第121話 破壊
「エマ……! シノンちゃんも!」
魔物の背に乗って駆けつけたハジメは、異常な光景を目にした。
そこに居る者たちの服装だけで、ある程度の察しはつく状況だった。 軍服に似た装束を纏う大人数と、魔法使いということを隠さないローブ姿の十数名。 エマとシノン、そしてヴィシャトールとヴィシャファトは浮いているが、概ね二者対立と思しき戦況が広がっていた。 その上で、すでに雌雄は決していることも理解できた。
「おお、貴様はハジメ! 生きていたのか!?」
ヴィシャトールが、誰よりもハジメの到着に歓喜している。 他の面々は異常者でも見るような視線をハジメに向けてきている。
(何とか魔物も止められたけど、結構マズい場面に来たな……)
「けほっ……ハジメ、さん……」
「ハジメちゃん、遅かったね」
「どういう状況だ?」
「エマちゃんが連行される一歩手前かな」
「おっと、そうだった」
「ん、ぐっ……」
ヴィシャトールが再度エマに手をかけた。 物でも持ち上げるように雑に扱われるエマを見て、ハジメの中に殺意が芽生える。
「おい、何してる! 手を離せ!」
「んー、そうはいかないねぇ。 この女は報酬として受け取ったものでな。 犯し尽くして孕ませると決めているのだよ。 壊れなければヴィシャファトの嫁にして、壊れてしまったら殺すというところまで話がついている。 だから、こちらの所有物にいやらしい視線を向けないでもらえるか?」
「……は? 何をふざけたこと言ってんだよ……?」
「そろそろいいか?」
見かねたカイヤザが割って入った。
ハジメは腑が煮えくりかえる気持ちのまま、乱暴に返事を返した。
「何だよ、あんた?」
「カイヤザと言う。 急に入って来て邪魔をしないでくれないか? 我々は現在重要な局面を迎えている」
「は? だからなんだよ?」
「相手は後でしてやるから、消えろと言っている。 部外者はこの場に必要ない」
「俺が、部外者……? ふざけたこと言ってんじゃねぇよ! そこの二人は俺の仲間だ! ヴィシャトールも勝手に自分の所有物にしてんじゃねぇよ!」
「おーおー、吠えるじゃあないか。 だがこれはこの俺のものだ。 だからこうやって……」
ヴィシャトールは右手でエマの首を絞めて持ち上げたまま、左手でエマの腕を握った。
「イ゛っ──」
ぐしゃり。 骨が砕ける気味の悪い音。
「──ぎゃア゛ッ!?」
エマは締められた喉から悲鳴を溢れさせた。
「自由に壊すことも可能だ。 なにせ、この俺の所有物なのだから」
「テメェッ!!!」
「だめだめ! だめなんだよ!?」
ハジメは一瞬で頭に血が上り、地面を蹴っていた。 そんなハジメの前に、ヴィシャファトが躍り出た。
「うグ、ッ……げぇっ!?」
ハジメが気づいた時には、ヴィシャファトの拳が腹を貫いていた。
ハジメは異内容を吐き出しながら身体を浮かされ、続く振り下ろしが顔面を押し潰す。
「ぐっ……ぎゃッ……!」
凄まじい威力で地面に叩きつけられたハジメは、そのまま何度か地面を跳ねて家屋に激突。 痛みで思考も吹き飛ばされた。
「……ぁ、エ……ゔッ……ぐぅ」
「ではカイヤザ、あとは貴様に任せよう。 この女の悲鳴を聞いたら、少し迸ってしまったのでな。 早く家に帰って、この女の中にぶちまけなくては!」
「好きにしろ」
「ああ、そうだ。 先ほどの超音波はハジメの魔法によるものだ。 しばらくは魔法が使えないから気を付けたまえ」
颯爽と去っていくヴィシャ兄弟。
ぐわんぐわんと歪む視界。 血みどろで、ハジメの身体の各所が悲鳴を上げている。 連れ去られていくエマを見ても、何が行われているのか理解が全く追いつかない。
