐えねばならず、隣の部屋にエスナがいなければ欲情を抑えきれないほどになってしまっている。
村人にブラジャーという概念は無い。 レスカも当然それを身につけていない。 が、一応下着の概念はあり、ズボンの下にはカボチャパンツのような軽めの下着を付けている。 ところが眠る時のレスカはズボンを脱ぐし、上着も寝間着というか薄手のものに変えている。
レスカは当然のように着替えをハジメの目の前で行うので、たまったものではない。
寝る前のレスカはハジメに色々なことを話してくれる。 ハジメの言語習得のためか、単に話し足りないためか。 これがハジメにはありがたく、レスカに対する愛情は毎日のように深くなる。
「ハジメ、お姉ちゃんの次に好きぃ……」
狭いベッドでほとんど抱き合いながら、レスカが眠い声で言う。
レスカのハジメに対する感情は恋愛感情によるものではない。 それがハジメには分かっているからこそ、滾る欲情を夜の特訓で振り払う。
「フッ……フッ……フッ……!」
今晩もハジメが特訓をしていると、視界の端で何かが動くのが見えた。 よく目を凝らせばそれはエスナで、彼女は家を出てどこかに向かっているようだった。
(こんな夜中にどこに行くつもりだ?)
これに関してはハジメが言える立場ではないのだが、少し気になってエスナを追うこととした。
(あれは……リバーか?)
エスナが小走りでリバーの元に駆けて行くのを見て、ハジメは理解した。
(まぁそうだよな……)
リバーが今日の特訓は難しいと言った理由。 それは、エスナと夜の密会をするためだった。
ハジメは噛み砕けない感情を抱えたまま、足早にその場を去る。
「あーあ……。 何を勘違いしてたんだか……」
エスナが幸せになるのは喜ばしいことだ。 その時彼女の側にいるのは自分自身だと、ハジメは信じて疑っていなかった。 しかしそれはただ思い違いで、ハジメは無力なモブでしかなかったのだ。 それを痛感し、ハジメは絶望している。
(エスナはリバーが守ってくれる。 じゃあレスカは、俺が守ってやるしかないよな……?)
ハジメはそんな風に勝手なことを考えた。
(そうだ! 俺がレスカを守れるって分かれば、エスナは安心して自分の人生を歩めるんだ)
ハジメは無理矢理に思考を書き換え、これまでの鬱屈とした感情を掻き消す。
エスナがその人生を妹のレスカのために使っていることは、一緒に生活していれば嫌でもわかる話だ。 だからエスナの負担を取り除くことは、彼女の幸せに繋がるのだとハジメは確信した。 しかしそれは決して彼女のためなどではない。 単にハジメが認められたいだけだ。 リバーが認められているという状況で、相対的に自分が認められていないとハジメは感じてしまっているのだ。
「……よし。 もっと特訓の量を増やすか……!」
理由はどうあれ、リバーとエスナの逢瀬はハジメの意識に僅かばかりの変化をもたらしていた。
▽
「こんな夜中にお呼びたてして申し訳ないですねぇ」
「いえ、大切なお話があるということでしたので……」
エスナは心臓を高鳴らせている。 夜の逢瀬など、御伽噺の世界だと思っていたからだ。 しかし今は、期待半分、不安半分といったところ。
エスナの淡い恋心は、リバーには恐らく響いていないだろう。
今から語られる内容も、エスナの期待するものではないかもしれない。
「少し長くなるかもしれませんが、構いませんか?」
「は、はいっ……」
語尾が少し跳ねていることにエスナは気がつかない。
「先日私が調査に赴いた時のことをお話しします」
「あ……はい……」
リバーのそれは、やはりエスナの期待するものではなかった。
エスナは誰の目にも分かりやすく肩を落としたが、なにもここで全てが終わったわけではない。 まだリバーが村に滞在するのであればいくらでもスキンシップは取れる、とエスナは自分に言い聞かせる。
(大丈夫、まだ機会はあるわ……)
すぐにエスナは意志を取り戻してリバーの話に耳を傾けた。
「村の皆さんに話した内容ですが、エスナさんは聞き及んでいますか?」
「リバーさんが大怪我をされた、その内容……ですよね?」
「そうです」
「東の山で魔物に襲われた、としか……」
リバーは村人全員にそう伝えている。
「そして辛くも魔物を撃退した。 そうですね?」
「そう、聞き及んでいます……」
「ですが、事実は異なります。 ああでも言わなければ村人は安心してくれなかったでしょうから」
「えっと、それは……実際は魔物を撃退できなかった、ということですか?」
「いえ、そうではなく、 もう少し複雑な話になりますねぇ」
「……えっと、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「リバーさんがそれを私にお話しされるのは、私に関わるお話だからでしょうか……?」
「エスナさんだけでなく、レスカさんにも関わることです。 だから私はその内容がレスカさんに伝わらぬよう、あえて作り話を伝えていたのです」
エスナの心臓が跳ねた。 これは先ほどの感情とは異なり、負の感情からやって来るものだ。
言い知れぬ不安感がエスナを包んでいく。
「レスカには聞かせたくない話、なのですね……」
「そうなりますね。 ここまで引っ張ってしまって恐縮なのですが、これ以上聞かないという選択肢もあります」
「それは……やはり厳しい内容の……」
リバーが調査を行なって何を知ったのか。 もしかしたら──いや、確実に両親の死に関わることなのだろう。
リバーは命に関わる体験を経て事実を知った。 そういうことだ。
(知りたい……いえ、知らない方が……?)
リバーが怪我をしてまで調べてくれた以上、聞かないということは大変な失礼にあたる。 リバーはエスナのそんな感情も理解した上で、その提示をしてくれている。
(やっぱりリバーさんは優しい……。 だから私はその優しさに報いたい。 それが辛い内容であっても……)
エスナはこれからどんな内容を聞かされても、それを超える感情で耐えられると信じていた。
エスナの恋心は本物だ。 相手がピエロだからとか、そんなことは関係ない。 ここまで親身に接してくれる人になら、どこまでも尽くしたいとさえ思っているのだ。
しかし現実は無情である。
リバーの語る内容は、エスナの精神を不調に至らせるには十分な凶器を備えていた。
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