「ところで、そこの……シノンと言ったか」
カイヤザがシノンに尋ねる。
「何かな?」
「街道にやってきた魔物も、そこのハジメという男が原因だと思うか?」
「そうじゃない? 私もハジメちゃんの魔法はよく分からないけど、魔物に乗って来たところを見るとそうだと思うよ」
「あとは、そうだな。 仲間が酷い目に遭っていることは気にならないのか?」
「弱い故の結果でしょ。 仕方ないとは思うよ」
「真理だな。 では諸君、彼も魔法使いらしい。 捕えておいてくれ」
ラウンジの面々に項垂れたまま運ばれるハジメ。 シノンの隣に座らされ、首元に刃を押し当てられた。
「もうボロボロじゃん。 そんなに魔法使いが怖いの?」
「ああ、怖いな。 魔法を使用できるようになってからは、特に実感している次第だ」
「ふーん」
「ひとまず、これで魔法使いは全部か」
「同志カイヤザ。 そいつの父親も魔法使いらしいんですけどね」
「同志ラオロ、そうなのか?」
「そいつが言ってましたよ」
「では、ここを邪魔されないよう警戒にあたってくれ。 このハジメという男のせいで、今は誰も魔導書を出せないわけだからな」
ヴィシャトールの言った通り、ラウンジの魔導書持ちは揃って具現化ができなくなっている。 しばらく時間を置けば回復するらしいが、その間にシノンの父がやってくるとも限らない。 ということで、これからの仕上げのためにカイヤザは不安材料をなるべく少なく心掛けた。
「同志カイヤザ、こいつはどうするんです?」
「魔物を操れるようだし、魔法使用さえ制限できる。 ハジメの魔法は是非とも確保したい。 シノン、彼は殺すが良いな?」
「好きにすればいいよ。 今の私はもう何もできないからね」
「同志カイヤザ、気を付けてくださいよ。 そいつは何を隠し持ってるか分かりませんからね」
「では、同志ラオロに彼女の管理は任せよう」
「仕方ないか」
シノンは後ろ手を更にキツく縛り上げられ、ハジメと同様に刃を押し当てられた。
「死にたくなけりゃ、動かないことだ」
「はいはい。 ほんと心配性だね」
カイヤザがベルマリットの前に歩み寄る。
「ハジメのおかげで、どうやらお前の魔法も効果を失ったらしい。 残念だったな。 これで万策は尽きたと言える。 お前は殺すが、言い残したことは?」
ベルマリットの魔法が効果を残している限り手出しは難しかったが、ハジメの魔法によって魔法使用だけでなく魔法効果も失われてしまっていた。 そこにはカイヤザの魔法も含まれており、病魔も同様に効力を失くしている。
「そこの若者さえ居なければ……」
カイヤザの魔法が解除されたことで、組合が魔法を使用できる状況にまで戻されたと安心していたベルマリット。 しかし魔法使用制限のせいで、抵抗の可能性を潰されてしまった。
「そこの貴方、何か言ってはどうですか……!? 貴方が魔物をけしかけたせいで、私どもは住民を救うべく行動したのです。 そのために、このような状況が生まれてしまったのですよ!? 聞こえているのですかッ……!」
ベルマリットは怒りの限りに言葉を並べ立てた。 両腕を確保されて命さえ握られているハジメは、ただただ息荒く項垂れるまま。
実際、ベンの指示通り全員で行動していた間は全くの被害なくラウンジや魔物を圧倒していた。 しかし魔物が住民を襲い始めた時点で、力を持つ者としての責務や良心が邪魔してしまった。
ベンは住民を切り捨てるべきものだと断罪したが、それは階級を持つものの思考。 ベルマリットは騎士と同等の権力を持つとはいえ、組合の魔法使いはその大半が平民出身。 平民を蔑ろにすることなどできなかった。
ベルマリットは魔法使いをいくつかの部隊に分け、住民保護を優先して行動に当たらせた。 結果的にはラウンジの魔法使いにそれぞれの部隊が壊滅させられることになるのだが、ベルマリットはそれが間違った行動だとは決して考えない。 それなのに。
「……あ、う……」
(何、だ? 誰かが、叫んで……)
ハジメが徐に顔を上げると、そこには半狂乱で唾を飛ばす初老の女性の姿があった。
「──この人殺しッ!」
「……は?」
「貴方のせいで、多くの住民が死にましたッ! 貴方のせいで……貴方などが邪魔をしたからっ……」
「そう悪く言ってやるな。 おかげで我々ラウンジは、お前たち組合をこうやって無力化できたのだから。 そうだろう、ハジメよ?」
「ああ……何を、言って……っぐ!」
カイヤザはハジメに近づくと、乱暴に前髪を掴んで顔を上げさせた。 そして耳元で囁く。
「見ろ。 お前の働きで、これだけの魔法使いを捕まえることができた。 こいつはお前を人殺しなどと言っているが、俺はそうは思わない。 お前は英雄だ。 それを誇って、殺されてほしい」
「人殺し……? 英雄……?」
ハジメの中で、徐々に現実世界の実感が戻り始めた。 そうすると、憎悪に塗れたベルマリットの姿や、満身創痍の魔法使いたちの様子がくっきりと見えてきた。
「貴方は大量殺人犯よ……!」
「違う……俺は、そんなつもりじゃ……」
「貴方がここに来るまで、そこら中に無惨に殺された人々が散らばっていたはずです……! ほら、そこにも……あそこにも……!」
「俺は、殺してない……。 断じて俺じゃ、ない……! 俺の意思を無視して魔物が勝手にやったことなんだ……!」
ハジメはそう叫びながら、ここまでの道程を思い出していた。 一心不乱にこの場を目指していたが、そう言えば人間の死体が多かったことが脳裏に浮かぶ。
「違う……俺は、殺していない……。 これまでだって──」
ラクラ村、クレメント村、ベルナルダン、モルテヴァ、そしてここロヒル街道。 あまりにも人死にが多すぎるではないか。 人が死ぬならまだしも、全ての場所が文字通り滅んでいる。 ハジメはそう思い返して、同時にツォヴィナールの言葉があらためて突き刺さり始めた。
『そなたを幸福にするために、誰かが不幸を被っていたことに。 そなたが助かるために、周囲の幸運が吸い尽くされていたということに』
「──いや、全部……俺だった……」
これまで考えないようにしていたことが、形を持って浮かび上がった。 そのまま消えることなく、ハジメの中で燻って残り続ける。
「ハジメちゃん、さっさとしないとエマちゃんが危ないよ?」
「おい、黙ってろよ」
(……俺が動かないと、俺もエマも、シノンちゃんも魔法使いも全員死ぬ。 俺が動けば、こいつらが死ぬだけで済む。 どうせここまで散々殺してるんだ。 今更善人ぶったって──)
「お父さーん! エマちゃんが連れ去られちゃったんだけどー?」
「シノンてめぇ、そんなに死にたいのか!?」
ハジメは横目にシノンを見た。 目が合ったが、彼女の意図することはすぐに理解できた。
ハジメは膝立ちで拘束されているが、意識すれば魔導書は衣服の中に具現化できた。 それも、目的のページを開いた状態で。
(日本人としての俺は、今日ここで死んだ。 俺が守るべきものは、殺人を犯したくないなんていうプライドじゃない。 だから俺はこれから、大切なものを守るために人を殺す。 ナール様が設立した中道“マディヤマー”の使徒として、やるべきことも決めた)
諦観の中、ハジメは魔導書にマナを込めていた。
(あーあ、どうしてこうなったんだろう──いや、分かってる。 全部、俺が弱かったのが原因だ。 俺が保身ばかりで逃げてたから、こうなったんだよな……)
「《歪虚》」
びちゃ──り。 極限まで圧縮された肉片と血液が、静かに地面を濡らした。
(こんなに簡単に死ぬんだな。 他人の、それも犯罪者のちっぽけな命に、俺は何を配慮していたんだか。 とはいえ俺も犯罪者なんだが、罰せられるまではもう……振り返らねぇよ)
ハジメを押さえつける男二人を殺すのに、大した量のマナは必要なかった。 悲鳴も上げず爆縮した二人には誰も気が付かず、シノンだけが無表情でハジメを見ていた。
(それでいいんだ、ってか? 分かってるよ。 全部分かってるから……黙って、見てろよ)
ハジメは視線を一瞬だけ左右させた。
(シノンちゃんと、魔法使いが少し。 あと、こいつには聞くことがあるな。 それ以外は全部、消えてくれ……)
「お前、は……何」
死んだ二人に近かったカイヤザ。 まず彼が異変に気づいた。 他は未だ、騒いでいるシノンに注意を引きつけられている。
ハジメはカイヤザと視線を合わせながら、彼が言い切る前に次を紡いだ。
「《拡散》。 《歪虚》」
波動が駆け抜けた。 そこには、死に際の断末魔は一つも残らなかった。
構造物だけが崩れる音を響かせている。 ラウンジの面々は破砕音に被せられ、最後の瞬間すら誰にも聞き取ってもらえなかった。
ハジメは真っ赤に染まる広場で立ち上がり、カイヤザに相対する。
「……あまりにも、理不尽だ」
カイヤザは緊張と諦めを孕んだ言葉を吐いた。 《歪虚》の空間に包まれ、これから起こる事態を受け入れた神妙な表情を作っている。
「ヴィシャトールはどこに向かった?」
「あちらだ」
カイヤザは南西の方角を指した。
「ごめん」
「束の間の淡い夢さえ、お前たちは許さないのだな?」
お前たち。 それだけで、ハジメはカイヤザの経験した人生が想像できた。
「夢は、寝室で見るもんだ」
「違いないな」
果てるカイヤザの肉片を全身に浴びながら、ハジメは真っ直ぐにエマの元へ。
指定された方角には、異質な外観の民家が一つだけぽつりとあった。
建物の中から聞こえるのは、決して楽しげな物音ではない。 歓喜を孕んだ獣のような咆哮と打撲音、接触音、水音、悲鳴、号泣、懇願、嗚咽……。
ハジメは殺意で視界が真っ赤に染まり、心臓は限界を超えて拍動し胸痛を伝えてくる。 全身が粟立ち、すぐにでも立ち去りたい衝動を抑えて扉を開いた。
「あ、あ……」
ヴィシャトールとヴィシャファトが、エマを壊している。
「あァ、あ……」
ハジメの侵入になど一切気が付かず、一心不乱に腰を動かしている。
「あ゛ァあ、あ……ア?」
ハジメノ心は、状況を受け入れられなかった。 だから──。
「ハジメちゃん、いつまでやるつもり?」
「……え? 可能な限り永遠に、だけど?」
「そう。 エマちゃんは一旦落ち着いたから、ハジメちゃんも気が済んだらこっち来なよ」
「は? 気が済むわけなくね?」
「ま、そうだよね。 それでも一応伝えたから」
心が壊れる前に、ハジメは先に心を壊した。 それが心に最も被害の少ない方法だと思ったから。
数日間かけて、ヴィシャトールとヴィシャファトはじっくりと身体の体積を減じている。 厳重に括り付けられた彼らは、眼と舌、陰茎は真っ先に破壊された。 その後は、四肢末端から少しずつ壊してはポーションで出血を抑えるという方法で拷問が続けられている。
「みーんな壊れちゃった。 これからどうしようかな」
無惨に変わり果て、泣き叫ぶヴィシャ兄弟。 シノンは食料を置き、彼らの哀れな悲鳴を聞きながらその場を後にした。
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